2009年7月14日火曜日

なんだかなー、という感じでいつの間にやら解散宣言だけはしてしまった麻生君。
やるやると言いつつ結局は口だけで、一向に何をやっているのかが見えず、言ったら言いっぱなしで自らの尻拭いさえ出来ず、「解散時期は私が決める」と口だけ格好はつけては見たものの、それが何の効能を示すことなく、結局は最悪の時期、つまりは言っても「何をこんな時期になるまで引っ張って」といわれ、仮に言わなかったとしてもすぐあとに任期満了が来てしまっていただけ、という。

つまりは「無能の人」だったことを図らずも再認識させられただけに終わってしまったなあ、と。

しっかし。

この人友達いないんだろうなあ、とかわいそうになりました。
腹蔵なく話が出来る人がいなくって、結局はホテルで一人酒か?となんだか寂しくなりました。
別に一人が悪い訳ではないんですが、人間、孤独がそう怖くない人と、実際は寂しがり屋な癖に虚勢を張っている人と二通りあるんだと思います。前者の典型例が小泉君で後者は麻生君なのでしょう。麻生君としては出来ればちやほやしてくれる取り巻きや慕ってきてくれる人たちが大好きなんでしょうが、相談したい時があっても「聞き役」に回ってくれる木石(つまりは黙って聞いてくれる人という意味で)になってくれる人が居ないんでしょう。もしくは決断を後押ししてくれる人というか。

ですから、何とも不安そうな顔でインタビューに答える、あの悲痛ともいえる顔つきは「ああ、人間が壊れてきているなあ」という感じでした。逆に4年前に小泉君が嬉々として議員バッジを取って「さあ、これからは選挙だ」と左右に笑いかけていたのを強く思い出してもしまいました。
「信を問う」っつったって、じゃあその次は?ってなもんです。
それこそ江戸時代末期の将軍家定でしたっけか。「紀州の徳川慶福と水戸・一橋慶喜とどっちが好きか?」と当時の大老井伊直弼に聞かれ「紀州好き、一橋嫌い」と答えたとか。それを言質にして将軍後継問題に収拾をつけた、とかいう話が司馬遼太郎によって書かれていましたが、それとどの程度違いがあるのか?
また、反麻生とかいっても、「麻生君じゃあ選挙に勝てない」っていう本音だけでしょう?だからといって自らが強烈な旗印をあげるというところまではいかず、自らが酔える国家戦略もない。まあ、マタニティヌードってキレイですよね、なんていってる変な大臣が現職な程度ですから多寡が知れている、といわれればご尤も、って所なんですが。

北に対しても、どうせプルトニウムの再処理工場を稼動させるだけの原料を持っているのだから、「どうせならおれっちも核の一つや二つ作っとこうかなあ」ぐらい嘯いておいてもいい気もするんですけどね。唯一の被爆国であるわが国だからこそ核の真の痛みを知り、なおかつ将来の為に真に生かしていくことができるとか何とか言っちゃって。
けんか売られても、いつものび太君だから舐められるしイジメられてるのにさ。

どっかのマンガに「こちらが優位に立った時にこそ、頭は下げるもんだ」と嘯く敵キャラがいましたが、麻生君、どうせマンガ読むならそういうのを読めよなあ。ストレートすぎる。
お話が好きならお話を作る側に回りなさいよ。読ませてもらって笑うだけなら馬鹿でも出来る。それこそ総理大臣になったんなら好きなだけお話を作れる側じゃんか。作んなさいよ。あんた引っ掻き回されてるだけじゃんか。それともオレは吉田茂の孫なんだから、誰かが主役に仕立ててくれるはずというか、主役に引き立てられる役回りのはずで、そういう風に仕向ける演出者がどこかにいてくれるはずなんだが、なんて勘違いしてるんじゃあないの?





なーんて、ちょっぴり思ってしまいました。
でも、民主党にもストーリーテラーは居そうにもないし、ヨタ話というか世惑いごとを口走っている時もあるのでこれはまたこれで気が気じゃあありません。

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