2009年6月29日月曜日

ボディーコーティング

ボディーコーティングのお問い合わせがありました。
何でも某「超後退」で施工しているガラスコーティングが一番良いというふうに書いてあるが、どんなものか?というお問い合わせでした。個人的にも何度かコーティングと称するものを自身のクルマに施工してもらったこともありますし、現在は表面の磨きは自分でこなしていますので、ある程度は知っているつもりですが。ただ、特定店でやっているコーティングが.....、と言われてもその施工例を知らないし、自身で試した訳でも無いので「まあ、こういう性質のものですよ」以上のことは言えないのですが。


結論から言うと最近の生産車であれば、正直コーティングの類いは必要無いのではないか、と思っています。自分の基本スタンスは「本当にクルマにとっていい事なのか?」というものですが、塗装膜が、殊ここまで強靭になってきている以上、その塗装膜にとって良いものとも悪いものとも判然としないものを被せるよりは、塗装膜にとっては何もしないほうが良いのではないか?という気はしています。

基本的に自動車の塗装は言われるほど弱くはありません。ここのところのクルマはソリッド色であろうがメタリック色であろうが基本的にクリアー層を上塗りしてくるようになってきています。そしてそのクリアー層には当然のようにUVカット成分が含まれています。
このため、以前のような退色は飛躍的に少なくなってきました。それでも劣化しているクルマはあると言われそうですが、それは手をかけすぎた(磨きすぎ・洗いすぎ等)車であったりヘタな補修をされたクルマであったり。その他には色の顔料そのものが元々弱い、退色しやすい、という根本の原因だったりすることがほとんどです。それ以外にもともと塗装自体に工数を掛けていないらしい車もある、なんてこともあるようですけどね。

センチュリーのように5回塗り(ファイブコート・ファイブベーク)の車などは途中の中塗り工程時にいちいち手作業による塗装面の磨き(耐水ペーパーによる)工程が入りますから、いくらライン塗装とはいえその仕上りは柚子肌も分からないくらいにつるつるのピカピカでしょうが、普通のクルマは2コート2ベーク(2回塗って2回焼く、下塗り1回の仕上塗装1回)、もしくは3コート2ベーク(2回+クリアー層を塗って2回焼く)と言った程度ですから、よーく見れば塗装面にはうっすらと柚子の実の表面のように凸凹があります。
綺麗な塗装面を実現する為には表面を平滑にして光の反射を均一・一定にすればいいのは御存知のとおりです。クリアー層を載せるだけでも表面の凹凸に透明な樹脂層が入りますからより綺麗に見えます。

コーティング作業では普通、以下の工程を踏みます。まず水洗い→ピッチ・タール、鉄粉取り→コンパウンド研磨→1回目の施工→研磨→仕上げの施工→最終仕上げ研磨と言った感じです。つまりは汚れを取るという作業以外は基本的に表面の平滑度を上げる作業といっても良いかもしれません。
ガラスコーティングでは液剤が主剤と硬化剤に分かれており、この2つを混ぜ合わせてから表面に塗る
といった作業になります。まあ、言ってみればウレタン塗装のクリアーを手塗りで塗りこんでいるようなものなのでしょう。一度混ぜちゃうと一瓶全部固まっちゃうということですしね。このためガラスコーティングの場合はよほどの請求金額のものでも無い限り2回目の仕上げ施工の工程は無いでしょう。多分。

ピカピカに磨き上げ、柚子肌を薄くした表面にポリマー(高分子状態の膜)を塗ったり、高度のあるクリアー層を被せたりするわけです。
なかには100%石英ガラスをボディ表面に生成させるなんて謳い文句のコーティングもあるようですが、ホンマかいな?常温で、水分と空気により硬化反応して純粋な二酸化シリコン(ガラス)の膜を生成するやらなんたら、とか書いてありましたがガラスってそんなに簡単に出来るんけ?化学の先生に聞いてみよって感じですね。
まあそれはともかく、磨いた表面の上に透明度の高い物質を載せる訳ですから施工直後はそりゃあ綺麗に見えるようになるでしょう。

ただ、某ディーラーでもやっていた「CPC・○イント○ーラント」の謳い文句のような5年もつなんてコーティングはいまだにお目にかかったことはありません。無理です。メーカーの塗装膜は5年以上は平気で持ちますけど、それに匹敵する強度を持つコーティングはおそらく今のところ無いでしょう。
それでもコーティングをして、その初期性能(水ハジキや見栄え)を維持したいのならば、やはり1年に1度の再施工をし、なるべく塗装表面には触らず(そうすれば磨き傷はつかない)、普段は埃を払う程度に止めておく、という位が一番良いのでしょうねえ。

2009年6月27日土曜日

静岡空港

馬鹿な事したもんだ、と思う。もちろん静岡空港の事です。
キチンと採算を重視するのなら、なぜ真っ先に声を上げた静岡商工会議所の会頭かなんかをやっていた川合君のところに空港運営をさせればよかったじゃん。きちんと旗振り頭をしていた人に責任を持たせればいいんですよ。
川合君って誰?と思う人もいるでしょう。某静岡鉄道の会長ですね。静岡トヨペットの筆頭株主なんていう人でもありますが。柴田が静岡トヨペット在籍時に見せ金としての「空港建設賛成署名」を全社員に強制させた人でもあります。

もうね。やっぱり浜松だけ「浜松県」として再独立するべきですよ。だって静岡に用はないもん。別にあいつら居なくてもあんまり影響ないし。トヨペットにいたときもそんな雰囲気が濃厚だったけど、「東部・中部」と「西部地区」なんだよね、静岡県って。商圏としても意識としてもそう。川向こうとこっち側。まあ西部地区内でも「天竜川以西」と「天竜川以東」という意識はありますが、それ以上に大井川以西と大井川以東という感覚はある。

元々太平洋ベルト地帯にどっぷり浸かった地域ですから交通機関や交通路の整備は必要な分は既に昔から整備されていたわけです。やるなら新規路線の追加ではなく、従来の路線の容量を交通量の増加に併せて2車線から3車線に増やすかどうかってなものでしょう?
「のぞみ」が通過しようが停車しようが、別に東京まで「こだま」で2時間程度で行けるわけですから、それはそれで不都合はないでしょう。それよりかリニヤではないですが変に停車駅を増やされるほうがよっぽど迷惑です。掛川とかね。乗り換えりゃあいいじゃん。

しかし笑ったのは空港管理担当者の弁。「福岡に観光振興してもらえれば........」っておい。
明治時代に「士族の商法」と呼ばれた、版籍奉還の際に国から支給された最後の給料を元手にした商売の横行がありました。まあ大方が失敗して没落士族となった訳ですが、この昭和晩年期から平成の今に至る「公務員の商売」も上記と同様の大失敗の例として教科書に載せるんですよね?文部科学省のお役人方?
しかし、金勘定のできない・金のやりとりをしたことのない人間に経理を任せるという仕組みの愚をいつまで繰り返すつもりなんでしょうかね。

2009年6月24日水曜日


 最近本屋さんに行くとなんとなく辞書のコーナーに行って英和辞典どうしようとか、参考書のコーナーに行って数Ⅰのチャート式でも買おうかどうしようか、とかついつい悩んでいます。買って本当に家で開くかもわかんないのに。
中学校の頃まではなんとなく授業にもついていけていたつもりなのですが、塾に行かなかったせいか、ただ単に遊びすぎていただけなのか、高校の時はずいぶんと置いてきぼりにされた感が強く、今でもなんとなく気がかりなことのひとつです。
大学も出てはいるのですが本音の所では「本当に高校を卒業しましました」なんて言ってもいいのかなあ、という後ろめたい気持ちもあったりなかったり。
高校に入ったときに担任の先生に「もうこれからは義務教育じゃないから、やるもやらないも本人次第」といわれたことは憶えています。たしかに中学の時の様に覆いかぶさるように「教えてやる」といった姿勢や気負いを先生方から感じることはありませんでした。それよりも印象に残っているのは数1のときの数学の先生の態度です。はっきりと口にも出していましたが「お前らにこれが分かるか?わかんねえだろうなあ」と言われカチンときたものです。まあ、解んなかったんですが。それでも、もう少し理解しやすいであろう物言いもあるだろう、とは思ったのですが。


さて今日はブレーキの位置について。
ブレーキキャリパーそのものはけっこうな重量物です。特にディスクブレーキなどではピストンの動きにキャリパーの剛性が負けていてはローターをはさむ力がまともに掛かりませんから、けっこうごつい作りになっているものがほとんどです。最近はピストンが1対式のものばかりか2対、果ては3対式のものまである始末です。で、それを何処に配置するかという事なんですが。

重量配分を考えると重いものは重心位置に近く、しかも低い位置に置きたい、というのが人情になるはずです。つまり前輪のブレーキキャリパーは後ろ側に、後輪のキャリパーは前側に、という事です。また素人考えだとブレーキキャリパーが前側に位置していた方が(特に前輪側)ブレーキを冷やすのに有利ではないか、と考えてしまいます。つまりフロント側からの導風ダクトの配置が楽そう、という事です。ということで、ブレーキに負担がかかりやすい(重量物が前側に集中するので)FF車やスポーツカーはフロント側にブレーキを配置する、という事になりそうです。それ以外の重量車は少しでも重量配分を考えて後ろ側に設置する傾向が..........、と言いたい所ですが。

基本的に足回り、タイヤ周りにはサスペンションやドライブシャフト等の重要部品がひしめいています。まずはサスペンションの軸をどういう風に配置するのか。エンジンからの出力軸が何処に位置するのか、タイヤの舵角を決めるステアリングシャフトが何処に位置してどういう風にアームが伸びてくるかなどです。あとは、採用するブレーキの元々の設計によって、という事もあるようです。
このため実際の所のブレーキ配置はその空きスペースに位置する事になる、というパターンがほとんどのようです。前記した部品たちを押しのけてまでブレーキ位置を優先するほどそのレイアウトに関しては重要性が認められていないという事ですね。
フロントブレーキの配置に一番関わってくるのはステアリングシャフトの軸が何処にレイアウトされているか、という事のようです。ポピュラーな位置はエンジンルームの一番下の後方というか奥まった所。で、ここから伸びたシャフトは位置的にいって当然ホイール軸の後ろ側に接続されるパターンが多いですから、ブレーキ君はその居所が前側になる、という事のようです。
ブレーキの冷却性じゃあないのか、と言われそうですが、冷却性に関してはキャリパーそのものよりもローターの放熱の方が重要なようです。まあ、レースなんかだと真っ赤になりますしねえ。
ブレーキダクトがフロントバンパーに開けてあるクルマもありますし、導風板のあるクルマもありますが、タイヤハウス内の空気はローターの遠心力で中心から外側に巻いている状態のようです。このためブレーキキャリパーが前にあろうが後ろにあろうが冷却性能にたいした差はない、という事らしいです。

フロントエンジンリアドライブ(FR)車の場合、ミッションが縦置きになりますし、ドライブシャフトの取り回しも無いのでステアリングシャフトの位置が比較的前に来る場合があるようです。このためブレーキキャリパーは比較的後ろ側に来る例が多いようです。この辺は車輌固有の設計レイアウト要件による、という事ですね。
ステージアやスカイラインは前側、という事もあるようですが、あれらは4WDの設定もあるクルマですので、それらを見越して全グレードのステアリングシャフトの軸が後方にレイアウトに統一されているのかもしれません。確認はしていませんが。ちなみにR35GT-Rは前ですね。

2009年6月19日金曜日

えこ3

継続使用の可能な、しかも減らないエネルギー源としての太陽光発電ですが、ちょっと気になって発電パネル設置における補助金を調べてみました。これだけではないのかもしれませんが、最初にヒットしたものは1kWあたり7万円の10kW以下、70万円までとかいう奴です。

これを見て70万までは補助金を呉れるのかと思って更に家庭用発電パネルの金額をシャープのホームページで見てみたら、家庭用のパネルの総発電能力は3kW程度との事で、てことは21万円しか呉れんのか、と愕然。無いよりあったほうがいいのは当然としても、これじゃあなあ。
モデルケースでの発電システム設置見積りを見ると、そこには総額で200万円とはいわず230万円とか300万円とかといった数字が見え隠れしていました。ある程度の値引きを期待したとしても......、という感じです。いっその事、それに消費税非課税にするとかないのかなあ。

ディーラー時代によく遭遇したパターンで、車の購入予算の算段などで四苦八苦した人が、いつの間にやら家を新築してたなんて事はよくありました。もちろん住宅資金とクルマ用のお金は別にしていたのでしょうが、それでもあれだけ購入総額で虐められた(つまりはものすごく値引き要求がしつこかった)ワリには住宅購入の頭金くらいは持っていたわけですから、そういう光景を目にしてものすごく複雑な気持ちになったことも2度や3度ではありません。まあ、そういう「人として嫌なやつ(出来ない要求を通そうとする人)」は得てして売ったあとはそれっきりになりがちですし、決められたこと(リコールの通知とか)以外の事までやってあげる気にはなりませんし、事実それ以降係わり合いになることもありませんでしたからどうでもいいんですが。

話がずれました。そういう新築の際には気分がいいものなのか、気持ちが大きくなってしまうものなのか、どうも「ついでに......」なんて言いつつ、でっかいテレビや冷蔵庫などを新調してみたり、はたまたクルマも新しくしちゃいました、なんて人もいましたねえ。だからというわけではありませんが、太陽光発電パネルなどの設備総額を考えると、設置の手間も含めてそういう新築時でのセット販売でないと難しいのかもしれません。
でも新築という事は建築廃材の発生もあるわけで。それもまたまた本当にエコになるのかなあ、と思わなくもありません。「高断熱・高気密」の家屋はたしかにエアコンの効きもいいのでしょうけど、それは逆にエアコンの使用を前提とした建物になるのでしょうし。それよりは、はなからエネルギー使用量そのものが少ない家のあり方や生活スタイルを模索した方がいいのでは、という気もします。今さら戻れない、なんて意見もあるのでしょうけど。

そうそう忘れる所でした。冒頭の太陽光自家発電システムの導入障壁を低くするアイデアとして。これはもう簡単。まず一番の問題は設置費用総額なわけです。これが50万円とか言う金額ならば柴田家に設置するのも考えなくもありません。というより即決してもいいくらいです。ところが200万オーバーといわれると........、となる訳です。
導入を促進したい側からすれば「売電でトントンになります」とか「オール家電の場合はオール家電用の電気代になる」くらいのことをいっているのでしょう。もちろん強制的に行政側から「太陽光由来の売電分は買取価格を高くしろ」という政策も重要でしょうけど、現状の価格からすると20年位かかってやっとどうにか額面上の帳尻が合うかどうか、という事になるかと思います。
それならそれで、太陽光発電システム導入にかかる資金には無利子の20年ローンを提供する、てのはどうでしょうかねえ。売電の売上をそのまま返済に回せませんか?これなら。ヘタげに炭素税を導入してわけのわからんハコモノを作ったり新組織をつくって余剰人員を温存したりするとか、システム投資に関わる分の減価償却の計算方法をいじったり、という姑息な技を考えるよりは遥かにましな気がするんですが。

2009年6月17日水曜日

リンクさせていただいているサイトは普段柴田がよく訪問させていただいているところです。その中に「今日の必ず得する一言」というサイトがあります。おそらく今までに掲載された文章を察するに九州は福岡あたりの大学関係の方かと思います。

その中の、すいぶん前に投稿された文章中に「はっ」と思うものがありました。今改めて文章を確認しなおした訳ではありませんが、文意としては「経済学の中には持続し続ける成長という経済モデル以外に数値としての現状維持をしつつ質を高めていくという方向の成長モデルを描くということはないのだろうか」といった風のものであったかと思います。

モノを買い続けるということは一つの豊かさの象徴であるとは思います。ですが、果たして日々買われ続けられるモノたちは本当にその機能を発揮し寿命を全うしているのか、と思わなくもありません。愛情の対象足りうる品物も数多いとは思いますが、それでもその品数が増えれば増えるほど一つ一つに注ぎ込まれる情熱の量は減っていくのではないのかな、という気はしています。

より多くの皆様に商品を供給させていただく、という世に数多ある企業の基本姿勢は素晴らしいとは思いますが、新しい商品を開発するということが職責ともなると、求められる新規商品数をこなす為にその質が玉石混交となることも少なくありません。
先月の「しばた新聞手配り版」に掲載しました新車ディーラーの内部事情「てっぽうを撃つ」「天ぷらを揚げる」と似た光景がメーカーサイドでも繰り広げられていることもあるだろうとは想像に難くないところです。ディーラー時代、いくらなんでもこれは......、と思わずにはいられない車たちも数多くありました。見方を変えれば「こんなもんでよくってよ」っていうお客さんもいましたから、それはそれなりの御選択でいいのでしょうが、個人的には積極的にお勧めしたくない車たち(それ以外の商品もありましたが)も確実にありました。

世の中にはとにかく新物好きという人たちがいらっしゃいます。で、またそれがいいと確信すればよほどの金額でもない限り「くれ」という事に相成る人たちです。初期のプラズマテレビ然り、サイクロン式掃除機や斜めドラム式洗濯機、ごく初期のブルーレイもそうだったでしょうし、EDベータなんて機種もその一つだったかもしれません。もちろんメーカーとしては初期投資のいくらか分の回収と宣伝効果もありますから大変ありがたい存在でしょうし、少なからず柴田自身もその恩恵に預かっているのは確かです。ただ、得てしてそういう人たちは「飽きっぽい」事も多いような気が.....。


消費者庁創設の準備が進んでいる、とのニュースを耳にしました。もちろん売る側のモラルを確立し消費者を守るということがその第一義なのでしょうが、それと同時に消費者の質を高めていただく事も非常に大切なことと思います。
売る側の信用失墜がおそらく原因なのでしょう、たしかに消費者を守るということは必要なことです。おそらくそこに端を発し保険などの通販は非常な勢いで増えてきました。
ただそこには「商品選択を自身が行った」という自己責任も当然の事ながら付随しています。ただ、そのワリには例えば「保険料が安くなった」といったメリットのみを享受しようとし、きちんと契約内容を読むといった義務は割合簡単に放棄されているキライはしなくもありません。まあ、たしかに保険約款が分かりにくいことは事実だと思いますけどねえ。ただ、だからといって保険は代理店加入が一番などと言うつもりはないですけどね。代理店も玉石混交だから。結局は選ぶ人そのものが問われる時代になっている、という事と思うのですが。

2009年6月12日金曜日

えこ2

ネットで見てみてサクッと見つかったのが先日疑問に思っていた「排出量算定」です。
基本的にはやはり「燃やす原料×産業別排出量係数」ということなのだそうです。しかも自主申告制での。何だかこの時点で雲行きが怪しいですねえ。
単純にいって95%くらいは石油由来の二酸化炭素という事ですから、そこからどのように枝分かれしていくのか?という事なんですね。そこで思ったのは「やっぱり石油を原料とする機関の高効率化」こそが結局は最短距離なんじゃないの?という事なんですが。

例えば良く言う「太陽光発電」ですが、あれってパネルの生産にかかる電力がものすごいということですし、出来たパネルの発電効率は言うほどよくない。また周辺機器の寿命もあるしシステムの廃棄に関しての問題はまだまだこれから、という事ですから「それって大事に大事に石油から発電した電気を送電ロスの無いように地産地消し、しかも効率のよい電気機器で使う」方がトータルでは費やした資源量は少なかった、という事にならんのでしょうかねえ。なんかシステムの生産・配備ありきに聞こえて仕方ないんですよねえ。つまりは「迂回融資なんてことを考えるより直接貸し出せよ」みたいなね。

ハイブリッド車にしても、軽量化されたエンジン動力車と、バッテリーやモーターなどの重量物を抱えたハイブリッド車と実際はどうなのでしょうか。
先日発表された新型プリウスは1.8リットルのガソリンエンジンと60KW(82馬力)のモーター、28個のニッケル水素電池を搭載している、という内容で1350キロ~1310キロの車輌重量となっています。ほぼ同等の大きさのトヨタ車としてはプレミオ(コロナ)があります。ではこちらの車輌重量は?というと1220キロ(1.8リットルエンジン車)。つまりモーターとバッテリーで優に100キロくらいの重量物を既に積載している勘定になります。

でも燃費はいいじゃないか、という声はあると思います。もちろんトータルとして(先ほどの迂回融資になっていやしないか?という観点で)ガソリンのエネルギー変換効率が上がっているのならば文句はありません。ただ疑問なのは「卸したての新車のうちはいいかもしれないが生涯燃費はどうだろうか?」という点と、やはりその生産から廃棄にかかるまでのトータルエネルギーですね。
21キロものトルクを発生させる(これだけトルクがあれば相当な所までモーターだけで走れるでしょう)モーターにはレアメタルがえいやっと投入されていながら、その回収サイクルの確立はまだのようですし、ニッケル水素バッテリーのリサイクルもまだ未知数と聞きます。
初代プリウスの頃はとにかくバッテリーを大事に(寿命を縮めないように)使う設計だったと聞きますが、発売後の「加速が悪い、高速道路で速度が伸びない」などといった無茶で無知ともいえる要求を飲んでいった結果、バッテリー残量をある程度無視してでもモーターを高電圧化・高出力化して使う方向に来てしまったようです。
ではそれの何がいけないのか?という事なんですが、基本的にはバッテリーというものは出力はともかく、入力にえらく手間がかかる、という性質らしく、残量が減ったからといって急速充電させようとしても一気に充電というわけにはいかない、という物なんだとか。でもそこのところをムリヤリ、という形にすると今度は寿命が減る、発電能力が落ちる、などといったデメリットが出る。
回生ブレーキで捨ててしまうエネルギーが回収されている、という論法はこのバッテリーの充電という観点からすると口の狭い瓶に、コップの水を一気に空けて入れようとする行為に等しい、という事なんだそうです。つまり電気を入れようとしてもかなりの割合の電気はそのまま捨てられている、という事。

結局新車のうちはいいとしてもバッテリーが劣化し始めるといつまでたってもエンジンがアイドリングストップをすることなく、いつまでも回っているでしょうし、大きくなったエンジン1.5→1.8はガソリンも喰う、ということでしょう?もしくは当初永久保証だったバッテリーもいい加減安くなった(15万くらい?)ので、保障期間(5年10万キロ)を過ぎた方で御不満があったら交換して下さいということなんだろうか?

まあ、あれこれ言ったところで既に8万台超の受注という事ですから大した物だと思います。全ては杞憂に終われば言うことはないんですけどね。個人的には新型プリウスを買うつもりはサラサラないんですけど。

2009年6月11日木曜日

感無量


多分小学校3年か4年生くらいのことだったのだろうと思います。え?なんのこと?と言われるかも知れない。もちろん初代ガンダムの初放映の事です。
当時はわけも分からずに見ていました。そしてなんだかいつの間にやら放映は終わってしまっていました。しばらくするとプラモデルが発売され、いつもの如く兄貴が浮かれていたのがうつってしまい、そのうち狂気のガンプラブームが起こっていた、という感じでした。東京ではアニメ新世紀宣言なんてのを後の永野護あたりがやっていたらしいけど、こっちはそんなこと当時の柴田は知りません。

そのうちガンダムシリーズのプラモは行き詰まりが表面化し始めました。他のテレビシリーズは何とかガンダムの後継をと躍起になっていたようでしたが、結果からすれば失敗に終わり、結果本家本元のガンダムシリーズの続編が製作されることになりました。「Zガンダム」です。
思い起こせば初回Zガンダム放映日は柴田の高校受験の前日の事でした。翌日の事はともかく、当然ことながら兄貴と「おおー」とか言いながら、ガンダムMK-Ⅱが画面上で動いているのを見て感嘆の声を上げていたのでした。


「Zガンダム」初回放映当時から「リアル」とは何ぞやという感じで、初代ガンダムから遥かにディティールの増やされたモビルスーツたちが画面上を乱舞し、またそれを眺めていました。
それらは時を追うごとに先鋭化・肥大化・恐竜的進化を遂げ、あるときは先祖がえりをしつつも後年、リデザインというのか、一体全長18メートルという大きさとは視覚的にどういう風に映る物なのか、という観点から再構築されたりしたりしなかったり。何はともあれ「リアル」という合言葉の元に高解像度、高密度情報を注ぎ込まれ、そのディティールや細部構成は成長し続けました。
ターニングポイントは模型誌「モデルグラフィックス」誌上で展開された「ガンダム・センチネル」だったのだろうと思います。そこでカトキハジメ氏によってリデザインされた初代ガンダム中で登場したモビルスーツたちは、様々なフォロワー達によってあちこちで絶大なリスペクトを受け、ガンダムにとっての本編である「アニメ」上でそのデザインが採用されたり、さらにはガンダムの続編でカトキ氏本人が新ガンダムのデザインを担当するまでに至ります。

その後も色々あるのですが、めんどくさいので割愛。
もうひとつのターニングポイントはアニメ「装甲騎兵ボトムズ」中に登場する兵器「アーマード・トルーパー」通称ATの想像上の1/1モデルを作ってしまった人(個人)がでてきてしまった事でしょう。
それはデザイナーのイメージソースにもあった素材としての「鉄」をそのまんま加工して作られたもので、言葉でしか通用していなかった「リアルロボット」を現実(想像上での、という注釈はつきますが)の大きさのオブジェとして、鉄という素材の圧倒的な質感を纏ったうえで立体化され、一般公開されました。
簡単に言えば「あ、できるんだ」ということであったのでしょう。今回の1/1ガンダムの立体化にあたり、このコウゴロウ氏のATの存在は極めて大きなものであったかと思います。


そして今回。1/1全長18メートルの初代ガンダムが立体化されました。当初心配された1/1に移行された時の立体化データの「玩具っぽさ」加減は、この30年にも亘りファン達によって投入され続けた「リアルさ」という記号・情報の大量投入によってかろうじて免れ得たのかな?という感じです(それでも頭部の何ともいえない嘘っぽさは、何ともしがたい感じです)。感無量です。
それこそリアルタイムで「ガンダム」というキャラクターの成長を見守り(?)続け、こんな立体物を目の当たりに出来る時代までこぎつけた、というかなんというのか。


でも1/1の写真を目の当たりにして思うのは「やっぱりこんな兵器はありえねー」ってとこでしょうか。いくらミノフスキー粒子が実用化されたとして、有視界戦闘が主流になったとしても、こんなに目立っちゃあ「当ててくれ」ってなもんじゃないですか。よっぽど「戦闘行動におけるレギュレーション」が変更されない限り、こんな兵器はありえんなーと強烈に思わせてくれる副産物付きの立体化でもありましたね。