2008年9月9日火曜日

柴田の場合、学校出て、そのまま新卒でトヨタディーラーに新車営業として勤め、その後アリコジャパンにCT(コンサルタント)として1年半。その後、某日本社の損保の代理店研修生を経て今に至る、という経歴を経ています。つまり、サラリーマンから社員としての個人営業職、個人経営者という立場に移り変わっています。

ディーラーの営業職時代から「営業職は個人事業主のようなものだ。そのつもりで.....、」などと、非常に経営者側からすると都合のよい高説の元、クドクドと長いお説教を聴かされるのが常でした。ただ、今にしてい思えばサラリーマン上司の言うことなど甘っちょろくてチャンチャラおかしいというか、よく口から出まかせ言うよな、とか思ったりもするのですが。

良くも悪くも、人間、その置かれた環境の中に特化して馴染んでいくものだと思います。ホントそれ以外の世界が見えなくなってしまう。お恥ずかしい話ですが、クルマの売れないときなど、それを苦にしてもう死んでしまいたいと思ったことも幾度となくありますし、気が変になりそうになったこともあります。自腹斬ってまで台数を作ろうとまでは思ったことまではないですが。
一度などは自分の置かれている状況や出処進退のことも含め、どうも思い詰め過ぎていることもあり、精神科の病院へも罹ろうかと思ったこともありました。ほんと自分自身「ヤバイな」と思える時期もあったので。
でも、斜め後ろの高いところから自分を見下ろす第二の自分の存在というのか、自分自身を別人としてみている目、というモノを意識的に存在させてもいたので、まあ、何とか今の自分がある、とい事もあるわけです。
まあ、そんなことはともかく。


こんなことを思い出したのは、例の三笠フーズの「事故米を混ぜて売上を作ろうとしちゃいました事件」です。サラリーマンってホント自分の世界が狭いから嫌だなーと。その世界だけで完結しちゃう所がある。売上が立てばいいじゃないか、とね。昔の自分を思ってみてもそうだけど。
今の自分ならば「所詮雇われサラリーマンなんだから、月が変われば、また次の数字目標がくるだけ。黙っていても厭味な顔はされるだろうけど、給料はくれるんだから思い悩むほどじゃない。」なんて割り切るようにすると思いますが(そんな奴ばかりな職場も嫌だけど)、きっとそういう風に言ってくれる人がいなかったんだろうなー、とつい想像してしまいます。

お客さんと話をしていてこんな話が出てきました。
「商売がうまくいこうがいくまいが、それは時の運。ダメならダメで、元々何も無いところから始めたんだから、それは元に戻っただけじゃない。そんときゃ女房とも離婚して縁を切って、親にも勘当してもらって、自分で全ておっかぶればいい事。」
さすがに僕はここまで強くはなりきれていませんが、それでもトヨペット辞める時には「それでダメなら旗振りでも工場でもいい。なんとなれば百姓にでもなるさ。」とおもって辞めました。何とかおかげさまで、今のところは三度のお米のご飯にはありつけてはいます。まあ、どこに行ってもお米はついて回っていくものなのかなーと。
今でもたまに元同僚や先輩方々、出先で知り合った販売店違いの同職の方々と会う機会があります。別に飛び出したほうが偉いとまでは思いませんが、それでもやはり現職や現状に汲々としている方を見るにつけ、「それなら飛び出すことも選択肢の一つ」と言ってしまう事もあります。


もう少し、肩の力を抜いて、ちょっと立ち止まって周りを見渡してみることも必要じゃないかなー、と。一(イチ)、落ちこぼれサラリーマンとして思ってみたり。


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