2010年9月20日月曜日

クルマは何と面白く、奥深い物なのか

その昔、私の行動の原動力はいうまでもなく足でした。それが幼稚園(小学校低学年?)の頃になってコロ(補助輪)付の自転車が戦力に加わり格段に機動力が増しました。
私の住む地域では中学校は自転車通学がデフォルトでしたので、小学校6年生の冬には中学校用の通学自転車を買って貰えるという大イベントが控えていました。それを期に一気に私の行動範囲は広がることになります。
もっとも校則の縛りは当然ありますので、自転車による行動範囲は中学校の校区内に限られていましたけど。

そうした長く苦しい雌伏の時を経て、一気にサルから人間へと進化を遂げたのが自動車の運転免許証を取得した時です。そう。遂に人力の時代から内燃機関という動力をわが手中にすることが出来るお墨付きを手にすることが出来た訳です。


私が高校生のみぎり。

私より先にエンジンという動力付の乗り物を運転する資格を得た兄貴は、悔しくも私より先に行動の自由の象徴たるバイクを手にしました。
タミヤの1/12ポルシェ934ターボのプラモデルを親に買って貰って、机で作っているのを指を咥えて見ているしかなかった小学生の時。また、その934ターボのボディを使った、タミヤ初の電動ラジコンカーをまたしても親に買って貰い、またしてもそれを指を咥えてみているしかなかったあの頃。2度あることは3度あるとの言葉通り、兄貴はまたしても私に先じてバイクを手中にしたのです。まあ、それは良いとして。

自由に行動できることは喜びです。当時大学生になっていた兄貴が原付バイクを新車で買い、それに乗って下宿先に帰っていく後姿を、羨ましさと悔しさの眼差しでずっと見送っていたことは今でも忘れられません。とは言いつつも随分古ぼけた思い出になってしまいましたが。



数年後、いつしかそのバイクは家に残され、私の足となりました。まあ、兄貴のおさがりを着続けてきた私にとっては、期せずして転がり込んできたそのバイクに疑いを感じることなどあるはずがありません。

あちこち行きましたねえ。日帰りで行ける範囲は。もっとも静岡まで行くくらいがせいぜいでしたけど。西は伊良湖位まででしたかねえ。楽しかったから良いけど。

初めて乗ったクルマはもちろん教習所の教習車でしたが、免許を取ってはじめて運転したクルマは母親の乗っていたミツビシの軽トラックです。

長年、まともに上まで回していないエンジンだったこともあるでしょうけど、あれはあれで楽しかったですねえ。初めて1人で浜名バイパスをその軽トラックで乗り、壊れるかと思うほどエンジンは唸っているのにぜんぜん加速していかなかったりとか。
とある細い道に入ったら、崖崩れで道がなくなっていて。引き返そうにも後が空荷のため、ぜんぜんリアタイヤに荷重が掛かんなくってズリズリと崖に向って車は落ちていき、どうしようかと冷や汗掻いて。でも運よくその時は2人だったので、1人を荷台の後ろ端に乗らせて、一番トルクのあるリバースギアのまま何とか脱出したっけかなあ。


トヨペットのセールスの頃。今でも憶えている生年月日が大正の生まれの印鑑証明を貰って登録したクルマがありました。

何年か後。「もうおじいさんに乗らせるのは危ないから」という事で、クルマを辞める事にしたおじいちゃん。辛そうでしたねえ。「男の子として、自由に動けるおもちゃを已む無く手放すのは断腸の思いだと思いますから、何とかなりませんか?」と私がおばあちゃんに頼み込んでみましたが、それでも「息子も止めろというから」という事で結局は免許も返納することに。
おじいちゃんからは「どうせなら柴田さん、個人的に引き取ってもらえないか?」という事でその車を一時的に引き取る、なんて事もありましたねえ。






クルマを所有すること、クルマを運転することは疑いもなく楽しいことであり、喜びでもあります。

どうも寄ってたかってクルマをつまらなくも所有することを苦痛にしようとでもするかの如き、バカヤロウな政策を採っている国もあるようですが、愚策としか言いようがありません。まったくのミスリードです。
ただ、単に数のみの増殖は二酸化炭素を始めとする廃棄物の大量生産と、地球環境の悪化に寄与するだけでしかありません。如何にクリーンに、エコに、という流れは中国やインドを始めとする車の大量増殖中の地域を考えるまでもなく避けることの出来ない流れです。

でもそれは、あくまでも今までと同じく、これからも自動車という行動の自由・操作するということの楽しさ・所有出来る、という事に対する満足感などなど、諸々の楽しさを与えてくれる機械を、これからも楽しめる・愉しむための、という前提条件を満たす物であることが必須であることは言うまでもありません。




別にそれはエンジン付でなくともいいのです。根源は行動できる自由なのですから。




もちろん、ただ動けばいい、という感覚の方もいらっしゃることは承知しています。でも口ではそう言っていても、実際にクルマが公共インフラの一部となり、時間借りの物として提供されるようになった時にも同じ事を言うのかなあ?という疑問はあります。それでも赤色じゃあなくって青色にしてくれ位は言われるかもしれません。



で、そういうことを思うと、さすが白人どもは上手いこと獣性の塊を内に秘めた方々が多いですから(別に人面獣心とか、そういうことを言いたい訳ではありません)、そうした欲望の掻き立てかたが上手いというか、心得ているというか。さすがやのお、というか。見方を変えると、製品としてのバランスが上手い具合に破綻している、という言い方もあるかなあ。よく壊れるし。




さあ、今度は何を買おうかなあ。

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