今日、久しぶりに静岡新聞を見た。
その中で見かけた目に付いた記事を一つ。
道路特定財源の一般財源化について、浜松市長の鈴木康友君に「どう思う?」ってアンケートが来たらしい。それについて、「まだ未定」と康友君は答えたそうな。まあ、そりゃそうだわな。まだ決まった訳ではないし。そんな先の話についてどうのこうの言える訳ではない。せいぜい、もう少し突っ込んだ回答をしても、「国政の場での議論を見守っている所です」以上には答えようがないと思う。
でも、これでも道路族の議員は気に入らないらしい。市議会の自民党議員連中が、大挙して市長に次々と面談の申込みをし、これはどういうことか、と捩じ込んだんだそうな。
曰く、道路財源はあくまでも道路建設に限定するべきで、それ以外の用途を連想させるような発言すら禁句、という事らしい。
これじゃ柑口令だよ。ここは民主主義の国じゃなかったのか?
浜松の民度というか議員連中のレベルの低さを露呈する悲しい出来事だと思った。あいつらにとっては、これで次回の議席(というか自分の生活)も確保出来た位の意識しかないんだろうが、レベル低い連中はやはりここにも居たんだな、と再認識できたという程度の出来事でしかなかった。やっぱり自民党に入れるのは次回も回避。無論、宗教団体党にも入れるつもりは毛頭無いが。
人一人の認識力なんてタカがしれていて、やはり今まで関わってきた世界の事と、その周辺の出来事くらいまでしか論評できないもののように思う。以前「クイズダービー」という番組に出演していた篠沢教授という人は、番組内では、いつもトンチンカンな回答しか出来ない、いわば当る確率の低すぎる大穴の回答者だったが、その専門分野のフランス文学に関してはとっても権威ある(あまり好きな言葉ではないけど適当な言葉が見当たらなかったので使ってしまいました)人だったようだ。つまり、そのような専門分野に関してはとってもすごい人でも、それ以外のことではさっぱり、という例。
だから僕はやっぱりクルマ関係と保険関係。そして営業関連を業務の中心としてきたということで、常に「道路を使ってきた側の立場」というものに関しては、ちょっとだけ思うことがある。
以前も書いたけど、道路というのは、先ずスムーズに流すことが大前提。だから10メートルそこそこで信号機が連なるなんて、道路設計そのものが間違っている。スムーズに流すためには、なるべく信号機なんて無い方がいいのが当たり前。目的地に速く着く手段として車があるのに、ナビゲーションの設定平均速度が時速30キロなんて冗談にしか思えない。その上スムーズに信号機をパスしようとすると時速80キロくらいを維持しなきゃなんないなんて、それこそ冗談だろ?
ここ何年かで出来たバイパスと呼ばれる道路群がある。まあ、大体2車線道路で中央分離帯がきちんとあって、という道路だけど、これもひどい。ちょっと見通せる場所になるとうんざりするぐらい信号機が見渡せるのだから。どこがバイパスだっちゅーねん。
浜松みたいな地方都市での2車線道路なんてもう幹線道路以外の何者でもない。ところが、国道1号線ですら「なんでこんなところで.....、」と思わせられるくらいのつまらないところで信号機でその流れがせき止められる。国道1号線でだよ?よく、首都を迂回する道路を作るの作らないの、という話がある。浜松にとっては国道1号線と浜松環状線がそれに当るものと思われるが、これがひどすぎる。何回止めれば気が済むんだってーの、ってくらい止まる。これまた、たいして交通量の無い横道を通すために。こんな詰まらん道路を作るために税金を取ってるなんて許せん。
そこで。
これは以前書いたけど、100メートル以内には信号機のある交差点を連続して作らない。これが1つ。
途中で見かける「横切れる」もしくは「右折可能な」中央分離帯の途切れた箇所は全部塞ぐ。
これが2つ目。
3つ目は、基本的には幹線道路はロータリー化して、可能な限り信号機の設置は避ける。途中からの流入には高速道路のような合流レーンを付けるか、一旦停止での左折のみの流入とする。
4つ。中央分離帯の途切れた箇所は塞ぐが、右折可としてある箇所には必ず右折レーンを設けて、直進車の通行を妨げない。3にあった流入箇所から右折したい車は右折レーンのあるところまで行って、そこでUターンをする。そこでUターンも出来ないようなヘタクソは免許を停止する。
とりあえずこの辺はすぐに着手していってもらいたい。このためなら道路財源を確保するのにもやぶさかではない(新規着工はもちろん凍結。もういらない。既存の路線整備で既に十分。)。但し、通常走行に関してさほど不満のないレベルになったら、予算は即座に停止する。このやめるタイミングは難しいが、(作る前の交通量調査はやるけど、)造作をした後の交通状況調査や利用者へのヒアリングをして適切なタイミングに、迅速に止める。
先日、「埋蔵金」と言い出した元大蔵省官僚とかの口述本を見、ました。その中で「経済理論として国内需要が落ち込み、景気の低迷している時期に公共事業をしたところで、その効果は無いということは常識。むしろ金融緩和策を実施した方が効果は上がる。」などという趣旨の文章がありました。
経済学に関してはとんと縁がありませんが、その文章を拾い読みするに経済学とは「風が吹くと桶屋が儲かる」理論構造を、今までの経験や実証を元に理論体系化した学問なのかな?という感じでした。だったらもっとやれよ、と思います。事実、今まではその真反対の「ばら撒き」を続け、まったく今もたいした効果が上がっていないわけですから。
いい加減、移動にストレスの無い道を作って欲しい今日この頃なのです。
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