2010年11月1日月曜日

人それぞれの評価軸

人が何かを気に入るようになるきっかけなんて他人からすればとるに足らない理由であったり、それこそ何かの偶然であったりというレベル以上のものではないことが多いような気はします。それとは逆に、嫌いになる理由も、それこそ他人からしたらどうでもいいと思えるような低レベルの行き違いだったりする事も少なくないでしょう。

例えば私がトヨペットに営業職として入社した理由も「車会社なら安く車を買えるのではないか?」という程度であり、それ以上に深い選択理由があったのか?と聞かれれば「さあ?」という具合です。

今は馴染みとなった行きつけのお店なんてのも、きっかけはその程度であることが多いような気はします。お店がきれいだったから。たまたま通りかかったら、対応が良かったから。気に入った商品が置いてあったからなどなど。

私は始めからディーラーの中に居た人間でしたから、外から見たディーラー像というのは、ここ7年ほどの間の感想でしかありません。しかも出発点は「中かから見た印象を、外側からの視点で後から修正をかけている」という状態です。

そういう視点で見ると、ディーラーの人間ってのは得だなあ、とシミジミ思うわけです。とりあえずは良い意味で「トヨタの人」とか「日産の人」という色眼鏡で見てもらえますからね。

もちろんわたしもそういう部分に乗っかって商売を出発させていただいているのも事実ですから、その点の恩恵は非常に大きいです。

ただ、ディーラーの中に居る人間はほとんどの場合、「処女就職先のまま現在に至る」という方々がほとんどです。つまりディーラーを辞めて業者に就職するなり自分で商売を始めた人はあっても、外でクルマ商売をしていた人間が後からディーラーに入ってきた例なんて皆無では?と思っています。

このため口では「メーカー名の入った看板を背負っている」とうるさく言うことはあっても、それを実感として体験した人はほとんど居ないので、「メーカー名を背負った商売をしている」ことの光と影を実感している人は皆無だろうなあ、と。

歳経たメカニックの肩叩きをして営業研修という名の退職勧告をしている暇があったら、そういう社外研修を1年でも2年でもやった方がよほど自身のため、会社にとっても非常に為になるんじゃあないか?という気がするんですけどねえ。



今日こんなことを考えたのは、バイクのことがあったから。


とある方が事故をして転んだバイクを修理する話になっているのですが、その持ち込んだ先が浜松では大手のバイク屋でした。

確かに販売数ではトップだったはずです、多分。店舗数も多いし、お店もきれい。これらの点から見れば、一般の方からすれば良いお店だろうと判断するには十分過ぎる材料であろうと思います。

ただ、私の目からすると、外見ほどいいバイク屋に思えないんですよねえ。



人はとかく金銭面の話になると違う面を見せる、とはよくいう話です。それが本性かどうかは分かりませんが。


で、そこのバイク屋の場合、異様に支払いに関してうるさいという印象が強いんですよねえ。ルーズと鷹揚とは紙一重かもしれませんが、同様に世知辛いのとしっかりしているのも紙一重です。


一歩超えてしまうとすぐ隣の領域に達してしまうのですが、わたしのように普通の一般客でない、保険屋に見せる顔だったりとか、同業者に見せる顔は一言「嫌な奴だなあ」というね。どうも、そちらの金銭面に関しての対応が鼻につきすぎてしまいます。


もっとも仕事そのものを出したことはないので、その面に関しての評価は出来ませんが。まあ、ハナから出す気になれもしないんですけど。



まあ、そんなことを言いながらも、私も外の人からどういう風に言われているのかはわかりません。思いついた時たまたまでいいから、自分の思い込みでない、他人から見た視点でもって自分を再評価してみるということも大切なことなのかもしれません。お客様目線などという軽々しい言葉でなくって。ああいう人から借りた言葉ってあまり好きになれないのです。

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