以前、どこで書いたか記憶に無いのですが、選挙管理委員会が管理している情報の開示をせよ、という事をいったことがありました。
言わんとするところは、実際に今の議員達はどのような層を代表しているのか、という傾向が出せるはずだ、という事。それを元に、逆にどういった層の声が反映されていないのか、が出てくるはずだ、というものです。
政治不信がどうやらこうやら、と言われて久しい訳ですが、一向にそれが止む気配がないのは、単純な話し、今の議員さんという連中は、例えば自分の思う方向を体現していない、という事なわけで。つまりは自分の意見ではなく、どこか他の意見を代表している議員さんが大多数なわけです。
例えば1票の価値の地方格差などと言う話もありましたが、wikiによると衆議院で3倍、参議院で6倍(これも、人口比か、有権者数か、投票者数のいずれを基準とすべきか、という問題もある)が、合憲の範囲内とされているらしい。そんなにあっていいのか?と個人的には思うわけですがね。
個人的な感想でいえば、地方(人口密度の低い)の第一次・第二次産業あたりの有権者層の意思が前面に出て来すぎているような感じがあるのですが、気のせいでしょうかね?
先日、ツインリンクもてぎに行ってきた際に思ったのですが、東京の社会資本の拙さ、酷さに比べ、地方に行くにしたがって道路環境が格段によくなっていくんですよね。
浜松市は先だって大型合併をして、政令都市とやらになったのですが、あんな長野県の県境に近い所まで浜松市にしちゃって大丈夫かい?だって、投票率からして圧倒的に田舎の方が高い訳だし、逆に、中央の若い奴なんかは投票すらしない。てことは予算の大半が北方領土に流れていくような気がするんだけどなあ。つくばエキスプレス沿線のように周りは山しかないから道路は作り放題だし。
税金は所得の再配分っていえば聞えはいいけど、もういい加減、地方の「自分の財布」ってもんを再認識してもらって、自分のとこの上がりだけでやってもらうようにしたほうがいいのではないだろうか?と思うのは暴論でしょうか?
そうすれば、東京都で上がる税金は首都高その他の再整備に十分な予算がつけられるだろうし、地方のばかげた大型開発や大型施設は身の丈に合わない大型支出となり、足かせがつく。
戦後80年くらい経つ訳で、そんな中で今になってまで出来ていない道路やダムは、結局は必然性が薄かったというか優先順位が低かったと言わざるを得ないでしょう?誰のためのものか。誰のためになっているのか。
「権利」の対になる言葉として「義務」があるように、費やした「費用」や「事業」に対しては「効果」が求められるのは当たり前でしょう。労働に対して対価を求めるのは当たり前のことではありますが「適価」であることも重要なのではなかろうか?
非常に長期的な先行投資という分野のものがあることは承知していますが、それにしたって戦前の理化学研究所のように自前の事業を持ちつつ、自分の財布の範囲内でやる、というのが普通の形なんじゃないのかな。と。
なんだかいつものように話があちこち行ってしまったので、唐突に今日はこの辺で終わり。
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