2009年12月11日金曜日

減税だ増税だ、国債発行40兆円をオーバーしてあといくらだと言いますが。既に国債40兆円発行します、という時点で税収予想金額はオーバーしているわけです。そんなくらいならいっそのこと「来年の税金はナシ」にしてくれた方がなんぼか良くないですか?

ものすごく大雑把に言って「今手持ちの現金を使い尽くしたら後が無くなるから」使わないわけです。

生命保険のセールスじゃあないけど「年金の不安・医療費の不安・老後の生活費の不安そして死亡時の生活費の不安」。見てわかる通り、死んでしまったあとの ことは本人としては如何ともしがたいところがありますが、交通事故よりも自殺者が多いこのご時世、病気で亡くなるよりも、やっぱり60歳以降の病気死亡が 圧倒的多数を占めているわけですよ。

つまるところ生きていることへの不安要素が果てしなく大きい、という変な現実があるわけです。

一定額以上の金が入ってくることを前提条件にできるなら、そりゃあまあ遣い込むこともできるでしょう。でも、それがわかんないから使えないし縮こまるわけです。


難しいことをごちゃごちゃ言ってもわかりませんよ、実際。
だって、自動車保険の翌年度の契約内容の試算にしたって、パターンが2つなら「どっちにする?」でいいんですが3つ以上だとお客さんは決めれませんもんね。
だから、とりあえず基本状態でなら、年喰ってもお金がいらない状態にしないと散財できません。

だって、年金の額がどうたらこうたら言うよりも先に、水道代やら電気代、健康保険料、固定資産税(もしくは住居費)であらかた無くなっちゃうんですから。

年金の額が多い人は、それなりに現役時代に稼いでいた人が大半ですから、蓄財も可能な訳で。実際は年金など無くても生活できちゃう人が高確率で存在している様に思うんですがね。
だから、年金額を所得に応じて変えるというのはちょっとやり過ぎだろうという気はしています。やりたいのなら自己責任の範囲内で自身で貯蓄するなりでいいじゃないかと。
医療にしても基本無料として、そこからもう一つ上の待遇を求めるのならば、そこは自分で出してくださいね、と。そうすると「人の命に値段をつけるのか」とかいう人がいるでしょうが、格差はあって当たり前です。
値段相応のサービスというか、例えるなら公立高校でいいところを、わざわざ私立を選ぶのなら、それ相応の設備なり待遇なり何なりを期待して+αを払っているのでしょう?割り切りというものは必要です。そこでどう過ごすかは本人次第なのですから。



長くなりました。言いたいのは一つです。お金を支給することに注力するのではなく、お金が要らないようにしておく仕組みが大事なんじゃあないですか?
仕事を一生懸命していただいているのだろうという推測はできますが、その一生懸命の向く先が少々ずれているように感じます。

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