2009年5月29日金曜日

新車か中古車か 3

もちろん中古車というからには新車時代もあったわけで。つまりは初代オーナー様によるメーカー様へのお布施が支払済になっていなければ中古車という存在はありえません。
「中古車とはいえ補修パーツなんかは買っているんだから......」といった論調もありますが、メーカーにとってはモデル廃止後のパーツ生産などお荷物でしかありません。だってそれだけの為に10年以上前の金型を含めた生産設備をそっくり残しておかなければいけないんですから。とはいってもその保管に関する業務は下請工場任せのようですけど。
あくまでもメーカーとしては新車の開発とその販売が生命線です。だから継続生産される旧プリウスは装備を落としたとはいえあれだけの金額にも出来ますし、プジョーも306を再生産するとか何とか言っているようですが、あれも生産に関わる設備その他がそっくり残してあるから出来ることです。しかも開発にかかった減価償却は既に終わっている、とされているはずですから安くも作れるわけです。

中にはメーカーの威信をかけて絶対にパーツ供給を終わらせない、といった車もあります。トヨタ2000GTなんかがそのいい例です。いまだにダッシュボードに張られている「ヤマハ謹製ローズウッド製の化粧パネル」は注文があれば再生産されているそうです。トヨペット時代、お客さんにヤマハ天竜工場の方がいましたが、当時も「こないだ注文があったから作って持ってったよ」なんて言葉を聴いたものです。
その他はセンチュリーロイヤルですかねえ。皇室専用車。何でも30年間のパーツ供給を約束されたメーカー保証つきなんだとか。当初1台1億なんていっていたようですが随分とダンピングされたようで。しかも生産台数少ないし。絶対元なんか取れないだろうなあ。

さてさて。前回「安く買える」のが中古車のいいところだと書きましたが、では何でもかんでも安いからという理由で中古車で十分なのか?という話。新車がいいという理由、といってもいいかもしれません。

自分自身がトヨペットにいた頃(特に最後期)は、自身が新車販売部門に在籍していたこともあり「新車がいい」と言っていました。これは時代ということもありますが、プリウス登場を発端とした新機軸の設計手法や車体骨格・エンジン、電子装備の発展途上期(特にナビ関係)と重なったこともあり、発表される新車のことごとくとはいいませんが、その当時の新車の大多数が以前のモデルと比べて明らかに良くなってきていた、ということがあげられます。
例えばヴィッツと先代モデルに当るスターレットやターセル・コルサ・カローラⅡの3兄弟を比較すれと分かりやすいのですが、後者は明らかに「トヨタのラインアップ中の最廉価車種」という以上は何も特筆すべき所のない車種に成り下がっていた存在でした。販売店側としては「軽に行かれないための防衛線」といった存在でしかなく、メーカーの姿勢も「モデルチェンジの時期が来たから変えました」的な熱意を感じないモデルチェンジをされてきた感が強い車たちです。
ではヴィッツは?とくればプリウスにはじまるトヨタの車輌設計の変革のトップバッターであり、特にヴィッツはフランス工場立ち上げにおけるメイン生産車でもありましたから、大げさでもなんでもなくトヨタにとっての「世界戦略車」でした。ですからその力の入れようは半端ではなく、クルマそのものからも「俺は今までのクルマとは違う」っていうオーラが漂っていました。

こうした勢いのある商品は新車でしか味わえないものです。もちろんその時代性も含めての話です。確かに10年近く経った今の中古車でもその残り香はありますが、やはりあのときに味わっておきたかったなあ、という悔いはあります(あとは初代ワゴンRですとかね)。でも当時はトヨペットにいましたので、そういう訳にもいかなかったんですよねえ。うちはプラッツしか売ってなかったし。
ですから「どちらでもいい」という人にはプラッツを(後ろ髪を引かれつつ)勧めていましたが、本心ではヴィッツの方が商品としての成り立ちや仕上がりに分があると思っていましたので、仕方がないと思いつつヴィッツを売っていました。上には内緒で。

先日、兄貴の乗っているアルファロメオに乗る機会がありました。確かにその個体は10万キロオーバーということもありましたが、それ以上に車体のガタというかヤレ様は酷いものでした。
購入当時の兄貴のアルファは新車でこそありませんでしたが販売店の試乗車上がりということらしく、2000キロも乗ったかな?という走行キロ数での購入だったかと思います。当時自慢されついでに1日乗り回していたことがあるのですが、その当時の記憶と比較するとあまりのポンコツ状態にあきれてしまいました。まあ、手っ取り早くいえば「中古のアルファなんぞ、乗るもんじゃねえな」というところです。新車の当時が最高の状態で、あとは見るも無残に朽ち果ててくる、といったところでしょうか。こういうクルマは新車でしか味わいようがありません。
こうしたクルマは新車時が最高の味でしょうから、安いからといって中古車に飛びつくことをお勧めしません。一時は自分もアルファロメオの156がいい加減安くなってきているのでどうか?と思わなくもありませんでしたが、145のボディと足回りのヤレ様に愛想が尽きました。まあ足回りくらいならブッシュ交換なりダンパー交換なりという方法も考えますが、あれはおそらくボディそのものが緩くなってきていう感じでした。ボディそのものは如何ともし様がありませんので、すっぱり諦めた訳です。


これはなんとなく、という感じでしかありませんが、所謂「味(風合い)がいい」ものというのはとにかく「いのち短く、はかない」というものなのかもしれません。例えば布地。
風合いがいい、着心地のいいモノというのは大抵糸そのものが非常に細く、しかも繊細な染めであったり織りであったり、というものが大半であるように思います。で、そうしたものは得てしてヘビーローテーションには向かず、普段着るというか着倒すものにはユニクロ物あたりが一番向いていたりするものです(あまりにも安物過ぎて糸の量そのものをケチっている場合は除く)。
ジーンズは生地としては非常に丈夫な織物ではありますが、染めそのものはインディゴ(つまり藍染め)です。実はインディゴという染料は糸に染み込んでいるのではなく繊維の中に入り込んでいるだけということらしく、このため擦れた所の繊維がほぐれてしまうと、染料も転げ落ちてしまう結果、色落ちがでるということらしいです。俗に言うビンテージジーンズなどというものは、その色落ちの具合を愉しむものであるらしいのでイコール履いても洗わないというのが作法なんだとか。まあ、ジーンズの話はともかく「味」というものはクルマにも影響を及ぼすものであるようです。例えばダンパー(ショックアブソーバー)とか。
ダンパーの主要部品といえばオイルとその通り道を空けたゴム製の隔壁ですが、両者とも酸化や劣化が免れない性質のものです。また、当然シャフトとオイルの漏れを防いでいるゴム部品は常に擦れあっていますし、こすれあっているということは磨耗もしています。
ダンパーでよく目にする有名どころでいえば「オーリンズ」とか「ビルシュタイン」ですが、これらの製品はオーバーホールして使うことを前提としています。つまりは劣化する部品があることを前提にして、交換すべき部品は交換して使い続けられるように設計しています(だから高い、ということもいえるんですが)。ところが日本車ユーザーだと、ダンパーなんて交換すべきもののリストには入っていない方がほとんどです。このため、メーカーとしても「無交換」を前提にした部品開発を部品メーカーに要求します。ですからダンパーといえばハメ殺しにされた分解不可が当たり前。こうすれば少なくとも外気に触れることでの酸化や劣化は防げます。
整備屋さんに言わせればダンパーの劣化は1万キロくらいから、なんだとか。味をとれば当然シャフトの精度を上げてゴムはなるべく薄く、オイルもサブタンクまでつけちゃって、なんて感じになるのでしょうが、耐久性や簡便性をとれば「大体こんなもの」という精度にしておき清濁併せ呑む仕様にせざるを得ないでしょう。

ダンパーに限らず味を追求し始めるとキリがありません。鮮度命となれば新車しか選択肢がありません。どちらかといえば日本車は味よりも耐久性命な感じです。でもメーカーによって随分趣は異なります。特にホンダ・マツダ・日産あたりは味に、より比重がかかっている感じがします。マガジンXの「ざ・総括」で評判がいいのもこの三社(+富士重工)な感じですね。余分な話ではありますが。
では欧州車は?うーん。味筆頭はポルシェかなあ、やっぱり。そのあとにBMWとかアウディ、プジョーって感じでしょうかねえ。旧E46のBMWは随分良くなったって印象がありますが(それでもマイナートラブルは多い)、その前のE36は鮮度の落ちが早かったなあ、って感じでした。アウディも然り。意外とVWって乗ってないんで知りません。あとベンツもここ最近のは乗っていないんで。この辺の車は新車のほうがいいんじゃないのかなあ。

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