今日も、帳簿整理をしておりました。やっと、買掛帳と売掛帳が形になり、ようやく本丸というか、天守閣というか、現金出納帳の最後の形を整える所までやってまいりました。
でも、やったことある人はご存知でしょうけど、これすら、確定申告の中の一部の作業でしかないんですよね。出来ることなら今月中に何とか形にしちゃいたいのですが。という事で多分明日も、午後からは帳簿整理をすることになると思います。
.......、という事をやっていると、何時の間にやら5時になっていました。あれ?ぺろっちょが、鳴かないや。おかしいな?と思って庭のぺろっちょを見やると、いつものクッションの上に寝転びながら、じっとこちらを見ているではありませんか。
ここのところ平日は実家の親達が、夕方のぺろっちょの散歩に行ってくれるのですが、どうも今日は来ていないようです。仕方がないから行くかね、と準備をしだすと、その様子に気がついたぺろっちょは大はしゃぎ。早く早く、とせっつきます。
で、いつもの山のほうへの散歩コースに出かけたのですが、どうもおかしい。いつもなら便通の大変よろしいぺろっちょは、このコースなら、あの辺りとこの辺り、というように最低2回は大きいのをします。ところが今日はしません。そういえば心なしか、いつもよりは散歩紐の引きが弱いか?さては...。
だまされた。
ぺろっちょめ。オヌシもなかなか役者になりおったのお。
というわけで、まんまとペロの訴えるような目に騙されていました。
という事は、帳簿整理に夢中になっている間に親父が行ったのか。1度目の散歩は。
という事はこれは2回目の散歩。
でも夜には、また必ず鳴くから今日は3回も散歩に行っちゃうのね、ぺろっちょ。
山をぐるっと回って帰り道の途中。モグラが開けたような穴ぼこを見つけました。
と、思うまもなくぺろっちょもその穴に気がついたようです。
「ん!?」と急に動きが俊敏になり、次の瞬間、穴ぼこに鼻を突っ込んでいました。
「フンガ、フンガ」と、臭いを嗅ぐ鼻息と共にガリガリと前足を隙間から突っ込み、興奮しだしました。こうなるとなかなか止めないんですよね。冒頭の写真はそのときの様子です。以前マムシに鼻のそばを齧られた思い出も、すっかり頭の中から消えてしまっているようです。もう少し警戒しろよなあ。
と、何時まででも止める様子がないので、名残を惜しむぺろっちょをムリヤリ引っ張って帰ってきました。ちなみにペロの執拗な捜索の結果、その穴のあった近辺は、ほじくり返されまくって穴だらけになってしまいましたとさ。人んちの畑じゃなくてよかった。
もう月末です。そろそろ、月刊しばた新聞の製作に取り掛かりますので、少々お休みをさせていただきます。
多分再開は来週の半ば頃になるかと思いますので、ご了承ください。
それでは今日はこの辺で。
ウチの奥様が「ノラ ジョーンズ」のCDが欲しいとのたまい、ジャスコのHMVでそれを探していたのですが、そのCDには左にあるマークがくっついたものでした。
それをチラッと見たワタクシトしましては「そんなもんCDじゃない」と言って買うのを止めさせました。べつにそれをコピーしたいから、と言うことではなく、リッピング出来ないから、と言うわけでもありません。単にレコード会社の我儘に付き合うつもりがないから、という理由です。
ただ単に音楽が手元にあればいいや、ということであればiTuneでのダウンロード音源であったり、それこそエアチェックでもいい訳です。でもわざわざCDという形で音源を手にしたいというのは、どういうことか。もちろん形あるものとして手元に残しておきたい、という事もそうですが、それ以上にいい音源を手にしたい、ということが根底にあると思うのですが如何でしょうか?
CCCDはその思いを無視した存在です。
デタラメなトラック情報と音楽情報の中に仕組まれたエラー信号で、その思いを踏みにじります。後に登場したビクターなどのオリジナルコピーガード規格では、音質に関しては改善されたようですが、初期のCCCDはひどかった記憶があります。
しかも。
CCCD(コピーコントロールCD)とは言いつつ、これはCD規格に準拠していないので、CDプレーヤーが壊れる可能性もあるという代物です。許せません。これでは何のためにわざわざCD というメディアを買ってきたのかわかりません。しかも先日のコラムで言ったように、今現在ではCD専用のプレーヤーは絶滅危惧種です。もう一つ予備にCDデッキを買っておこうかとも思うくらいです。
そんなことは今頃になっても露知らず、これ買おうか、なんていうウチの嫁さんのような人も居るのです。「だって売ってんだから、そんな事あるわけないでしょう?」というのが嫁さんの唯一の根拠なのですが、涼しい顔してそんなものを生産しつつけるレコード会社が許せません。
レコード会社も無論会社組織なのですから、利潤を追求していかなければ、おまんまの食い上げになります。ただ、良質な音楽を作ってくれるミュージシャン達と、それらの音源を買ってくれるリスナーとの橋渡し役である、という立場を往々にして超えて動いてしまっている節がしばしば感じられます。
勿論、その音楽の生みの親であったり、その生誕に関わってきた方々ご本人がその恩恵に与るのは当然のことなのでしょうけど、どうもここ最近の風潮としては長すぎるのでは?という気がしてなりません。例えば以前オノ・ヨーコが著作権の遺族への帰属期間?だったかの件で、あーだこーだ言っていたようですが、ごく個人的な感想でいえば、「アンタ今までさんざんジョンレノンのおかげで儲かってきておいて、まだその権利に固執するつもりかい?今まで何十年それで暮らしてきたんだ?」と思うのです。不労所得はいけません。人間を腐らせるだけです。
ウルトラマンの円谷プロも然り。いい加減、それだけ、というのはみっともないと思えます。
それだけで、ずっと安泰という事であればそんなにいい事はないんですが、それはちょっとムシのよすぎる話でしょう。
レコード会社もいい加減、元の立ち位置をもう一度思い出して、本来の姿に回帰する道を 探ってみては如何でしょうか?
以前「気にならないのかな?」と題してキーボードに関してのコラムを書いたことがあります。
繰り返しになりますが、「デフォルトでついてきたデルのキーボードの、あまりにもひどさにあきれ果てて、think padのキータッチを求めて可搬式のthink padキーボード買ったはいいが、
これはオリジナルに遠く及ばぬ出来で、どなたか良いキーボードをご存知の方がいらしゃいましたら教えてください」という内容でした。コロパパさんよりご紹介いただいたキーボードがありましたが、テンキーがなかったので、ちょっと二の足を踏んでいたのです。
そうこうしているうちに、帳簿の季節がやってきました。ツインモニターにしたい、というのもありますが、どうにもならないわけではないので、我慢しつつそのまま作業に突入。
で、あるとき、キーボードの汚れが気になっていたので、分解修理をしたのです。中味は初めて見たのですが、ペラペラでした。これじゃ仕方ないか、と思っていたのですが、その後、テンキーの所にある「/」キーが壊れてしまいました。パンタグラフのピンがイカレてしまったようです。
しばらくはそのままで我慢しつつ使っていたのですが、「/」キーって日付を入れるのによく使うので、気になって仕方がないのですね。で、とうとう我慢が出来ずに買ってしまいました。
ちょっと前から「価格コム」にはチェックを入れていたのですが、あれは価格調査にはすこぶるいいのですが品物選びにはイマイチです。というのもでてくる商品が多すぎるのです。
そんな中で、先日気がついたのがキーボード特集。高くてもいいものを、というようなことが書かれていました。そういうことなら、こちらも食指が動こうものです。
その中で目に付いた品物が、全ての評価項目で「オール5」を得ていたキーボード。「東
プレ」というメーカーの「REALFORCE 108UH」という機種です。ちょっと高い(税込17,296円)のが難点ですが、商品の紹介ページには、なかなかソソル謳い文句がぎっしり書かれているではありませんか。
そんな文章を読んでいるうちに「ええいままよっ」とばかりにお買い物ページに行ってしまいました。それが昨日のお昼過ぎの話しです。
で、今、約24時間経って、そのキーボードが目の前に存在しているわけです。
ああ、文明の利器って素晴らしい。
で、実際に使ってみた感想。よいです。本物です。think padの時よりミスタイプが減った気がします。箱から出して手に持った時に気がついた感想「重い」。カタログデータには1.4㌔って書いてあります。ここ数日、あちこちに行って色んなキーボードを触ってきましたが、これは重量級です。そしてキータッチ。最初は随分軽いな、と思いましたが、使っているうちにとても気持ちいい重さである事に気がつきました。
そしてキーを押した時の感触。なんといったらいいのでしょう。キーの中味がつまっている感触で、なんかボタン一つ一つが石膏で出来ているような感じです。とてもよい質感です。
巷によくある普通のキーボーでは「カチャカチャ」とか、「ガラガラ」という音がしていかにも安物ですという感じなのですが、こいつは、ちょっと丸いというか重い感じの音で「コツンコツン」という音がします。
という経緯で、なんかとってもいい感じの品物を手に入れてしまいました。やっぱり本物はいいわあ。ご興味のある方は東プレのホームページhttp://www.topre.co.jp/products/comp/key_point.html
をご覧になってみてください。宣伝するつもりはありませんが、店頭展示のあるところ近くにあれば、ご確認して見る事をお勧めいたします。
今既にこのキーボードを使ってこの文章を書いていますが、困るのは今までのキーボードのキー配列を無意識に指が追っていること。デリートとかですね。
とまあ、今日はそんな所で。
今日は少々仕事を早めに切り上げ(村櫛弁に訳すと「さぼる」という言葉でも可)天竜川上流、とは言っても二俣までは行かない豊岡村というところにある「豊岡梅園」というところに行ってきました。
ウチの嫁さんは実家のペット屋でトリマーをしているので、休みが火曜日なのです。たまには休日を合わせてメンテナンスをしてあげないと、そのうちへそを曲げだします。これもオートサービスシバタの業務を円滑に運ぶための大切な仕事なのです、という事にしておきます。
もともとこの「梅園」は見せることが目的の場所というわけではなく、梅の実を採るための農場というのか農園が始まりだったとは思いますが、そのあまりにも広大な敷地と膨大な梅の木の数により、この時期の眺めが大変素晴らしいので、梅見の場所として開放してみたら意外にも人の入りがよく、それなら入場料も取っちゃおうというか、まあ、そんな感じのところです。
おそらく風の具合もあるのでしょうけど、入り口の所はもう、仄かに梅の香りが漂い、大変いい感じ。適度に人気も少なく(平日の昼間だしねえ)個人的には大成功です。
日曜日にバイクで近くまで来たことがあったのですが、休日は大変です。これだけ梅が大量にあるところというと、この辺では滅多にないので、そのときは、ものすごい渋滞になっていました。まあ、バイクのことですので、狭い道とはいえ、車をよけつつ駐車場まで行ったのですが、あまりの人出に、その時は嫌気がさして帰ってしまいました。
さて、その梅園の中ですが、元が梅の実を取るための農園なので、それぞれの梅に十分日が当たるように、
その殆どが斜面です。つまり場内は坂道ばかり。
日頃ペロぴいとの散歩で、ある程度長距離の散歩には慣れているので自分はいいのですが、一緒に来ていた嫁さんはもう前半部分でヒイヒイ言ってました。それでも以前よりはマシになりましたが。
で、冒頭の写真になるわけですが、ものすごく綺麗でした。天気もよかったし。
残念だったのはデジカメを持ってくるのを忘れたので、その全ての写真が携帯のカメラだったということ。まあ、これは致し方ないですね。
嫁さんのメンテナンスも無事うまく行き、帰りがけに嫁さんは梅饅頭、自分は梅酒(もちろん、ここの農場の自家製)をウチの親父への土産に買って帰りました。入場券には梅干の引換券がついているので、自動的に梅干のお持ち帰りの分はあるんですけど。
帰りがけに気がついたのは黄色い花をつけた木。蝋梅(ロウバイ)というのだそうです。これも綺麗な花をつけていました。
なんか今日はいいもん見ちゃったなー、というところで、せっかくなので、遠州の小京都といわれているらしい森町にある「小国神社」というところにも足を伸ばしてきました。
小国神社はこの辺では随分縁起の古い神社で、適度に手の入ったこぎれいな所です。個人的にはどうでもいいことではありますが、平成15年だかに秋篠宮と紀子さんが来たことがあるそうです。
更に、もっと、どうでもいいことですが、ちょっと前に近くまで公演に来た中村獅童が参拝に来たとのことで、写真が飾ってありました。
ここにはトヨペット時代に1度来たことがありました。
お客さんというものは不思議なもので、中には、
御祓いを済ませてから納車をしてくれ
などという、無茶というか、よくそんなことを言うな、という要求をしてくる人もいるようです。自分で行かなきゃ、ご利益はないように思うのですが。
といっても自分のお客さんではなくて、当時の課長のお客さんの車なんですけど。
一人で行くのもつまらんから、お前も一緒に来い、という事で課長にご同道させられたのでした。で、来たのがこの小国神社。2月1日でした。寒かったです。課長は待合室に着くなり「寒いからお前行って来い。おれはここで待ってる」
とおっしゃり、コタツから出ようとしません。
そこで初めて車の御祓いなるものを体験したのですが、ここでは
巫女さんが御祓いの舞を奉納するのです。
初体験でした。で、ちゃっかり舞の奉納の後、お神酒は頂いてきました。
もちろん、行きも帰りも運転手は課長です。その日はいい気分で一日中営業所でぶらぶらしていました。
でも今日はそんなことをしてもらうつもりは毛頭なかったので、ふつうに「二礼・二拍・一礼」のお参りだけして帰ってきました。もちろんお神酒も無しです。
そんな具合で、今日は一日、ちょっと優雅な時間を過ごしてみたのです。いつもこんな具合にはいきませんが、こういった余裕というのはいいものです。ああ、自営業ってステキ。
そんなわけで今日はこの辺で。
明日はもちろん仕事をします。
左の写真は、昨日のぺろぴーの様子を写したものです。無茶苦茶、無防備に、そして幸せそうに寝ています。かなり近くによっても起きようとしません。警戒心ゼロです。取り様によっては、それが一番幸せなことなのでしょうけど。
さて、本日の出来事。
実は冷やりとしたことがありました。確かに自分も悪い、ということは頭ではわかっちゃあいるんですが気持ちとしては分りたくないことです。
交差点で左に曲がろうとしていました。既にウインカーはつけています。今信号は赤です。自分の位置は停止線より3台目。この位置につくまでに先ほど原チャリを抜いてきました。そしてその原チャリはおとなしく後ろで待っているようです。少なくとも横にはいませんし、せせこましく、この時とばかり前に出ようともしていません。
さて、信号機が青に変わり、左に曲がろうとしましたが先頭車両ではありませんので、すぐに曲がれる状態に、というわけにはいきません。でも曲がる意思表示も(ウインカーで)していましたし、クルマは既に車線の左に寄せています。
さて、と思って左の方を確認しつつハンドルを操作しかけたとき、何やら視線の端に影が見えました。「え?」と思うまもなくスーッと原チャリが視界に入り、そのまま車の左側を駆け抜けていくではありませんか。もう少しハンドルを切るのが早かったら、危うくこのガキをひっかけている所でした。
自転車でもそうなのですが、どうも解せないのは、とにかくいつもクルマが一番悪者にされる所です。同じ道路にいる以上、より危ない乗り物に乗っているのなら、
それを自覚せんかい!
と思う僕は悪者でしょうか?ヘルメットは帽子に毛の生えたようなものが氾濫し、冬ならともかく夏は手袋すらせず、季節によっては半そで半ズボン、草履履きであることも珍しくはありません。こんな時期ならば防風・防寒装備をするのがあたりまえだと思うのですが、奴らはこの期に及んでもまた格好を優先しようとします。
そんな寒そうな格好したら
イザという時に回避運動が出来んだろ!
と思うのは罪なのでしょうか?
神が人間に与えた英知の結晶であるエアコンという機械は
究極の安全装置だと思います。
まあそんなことはともかく、バイク、特に原チャリに対してやさしすぎるというか甘いというのか。以前の話でしたら、それこそ、その人の理性の判断に任せられた部分もあろうかと思いますが、どうやら最近はその理性・良識というものからして怪しい輩が多いので、何とかなって欲しい所ではあります。
ちなみに柴田は大型二輪免許まで持っています。
ですので、ライダーとしての視点も含めてはいるつもりです。
それを含めても、目に余る行動をとる原付が多すぎると思います。
付け加えるならば、大型スクーター乗りも。
まあ、今日はひっかけなくてよかったなあ、というお話でした。
それでは。
えー。すったもんだとしておりましたが、結局買っちゃいました。
いわずと知れたSONY製、最後の単品CD専用機「CDP-XA55ES」です。廉価版の機種では、CDが固定されていて回転をし、レーザーのレンズユニットが盤面に刻まれた信号を追って順に外側に動いていく、という仕組みが大半です。でもこいつは、レンズユニットが固定されていて、CDの方が動いていくというちょっと変わった仕組みのCDプレーヤーです。
今までいくつか、CDプレーヤーというものを買ってはみましたが、ちょっと異様な雰囲気を身に纏った機械です。中央のCDトレイが開くときも、軽々しい開き方ではなく、ちょっと厳かで、しかも物音一つせず、スーッと開いていくのです。んんん、て感じ。
そしてトレイが開くと、そこには金色の物体が。
CDスタビライザーと呼ばれる部品です。こいつを摘みあげると棒が生えています。その棒にCDの中央の穴をあわせてセットするのですが、セットしたCDの上に、更にこの金色の物体をのっけるのです。
つまりCDの上に更に重量物を乗っけて回転させることにより、より安定した状態を作り出そうというもの。
そういえば、昔なつかしEDベータ(って言っても知らない人もいるんだろうな)にもテープ走行を安定させるためにテープスタビライザーと呼ばれる部品がついていました。
では能書きはともかく、どうなの?という事ですが。
いいです。
とても。
今まではiPodで十分と思っていましたが、
ゴメンナサイ。
考えが改まりました。
小音量でシャッフルで聞くのならiPodに任せますが、
1枚で聞きたいCDなら、素直にこいつにお世話になろうと思いました。
音の一つ一つがめちゃくちゃクリアーです。はっきり聞こえてきます。
録音状態がもろに反映されているように思います。
そうした音楽情報が、もともと再生のクリアーなクリスキットのアンプを通じて聞こえてきます。
ついつい音量を上げてしまいます。
そして、ますます奥様からお小言を言われてしまいます。
ふーん。こんな音が入っていたんだあ、という感じ。
録音状態のいい音源が、もっと欲しくなります。
とりあえず、もっとじっくり聞きたいので、
その時間を作るべく、今日は寝るようにいたします。
ちょっと、唐突にこのプレーヤーを買うことに決めてしまったので、
買う前は悩みましたが、今は良かったと思っています。
ちなみに今現在、同じ機種がヤフオクで71,100円で出品されています。
この機種の1つ前の型が昨日45,500円で落札されていました。
ちなみに僕の買ったこいつは36,750円(税込)でした。
却って、昨日あまりにも高額な入札をして、僕をあきらめさせてくれた入札者さんに感謝をしたいくらいです。
ありがとうございます。
おかげさまで今日、偶然にも、こんなにいい出会いが出来ました。
さて、明日もじっくり聞きたいので今日は、このくらいにしたいと思います。
みなさんのおすすめCDをお聞かせください。
このプレーヤーで聞いてみたいと思います。
それでは。
えー、詳しい事は申し上げられませんが、まいったなあ、という事が起こりました。
保険上の話です。
車両保険に免責金額というものがあります。
簡単に言うと車両保険を使う(つまりは車を直す)にあたっての契約者負担金額のことです。
なぜ「免責金額」などという設定があるのか、という詳しい経緯は知りません。
おそらく「免責」という言葉からすれば、保険会社の責任範囲の減免金額という意味です。
車両保険というのはオールリスク担保という言われ方をします。言葉通り、偶然な事故でありさえすれば保険金が下ります。(ただし、その中でも出ない例もありますので、それは各自御確認ください。)
これは個人の邪推になりますが、保険会社としては安易に車両保険を使ってほしくない、ということだと思います。なぜなら、車両保険・対物保険は、自動車保険の収益率を引き下げる2大要因だからです。だから代理店のマージン計算のランク決定要素に「損害率」という欄があるのでしょう。
出来れば使ってほしくない。ならば、「個人負担の金額」という枠を設ければ無闇に請求されることもなかろう、その分、保険料も変えよう、という流れではなかったか、と思っています。
その免責金額の設定ですが、各社細かい規定の違いはあろうかと思います。
が、一般的には保険期間1年中の1回目の事故の免責金額0円、2回目以降は10万円、というところが主流になっているかと思います。まれに「オール免ゼロ」といって2回目以降も免責金額(修理自己負担金額)0円でもいいです、というところもあると思います。
以前いた会社では「オール免ゼロ」で殆どの契約を受けていましたが、今の会社では「そうそう、1年に2回目はないですよね」という事と、「そんなに事故ばかりやることを心配するお客さんは困ります」くらいのことを言われました。内緒の文書(なのかな?)で「契約引き受け時の推奨内容」というか、「社員照会案件となる契約引き受け基準」というのがあります。そこでもやはり、推奨される免責金額の設定条件は「0-10」です。
まいったなあ、というお客さんは、ついこの間バンパーを修理されました。自損事故もOKな「一般条件」というタイプの車両保険を契約されています。
保険料は会社で負担しているので、来年保険料が上がるのはかまわないという話でした。つまりここで1度、保険を使っています。
で、
先週の金曜日だったか、また、この方から電話がありました。「フロントガラスに石が当たりガラスが割れた」。もちろん、これは保険で修理できる事故です。しかも運転手の過失に因らない事故なので「ノーカウント事故」といわれ、翌年の等級が下がらない事故です。
ただ、事故件数にカウントされないだけで、今回は契約年内における2回目の事故になります。つまり免責金額、つまり修理金額の自己負担分が発生します。結論をいうと「タダでは直らない」という事です(これも会社で出してくれるのならともかく)。ちなみに会社の業務に使用している車の修理費なら経費(修繕費)で落ちると思います。
「等級は下がらないが、自己負担金額が発生する事になる」とはすぐに言いました。一応この場ではそれで収まりました。
ところが今日、また電話があったのです。先ずは「ガラスのヒビが大きくなった」との事です。これも先日の電話で、その可能性は伝えてありました。次に「会社に来ている保険屋が、ガラスの飛び石ならば、保険で出るはず。しかも事故とカウントされない」と言っている、と言ってきました。「何で自分で払う分が出るんだ?」と言うわけです。
で、ここが問題なのですが、「保険で修理代がでる。しかも事故とはカウントされない事故である。」=「保険で全て修理代が出る」という解釈になり、自分に非常に都合の良い部分しか耳と頭の中に残っていない点です。
事故にカウントされず、翌年の割引等級は下がらない、ということと、事故回数による免責金額は別、という事が理解できないのですね。
なおかつ、「あんたと付き合いも長いから契約内容に関しては任せたはずだ。しかも、このクルマは仕事で使うから何でも保険金が出るようにしておいてくれ、といったはずなのに、そうなっていないのはどういうわけだ?」とまでなりました。
あげくには、お決まりのコースではありますが、「もうアンタのトコとは付き合うのを止める。保険は全部見直して他に切り替える。」という事を言ってきました。まあ、いいんですけどね。おそらく他に行っても同じ事を繰り返すだけでしょうから。
という事があったのです。
実際にこの先、この人とどうなるかわかりませんが、一つ保険会社にお願いがあります。
保険会社の人間は当然、自動車保険に限らず保険の内容はおおよそ理解しているものと思います。ただ、その解釈と理解を一般人にも同じように求めているきらいはあるように思います。
しかも、保険会社社員は一般の方と接触することはまれで、殆どが保険代理店等の関係者へとの接触が殆どです。つまり一般人の理解のレベルというものを肌ではご存じないのでは?と思うのです。
保険料区分の細分化は、契約者にとって保険料の減少というメリットをもたらしたとは思います。が、反面、わかりにくい保険契約の内容を、更にわかりにくくしているという部分はあると思います。
不勉強な代理店というのも現実には相当数存在しますから、それが昨今の保険料の貰いすぎや担保割れを引き起こした大きな要因であるのは否定できない事実でしょう。
保険数理は厳密な危険率の計算に基づいている、という理屈はわかるのですが、その「危険率の区分」という理解を、そのまま契約者に求めているかに見える契約方式が多いような気がします。細則も多いし。契約内容について質問されても、危なくてその場で即答できない事例も多いです。保険会社が、公正取引委員会の排除命令(「紛らわしい表記」で)を受ける例もあることですし。
司馬遼太郎の小説の中には「頭の回転がよすぎて、他の人間が馬鹿に見えて仕方がない」という人物が多数登場しますが、もう少し理解しやすい契約体系というものを考える時期が来ているような気がしてなりません。細かい字を読みたくない高齢者も増えてきていますし、何より、あの方達は頑固なことが多いのですし。