2008年11月26日水曜日

査定というもの

現在のように、一人1台という保有台数に近づいてくると、新車販売という形態には必ずといっていいほど下取車が発生するのが普通です。この下取車という存在は、今は管理がうるさくなってきましたが、昔は新車セールスの内職・小遣い稼ぎの源泉として、かなり大掛かりにやられていたようです。

「ようです」というのは、自分がセールスになった頃は、その内職をかなり派手にやってきた方々が本社の課長とか営業所長、各地区の部長職につき始めた頃で、そういう手口を知り尽くしている方々が、後進の者には「やるな」と。当然そんなことをやられたら自分たちの退職金の原資が減ってくることにもなるので、先の見え始めた時期になって口々に「内職禁止」を掛け声として言い始めたのですね。よく「昔はさんざん自分たちがうまい汁を吸っといて、今になってそれを言い出すか・・・・・・、」なんてグチをいっていた人もいましたが。

もちろん自分なんかは、そんな裏家業を覚える暇もないうちにそんなことを言われていたので、うまい汁を吸うどころか散々その尻拭いをさせられたものです。
よく「溶かす」とか「流す」という隠語が当時使われていましたが、大体いい加減な人ほどそういう事(下取車を自社の中古車センターに入庫せず、自分の知り合いの中古車屋に買い取ってもらったり、自分のお客さんに直接売ってきてしまうこと)をやっていたので、名義変更をしないまま、車だけ横流しをしてしまうことが多かったんですね。で、そういう人たちが辞めた後、担当引継ぎでお客さんを回っていると「以前下取りに出したクルマの自動車税が未だにうちに来るんだけど、どうなってるの?」とくる訳です。
まあ、そういうことを散々やって私腹を肥やしていた方々が今では部長さんとか役員さんになっているわけですから、大したものです。まあ、誰というつもりもないですが。

話が本筋から外れてしまいっぱなしになるのでこの辺で軌道修正。

今でこそ車の買取屋さんというのも一般的になってきましたが、以上のようなことが平然と行われてきたことから判るように、以前の状況では新車・中古車に関わらず、下取車は査定金額で下取してもらう、というのが一般的な販売形態でした。
もちろん下取車が横流しされる場合は、査定金額分が横流し金額で充当されていて、お客さんへの請求金額は変わっていない、ということですね。最初はお客さんとの契約書は下取有りになっているのが、後日契約変更で下取無しに変わっている、というパターンが殆どですので非常にわかりやすい犯行手口だったですけど。この手がばれて、会社のお金を横領した、という罪に問われて何人かクビになった人が実際にいました。嗅覚が鋭くて、その前に辞め人もいましたけど。

さて、査定金額です。
今では一般化してきた中古車オークションでの判定基準に、以前の査定基準が迎合した形になってきています(減点基準が大まかになってきたという意味で)。以前の査定基準は、先ず標準状態と呼ばれる車の状態と年式・型式別の基本価格という数字がありました。
大雑把にいえば、基本価格は標準状態だった場合のクルマの基準仕入れ価格といったところです。つまりは何年式のこのクルマはいくらで仕入れますよ、ということです。
ただ、その標準状態と呼ばれる車の状態なのですが、「車検は3ヶ月以内」「車の外装・内装は無傷であること」「機関は良好であること」「事故などによる修履歴が無いこと」「装備品に欠品・欠陥・故障等のないこと」といった、現実的にはありえない車の状態を想定しているので、基本的には何らかの減点があって当たり前(つまり仕入れ価格が値引かれていく)という状況でした。
減点とは簡単に言えば「商品価値を回復するのに要する修理費・材料費の実費分」で、どんなにきれいな車でも「総磨き・ルームクリーニング」は減点しておくこと、といった内規なんかもありました。つまりは、あるべき仕入金額から商品化するまでにかかる経費を差し引いた金額が査定金額というものでした。お客さんに「そういう車(標準状態のクルマ)を下取りに入れなさい」といっているようなものですね。
で、逆に言うと査定における減点金額というものは「そのまま修理費の実費」という事にもなるので、これを大雑把に押さえておくと、事故をしたときなんかの「ヤマ勘見積り」にも役立つのでけっこう便利です。個人的には。
ただ、あくまでも最低限の実費ということ(つまりは叩かれた外注金額)なのと、この基準が平成11年頃のものなので、もういい加減工賃や部品代も値上りしているため、若干の修正が必要(×1.2とか1.5くらいか?)な所は注意点ですね。

次回からはもう少し細かくこの査定基準を説明していこうと思います。
それでは。

ディーラーとメーカーの関係 2

昨日の続きです。

ディーラーとメーカーとはあくまでも一体ではなく、別々のものです。判りやすいか判りにくいかはともかく、例としてよく上げられるのは「セブンアンドアイホールディングス(だったっけ?)」とセブンイレブンのお店の関係。
コンビニエンスストアの経営主体はあくまで脱サラした人や元々お店をやっていた人がセブンイレブンやローソンなどのお店に模様替えしてやっている所が殆どです。中には直営店もあるとは聞きますが、基本的には別。お店側は、セブンイレブンの看板や商標などの使用権、POSなどの販売システム、セブンイレブンで流通させている商品の流通権等を一括して購入しています。セブンイレブン側はその見返りとして販売ノウハウの提供や広告出稿、競争力のある商品開発などを一手に引き受け、毎月幾らという基本料金と売上の何パーセントという業績報酬を受け取っている訳です。

ディーラーとメーカーの関係も同じで、基本的にはトヨタの車はディーラーにしか卸していません。クロネコヤマトのように直に注文を入れるところもありますが、特にウォークスルーバンはクロネコヤマトの持ち込み企画の車ですから仕方のないところだとも思いますけどね。
ですからディーラーの親会社はクルマとなんらかかわりのない業種であることもありえるわけです。元が何の商売をやっていようとトヨタが「力のある販売店になる可能性がある」と思えばコンビニと同じく「トヨタ車を卸価格で売ってあげます」という「流通権」を売ってもらったところがディーラーの看板を掲げている所、という事になります。

流通権にはいろいろなものがくっついてきます。最近ではネッツ店にはじまる店舗イメージの統一から、整備機器の斡旋からメカニックの制服からトヨタ共販をはじめとした各種流通の斡旋などなど。トヨタクレジットなんかもそうでしたか。
知ってる範囲でばらすと、ディーラーで計上している定価販売での利益率は20%弱でした。大体15~8%といった所でしょうか(実際はこれから値引きが絡んでくるので相当落ち込む)。だから当時値引き交渉を(もちろん上司と)しているときには、オプションやなにやらで最終粗利益がこれくらいになるので、ここまで値引きならどうでしょうか?などといて値引き金額を引き出していました。

もちろん、卸価格で車が入ってくるのはいいのですが、買ったからには支払いがあるのは当然です。トヨタの場合、車が入荷されると自動的に3ヵ月後の手形を切らされるのだそうです。つまりは3ヶ月の間に車を販売してもらい、きちんと代金を回収してウチに支払ってくださいね、という仕組みでした。

というところで長くなってきたので今日はこのくらいにします。

2008年11月24日月曜日

ディーラーとメーカーの関係

「ディーラー」というと、メーカー傘下の、少々敷居は高いがメーカーのお膝元として、きちんとした体制を整えている販売店というイメージが一般的のようです。

「のようです」というのは、柴田自身は学校を出てから、そのままディーラーの新車セールスとして就職してしまったので、世間一般の見方というか、外の人間から見たイメージが逆に想像できないのです。
おそらく「トヨタディーラーの人間にこういう対応をされた」とかいう苦情や意見は、その人にとっては「トヨタに無碍な対応をされた」というように映っているでしょうから、当然メーカーも気にはしているでしょうし、営業手法や体制に関するフォローも販売店に対してはしています。ですが、トヨタ資本が入っている販売店もありますが、多くはトヨタ販売店の場合、地場資本による地元有力(?)企業による経営であることが多いようです。この為、例えば古巣である静岡トヨペットは静岡鉄道資本ですし、カローラ東海やネッツ東静岡なども同様に静岡鉄道が親会社です。他にはネッツトヨタ浜松は遠鉄資本だったりします。静岡トヨタはスタートは地場資本だったらしいですが、一時怪しかったらしく、その時以降は県内では珍しいトヨタ資本の販売店です。

昨夜、嫁さんとワン公達の散歩中にこのような話になったのですが、以上のような経緯ですから、メーカーにとっては販売店こそがお客さんな訳です。
つまり基本的な姿勢としてはお客さんへの助言やフォローはするが、それ以上ではないということも言えます。つまりは強気なお客さんというか、実績を持っているお客さん(ディーラー)は、メーカーの意向はおかまないなしで販売店統合(つまりはトヨペット店とか、カローラ店という垣根を実質無視しているところもある)をしてしまう所もあるし、メーカーの主催する研修には参加をしない、というところすらあります。
だから例えば新車発表の時とかにメーカーがTVCMとかは打ちますが、あれはディーラー支援であって、新車発表会の告知とかは、それとは別にディーラーで独自にCMを打ったりしています。

嫁さんに「それホント?」って聞かれたのはカタログとか幟や店内POPなどの販促物について。
実は、メーカーのお得意さんである各ディーラーは,色んなものをメーカーに斡旋されています。例えばカタログはメーカーから100冊いくらで買っています。さすがにセルシオやらソアラクラスになるとカタログもお高いので、確かあのへんは20冊単位だったように記憶しています。その他、新車発表会の案内告知DMそのものや、それ用の封筒、新車の印刷されたボックスティッシュやイベント用のお土産とか、イメージキャラクターの飾りつけなどもそうです。色見本のプラモデルもありましたが、あれもそうでしょうね。そういえば初代イプサムの時に起用された「イプー」のぬいぐるみとか、スタッフジャンバーもそうだったはずです。

メーカーは各種商品を潤沢にそろえていますから、売るものには事欠きません。例えばコンピューターシステムもそうです。サービスが使っているシステムももちろんですが、セールスが使っているものもメーカーからシステムごと買っています。元々は京都のほうのディーラーが独自システムとして作ったものをトヨタが買い上げ、システムを整備して他販売店でも運用できるように仕立て直したものだと聞きます。

ただ、ディーラーのお偉いさんという方々は今までいい時代を過ごしてきたセールスがその席にいることが多いので、言っちゃうとあんまり深く物事を考えるのが不得意な方が多いらしく、しかもサラリーマン重役な為に、どこかの国の官僚のように「使うことが大好き」だったりするので困ったものです。今そのツケを払っているようなのは、たぶん気のせいなのでしょう。そう願いたい所です。

その「深く考えない所」が遺憾なく発揮された事例がありました。初代イプサムがマイナーチェンジを受けた頃の事だと記憶しています。なぜかトヨタ販売店で、あのセガが開発販売していたゲーム機である「ドリームキャスト」を売っていたことがあるのです。
当時、実際の販売員である自分たちも「何でドリキャス?」と首を傾げました。うちらクルマ会社だよ、と。おそらく売れれば儲かると誰かさんに吹き込まれた役員連中が「ウチにはセールスが腐るほどいる。販売会社なんだから。あいつらに売らせればいい。売ってくるのはあいつらだ。」とまあ、こんな具合の経緯だったのでしょう。そのうち営業所にも5セットだったか10セットだったかのドリキャスがやってきて倉庫に詰まれていました。当然の如く、まったく売れなかったので、そのうち新車販売の「ご成約プレゼント」として、複雑な顔をしたお客さんの両手に抱えられ幾つかのドリキャスは去っていきました。残りは?多分かなり大量に残っていたのだろうと思います。そのかなりの部分は噂によると秘かに持ち去られた(従業員に)ようです。だって、在庫管理なんかしてなかったもん。そういえば所長も買わされてたなあ。
トヨペット時代の最後期に労働組合の端役をしていた頃、月イチくらいで本社(静岡)に行っていました。よく販売促進部というところの倉庫を間借りして作業や会議をしていましたが、あそこに幾つか忘れ去られたようにドリキャスがあったなあ。

タイムリーなもので言えばカレンダーもメーカーから買っていたそうです。8月くらいになるとメーカーから幾つか見本が送られてきて「どれにしますか?」とくるわけです。で、大概そのなかで一番安いのを選んで、「じゃあ、これを1万本(発注数は不明)」という具合。
でも、仮に1本300円として発注数1万本だと300万。で、静岡県内にはトヨタディーラーは9社あるから平均発注数を6000本としても1620万円。いい商売だなあ。全国のディーラーのがまとまれば、静岡県が全国の5%市場って言うから、その20倍として3億超の売上。むむむ。何気にすごいな。さすがトヨタ、商売上手だわ。

2008年11月22日土曜日

足もと

麻生君が叩かれている。

別に彼のことを一時たりとも信用した事が無いので、その世評の事などはどうでも良かったりもするんだけど。人間「顔」で評価しちゃいけないとは思うし、それを言われると自分はどうなんだ、という事もあるので自分も自信はない。
でも、いい年こいてあんなに歪んだ人相はちょっとどうかと思う。30過ぎたら自分の顔に責任を持て、という言葉があるけど、一卵性双生児だって30にもなれば双方の表情に少しずつ差が出てくるものらしい。それは両人の過ごしてきた経験値や環境の差が影響するのだとか。(それを思うと双子で売ってる芸人がいたけど、あれは恥ずかしい)つまりは、そこまで年齢を重ねれば親から受けついた骨格を変える事はできなくとも、本人の生活信条や人格形成が普段の表情を作り、人相を作る、という事なのだろうと思う。自分も気を付けなくちゃ。

麻生君が叩かれる理由を考えてみた。
思えば、小泉君は大した所のない、時代の流れがよかった(ビル・クリントンもそういうところが多分になると思う)時期に就任した首相だった。自民党の中の変わり者だったが為に、評判の最悪だった借金王・小渕、いなかっぺ大将・森という時代を経て、実に誤解をされやすい「自民党をぶっ壊す」というスローガンとアドバルーン役に田中真紀子を起用したこともあり、珍しいくらいの大勝をしちゃった。
それまでの首相経験者たちと違い言語明瞭・言葉はワンフレーズ、でも内容は浅薄だった。下手げに政策研究などすると、あるのかどうかも怪しい「政治的な勘が鈍る」くらいのことを言ってのけるほど、自身の政策信条は「郵政民営化」という実態はともかく看板だけは架け替える(つまりは目的と手段が完全に入れ替わっている)ことに終始していた。

それでも、威勢だけは良かったし、「道路公団民営化」とか「霞ヶ関改革」などという期待値だけは大きい掛け声は言い続けていたし、拉致被害者の帰ってきたタイミングにも当った事もあり、掛け声は郵政民営化選挙、内容は?というはぐらかし選挙にも大勝した。
つまりは、実際の働きはともかく、自民党の旗頭としての役目はきちんと果たせていたし、女性問題で足を引っ張られることも無かったので、殊、選挙というイベントに関しては非常に党員達にとっても都合のいい人だったわけだ。

ところが、次の安倍君は大負けしちゃった。ねじれ国会の元になる選挙で旗頭としての責任を果たせなかった。
次の福田君は選挙をまたず、解散をすることもせずに下りちゃった。選挙で負けて詰め腹を切らされるのが嫌なんだろう。頭は良いだろうから、わざわざ負け戦とわかって大将をやるバカはいない。織田信長のように一生に一度の大博打を仕掛ける度胸すらなかったということだ。これだけ公務員、中央・地方合わせての官僚・役人のやりたい放題が大問題になっていて、その刷新を公約にした知事達が出てきているのだから、この流れを使わない手はないと思うんだけどなあ。
で、旗頭を経験した事のない麻生君が首相になってしまって今に至る、と。つまり麻生君自身が選挙で勝ったことがないし、これでいざ選挙、となった場合に勝てるかどうかわかんない。だったら、もっと世論にあわせた策をやっておかないと次に今の椅子に座り続けていられるか分からない、というあせりなんだろうな。今の造反の流れは。

一回麻生君に選挙をやらせたら?人気取り、扇動、人身掌握というイベントを経験させないと、そういう気遣いをしないままの党首ってどんなもんよって思うんだけど。それこそ、自分の足元がおぼつかないってところが目に付きすぎるんだよね。








先日のタイヤについて。コロパパさんよりコメントをいただきました。ありがとうございます。

タイヤの横幅が増えるということは接地面積の増加に繋がるのでは、という主旨のご指摘かと思いますが、実は、横幅が増加しても、殆ど接地面積そのものは増えません。
確かに接地幅は広がるのですが、接地長が逆に狭まるので、タイヤと地面との接触面積は実は殆ど差がないのが実情です。なぜか?
扁平率の高いタイヤに比べると扁平率の低いタイヤの方が形として変形しにくい。この為、高扁平率タイヤは地面に対してべたっと潰れる為横幅は無くとも接地している縦幅が長いのです。低扁平率タイヤはその逆になるわけです。

2008年11月16日日曜日

タイヤのナゾ

未だによく解らないので教えて欲しいのですが、昨今の大きすぎるタイヤって、何の意味があるのでしょう?
特にクルマ屋さん関係で言うと大爆笑される例え話があります。
女性にはわかんない話になるのですが、まあ、そういう下(シモ)の関係のお店に行った時のことです。そこのお姉さんの使う褒め言葉「まあ、ご立派」。これって、無意味に大きいタイヤを見た時に言う「でけえなあ」と同じだよね、てね。

さて、話を戻して。大きなタイヤの事です。

大きいとイイコト。んー。カッコイイ?それくらいかな?まあ、あとはゴムの表面積が増えるので過剰な走り方をした場合には多少タイヤの劣化(交換サイクル)を遅らせられるとか?ほかにある?

基本的にはホイールを大きくする、という事はタイヤを大きくしたい、ということより大きなブレーキローターを入れたいので必然的にホイールが大きくなってしまう、という事のほうが大きいような気がします。ブレーキローターを大きくしたい理由は簡単。梃子の原理ですから、中心軸より、より離れた所の方がより大きい制動力が得られる理屈です。
その意味で言うとディスクブレーキよりもドラムブレーキの方が制動力は大きくなります。ただ、ドラムブレーキは効きはいいんですが、その効き方が直線的でない、とか放熱性がよくないとか、整備性が・・・・、とかいう理由で現在の主流は効きの悪いディスクブレーキが主流です。
ディスクブレーキは効きが悪い代わりに、その制動力の伸びが、器機にかける力に対して直線的なんだとか。判りやすくいうとブレーキの効きをブレーキペダルにかける力で調整しやすい特性があるのだそうです。でもドラムブレーキのままの大きさだとブレーキそのものが効かないので、ブレーキローターそのものを大きめにする必要があるわけです。つまり、それを収める為にホイールも大きくなる、と。
以前は、センターローターといって、ホイールの中にブレーキがあるのではなく、ドライブシャフトの付け根(つまりエンジンやデフのすぐそば)の車体中央付近にブレーキがある、というものもありました。バネ下重量の低減などのメリットもあるのですが、ただ、整備性が悪すぎることや、放熱性の問題があって今では「ハマー」くらいにしか採用例が無かったと思います(ハマーの場合は泥だろうが砂漠であろうがお構いなしに入っていく車ですので、制動力を確保する為に比較的ブレーキシステムが汚れにくい車体中央にブレーキを持ってきたかった、という理由だと聞きます)。


話は戻って。もちろん、運動面におけるバランスで「このくらい」というホイールサイズはあるんでしょうけど、ホイールだけが妙にデカイのは却ってバネ下重量が増えるだけでしょうから、大きすぎるホイール=余計な重量物でしかありませんから、路面への追従性が低下することになりかねません。
大きなタイヤ(=幅も広い)なら接地面積も大きい。イコール高性能、という誤解があります。実はタイヤの幅が広くなっても接地面積にはほとんど変化がありません。なぜなら幅広タイヤの場合はその分扁平率が低い(単純にいってホイールから地面までのゴムの厚みが、より薄くなる事)為に、自重を支える為ゴムそのものが変形しにくく作ってありますので、横幅は広くなってもその分縦の接地長が短くなる、という理屈です。

というわけで、自分的には昨今の大きすぎる新車のタイヤ設定には首を傾げています。傍目にはかっこいいのかもしれませんが、座っちゃえば見えんのだし、その分犠牲になるものが大きすぎるように思うのですよね。タイヤの交換費用や、乗り心地、サスペンションや車体にかかる負担、余計に必要な初期の運動エネルギーなどなど。
なんとなく、という感覚で言えばイイトコ16インチまでがせいぜいじゃないかな?普通のクルマなら15インチ位でしょう。先のタイヤの扁平率も、いっても55とか50まで。

ちょっと前、どこかの自動車雑誌で「インチダウン」という言葉が流行った事があったそうです。行き過ぎるホイールの大径化(「インチアップ」と呼ばれます)に対して「逆に少々インチダウンさせるのが知的」なんだとかかんだとか。ただ、メーカーとしては「純正サイズ」でセットアップしている訳ですからあんまりカッコツケだけでホイールを換えるのはいただけません。
そんな訳で僕のロードスターは純正サイズの純正ホイールを履かせている訳です。ただ、車高が落としてあるのでこれは元に戻さなくては、というのが今後のメニューですね。既に純正のダンパーとバネは用意してあるのですが、何時やろうかな、と。
ベンツ君も初代オーナー(自分は2代目)がメーカー純正オプションで16インチにしてあります。これも本来のサイズに戻してあげたい、と思ってはいるのですが。いつの事になるのやら、というところです。

2008年11月15日土曜日

給付金

給付金について。

あんなんやってなんか意味があるのかね?かつての地域振興券と同じじゃんか。あの大失敗したさ。かわんねーよ、あんなの。

1つ疑問なのは、何で「払う」というか「支出すること」はすぐに考えるくせに、減らすことには妙に消極的なのか?という事。
今回の給付金についても、その分国家予算から2兆円分を何とかやりくりして(例えば公務員のボーナス支給を止めて、それで捻出するとか)払うってんなら判らんでもないけど、埋蔵金を当てにするとか、借金してその払いは後回し、とかそういうことなんでしょ。
ばら撒きによる経済効果っていうけど、でも基本的に日本人って溜め込むのが好きな性癖があるからやはり無駄なように思う。そうでなければ郵便貯金がああまで巨大にならないよ。

逆にブラジル人なんかと付き合ってると、何でああまで気前よく遣っちゃうかな?と思うけど。何でもかんでもローンにしたがる。ああいうの見てると、アメリカ人の消費形態もあんな感じなんだろうな、と思う。

麻生君の庶民感覚が、とか色んなこと言われてるみたいだけど、結局何かをやる為に総理になったのではなく名誉職として一度はあの職に就きたかった、ということでありすぎるんじゃないのかな、と。ウチの家系として、一度は総理大臣くらいはなっておかないと、とかね。グランドプランが無さ過ぎるよ。大久保利通の係累だとかいう事らしいけど、比較対象にもならない。
大政奉還の成った時に、坂本竜馬の作った人事案の中に当の本人の名前が無かった、というエピソードがある。西郷隆盛に「なぜあんたの名前がないのだ?」と聞かれた際、竜馬は「位人臣を極める為にやってきたわけではない」といった意味のことを言ったそうだけど、それこそ、鶏が先か、卵が先かという話で、大政奉還は自身の望む生活形態・政治形態に必要な措置だったというだけだったのだろうと思う。
大久保利通にしたって、島津久光に取り入ったのはその先にしたい事があった為だといわれているし、事実出先の西郷と薩摩内部の大久保という両輪は実にいい動きをしていたと思う。


話はちょっとずれるけど、「位打ち」という言葉がある。単純にいえば、官職や勲章などの名誉を贈って相手を篭絡するという手段の事なんだけど、以外にこれにハマる人って多いんだよね。レベルは異常に低いけど、僕にもこれをヤラレタ事がある。トヨペットを辞めようとしていたとき、それを地区部長に言いに行った。
地区部長と言っても、つい直前まで自分の居た「有玉店」の所長だった人だった。辞めてどこに行くんだという話から何から。早い話が慰留なんだけど、その話の中で「そろそろ柴田も主任にしなきゃならんと思っていたが・・・・、」なんて事まで言い出した。「ああ、これって位打ちだな」って思った。
最後には「お前の良いと思える環境にしていくことを約束する」とまで云われたので、もうしばらく留まることにしたんだけど、結果としてその約束は反故にされたも同然だったので、結局は辞めたんだけど。

なんか、上役になればなるほど権限も大きくなるけど、それに伴う責任も大きい、という事がすっぽり抜けているような気がします。「権利」と「義務」の関係のようにね。
2兆円もばら撒くのは良いけど、それに対する結果責任だって問われるべきなんじゃないですか?「皆さんに選ばれた私の行った政策なわけですから、その最終的な責任は国民にある」って?いいの?それで?

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何とかオリジナルの現金出納帳なんぞも何とか形になり、やり残していた自動精算シートへの今までの請求書の打ち込みの仕直しをしていたんですが、印刷時になって気がついたことが。

何時の間にやら余白の設定がいじられているのか、どういう原因かわからないのですが、今までA4の用紙に入るように作られていた書式が少々はみ出す様になっており、1ページの用紙が2枚に亘るように自動改変されてしまっていました。念のため他の計算シートも見てみましたがやはり同じように2枚にわたるシート内容になっていました。
近頃はまったくいじってもいなかった、一番元になっているシート原紙も確認してみましたが、やはり同様に2ページにわたるシートになってしまっていました。何で?

例えば、ウインドウズの自動アップデートがあるじゃないですか。あの改変でウイルスに犯されないようにという理由でワードやエクセルもバージョンアップを受けるときがあるように思うのですが、あの時?うーん。そんなことってあるのかな?

どなたか同じような被害(勘違い?)にあわれた方はいらっしゃいませんかね?あれー?なんでなんだろう?

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2008年11月9日日曜日

続・新型ディスプレイ

昨日に引き続き、新型ディスプレイについてです。
チョコチョコといじっていると何とか2画面表示というか、同時使用のやり方が判明してきまして、今ではヒョイヒョイと、あちこちの画面にウインドウを移してはこっちでこの操作をし、これも見ながら、とかいうのを出来るようになりつつあります。もちろんいつものように人に聞くなどという姑息な手段を使わずに、一人でああでもない・こうでもないとブツブツ言いながらやっています。時間はかかりますが、なんとなく理解しながらやっているので、いざという時には対処方法というか逃げ方が判るので、やはり自分でやる方がいいかな、と。

さて、このようなワイド画面と2画面環境とを一挙同時に手に入れたので、ここに到ってやっと「ウインドウ」という画面システムの恩恵というか名前の意味を再確認いたしました。今までは全画面表示しか使っていなかったので、なんとも思っていなかったのですが、こういうことだったのね、と。ああ、サルだなー、と自分をせせら笑ってみたりしています。

以前、サブで使っていたシンクパットも、ここまでデスクトップ環境がくると殆ど開くこともなくなってきています。
ま、そんなことは兎も角、以前このシンクパッド(もちろんIBM時代の製品)のメインメモリを増設してあげたことがあります。その「メモリを増やす」という行為の意味の説明として「作業領域としての、事務所で喩えると『机の面積』を広げてあげる」という事をどこかで読みました。
で、今回この画面の拡張と2画面化とで「この机を広げる」ということを「ああ、こういうことか」と自分のこととして実感しております。うーん。広いってステキ。快適だし、作業もしやすいし。

3年ほど前、メインで使っているデルのデスクトップを新調した際の事です。
ここは気張ってとか思い、メインメモリを当時ではあまり聞いた事のない2GBにしてあげました。ちなみにシンクパッドは256MBでしたが。
XPの使いこなせるメモリは上限4GBという事なので何時かは、と思わないでもありません。でも今でもメモリはソコソコ金額がするのと、4Gということは「1GBのメモリが4枚」必要という事になります。VISTA時代の今となっては2GBのメインメモリも珍しくないのでしょうが、XPなんだし、もう少し我慢しようかな、と思っております。今でも変わらずサクサク動くしね。それでもたまにはハードディスクのクリーンアップとか、古いファイルの圧縮とかやってますけどね。

2008年11月8日土曜日

新型24インチディスプレイ

しばらく、価格コムのページを睨みながら、どうしようかこうしようか、と悶々と考え続けてきた新型ディスプレイ。
先日ついにエイヤッと購入ボタンをクリック。在庫は無いけど最安値だったアマゾンで購入決定。あんまりアマゾンに好い印象がないのだけれど、まあいいかという事で。

ついに来ましたよ。今日、さっき。
寸法のイメージは巻尺で考えていただけだったんで、梱包を空けてみて「けっこうデカイな」と。そして設置(机の上に)してみて「でかっ」。接続してみて画面を立ち上げてみて「文字小さ!」。
逆に画面が大きいので、相対的に文字の小ささが気になり、今まで使っていた壁紙が「え?こんなに画面サイズ小さかったの?」という感じ。
しかも今まで画面接続がアナログだったのが、デジタル接続に変わったためもあるのかなんか妙に綺麗です。秘蔵の画像も、なんかステキに映してくれるます。でも今まで気がつかなかった画像データの大きさに違和感もあったり。

2画面プランにも挑戦していますが、いまだ旧デルモニターは暗いまま。沈黙を保っています。
ただ、ウレシイというか誤算なのは、ここまで横画面が広いと「ツインにする意味」が相対的に薄くなっちゃったかな、と。
普段はA4縦の紙サイズを意識して帳簿なぞをいじって使っていますので、横が広々していて、これならA4見開きサイズを意識してエクセル使っても大丈夫そうな感じです。さっそく新帳簿を作ってみるつもりです。だって、早々に現金出納帳は作んないと。来年は課税業者になっちゃいますからね。

それではまた。

2008年11月6日木曜日

目付

リンクサイトである、「F&F」は、きちんと毎日更新されているので、柴田的には、ほぼ毎日チェックを入れるサイトさんです。
そして、今日のコラムは公務員について書かれていらっしゃいました。

今までの「しばた新聞」で書いたか書いていないか記憶にないのですが、公的機関にも会計監査を義務付ける方法がないものだろか、と思案したことがあります。確かに会計監査局なる機関が有るのは承知はしていますが、所詮といっては言葉が過ぎますけど、同じ穴のムジナどうしなわけです。歴史の長い機関であればあるほど慣れや手抜きや横着仕事が蔓延するのは公務員も民間も同じことです。つまりは「仕事やってます」というポーズ以上のことはしなくなるのが当たり前であって、それに期待するほうが馬鹿馬鹿しいものです。

そこで考えたのが「第四の権力」や「ペンの力」などと、自らを形容されることの多いマスコミ関係の方をうまく使えないか?というものです。
記者クラブとかいうところで、官僚からエサ(ネタ)を撒いてもらい、飼いならされているようなモノという事を耳にした事があります。
まあ、そんな出来レースのようなことは誰にでもできる程度の人にやってもらうようにして、ムダや、無理・ムラを積極的に採り上げてもらい、それによって浮いた国家予算の何パーセントかを手数料として新聞社などに還元し、広告主に左右されない独自財源としてもらうという仕組みはどうだろう?というものです。

ただ、ここでも出来レースになる可能性はありますから、例えばマスコミ関係企業の収入面における企業からの広告出稿料を全体の50%以内にすることといった枠を作って、真剣にチェックをすることが自身の収入に繋がる、といった仕組みだったらどうかなー、とか妄想しました。もちろんここでも良からぬ事を考えるやからは出てくるでしょうから、自信が潔白であること、という紳士協定に強力な罰則を付随させることは必須かなー、とか。

そうすれば、先ず官僚や地方公共団体の使い込みや汚職などは積極的に外部の人間がチェックを掛けるわけですし、それが収入にもなる。でも、ある程度緊張が維持できなければ収入は減ってしまう。企業としても、広告出稿そのもの意味を考え直すきっかけになるのでは?とか。また、大企業であればあるほど広告費用の率が大きいでしょうから全体でいえば商品価格や原価の上昇も抑えられるかな?とか。まあ、妄想ですけどね。


何で、それを思いついたときに書かなかったかというと、ただ単に忘れてた。今日思い出したのはタイトルの「目付」というキーワードを思い出したから。

幕末の頃、遣米使節団(勝海舟とか福沢諭吉とか)が派遣された時に、彼の地で珍らしがられた風習の1つに「日本人は、どこに行くにも、いつも二人連れで出かける。いつもスパイを連れ歩いているのだ。」といわれたそうです。その「もう一人」とは「目付」の事です。

目付とは大目付が老中直属、目付が若年寄直属のいわば監視役の事です。大目付が大名や朝廷、目付が旗本などの御家人を監視する役割だったそうです。トップ直属機関というところがいい感じです。
しかも位も高かったそうで大目付の場合「○○守」という称号までついたとか。ここまでなれば確かに手を回そうにも手が付けられなかったでしょうなあ。何でこういう良い制度まで忘れちゃったんだろう。

別に「消費者庁」の創設を笑うつもりはありませんが、そんなお茶濁しを考えるより、「綱紀粛正」を旗頭に目付を復活した方がよくないですかねえ。公務員がクビにならない、という幻想を先ず潰すことが先決なような気がするんですけど。ま、あくまでも妄想の域を出ませんが。

2008年11月2日日曜日

クルマのガラス磨き

今日は、しばらく前から気になってしょうがなかった「ガラス磨き」をしました。

普段乗っている車ならばともかく、露天駐車のまましばらく乗っていない車は、かなりの確率で「雨ジミ」が、特にフロントガラスにこびりついていることが多いものです。あの雨がたれている様子がそのまま残ってしまっているようなガラスの表面に見覚えはないでしょうか。

思い起こしてみると自分が乗っていたクルマよりも中古車屋で仕入れてきたクルマにそれが多いようです。ウチの車で言うと「ロードスター」や「ベンツ」。あと、「銀ヴィッツ」もそうだったかな。てことはやはり長期在庫車になればなるほど雨染みがつくのか。ふむ。
ところが、あまりガラスを磨いている光景というのは見た記憶がありません。

ディーラーでは、下取の車が入ってくると先ず一通り洗い上げます。内装も外装も。この時点では、つい昨日今日まではお客さんのところで日常的に乗られていたわけですから雨染みが気になるレベルではないと思われます。
自分がしているような「シートを外して中をがらんどうにしてから洗う」ことまではしません。あくまでもそのまま洗える所までは手を付ける、というレベルです。よほど酷い要鈑金箇所は展示前に直しますが、軽微な箇所はそのままです。

後は展示場に並べてお客さんがつくまでは、先ず手を加えられることはありません。なぜって、「手を加える=補修をする」ですから、その度に原価が上がっていくことになります。わざわざ利益率を下げるようなことをする訳がありません。
先ほどの「軽微な鈑金箇所はそのまま」というのも、仕入原価を上げて売価をあげるよりも、お客さんの選択に任せて、その表示売価を下げる方が得策だ、という判断があるからです。

もちろん、展示前に点検をする、という事もありません。長期在庫になってしまう場合は、改めて点検をやり直す羽目になりますから、その分の点検代が勿体無いからです。つまり並んでいる車の機械的な状態は、お客さんに売れてしまうまでお店側は全く気が付きません。長くなってしまうので中古屋さん(ディーラーの中古車部門も含む)の実態はこのくらいにして。

そんなわけですから、長期在庫中に雨染みがついてしまったクルマは、既に洗い上げは済んでいるものとされているため、後はお客さんから要望のあった加修や補修のみを済ませて納車、という段取りになります。

つまりは雨染みを気にしてわざわざ磨く、なんて作業日程が加わる余地は無かった訳ですね。

さて、そのガラスについた雨染みなんですが、普通のコンパウンドでは取れません。なぜって、その正体は酸化ケイ素(なんだとさ)だからです。ガラスと非常に馴染みやすいというのもありますが、酸化ケイ素自体が硬すぎて、ふつうのセラミックス粒子なんぞでは歯が立たないのだそうです。
つまりはガラス用のコンパウンドでないといけません。ただ、先ほどの理由で、その作業自体が珍しく、ガラスコンパウンドの需要そのものが少ないため、高いです。普通のコンパウンドの倍くらいしました。

で。そんなこんなで磨いたのですが。

いいですねえ。自己満足ですけど。ピカピカのガラスは視界もよく、気分がいいです。

綺麗です。ワイパーを動かしても引っ掛かりが無く、きちんと水滴が拭取られます。
これは雨染みと一緒に油膜も綺麗さっぱりと取っちゃったからです。

明日は、内装の掃除をしてあげたいと思います。シートを外すところまではやりませんが。

2008年11月1日土曜日

昔の事。

永くクルマ屋をやっていると、一人のお客様で2回目、3回目の代替ということも珍しくないですし、実際今お付き合いしていただいている方の殆どはそういった方になります。ただ、1台のクルマに乗る期間がこうも長くなってくると、久方ぶりの代替という事もまま、起こる事になります。

で、そこで起こる事(つまりは商談の際の交渉の場面)は、そのまんま7年前、10年前の再現だったりすることも珍しくありません。というより、そのまんま。
普段は調子伺いだったり点検の案内だったり雑談だったりで、そんなことを何年間も繰り返しているので商談の場面でのその人特有のクセなんぞすっかり忘れていたのに、その時になって「あっ」と思い出す。「しまった。忘れてた。」なんてね。「そういえばそうだったよなー」とか。

こちらも商売ですから、よっぽどまでは我慢しているつもりなんですが、今までに何回か商談をこちらからお断りした方があります。なんというか手癖の悪い方というか、商行為の相手とするには、どうもお行儀の悪すぎる方がいるのですね。
礼儀として、商談を持ちかけた、持ちかけられた、のいずれにせよ、話をはじめた以上は良い方向にせよ悪い方向にせよ、きちんと結果を相手に伝えるのが当たり前だと思うのです。でも中には、ギリギリまで引っ張って「やっぱり.....」なんて断り方をする人がいました。嫌なら嫌ではっきりと途中で「ここまで」と言ってもらえれば、こちらもお仕事ですから「ああ、そういうことでしたら結構です」という事で、すんなり引き上げてくるのですが、どうも話を打ち切れない方がいる。
他には、これは新車販売の時でしたが、値引きがうるさ過ぎる人。これも嫌でしたね。新人の時なら兎も角、ある程度以上のキャリアになれば注文書の値引き欄は常にチェックをしていましたから、車種別の上限決済金額(つまりは値引きの通る範囲)は殆ど頭の中に入っているわけです。ところが、こちらのいうことを一切聞き入れず、とにかく「もう一度所長に聞いてきなさい」の一点張りの人。こちらもあまり気持ちの良い商談相手とはいえなくなってきてますから、「それなら結構ですから、もう帰ります」といって何度か帰ってきちゃったことがありました。
実際、最終的には買ってもらった方もありましたが、既に相手に対するこちらの気持ちが冷めていますから、その後のお付き合いは業務連絡上以上のものにはなりませんでしたね。



あ、そうそう。よく「私は所長決済まで行かないと買わない」なんて自慢げに言う方がありますが、あれ、雑誌の読みすぎです。
確かに毎月の所長会議資料には「条件指示枠」と「所長枠」なんていう欄が分けて書いてありましたが、名ばかりでした。所長枠で値引きが収まっている注文書は当時殆どありません。所長の机の横には条件申請書の紙が束になっていたものです。
つまりは所長枠ですら、常に大幅にはみだしている注文書が普通で、そんな中「所長でござい」とばかりに(値引きの)大盤振る舞いしていたら部下に示しがつきません。
つまりはベテランセールス出身であることの多い所長のまとめた商売であればあるほど「こんなもの」という数字でまとめられた注文書が多いのが事実でした。途中、それを逆手に取り、商談中のお客さんに必ず所長を紹介するようにすること、なんて余計な御指導が本社からあったりしたのものです。

自分の場合は、そういうお客さんに対しては、さっさと所長をあてがって条件を切らせていました。「とにかく所長さんが出した条件なんだから......」という事だけで納得してくれるのですから楽と言えば楽なんですが。実際には「よくこんな数字を平気で言うよなあ(つまりは抑えた値引き金額)」とか思いつつ。


本日の教訓。
あんまり人(雑誌・新聞など)の言うことばっかり鵜呑みにしてると碌な事が無い様に思います。相手も同じ人間な訳ですから、結局は営業を味方につけておく作戦の方が良い様に思うんだけどなあ。

それでは今日はこの辺で。