そんな車の中で手に入れたのがR32 GT-Rでした。今でもモヤモヤと思うのは初代インプレッサの22Bです。ランエボでもいいけど。いいトコⅣ辺りかなあ。
それはさておき。
スポーツカーってなんだろうと思うわけです。
スポーツカーの何を以ってスポーツと言うのか。本来なら「最適操作を最適判断の元にこなし続ける。その最適判断をトップスピードで走行しながら行う為には相当高い基礎体力を伴わないと集中力が維持できない。つまり、集中力をとぎらせず、しかも緊張することなく、適切な判断の元にクルマを運転するという行為」がスポーツとしてのクルマの運転です。
以前にも書きましたが、F1ドライバーという人種は「レース中の平均心拍数200回/分」なんだとか。1秒間に3回以上の鼓動をレース中って言えば1時間半とか2時間近い時間です。集中力を維持するためにはこれだけの酸素と栄養を脳みそに送り込まなければいけないわけです。そういえばトップドライバーにデブはいないしなあ。
ということで、おっかなびっくり、ドキドキしながら無理めのスピードでコーナーに突っ込んで、体はカチコチに緊張してハンドルを握り締め、何とか通過した後で「あー怖かった」では、スポーツドライビングには程遠い姿なわけです。
で、そのトップスピードによる最適判断・最適操作をするためのツールがスポーツカーということになるんですが。どうも「いわゆるスポーツカー(「風」に改造された車も含む)」達は道路をヨタヨタと蛇行し、やたらと派手なオナラを盛大に撒き散らすだけのクルマと私の目には映ります。あれじゃあスポーツできなくない?
まあ雰囲気だけと割り切った割り切りスポーツカーは、それはそれで好きなんですけどね。
最適操作と最適判断をするためには、もっとしなやかに動く車でないとダメでしょう。基本的には快適に動くクルマでないと。快適といってもだらけさせてくれる事とは違います。それは仕事場として集中できる快適さ。ラリーカーなんて、そういう意味ではものすごく快適らしいですしね、乗ったことないけど。ゴツゴツした乗り心地では体を痛めてしまうし集中力がそこで途切れてしまうでしょうし。
しなやかに動く為には、やはり軽いことも重要です。軽ければ動きが俊敏になります。慣性重量が減りますから。軽ければ与えられた操作への反応もいいし、エンジンの力もロスしないで済みます。
トップスピードですが、フルスロットルなんて領域はほとんど出番がありません。という事は最高出力はほとんど意味のないものに成り下がります。ということで問題はトルクの出方。きちんと初期トルクが出ているエンジンなら一般道なら2000ccの4発で十分です。コンパクトでもありますしね。それ以上の排気量を装備する(ターボも含む)なら、それはフラットトルク化に充てられるべきです。アクセルを踏み続けなければいけないクルマは疲れるものです。
こうして考えていくとスポーツカーとは、先ず以ってドライバーの操作にきちんと反応してくれるクルマであることが最低条件です。また、きちんと判断し、操作が出来る為に、集中できる快適な環境を備えているであることも条件になります。逆説的に言えば、本質的なスポーツカーであるほうが、より快適なクルマであるはず、とも言えるのかな。
素直な運動特性や操縦性というのは普通の車であればこそ求められることであり、低速からフラットトルク(この点だけで言えば電気モーターは良い特性を持っている)なクルマの方が運転は楽な訳ですから、極論すれば全ての車がスポーツカーであるべき、とも言えるのかな、と。それを殊更にスポーツカーと銘打って売り出すということなら、高次元な領域で運転を楽しめるツールであるべきなんでしょうね。トップスピードだけではなく。
一般的なイメージであるところのスポーツカー像というのは、「トップスピード」という1部分のイメージだけをクローズアップされたクルマが大半なんだろうな、と思います。
これらの事を、言い換えてみれば「人馬一体」であったり、という事になるのでしょう。
ただ思うに、機構がシンプルなほどクルマとの一体感が出やすく、軽く仕上げられるという事を考えると昔の車のほうがスポーツカーを具現化しやすかったのだろうとは思います。もちろん製造技術のレベルによる限界点もそれなりに低かったという面はあったでしょうけど。
比べるに、今時の車は衝突安全や環境負荷・排気ガス規制、生産性と販売価格等々、考え、乗り越えなくてはならないハードルがありすぎるのでしょう。
環境負荷については資源の枯渇化も含めて、まだまだこれからも乗り越えなくてはならないハードルはありますが、それでも衝突安全についてはひと段落したような感はあります。それは同時に衝突安全性を今以上に謳っても、もう既に商売上の謳い文句には成り難くくなったということでもあるのですが。
それでも、「スポーツカー」という言葉には甘美な響きがあることも事実です。願わくば、これからもセールストークでない、その甘美な響きで私達を魅了して行ってほしいものです。
それはさておき。
スポーツカーってなんだろうと思うわけです。
スポーツカーの何を以ってスポーツと言うのか。本来なら「最適操作を最適判断の元にこなし続ける。その最適判断をトップスピードで走行しながら行う為には相当高い基礎体力を伴わないと集中力が維持できない。つまり、集中力をとぎらせず、しかも緊張することなく、適切な判断の元にクルマを運転するという行為」がスポーツとしてのクルマの運転です。
以前にも書きましたが、F1ドライバーという人種は「レース中の平均心拍数200回/分」なんだとか。1秒間に3回以上の鼓動をレース中って言えば1時間半とか2時間近い時間です。集中力を維持するためにはこれだけの酸素と栄養を脳みそに送り込まなければいけないわけです。そういえばトップドライバーにデブはいないしなあ。
ということで、おっかなびっくり、ドキドキしながら無理めのスピードでコーナーに突っ込んで、体はカチコチに緊張してハンドルを握り締め、何とか通過した後で「あー怖かった」では、スポーツドライビングには程遠い姿なわけです。
で、そのトップスピードによる最適判断・最適操作をするためのツールがスポーツカーということになるんですが。どうも「いわゆるスポーツカー(「風」に改造された車も含む)」達は道路をヨタヨタと蛇行し、やたらと派手なオナラを盛大に撒き散らすだけのクルマと私の目には映ります。あれじゃあスポーツできなくない?
まあ雰囲気だけと割り切った割り切りスポーツカーは、それはそれで好きなんですけどね。
最適操作と最適判断をするためには、もっとしなやかに動く車でないとダメでしょう。基本的には快適に動くクルマでないと。快適といってもだらけさせてくれる事とは違います。それは仕事場として集中できる快適さ。ラリーカーなんて、そういう意味ではものすごく快適らしいですしね、乗ったことないけど。ゴツゴツした乗り心地では体を痛めてしまうし集中力がそこで途切れてしまうでしょうし。
しなやかに動く為には、やはり軽いことも重要です。軽ければ動きが俊敏になります。慣性重量が減りますから。軽ければ与えられた操作への反応もいいし、エンジンの力もロスしないで済みます。
トップスピードですが、フルスロットルなんて領域はほとんど出番がありません。という事は最高出力はほとんど意味のないものに成り下がります。ということで問題はトルクの出方。きちんと初期トルクが出ているエンジンなら一般道なら2000ccの4発で十分です。コンパクトでもありますしね。それ以上の排気量を装備する(ターボも含む)なら、それはフラットトルク化に充てられるべきです。アクセルを踏み続けなければいけないクルマは疲れるものです。
こうして考えていくとスポーツカーとは、先ず以ってドライバーの操作にきちんと反応してくれるクルマであることが最低条件です。また、きちんと判断し、操作が出来る為に、集中できる快適な環境を備えているであることも条件になります。逆説的に言えば、本質的なスポーツカーであるほうが、より快適なクルマであるはず、とも言えるのかな。
素直な運動特性や操縦性というのは普通の車であればこそ求められることであり、低速からフラットトルク(この点だけで言えば電気モーターは良い特性を持っている)なクルマの方が運転は楽な訳ですから、極論すれば全ての車がスポーツカーであるべき、とも言えるのかな、と。それを殊更にスポーツカーと銘打って売り出すということなら、高次元な領域で運転を楽しめるツールであるべきなんでしょうね。トップスピードだけではなく。
一般的なイメージであるところのスポーツカー像というのは、「トップスピード」という1部分のイメージだけをクローズアップされたクルマが大半なんだろうな、と思います。
これらの事を、言い換えてみれば「人馬一体」であったり、という事になるのでしょう。
ただ思うに、機構がシンプルなほどクルマとの一体感が出やすく、軽く仕上げられるという事を考えると昔の車のほうがスポーツカーを具現化しやすかったのだろうとは思います。もちろん製造技術のレベルによる限界点もそれなりに低かったという面はあったでしょうけど。
比べるに、今時の車は衝突安全や環境負荷・排気ガス規制、生産性と販売価格等々、考え、乗り越えなくてはならないハードルがありすぎるのでしょう。
環境負荷については資源の枯渇化も含めて、まだまだこれからも乗り越えなくてはならないハードルはありますが、それでも衝突安全についてはひと段落したような感はあります。それは同時に衝突安全性を今以上に謳っても、もう既に商売上の謳い文句には成り難くくなったということでもあるのですが。
それでも、「スポーツカー」という言葉には甘美な響きがあることも事実です。願わくば、これからもセールストークでない、その甘美な響きで私達を魅了して行ってほしいものです。
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