いつもならそれだけなの事なのですが、いつもと違うのは、今日は一匹を抱きかかえて帰って来たことです。
いつもの散歩コースで、いつもの場所で犬がウンコをして。で、小学校手前の直線道路。向こうから車が来ているらしいヘッドライトの灯りが近づいてきているのは気がついていたので、私は柴とチワワの2匹の散歩紐を引き絞り、道路に出ないように押さえつけていました。
引っ張る方向からして力が入り易いこともあり、私は道路中央側に背を向けて犬の紐を引っ張っていました。随分車の近づくのが遅い感じはしましたが、まあ仕方ない、ここは待っているほかありません。
で、接近。やっと通り過ぎるか、と思ったその瞬間コツンと音がして次の瞬間チワワが泣き叫び始めました。
「轢かれた!?」
こちらは道路右側の端に佇み、私は道路中央に背を向けてじっと待っていたということもあり、ほとんど気が付きませんでしたが、どうも随分近くをその軽トラックは通り過ぎていた様です。「なんかやけに近いなあ」位の感じはありましたけど。
泣き叫び、逃げようと後ずさりするチワワに咬みつかれながらも抱き上げ、頭から足の先まで撫で回しましたが外傷はないようです。骨折でもしていればいつまでも痛いと泣き叫ぶはずですが、手足の曲がり具合におかしな感じもなく、抱かれている分にはおとなしくなってきました。
件の軽トラックは10mほど先で停車し、助手席から1人が降りてきました。案の定ババアです。言葉が汚いのはお許しください。
「どうしたの?大丈夫だった?」
何処の口でそういっているのか分かりませんが、よくそんな口が聞けたものです。もちろん私の口から出てきた第一声は
「何処に眼をつけて運転してやがる」
です。街灯からそれほど離れてもいない(夜間とはいえ視認はしやすいはず)、道路の右側に暫く佇んで、じっと待っていただけ(もちろん動いているはずもない)の私に非があろう筈がありません。もっとも「クルマ対立ち止まっている歩行者(しかも進行方向に対して右端に)」という図式で自分の正当性を主張できる神経の方が信じられませんが。
ところが相手は、その神経を疑う自己主張をし始めた訳です。曰く「そんなところに立っていられてはわからない(街灯のすぐそこで?)」「あんたが左側を歩いているから(私は進行方向に対して右端に立っていただけ)」
無論、私にとって一歩も引く筈の道理はありません。そのうち運転手も出てきました。もちろんジジイです。
思い返せばここで相手のクルマに近寄り、車のキーを抜いてクルマを動けなくしておけばよかったのですが、事の顛末に動転していたのは傍にいた嫁さん以上に、弾かれた当のチワワ以上に、もう一匹の私に連れられていた柴犬の方だったようです。
相棒の鳴き声もそうだったのでしょうが、私の相手に対する剣幕にビビッてしまっていたようで、グイグイと後退しようとし、遂に首輪が抜けてしまいました。チラッとそちらの方向を見ると、次の車が近づいているらしい光軸も見えます。
仕方なしに柴犬を追いかけ、ジャーキーでおびき寄せて身柄を確保した時にハタと気が付いたら既に下手人は逃亡してしまった後でした。あーあ。
ひょっとするとあのジジイ飲んでたんじゃあないのか?という気もしますが、すでに追跡の手段はありません。何となく見覚えのある顔立ちのような気もするにはするんですが。
今回は犬の外傷もなく、すみましたが。でも頭を振られている可能性もなくはありませんから、明日の朝まで様子見ですねえ。
ただ、もう少し私の立ち位置が道路中央寄りであったとしたら、弾かれていたのは犬だけではすまなかった可能性も無きにしも非ずです。その時は何も分からずいきなり畑に弾き飛ばされていたかもしれません。痛かったろうなあ。そんときゃあ。まあ痛かったで済めばまだマシなんですが。
やっぱ、高齢者の運転という事についてはもう少し突っ込んだ議論をしておくべきでしょうねえ。
結局罰金の高額化によって飲酒運転に因る事故が半減しているのも事実でしょう。
という事で、ここは1つ、高齢運転者マークをつけたクルマを保護することばかりではなく、逆に深夜と言える時間帯の運転などは「自覚に欠ける行為の1つ」として事故の際の修正要素に加えてもいいんじゃあないか?とさえ思います。
何度か書いていますけど、「弱者に立たされる立場の人を保護するべき」という理念は理解できることなのですが、保護されるべき事自体は振りかざされることではありません。譲歩に対する感謝の念は一対であるべきと考えます。この関係が崩れれば、それはそのまま健常者に対する弱者の暴力でしょう。弱者であること自体は権力・権利に繋がる物でもなんでもないのですから。
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