2008年10月12日日曜日

室町時代

以前、今の世相は室町時代に酷似しているのではないか?というようなことを書いたような書かなかったような?

論拠としては。
力のありそうでなさそうで、コロコロ変わる首相(室町将軍)や、力はありそうなんだけどとは言いつつ首相になって強権を振るうほどの声望は無いし、実力も定かではない各管領(各派閥の首領と言われる人)たちと、何世代にも亘って各地方に勢力を張ってきたがゆえに名族ではあっても、族長というだけの存在に成り下がっているっぽい2世3世議員たち。で、バブル崩壊(応仁の乱勃発)以降、だらだらと誰がどうするでもない政争を続けている。
各地方では、力の無くなった中央政府の意向を無視して経済活動にいそしんだり(トヨタ自動車)、それぞれの勢力(寺社勢力や各荘園)を背景にしつつバラバラに動き出している(創価学会、特殊法人など)。
こんな感じですかね。柴田の大きらいな有料道路など、当時いたる所にあった関所の通行料となんら変わるところはありません。いくら市で幾ばくかの金銭を得ても通行料で身ぐるみ剥がされていく、という。
そう思うと、最近各地でもてはやされ始めている著名知事などは、守護(戦国)大名のはしりになるのかもしれません。橋下さんや田中さんや。そのまんま東は個人的にどうも胡散臭く思っているのでここでは様子見という事にしておきます。
冗談半分、まじめ半分として、静岡県知事にヘッドハンティングしてもいいのではと思うこともありますね。

日本史の流れとしてはみなさんご存知の通り、その後戦国時代の戦乱(というよりブロック経済圏を束ねる領主同士の小競り合い)をへて、次第に有力な地方政権が確立してゆき、織田信長の登場となる訳です。

ある意味、信長が日本史上の奇跡だと思うのが、よくあそこまで世間や周囲に後腐れの無い人物が存在できたものだ、ということです。大体周囲に潰されるんですよね。
例えば、秀吉などは若い時期に浜松にいますが、周囲に嫌われて愛知に逃げ帰っている訳ですし、似たような例だと若き日の本田宗一郎なども「赤シャツ」などと陰で言われて浜松を後にしています。浜松製作所はあるにしても、メインバンクは東京三菱ですしね。当時、融資の相談に(あの)静岡銀行を訪れた所、あっさりと断わられたんだとか。

しかもそれに続いて秀吉という類を見ない働き者が近くに居た事。信長があそこまで我儘でなければ中世の怨霊じみた地方勢力や地縁・血縁、流通経路や価値基準など、あそこまで劇的に雰囲気を変えることは出来なかっただろうと思います。
そういった意味で言えば、小泉君などは幕末の山内容堂なみの一時の声望はあったにせよ、彼同様、信長を意識しつつ、その足元にも及ばなかったと言う点でもそっくりだったように思います。



ここのところ思うのは、既に「議院内閣制」を核とした間接民主主義そのものが崩壊しかけているのではないか?ということです。
つまりは、住民の(多数決によって)信任した議員による、そのまた(多数決による)信任の結果は、住民の信任する首長なり、議決結果たり得ているのかな?という結果になってはいまいか、とね。
先ほどの有名知事などは議会に拠って立っていると言うよりは、直接住民の声に拠って立っているわけです議会との軋轢はものすごいようですが。旧来の有権者団体と実際の多数派の意見とは、如実に差が出てきているのでは?と思うのです。

そりゃ、投票率50%近辺の多数派と言われてもねえとも思うのですが。しかも各地方の議員は小選挙区で争われるという事は、特に候補者数が3人とかになった場合死票の数も馬鹿にならない数にのぼる訳で。
こう思うと、共産党の律儀に「各選挙区に何が何でも候補者を一人必ず立ててくる」のも、却って票をばらけさせることは死票の増加にもなるわけで、どんなもんかな、ともおもってしまいます。


まあ、そんな訳で何時まで室町時代が続くんでしょうかね?

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