2008年6月26日木曜日

世襲制

こういう商売をしていると、親から子へ、という事業継承の場面は数多く目にする。同級生もいれば、いつものガソリンスタンドであったり、お金持ちの社長や農業をやっている人や。

以前、日本の歴史上、武士政権が長かったのは、それが制度として、とてもよくこの日本の風土に馴染んでいたからではないのか?という事を書いたことがあったような、ないような。で同時に「代々世襲」という形態も非常に長く続いているような気がする。これも多分おなじみになっている形態なのではないかな?とも思う。
でなければ、二世議員、三世議員などといったわけのわかんない存在がいることが信じられない。しかしてその実態は?というと晋三君や純一郎君や康夫君、真紀子ちゃん程度だったりする訳だけど。

ドイツだったか、選帝侯という人たちが何人かいたと思う。読んで字の如しで「皇帝を選ぶ諸侯」。つまり忠実な僕というか、丁稚というのか。そういった人達が皇帝にふさわしいか否かを判断し、必ずしもその家の長男が順当に皇帝家を継承していくわけではない、という制度だったかな?実態はどうだったのかよく知らないんだけど。
規模の大きすぎる企業なら社長って誰?ってなもんで、ある程度お飾りでもいいような気もするけど(自分自身、そういうところとは付き合いがないのでよく分からない)、中小企業の場合、社長と従業員の距離はわりあい近い例が多いと思う。この場合、果たしてすんなりと「社長の子供だから、次はあの人が社長」ということを周囲が認めるか、という事はあるのでは?多分、自分と同じ目線で昨日まで横に座っていた人を見るだろうし。

それを考えると、やっぱりしっかりとした実力を持つ番頭を先ず育てることが重要なんだろうな、と思う。で、その番頭に「選帝侯」のような権能も持たせる。確かに息子という存在は分身って言えば分身なんだろうけど、必ずしもそれが後継者としてふさわしいかは別問題だし。ここは選帝侯たる番頭に「これから先も仕えるに足る資質の持ち主かどうか」きちんと見極めてもらったうえで次世代も考えていくべきなんだろうな、とね。まあ、ぼくん家には関係ないことだけどさ。

世襲制

2008年6月23日月曜日

昔からなんとなしに思っていたことがある。それは、結局人間って奴は「物を燃やすことしか出来ていない」のではないか?という疑問である。
考えても見て欲しい。現在人間が使っているエネルギー源としてその大勢を占めている電気だが、これは地面をほじくり返していれば出てくるものではない。その多くは発電所である発電機のタービンを回すことによって得られた電力を長い長い送電線を通じて各家庭に送られてきたものを使っているわけだ。ではそのタービンはどのように回しているのか?
水力発電では流れ落ちる水の、その勢いを使いタービンを回している。火力発電では重油や石炭などの化石燃料を燃やして水を沸かし、その水蒸気の圧力でタービンを回している。原子力は?ウランの原子分裂時に生じるエネルギー、つまり熱で、これまた水を沸かしてその蒸気圧でタービンを回している。結局やっているのはこれだけだ。原子力発電に関しては、燃料であるウランの精製や再利用時の処理工程、そして利用後の廃棄に関して膨大な石油エネルギーを投入せねばならないことから、果たしてこれがクリーンなエネルギーか?と聞かれると、ものすごく疑問だ。結局の所トータルの投入エネルギー量を考えると、けっしてお徳ではないように思える。

さて、ここからは自動車のエネルギーということに話は移る。
最初に認識しておかなければいけないのは、石油というかガソリンという燃料は、エネルギー密度が非常に高く、しかも安価に、簡単に製造できる、今のところ唯一のエネルギー源だと言う事。これがあったからこそ、人間は今のような生活が出来ているのだということは揺るがない事実だと思う。では、なぜ燃料電池だ、水素エンジンだ、などと言うのかと言えば、石油は何れ枯渇する有限なエネルギーである、という認識からだ。
燃料電池にしたって水素を酸素と反応させて電気を得ようという装置。水素エンジンは、そのまま水素を燃料に使おうというエンジン。何れの方法も水素を使うという点では一致している。なぜ水素かといえば一番原子構造が簡単で、一番ありふれた存在だから。水を電気分解すれば得られる、つまりほぼ無限にこの地球上で生産できるはずのエネルギー源だから。
もう一つには二酸化炭素が原因だとされているらしい地球の温暖化(個人的には要素の一つではあっての主原因とはおもっていないが)を、クリーンとされるこれらの技術を使うことによって少しでも防止できるのではないか、といいうことに尽きる。ただ、本当にそうなのか?
先ほど、ガソリンのエネルギー密度について触れたが、水素はどうかというとそれほどではないようだ。単純に言っても液体水素の状態であっても石油の4分の1程度だそうだ。しかも、水素の保管や貯蔵は、石油と比べると膨大なコストや規模の施設がかかり、とても現実的ではない。
現時点においては先ず水素を作り出す、という事にすら結構な石油資源を投入せざるを得ず、結局は「水素を使う」という、実は電気や動力を取り出すための手段であったものが何時の間にやら目的にすり替わってしまっていることが往々にして見受けられる。また、水素や燃料電池に目がくらみ二酸化炭素すら出放題になってしまっていく手法もあり、もう何をかいわんや、という技術発表もある始末である。
ハイブリッド自動車はどうか。簡単に言えばこの自動車は二重の動力源を持つクルマだが、電気モーターの電力は実はエンジンを回して得ている。しかし、発電機の効率やバッテリーの充電効率、回生ブレーキのエネルギー回収効率、ハイブリッド化による重量の増加(多分200キロくらい)を考えると果たしてホントにいい物なのだろうか?と考え込んでしまう所が最近多い。
自分も当初はプリウスをべた褒めしていたが、ロードスターに乗るようになって、それ以前から乗っているバイクの事も考え合わせると、やはり軽いほうがいいんじゃないかと言う考えに変わってきている。先日の軽の維持費で気が付いたのだが、やはり重量というのは重要だと思う。特に最近の車たちは安全性重視ということや快適性能重視(遮音や防音、静粛性や断熱材の充填など)のためもあって、以前と比べ飛躍的に重量が増している。軽トラックですら800キロ台も珍しくないのだから。

話は前後するが、最近のエコブームは見掛け倒しだ。あまりにも雰囲気組が多く、結局は「エコ・エコノミー」だと思う。結局は、商売じゃけん、という事。
エコな住宅といったって建て替えにかかる費用を考えれば、そのまま昔の住宅で十分だし、建築廃材も馬鹿にならない。今乗っている車の燃費が悪いから、新車の燃費がいいからって買い換える人もいたけど、新車に買い換える追い金がいくらという事は考えていないんだろうなあ。どんなにがんばってもその分を回収できるとは思えんのだけど。オール電化にしたて自分ん家でガスを使わない、というだけであって、わざわざ石油を燃やして作った電気で、効率の悪い発熱を行い、電磁波を撒き散らしてる。太陽電池パネルにしたってパネルを作るに際しては膨大なエネルギーをつぎ込んで作る訳であって、しかも発電効率は低い。また、パネルの寿命もそうだし、その補機類の寿命もたいしたことないので、いくら売電できるからといってもトータルではとてもその投資を回収できるとは思えない。
結局は次の新商品を売らんが為の方便であって、まともに個人として投資と回収を考えたら
割に合わないのは目に見えているはず。とはいっても「みんなそうしているから」という理由でお隣さんと一緒でなければ安心できない風潮のようですが。

もういい加減、自分の頭でもう少し立ち止まって考えてみる、というのもいいんじゃないでしょうか?ま、余計なお世話ではありますが。

2008年6月20日金曜日

どうでもいいことですが。

どうでもいいことですが、先日の同級生の事故の後の車選びが、まだふらついています。
ツレとしてはヴィッツが、という事らしいのですが、そいつの嫁さんとしては「黄色ナンバー」じゃないと、という思いが強いらしく、ワタクシトしても、もう匙を投げている状態です。好きにしてくれや、という感じですね。

人間、きっかけは他愛もないことでも、一度こうと思い込むと瞬間接着剤でくっついてしまった人差し指と親指みたいなもんで、最後には指をカッターナイフで切り離す位の覚悟でいかないと指はなかなか離れてくれない、じゃなくて、思いはひっくり返りません。ただ、こちらの思惑通りひっくり返ったとしても、思いを覆されたという恨みっぽい感情だけは残ってしまうことも多く、そんなことなら「好きにしてくんりょ」となるに任せてしまったほうが、こちらとしても気にせずに済みます。

そんなこんなで、以下、同級生に対して送ったメールをそのまま載せます。



学生時代、ステレオのセールスを秋葉原とか上野の電気屋でアルバイトでやって
いた。
当時はパイオニアのプラペートというステレオのCMを中森明菜、
KENWOODではROXYをチェッカーズが宣伝していて、とにかく音質がど
うとかはそっちのけ。最初から指名買い、というパターンが多かった。確かに
カッコ良かったのは認めるけど。べつにお店としては何が売れようが売上自体が
多ければいいのでどうでもいいのだけど、当時オイラはオンキョーという会社に
属していたので、音は他の製品に比べよかったのだけど、南野陽子をイメージ
キャラにした「Radian(ラディアン)」という名前のステレオを売るのにはとて
も苦労した。まあ、今更どうでもいいことだけど。

で、なにが言いたいのかというと、人の思い込みをひっくり返すのは、とても大
変だということ。いくら音が良いとか何とかいっても中高生のガキには中森明菜
のCMのほうが重要であって、スポンサーたる親にしてみれば「うちのお坊ちゃ
まのお選びになったステレオにケチつけるザーマスカ?」ってなモンで。そんな
んで店の評判を落とされるくらいなら、素直に言うがままのステレオをソコソコ
(値引きなし)の金額で売りつけ「はい、サヨウナラ」したほうがこちらとして
も楽だったりもするんだけどさ。

そんなわけで、昨今の軽ブームは「とにかく軽はお買い得」というイメージを植
えつけることには成功したと思う。しかもなんとなく「軽も良くなったじゃん
(昔に比べれば)」という印象とともに。だからそのイメージに乗って「やっぱ
り軽だよね。維持費も安くてサイコーでしょ」って言って、そうしたクルマを訳
知り顔で持ってくのもいいんだけど、もうサラリーマンじゃないから自動車会社
の都合は正直どうでもいいしさ。自分に正直でいたいし。

ただ、実際の所で言うと比較表でも書いたとおり経費的には安いけど、実際の維
持費としては大して変わんなかったりするのが実情。まあ、ガソリン代なんざ、
何やかや言っても毎回毎回帳簿に付けて総トータルを見ている家庭なんか皆無に
等しいから、わからん位まで毒を薄めて飲んでるようなもんか、とも思う。
あの表で判るとおり、軽は極力乗らないか、乗ってもお買い物程度の使用頻度。
もしくは極力ガソリン代がかからない状態でないと経費的にはおいしくない存在
だと改めて思った。自動車税の催促のときとか車検の請求書を見たときなんかは
軽は安いと思うんだけどね。その時は。毎月の走行距離とガソリン代という前提
条件が変わらないのなら軽で11キロ以上の燃費の車でないとヴィッツあたりの
燃費のクルマとの差は埋まらない。
特に通勤使用が主体で日常的に動いているクルマであれば燃費重視のリッター
カー(ヴィッツに限らず、とは言ってもヴィッツ以外だと1リットルの排気量っ
てパッソくらいしかなかった様な気もする。1.3や1.5だと自動車税が5000円
高くなる。)の方がトータルでの出費は少ないと思う。ガソリン代以外の補修費
用や耐用年数も含めて。
ならば軽で燃費のいい奴を、という話になるのだけれど、今時の軽はどれも似た
ような車種ばかりで、どいつもこいつもワゴンRやムーヴみたいなのばかりだか
ら重量も似たか、よったか。実用燃費も同様。結局660ccっていう排気量が
重量に対して小さすぎるんだよね。燃費データをよく見せるためにミッションの
ギア比高くして異様にトルク薄い車も多い。

予算を増やして程度のいい軽を、という話も聞いたけど、クルマ屋ギョーカイの
いう「程度のいい軽自動車、値段の高い軽自動車」というのは「年式が新しく
て、距離数が少ない」とイコール。だからそれが維持費が安く付くかは別問題に
なる。それで商売する側としては予算枠が大きいからやりやすくはなるけど。車
種としてはモビリオとカブる気もするけど、何か良い軽は?と聞かれたら、車種
としては、とりあえずはムーヴだろうな。iはまだ安い中古車ないし。

余談だけど、ワゴンRのタイヤはもう履き替えてきた。エンジンのほうは既にプ
ラグコードを換装済み。後はセンサー類のチェックを再度かけていく。どうせ乗
りかけた船だから、ついでに整備はやり終えてくる。



修正なしで載せたので、分かりにくい所もあるでしょうが、こんな風に回答をしておきました。

さーて、もう寝よ。

2008年6月18日水曜日

公務員

うちの親父がガンで入院しています。現在70歳。昭和12年生まれですから、終戦時に8歳。20歳が、就労開始年齢だとすると昭和32年から働き始めていることに。つまり、年金や健康保険料は満額、全期間支払っている世代になろうかと思います。

何が言いたいのかというと、うちの親父の場合、全期間、これだけ年金保険料にしても健康保険料にしても支払ってきた、という累計金額はかなりのものになると思うのです。でも、健康保険も、年金も、「賦課保険料制度」という「現役世代が支払い、年金世代を支える」という分かったような、結局よくわからん方式で運営されていた訳です。多分オヤジとしては盲目的にその時になったら貰えると信じてきて自民党にも投票してきただろうし、会社員としてウン十年の間勤め上げてきたのだろうな、と思います。
ところが、先年、ようやく老齢健康保険の対象者になったと思った途端、後期高齢者何とかとかいう制度を持ち出されてきました。親父自身からはそのことについて何にも聞いたことはありませんが、果たしてその胸中は?と考えなくもありません。


個人的には、報酬を得る、という所業の事始めは高校の時の郵便局のアルバイトでした。それが唯一学校で認められたアルバイトだったからです。で、感想。「こんな程度で、こんなに呉れるのか?」というのがその正直な所。
次のアルバイトは大学時代。廃品回収業者の集積所の整理係でした。4トンとかそれ以上のトラックにぎっちり積み込まれた新聞紙を素早くおろし、所定のヤードに積み上げる、という仕事です。とにかく紙は重い。そんなトラックが朝から晩までひっきりなしにやってくるのですから、たまりません。昼飯付きで日給7500円くらいだったかな?初日の勤務は夕方雨が降ったので、最後4時過ぎ以降は体を休めることが出来ましたが、それでも足腰立たないというか、明日もやるの?といた感じ。柴田博之18歳の初夏でした。その時思ったのは「お金もらうって大変だ」という事。期待されたことをこなさなければ7500円は貰えないのです。

で、何が言いたいのかというと「この国の制度を成立・維持してきた連中というのは、一体何を以ってして給料を貰ってきたのか?」という根本的な疑問です。くどくど言い始めるとキリがありませんから結論だけいいます。「あんたら給料泥棒だろ?」ってこと。

例えば会社員の場合。平社員は経験や実績もないですから、はっきり言って個人が考えることを要求されません。ただの兵隊です。そこから年数や実績を経て、主任であったり、係長であったりという肩書きが付いていく訳ですが、それは偉くなった、という訳ではないんですよね。まあ、それがこの先起こる間違いの大本だったりする訳ですが。
主任・係長・課長などの肩書きは「そういう目線でモノを見ることが出来る目ができてきた」から、兵隊ではなく、小隊の中の軍曹的な仕事が出来る、もしくはそういう働きを期待される見返りとしてその分の報酬が加算された、という事なんですよね。
更にその先、課長、部長ともなれば「兵隊としての役割」を期待されることはなくなります。その代わり下士官ではなく、キャリア・尉官・士官として「組織をより効率的に動かすことによる生産性の向上」なんかを期待されることになると思うのです。つまり、より「偉くなった」という事ではなく「兵隊でない職責」ができるようになったのかな?という事だと思うのです。一般兵の職務に精通していることは必要条件だとは思いますが、それは十分条件にはならない、とも言えます。

ここで、さっきの話に戻るのですが、公務員であることは、そうした制度設計に関わる為の必要条件だとは思うのですが、ただそれだけでは給料をもらう、という事についての十分条件たり得ていないと思います。労働三権のうちの団体交渉権を認められていない(とは言いつつ、なぜか組合なるものが存在し、それが一定の圧力となっているらしいのは何故?)公務員に向けられた期待とは何か、という事をもう一度考えていただきたいものです。
もちろん、公務員の人たちも「俺達だって一勤め人に過ぎない」という意見もあるでしょう。ただ、その程度の意識しかないのであれば、先日の橋下大阪府知事の言うように「ならば、お辞めいただいて結構です」というのも最もだと思います。それこそ最も「職業倫理」を求められる職な訳ですから。待遇云々でその職を選ぶべきではないと思うのは厳しすぎるのでしょうか。「清廉潔白」という事を示すためにも「最も身内に対して厳しい」職場であるべきなのではないでしょうか。

ただ、いろいろ言っても何時かは制度は緩んでいくんですよね。完全独立の第三者機関を作り監視体制をとらせたところで。最後の頼みの綱は「民度」になるわけですが、それでも少しでも先手を打っておくとすれば、やっぱり握れる権能を少しでも小さくしておくべきなのかなあ、と思ってみたり。うーん。堂々巡り。

2008年6月17日火曜日

同級生の事故の続き

同級生の事故はその後、車の代替の話になり、代車に出した僕のワゴンRを「売ってくれ」という話になっていきました。ただ、ワゴンRを完調状態にしてタイヤを替え、という事をするといくら車検が来年の4月まであるとしても。30万オーバーの請求金額になってしまいます。
で、そこまでお金をかけるなら今後のことを考えてもヴィッツのほうが良いのではないか?という話をしておきました。

で、そこまでが昨日の夕方までの話し。奥さんとの話の内容はというと、あんまり「白ナンバー」の乗用車は奥さんとしては乗り気でない様子。このため、最終的にどうなるか分かりませんが、自分の勉強の為も含めて軽自動車と小型乗用車(ヴィッツクラス)との経費の比較を出してみることにしました。

           諸経費比較

           軽自動車          自家用小型自動車

自動車税     7,200円          29,500円

車検(2年)   55,730円             75,620円    

(この金額はオートサービスシバタでの標準車検費用での話)

任意保険    27,160円             39,070円

(割引等級10等級でのテストパターンでの保険料比較)

合計(1年)   62,225円            106,380円


一日通勤往復30キロとすると……。×30日=900キロ平均(日曜日の長距離レジャーを含む)

軽自動車の現在の普通燃費 10キロ/ℓ程度

    900キロ÷10=月平均90リットルの給油

                   90×170円=15,300円/月

ヴィッツクラスの平均燃費   15キロ/ℓ前後

    900キロ÷15=月平均60リットルの給油

    60×170円=10,200円/月
と、すると。

燃料代を加えた年間経費・維持費(上記の金額+燃料代×12)

軽自動車             245,825円

小型自動車(1t未満車)    228,780円

 但し、あくまでもテストパターン中での試算であり、実際に、このような結果通りになることを保証するものではありません。

こんな訳で、結局の所税金面での優遇によって維持費が安いように見えて結局は小型車の方がお得らしい、という事が分かりました。確かに燃費の数値が一つのネックですが、この数値は現在ダイハツディーラーでメカをやっている従兄弟の証言を基にしています。ヴィッツの燃費は自分の車の実走行数値です。
同級生に渡した比較データには、今日初回車検を受けてきたお客さんの車検証、柴田のヴィッツの車検証、ワゴンRの車検証の3つを添付しておきました。改めて見て思うのは、今時の軽の重いこと。3年落ちのムーヴですけど、860キロあるんですよ。で、自分のヴィッツが880キロ。ちなみにワゴンR(H8初期型)が760キロ。つまりヴィッツは軽と20キロしか重量が違わないのに、エンジンの排気量は1.5倍ある事になります。逆に、如何に軽が無理をしているか、という事ですね。
車体寸法に関しては長さ、幅ともに20センチ程度ヴィッツのほうが大きくなりますが、このくらいの大きさだとヴィッツのほうが無理なく乗れる寸法になると思います。これ以上削ると「どこかしら我慢をしなくてはいけなくなる」のではないかと。


んー。改めて出してみると、こうかー。確かに自動車税の時とか車検の時には「安い」と思うんだけど、じわじわ締め付けられてる、という事ですね。特にここんところはガソリン価格がこんなんですし、これから先も下がる気配は暫くはないですし。
以前から思っていたことですけど、車の形を作るのに今は最低100万かかる、と思っているんです。で、それ以上に価格を削ろうとしている車ってのは本来手を付けちゃいけない所にまで手を突っ込んじゃっている、という感覚はあるんですよね。まあ、そんなこと言いつつも今時の軽は100万円なんて軽くオーバーしてますが。

2008年6月14日土曜日

うーん、迷惑だ。

各方面で色々な話題を振りまいている秋葉原の通り魔殺人事件ですが、はっきりいって迷惑です。というのも、僕はナイフが好きで、いつか買おうと思いつつも、なかなか高価なものだし、きっかけもないし、という事で、今までは雑誌(「ナイフマガジン」という雑誌が隔月で刊行されています)や、その手のお店で眺めるだけにとどまっていました。

今まで買ったナイフは5本(カッターや肥後の守は除く)。初めてのナイフはスイスのアーミーナイフ、ヴェンガーのソルジャータイプ。同じくビクトリノックスのトラベラー、クラッシック。そして佐久間の田舎鍛冶屋の片桐さんという人が打った「剣鉈」を2本。その内ヴェンガーのソルジャーはどこかへ紛失し、剣鉈の2本のうちの1本はトヨペットを定年退職していった親父に呉れてやりました。残り3本ですね。正直剣鉈は大きすぎて(刃渡り30センチ、全長52センチ)普段の使い道といったら眺めて喜ぶ以外の用途がありません。本来はいのししに止めを射す為の物らしいのですが、いくら田舎ものでもそこまでワイルドではありません。
いいとこ使える大きさのヴィクトリノックス・トラベラー(刃渡り5センチ程度)も普段は机の上にあるだけで
、せいぜいが宅急便の梱包を解く程度の物です。一番使えるのは同じくヴィクトリノックスのクラッシック(刃渡り3センチ程度)くらいでしょうか。とはいっても紙を切ったり、封筒の封を切るくらいのものですが。いつもはキーホルダーとして普段使いのキーと一緒に携行しています。

ここで冒頭に戻ります。
何が迷惑といって、あの馬鹿のせいで、こともあろうにナイフの規制がどうのこうのという、予想された動きではありましたが、そんな話が浮上し始めていることです。
ヤバイ、と思いました。買えなくなるかも?

そんな経緯で、買っちゃったんですね。
ブツは、中国系3世の元グリーンベレー隊員アル・マーさんのデザインしたアル・マー ナイフ25thアニバーサリーモデルです。
カッコイイです。何の役にも立ちませんが。シース(鞘)付です。持ち歩くことはないでしょうが。嬉しくて、誰かに自慢したくなります。でも誰にも理解されないとは思いますけど。ちなみに嫁さんに自慢がてら見せびらかしたら、何の興味も示してくれませんでした。まあ、予想されたリアクションではありましたが。


しかし。
奴の事です。まあ、いろいろ派遣業界のどうのこうのとか、二次元ロリのきもオタがどうとか、アニメ声の巫女さんの衣装が似合う女の子がどうとか、真性包茎で童貞で云々とかいろいろ言いつつ、言われつつしているようですが、僕から言わせると存在する所間違えたね、って感じですかね。その年で、そこまで出来上がっちゃってたんなら多分、脳細胞の思考回路の組み換えは不可能でしょう。
ちょっと何にも弁解してやる気が失せるというか。馬鹿さ加減にも程があるというか。
童貞がどうのこうの言う位なら風俗行ってこい?
真性がどうのこうの言うくらいなら切ってもらえ?
アニメ声はともかく、巫女さんの衣装ってのは妄想が先行しすぎだぞ?
いくらなんでも生き物の人間として間違ってる部分が多すぎるぞ?


はー。こんな奴のために僕の趣味を妨害されたくない。

あ、べつに巫女さんのことじゃなくて、アニメ声のことでもなくてナイフ好きということについてですからね。誤解の無い様。

2008年6月11日水曜日


今日の夕方のことです。
とりあえず一通りの仕事を終え、明日のこともあるので早め(4時ごろ)に自宅に戻り、気になっていたロードスターを洗ってあげました。前回洗ってあげてから2週間かそれ以上洗ってあげていないので、先日の夜のドライブのこともあり汚れが気になっていたのです。

「らかす」の安堂さんは高圧洗浄機をお使いとのことですが、僕は相変らず手洗いです。
まずはホース先端のノズルを「シャワー」にセットしクルマ表面を湿らせ、次にカーシャンプーを同じく「シャワー」で適度に泡立たせ、泡を表面に載せていくような感じで、こすらぬよう、泡で洗い流していきます。
ついつい買ってしまったカーシャンプーが捨てられずにまだ使っていますが、洗浄力のことを考えると「ジョイ」がいいらしいです。ただ、普通に思うより家庭用の洗剤は強力なので、とにかく薄めで使う事と、その分きちん
と洗い流すことが重要です。

それだけであればいつもの洗車だったのですが、今日になって気が付いたことがありました。
洗ってる時にフロントのナンバーがプラプラしているので、なんかおかしいなー、と思って、触ってみました。すると、なんと本当にグラグラ。え?と思いインテーク部分を覗いてみると、なんとナンバープレートの支持ステーが片方、固定ボルトの所から折れているではありませんか。おいおい。そんなところが朽ちるのかい?ってなもんです。さすがに20年近い車齢を重ねる車は違います。
でもこれじゃあ、怖くて(ナンバーが何時の間にやら行方不明になりそうで)乗れたもんではありません。もう片方の固定部分が無事だという保証もないですし。

そんなわけで早速部品探しです。
悩みどころが何点か。一番すっきりするのが今の部品を再度発注しなおして新しくすること。問題点は支持ステーの固定ボルトが素直に外れてくれるのか?という点。結構見えないところはそのまま鉄のボルトを使っていることが多く(これくらいはステンレスにしといてくれよと本当に思うこと多数。ただしこ
れはロードスターに限ったことではないですが。)これは明日確認せねばなりますまい。
第2案。モデルの途中から、ややナンバーの固定位置を上方に持って行き(要するに冷却が悪いので)、更に直接バンパーに直接ナンバーが付くように変更されています。これに倣い、バンパー固定用のナンバーフレームを買ってきて付けようかとも思いましたが、これをやるにはかわいい黄色の顔に穴を開けねばなりません。今までせっかくこのままきているのに、今になって穴を開けるのは...。やっぱりヤダナー。
第3案。よく巷で見る、ちょっと他所を向いた位置にナンバーを移設する方法。フロントバンパーのインテーク内にある牽引用フックを使って取り付けます。これはこれで同時にインテーク内にあるエアコンのコンデンサーやラジエーターに外気が当りやすくなります(ノーマルのままだと、もろにナンバープレートが真正面にあり、かなりの部分を塞いでしまうのです)。エアコンの効き具合や水温上昇を防ぐ意味合いでも歓迎すべきではあるのですが、なんか「いかにも」って感じになりそうなので、ちょっと躊躇しています。やっぱりノーマルが清楚でいい感じ。うーんどうしよう。
取り合えず、明日になったら支持ステー外しに挑戦してみます。後はどの程度錆が進んでいるかですかね。うーん。でも折れるなよなー。あーあ。

2008年6月10日火曜日

同級生の事故

今日の10時50分ごろ、同級生から電話がありました。こんな時間にあいつから何の用だ、と思いつつ電話に出ると「今朝、事故をした」とのこと。つまりは、どの様に身を振ったらいいか、という相談です。ちなみに彼は僕の契約者ではありません。現在の自動車保険契約先は農協です。つまりはどうでもいい相談内容なのですが、まあ、お人好しも手伝って聞いてやることにしました。

事故状況です。
信号のある交差点。友人は交差点を右折しようとしていました。相手は結果的には直進したのですが、あろう事か右折のウインカーを出しつつ(これは他者による目撃証言あり)交差点に進入。右折の意思表示を見ていればこちらとしては交差点を曲がろうとしますわな。でも、そのまま直進。結果、相手者と衝突、というわけです。
基本過失としては8:2。直進車優先。こちらは右折車両ですから、当方の過失大、というわけです。いろいろな修正要素は考えられる訳ですが、でも、そうなの?っという感じは拭いきれません。「重大な過失」としては前方不注視とか、ハンドル・ブレーキの不適切な操作などを挙げている訳ですが、この場合は「曲がるよ」という意思表示をしつつ目前でウソをつかれた格好です。で、実は通称「落ち葉マーク」もついていた、との事です。


ここで、柴田個人の基本的なスタンスを書いておきます。
基本的に重量1t近い重量の車両を、ある程度の速度で操作している以上、その操作は簡単に人命を奪うに足る運動エネルギーを内包しています。で、ここで思うのがそれを操る以上、「高齢運転者」とか「初心運転者」とかいう生ぬるい理由だけで、その行為に対する結果責任を逃れるものではない、という感覚です。それが出来ない、わからない、のだったら運転しようと思うなよ、と思うのです。

これは道路を走る、という行為に対する最低限の礼儀作法だと思います。それこそ、ゴルフ場では紳士のスポーツとして最低限襟付きのシャツを着るのがマナーということだそうですが、そんな生ぬるいこと以上に絶対条件として、これは意識するべきです。
「見えなかった」「忘れていた」「気がつかなかった」は軽々しく口にするべきではありません。相手方にとっては慰めにもならないことを意識の底に留めておくべきです。

最近、ある程度以上の規模のお店の入り口付近には身体障害者用の駐車スペースが確保されていることが多くなってきました。これはお店側のやさしさというか(もちろん店側の姿勢のアピールがあることは十分承知の上で)心遣いだと思います。
ただ、この駐車スペースに停める、もしくは停められている車を見るにつけ、「コイツ本当に身体障害者なのか?自分の頭が足りないのは身体障害者とは言わんだろ?」というのが多すぎるように思います。
この種のやさしさに付け入るのは卑怯だという意識が、自分としては有るのですが、どうも「自らの行為を恥じる」という感覚が根本にないようです。空いてるなら停めればいい、みたいなね。もしくはチンピラまがいの格好と、そういう雰囲気の車ならば停めてもいい、という文言が彼らだけには見えているかのようです。


話を元に戻します。これからはこういった高齢者が急速に増えていく時代です。高齢者に対して優しさで以って事に当るのは人として美しい風景ではあると思います。
ですが、果たして、そうした礼遇を受ける立場である高齢者の方たちは、そうしたことを意識していらっしゃるのでしょうか?
感謝しろというつもりはありません。ですが、全てとはいいませんが、どうも先の身障者専用駐車スペースの例を引くまでもなく、却ってそれを当たり前とする「弱者の暴力」とも言うべき横暴さが垣間見えている例が多いように感じられてなりません。もしくは自身の無意識の行為が引き起こす結果についてあまりにも無頓着でありすぎる例が目に余ると思うのです。

自分自身の老いというか体の衰弱を意識することは、決して気持ちのいい事ではありません。ですが、生物である以上決して逃れられない現象でもあります。しかもその訪れには個人差があるため、一定の線引きもし難いのは十分承知していることではあります。
でも、他人の善意というか行為の上に胡坐をかく、もしくは結果として胡坐をかいてしまっている行為というのは決して美しくないことと信じます。
最近の世の中には潔くない行為というか、女々しい行為が蔓延しているようです。どうか、そうした雰囲気というか世の空気を感じることがあるのならば、運転をするな、とは思いませんが、もう少し自身を客観視する視線を持ってもらいたいと思います。

とまあ、今日の事故では、こんなことを考えさせられてしまったのです。


という訳で今日はおしまい。

2008年6月9日月曜日

夜のドライブ

今日は、たまたま嫁さんが帰ってくるのが早かったので、前々から話をしていた自分のほうのオヤジの見舞いに行ってきました。

オヤジは昨年10月ごろにがんのため入院・手術で1ヶ月半ほど入院しており、その後特に経過は聞いていなかったのですが、先月の半ばごろ「術後の検査で影が見つかったので治療のため、再度入院する」と言ってきました。
リコにいたおかげで、そういうことには否応無しに知識の中にありますから「2年以内の再発・転移はあまり喜ばしいことではない」という事は承知の事です。まあ、ある程度は仕方ないことと思ったほうがいいなあ、という気持ちでいました。聞くところによると無菌室の中での点滴治療とか言っていたようですので「本田美奈子常態か」と思っていたのですが、実際入院したところ、特にそうした個室という訳でもなく、普通の4人部屋に入っているとのこと。この為、嫁さんが「一度行く」といったいたので、それが今日になったという訳です。

いってみると何のことはなく、ベットに寝ている訳でもなく談話室でテレビなんぞを見ていましたので、すかさず「病人はベットで安静にしろ」と言っておきました。まあ、かつてのことを思うとやつれたなあ、という印象は拭いきれません。声もかすれていましたし。
本人には言いませんでしたが、人間死期が近づくと、それ相応に生気が乏しくなるというか命の火の勢いが弱くなるというのか、まあそんな感じになるものです。100歳でも「こりゃ、まだまだだな」と思う人もあれば、い
くら若くても「うーん、ちょっとこれはやばいかも」という事もあります。で、オヤジがどうかというと正直「すぐ、というわけではないにせよ、そんなに遠くはないんだろうなあ」という印象でした。順番といえば順番ですから仕方ないんですが。

ですので、お見舞いの時に
言おうと思っていた「やいオヤジ。もう閻魔さんから督促状が来てるから、いいかげんジタバタするな。延滞金まで取られたらどうするつもりだ。早いとこ納めるもんは納めちまえ。」という悪口スパイスを山盛りにした逆励ましの言葉を言い忘れてしまいました。ま、周りの人たちも似たような人ばかりでしょうから、同室の人に聞こえてしまい、あんまり真に受けられても困りますがね。


その後は、時間も時間でしたので途中でラーメンを食べて(たまたま気が付いて入ったところでしたけど、けっこう当りでおいしかった)、せっかくロードスターで来ていたのでそのまま幌を降ろしてオープンエアーで夜のドライブへ。ラーメン食べて汗もかいていたので気持ちいいこと、気持ちいい事。自分が運転手だったので景色を堪能する、という事までは出来ませんでしたが横の嫁さんはじっくり星空が見えたはずです。
まずは浜名バイパスまで出て、夜の
太平洋を左に夜景を右に、90キロほどのスピードで巡行。勿論、オープンのままです。街路灯は流れてゆくのですが夜の海と湖岸に沿った夜の明りはゆっくりと流れてゆきます。浜名湖と太平洋との合流地点は、浜名バイパスの最高高度(50メートルくらいあるのかな?)を誇る所になるのですが、この辺には高層建築は、これ以外にはありませんから「神の視点」てなもんで、しかも屋根もないもんだから開放感抜群。バイクで来ると横風もあるんで、気持ちいいことは気持ちいいんですが、ちょっと怖い。これが二輪と四輪の差ですね。

で、それから、ちょっと迂回してUターンをして「潮見坂」の道の駅で、しばし休憩。まだ、雲が晴れきっていないのか天の川がはっきりとしていませんでした。残念。

その後は、湖西市を北上して三ケ日経由、オレンジロード経由細江経由村櫛行き。途中、猪鼻湖のところでもう一度休憩をしてiPodでBGMを流しつつ星空を眺め、もういいやということで、家に着いたのは11時ごろになってしまいました。
まあ、シチュエーションが良かったのか、道具立てがよかったのか、それとも横に乗っていた人が良かったのか(べつに乗ってさえいれば良かったという説もあるし、他の人のほうが、もっと良かったかも知れないという声もありそうですが、それはおいといて)。なんかいい時間を過ごしてしまいました。

親父にそんな元気があるのかどうかは分かりませんが、退院してきたら「乗りたきゃ乗ってけ」と言ってロードスターを向こうの家に置いてこようかな?

2008年6月8日日曜日

クルマ屋さん

久しぶりに会った人ほどよく言われるのが「今何やっているの?」という言葉。お天気程度の挨拶なのか、まずはそこが興味の対象なのか、自分でも確かに久しぶりの奴にはそう聞いてる。そう考えると、べつに仕事内容に興味があって聞いてる事は殆どないから、ま、挨拶程度というか社交儀礼程度ということか?

大概「クルマ屋だよ」とか「保険屋だよ」とか、「一人で保険屋とクルマ屋をやってるんだよ」というんだけど、特に3番目の答え方をすると相手は返答に困るらしく、「へー」で終わることが多い。だから最近は「一人でクルマ屋やってるんだ」と答えることにしてる。
で、こう答えると次に続くのが「じゃあ、安く買えるの?」。まあ、一番無難なのは「まあ、一人でやってるだけだから、ソコソコはね。」という答えかなあ。この後の会話の続きはその時その時だけど、中には喰らいつく奴もいる。

以前も書いたけど、この業界は、なんだかんだと中味がバレすぎているんで「びっくりするほど安く買えた」とか「こんなに高く買ってくれるんだ」というのは実際にはない、と思っていい。
安いのには安い訳があり、高いのには理由があって高いだけの話。
だから困るのは「柴田だから、きっと安いのを見つけてくるに違いない」とか「僕から利益を出す訳がない」という勝手な思い込み。
たまたま安いのは、ちょうどいい出物の買取があったとか、業販で売ってくれたときの仕切り幅が大きかったとか。後は東海4県の範囲くらいなら、さっさと仕入れや下見に行くという腰の軽さで、なるべく広い範囲で安いのを探してくるから。
そうすれば中には何らかの理由で(早く処分したがっているとか)安いクルマもあるし。それにプラス、自分の場合は名義変更料を実費分くらいしかもらっていないから。そうすると車検のあるクルマなら店頭表示価格くらいで全てを納めることも出来る。そうすると大体諸経費分で10万や15万くらいは後から加算されることを考えるとその分くらいは安く買えるのかな、と。


大体の目安で言うと業者の仕入れ価格というのは店頭表示価格の平均のマイナス10万とか15万程度と思えばいい(価格によっては上下はあるけど)。で、オークション会場への手数料とか会場からの輸送料で5万程度。買取業者の取り分が3万から5万程度。
ということは買取金額は店頭価格のマイナス20万ぐらいが上限で、そこから傷や事故落ち、色の人気度合いなどで上下する、と思えば大きな外れはない。今は「ネット」という便利なツールがあるから自分の住む地方、静岡なら東海地方とかで、後は年式や色・グレードなどで絞っていけば平均店頭価格帯が出る。後はそこから逆算すればいい。
これがおおよその仕組みだから「Goo Net」なんかで条件検索してもらえれば自分でおおよその金額の検索は出来るはず。
輸入車なんかは、やっぱり今でも故障が多い。だから、さっきの店頭表示価格はバラバラである例が多い。このため目安金額は最低金額近くに持っていくと後のショックは小さくて済むと思います。実際あんまり夢見ない方がいいです。個人的には輸入車こそ中古に限ると思っていますので。金額もそうだけど、外車はイヤーモデル制ですから何のこともない普通のモデルライフ途中でもびっくりするくらい変えてくることがあり、ショックが大きすぎることも多いので。



今日は何でこんなことを書いたのかというと、人の話を聞いていないというか、夢多き人が商売相手だったから。価格や程度について思い込みの強すぎる人って、なかなか決められないんだよね。で、逆にチャンスを見逃すことも多い。特に中古車は水物だから、ある程度タイミングや思い切りの良さがないと決められない。
今回の探し物は「軽トラック」だったんだけど、実際あれを買う人ってのは「新型が出たから」を理由にする人はないから、ちょうどいい中古車というか、ホドホド古い、というのがなかなか無い。だって変える理由がないもん。動けばいいだけだし。
あとありがちなのが「高齢運転者」になりすぎて親族にクルマを取り上げられた、というパターン。これなら年式は期待できるけど、直接買取・譲渡の場合でない限り値段の期待は出来ない。だって、買取の話が入ってきた時に、そんなにおいしい状態の軽を高く買う必要はないじゃん。相手は処分したがっているんだから(勿論叩けるだけ値段は叩く、ということですね)。この辺は押して引いての力関係というか、微妙な力加減によって相場は動くという。で、それが店頭に並ぶ時には結構な値がついているというわけ。

最近はヤフオクで、という人もいるけど、あれは出品者がたいてい業者だから、丹念に探さないと(丹念に探しても)「これは」というのはやっぱり少ない。しかもあのシステムだと探しにくいんだよね。即決金額は結構いい金額(つまり高い、ということ)の事が多いし。素人さんの出品がないわけじゃないけど、逆に夢見すぎた金額というか「いくらなんでもボリ過ぎだろう」というのが多い。しかも仮に落札した所で、入金のタイミングが難しいんだよね。クルマとの引き換えのタイミングとか。現車確認のこともあるし。
複数人、ヤフオクで買った人がいたけど、もろに引っかかって中には30万くらい、いかれちゃった人がいました(クルマは上限50万のヤフーの保証金があるので差引で、という事)。クルマも見ないで、18の女の子が、しかも浜松の人間が何で鹿児島の出品者から、何の変哲もないクルマ(ちなみにラパン)を買うかなー?僕なら怖くて、とても出来ません。


福野さん、という自動車評論家の方がいます。彼が以前「クルマ買うなら人見て買え」という事を書いていましたが、その通りだと思います。実際クルマそのものは、目の前にあるものが全てですけど、情報が行き渡っていることもあり、どれもおしなべて程度や条件が同じなら金額も同程度です。ならば、目の前の人がどんな情報を提供してくれて、どこまで付き合ってくれるのかが重要だと思うんですけどね。
ま、でも自分がお客さんたちの目に、どういう風に映っているか分からないのがつらい所ですが。


ではこの辺で。

2008年6月7日土曜日

価格上昇

テレビをつけると、今月からはこれが上がり、来月からはこれが......、といった報道をよく見かけます。まあ、WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエートの略で、西テキサス地方で産出される硫黄分が少なくガソリンを多く取り出せる高品質な原油のこと)の価格から、それがドバイの金額に連動して原油価格の大勢が決まっていくという流れがあるわけで。おおよそ2~3ヶ月前の原油価格が現在の石油小売価格の反映されているようです。
まあ、それでもちょっと前までは1バレル(約159ℓ)40ドルもしなかった原油が138ドル(今現在)な訳ですからそりゃ上がるわな。
ただ、一自営業者の目からすると製造業者における原材料費の占める割合なんてものは、びっくりするほど低いのが当たり前なわけで、便乗値上げもかなりあるのでは?と勘ぐってもいるのですがね。それよりも土地・建物・人ですよ。


話がまたしても脇にそれそうなので軽く触れるだけにしますが、大阪の橋下知事に対する投書だったかで、大阪府職員が「手取り34.5万ぽっちじゃあやっていけない」といっていたとかいう記事を目にしました。おいおい、馬鹿いってんじゃないよ、と思いましたね。その人がどういった生活レベルでやっているのかは知りませんが、金額だけで言えば立派なもんです。しかも「低い・安い」という根拠としての比較対象が橋下知事の給料(145万)とは。
34.5万もの手取りということは実質その人一人を雇う経費としては1ヶ月80万は考えなくてはいけない訳で。とすると商品の利益率を仮に3割としても80万の利益を出すためには約270万円の売上。うーん。
もうちょっと脱線。新車の場合、ものすごく大雑把にいって約2割の利益だそうです。僕の現役時代当時は。当時のマークⅡ2.0グランデの特別仕様車あたりで本体価格250万円。
でも値引きが大体平均して25万円だったとすると残りの利益が台当り25万円。プラス登録諸費用などからの利益が5万円で合計30万円。
でも色々と間接部門の人間や直接営業に関わっていないけど高給取りな人(部長とか社長とかね)もいるのでそんな方々の人件費も割り振られると自分の給料分だけじゃすまなくなる。そうなると4台というよりも5台は250万円平均のクルマを売らないとつらい話になる。うーん。やな話だなー。で、そんな中から生まれた利益を「在籍してれば自動的に下りてくる金額」だと思われてもなー。それだけの給料に見合う働き、ということを考えたことあるのかな、と。さっきの「安すぎる発言」の奴って自分の消費生活基準でしか考えてないだろう、ってどうしても思っちゃうんですけどね。もっとくれなきゃ、テレビでいってるような生活が出来ないだろうってね。

話は戻って原油価格な訳ですが。
ことわざで「風が吹けば桶屋が儲かる」ってありますよね。ある事象が、いろいろな理由を経て意外なところに影響を及ぼすっていう意味だと思いますが、今の経済って世界各地に繋がっちゃってるんで、あちらを立てるとどこに影響が出るのかが読めなくって(環境シュミレーターみたいなもんですね)一体どこを手当てしたらいいのか考えているうちに何も出来ない、という事になってると思うのです。
例えば原油価格が騰がる。中東あたりに産油国は吹き上がるのをそのまま売ってるだけですからそれはそれでウハウハ。だって、ある意味いくらで売っても儲けはあるわけですからね。心配なのは何時まで石油が取れるかってことだけで。でも、ここまで価格が騰がってくれば次の投資、つまり少々手間のかかる産油方法でも十分利益が出る、という事もある(投資といってもオイル以外のことについても十分考えられる訳ですけど)。
つまりカナダあたりのオイルサンドからの精製とか、地上だけでなく海上での産油とか。もしくは二酸化炭素を地中に突っ込んでその圧力で今までは既に放棄されていた油田でも産油を可能にするとか。
その他最近になって言われているバイオエタノールなんかも原油価格が騰がったことによって採算が取れるようになった方法ですよね。食料としてそのまま売るよりも工業製品にして売った方が利益が出るとなればね。食糧問題がどうのこうの、と言ったって、そちらの方が儲かるのなら生産者としてはそちらに回すわな。どうしても穀物のまま売ってくれとなれば、もっと高い値をつけろ、ともなる訳ですし。農業大国であるアメリカとしたって農家が儲かる方向ならばそれに歯止めはかけられないでしょう。投資家に対しての規制を考えても、金融に対する規制はアメリカにとっては鬼門でしょうからやりそうもないし。


では日本国内では、というと、ただ単に価格上昇分を製品価格に転嫁しているだけなんですよね。で、また生活様式はかつての高度成長の頃の古きよき時代というか大量消費生活から特に変化がない。
クルマ?いっぱい作って売りましょう。ローンでも大丈夫ですよ。
家?男たるもの一生に一度は自分の城を作るのが当たり前。さあ、新築しましょう。今ならお得なローンがありますよ。金利も安いし。
道路?キレイでまっすぐな道を全国に作りましょう。
もういらない?いえいえ。まだまだ必要ですよ。(受け入れ病院がなくてたらい回しが問題になっているのに)緊急搬送車両が十分に通れる道がないじゃないですか。作らなきゃ。
体育館も欲しいし、公民館も欲しい。お役所も耐用年数がそろそろですね。

一体誰の財布を当てにして作ってるんだ?

ポジティブに考えればこれは様式を変えるチャンスだとも思います。いろいろな所で今までの方策では立ち行かなくなってきている。
たとえば箱物・道路作りをやめれば、それをあてにしている業者は立ち行かなくなるでしょう。そうすれば自然に規模縮小してくれます。これだけ建築・建設関係者が多い訳ですから勿論その方たちはあぶれるでしょうし、次の職を求めるでしょう。チャンス!
同時に荒地となっている農地を強制的に農家から徴収して彼らに買わせ(勿論耕作者になり、耕作地にすることが条件)れば農家の平均年齢を劇的に下げられ食料自給率をあげることもできるでしょう。
同時に農協のような「組織を維持することを職とする」本来の目的を失った団体は解散もしくは規模縮小させます。(本来は組合員以外の共済利用者は全体の3割以下とする、なんて規約があります)そうすれば本来の生産者たる耕作者への実入りがもっと増えるでしょう?

同時に、地価の高止まりしすぎている地域を強制的に下げる。だって人口が減って、需要と供給の関係からしたら、今後は需要が減るんだから下がるのが当たり前でしょう?
特に空洞化している市街地なんて余計にそう。家賃収入を当てにしすぎる方々が多すぎる。浜松で言えば現市街地は戦争中に空襲に遭い、境界線なんかどこからどこまでか分からなくなっちゃった。で、戦後しばらく浜松の主力産業であった繊維業者に駅近辺の土地を割り振っていったらしい。
だから、今でも駅周辺の土地は繊維関係者名義になっているところが殆どで、繊維業者とは言っても実態は駐車場業者やビルオーナー、不動産関係の業務が本業のような形になっているところが多いみたい。
あと、戦後のごたごたで行方の分からなくなっちゃった土地所有者の土地をどうせ固定資産がかからないからと言うことで「無縁土地」として市街地に点在するお寺に名寄せしちゃった、という事もあるそうな。ひどいな。やっぱり市役所の職員って。



あ、また電話が。いつもまとまりないけど、今日もまたこの辺で。もう少しまとまりのある内容にしないとダメだな、これじゃあ。

あ、そうそう。大阪の知事のやり方に「性急すぎる」と言う批判があるようです。でも、今まで放置しすぎて(あのおばさん知事なんかは何やってたんだろう?)財政再建団体にまで落ちぶれている訳ですから、あれくらいでもまだ生温い位だと思うんですけどね。
退職金あてにしてマンション買っちゃったけど、どうしてくれるんだとか、俺達の責任じゃないとか言ってる人もいるようですが、自分で積み立てている訳でもない退職金を言われてもねえ。

2008年6月6日金曜日

地方自治体

以前、私の住む静岡県の知事である石川くんがテレビで「静岡県は安全な県だから地方債買って!」というCMに出ていたのを見ました。それを見た第一感情。
「ハズカシー」。だって、あれって、「ちゃんとお金は返すからお金貸してよ」と言うことでしょ?
一般人なら金返すのは当たり前だよアンタ。
地方自治体にせよ国にせよ、民間では出来ない「公共性を鑑みた先行投資」の錦の御旗の元に「公共性を重視した社会資本の整備」という詔勅を乱発しまくっているわけです。でも忘れていませんかね?さっきの「借りたお金は返すのが当たり前」という人としての大前提。

これはサラリーマンの性かな?と思うのですが、「月末に給料が無事銀行口座に振り込まれている」のは天地創造の以前から決まっている絶対不変の事実と思い込んでいませんか?

で、問題なのは同様に税金というのは「必ず入ってきて、予算どうりに使い切るのが正しい」という思い込み。
税金というのが、どうした順序で払われているのか考えたことがあるのでしょうか。売上を立てて、その中から利益を確保し、その利益の中から各種の生活費やその他の必要経費を払い、その最期に残った中から払われるのもである、ということ。サラリーマンの場合、誰かが立ててきた売上を元に、何時の間にやら経費その他を誰かが払ってあって、その残りの中から生み出された利益を「自動的に受け取って」いるだけの存在であるにすぎません。
今回の接待タクシーの問題にしても、これ自体はタクシー側の営業攻勢にすぎないのであって、それを当然と思い込んでいる方がおかしいというかね。

あ、また電話が。続きはまた。

2008年6月5日木曜日

そう?

そうかい?っ手思ったのはリンクリスト中の「F&F」の今日のコラム、「保有台数現象」(だったかな?)での「保険屋も純増を既定路線としている」という点。

保険会社の収支だが、自分がメインで取り扱っている保険会社は基本的に昨年度収支は赤字だったようです。最終的には黒としていながらも。
保険会社のやり方として直ぐに例として思い浮かんだのは年金。基本的に年金って積み立てている訳じゃなくて、回収したお金を支払い対象者に端から配っている、という形でしたよね。だから柴田みたいに40前の人などは、自分たちがもらう時の実働世代はきちんと年金払う気になるか?ということをもっと気にした方がいいと思います。ま、それはおいといて。

保険会社も同じく、もらった保険金は、そのまま支払に回してる。もちろん、僕のような代理店に対する手数料もそう。ただ、そのまま全部使っちゃうと天災のときなんかに原資がなくなるので一定金額は留保しておいて運用しつつその時に備えてる。その辺がソルベンシーマージンとかいう数字に反映されている。

ただ、最近の保険料競争は、大勢として「保険料を下げ、保障内容を増やす」傾向にある。このため「事故が少ない」「支払い保険料が小額で済む」、そんな可能性のありそうな人の保険料を理由をつけては値引きしているので、結果的には回収保険料に対する支払保険金(=「損害率」と呼んでいます)がぐんぐん上昇しているようです。全社(保険会社として)では60%にもなるのだとか。
そうなるとまず、ワリを食うのは下請け企業たる保険代理店。当然トヨタのように納入価格を下げるが如く、何かと理由をつけては手数料カットの口実を考えてくる。損害保険だけじゃ手数料がガタ落ちなんで、生命保険も一緒にやるように(やらせるように)なってきてる。
次にワリを食うのは契約者。特に若年層や所謂スポーツカーユーザー。つまり、今までは全体として収支を保つ、という考え方で「国民皆保険」が如く「国民皆任意保険」にしようとしていた。つまり事故の際に「泣いた」「泣かされた」が出ないよう、とにかく全員が保険に入っとこう、というね。だって今全年齢で車両保険つきに入ろうとするとクルマにも因るけど年間保険料30万も珍しくない。これじゃあクルマよりも高いって。
社員はどうかなあ?いろいろと交際費の枠が、とか言われている様だけれども給料減という事まではねえ。取り過ぎ・貰い過ぎだとは思うけど本丸だしねえ。ま、確かに派遣社員というかバイト・パートが増えているような気はするけど。


で、冒頭の「純増」に戻ります。確かに保険一本でやっている人にとっては保有契約金額を増やしていかなければ収入減になりますから、契約数を増やす、という事が既定路線なのかもしれません。
という事で、色々思いを巡らすと、自分にとっては契約数をとにかく増やすことが第一、ということではないので、「あれ?」になった、ということかと思い至りました。べつに車のほうもあるしね。
でももっと顧客のフォローという面に対してもペイを考えてもいいのでは?とは思いますけどね。保険会社から、あれやって、これやって、という代理店に対する設備や人的、心理的、システム的な投資はどんどん要求してきますが、これらの部分に対するきちんとした対価が支払われているのかな、と思うことがあります。

もう少し書き継ごうかと思っていましたが電話が鳴ってしまい出かけることになってしまいました。そんなわけで、唐突にこの辺でおしまい。

sou?


今日は印刷版しばた新聞の配達日でした。実は連休明けには原稿をアップし、配達するつもりだったのですが、なんとなく気分が乗らず、ズルズルと伸びてしまい、先日やっと原稿をアップ。本日の配達となった運びです。

で。今日、お客さんとの会話の中で話が出たのが、「高齢運転者マーク」がどこにも売っていない、というお話。そういえば今月から義務化されたという話を聞いたような気かないような。そういえば今日はやけに「落ち葉マーク」を見るなと思ったら そういうことか。
今まで馬鹿にするない、とばかりにマークをつけていなかったけど、義務化となったら付けざるを得ず、買いに行ったら何処もかしこも売り切れになっていた、というわけです。
中には「マークをつけている人」に対して道を譲るなりという気遣いを、という事を逆手にとってこれ見よがしにマークをべたべたにつけ「危険人物注意」という事をアピールしまくっている人も居るようですが、ここまでくると弱者の暴力というか悪意を感じるなあ。


ただ、確かに気にしながら外を走るとまあ、「じじい」「ばばあ」の多いこと多いこと(見かけの年齢以外にも行動パターンが既にマヌケな方向でパターン化している人も含む)。しかもこれまたモタモタ、というか、安全運転すぎて迷惑というか、右折する訳でもないくせに追い越し車線塞ぐな、とかまあ基本的な部分において「いい加減にせいよ」という人が多すぎ。
こういうこと書くと「また」と言われそうですが、「マークのついている車はこの車線(この路線)進入禁止」というようなこともやってくれませんかね?バイパスに出て自分のうちの近所と同じ「おらんトコの道」と同じ感覚で走られるのはちょっと。
また行政側も、いい加減自分達の無策を棚に上げた「住民側の努力」のみに頼った「高齢化社会(車会)」への対応を真剣に考えるべきでしょう。バリアフリーという考え方による設計は家の中だけでなく道路設計にも十分応用の利く考え方でしょう?何でもかんでも信号機設置して交通の流れを分断すれば事故が減るというウン十年前の考えにはいい加減うんざりしてるんですが。

2008年6月3日火曜日

人のココロを読む

商売柄、人の心というか感情を読む、状況を読む、という事を十数年間、生業の一部としていることになります。
例えば、ある車の見積を依頼されたとき。前回の注文書や普段の会話の内容からして次はこういうものをつけたら如何でしょう、といった提案や、そこでこういうオプションならば値引き額がここまで広がるから、最終的にはこういう話のまとめ方が出来る、というか値引きの金額の落としどころまで予想して商談に臨む、であったり。
事故のとき。ヤマ勘見積りで、この位までの修理見積になるだろう、というところからお客さんの要望を聞いておいて話の落としどころや保険金の予想金額、次に予測される修理金額との差や事故車の残債との兼ね合い、その他。次にどういう絵を書いていくべきか、は結構重要なポイントとなってきます。

これと似たようなことだと勝手に思っているのが、交通状況による予測や判断です。

まあ、ある程度ご高齢の方の運転する車はハナカラ疑ってかかっているのでまだいいのですが、以外にあてにならないのが比較的若そうな人たち。判断スピードや反射神経の反応が、今から遅いようじゃまずいだろ、と心配するような年齢の見かけのドライバーですら、こちらの意表をつく攻撃を仕掛けてくるので、ついつい胸のホルスターにあるエアーガンで追撃したくなるくらいです(家にはありますが、さすがに持ち歩くことはしません)。

ですので、以前は「誰にでも運転できる、門戸の広すぎることも問題ではないのか?」とも思っていたのですが、最近は「運転者の総体としてのレベルがひどく落ちてきているのではないか?」と思うようになりました。教習所のやり方であるとか、単なる集金システムに成り下がっているだのと色々な批判はあるでしょうけど、それ以前の問題かな、と。

でも、そこまで人間のレベルの落ちること自体がまずくないですかね?

2008年6月2日月曜日

レンタルDVD


近頃は「らかすjp」安堂さんに倣ってDVDで映画を見ることを常としています。さすがに昼間は出来ないし何かとやることも多いので、もっぱらその時間帯は夕食後の夜。
嫁さんと二人で床の間のビーズクッションの上に寝そべりながら、ちっちに邪魔されながら、いまだ5.1ch配線をしていない(でもセンターspとリアスピーカーは設置済みというか置いてあるだけ)環境でステレオ音声(でもSWだけは結線済み)で、居眠りをしたりしながら見るわけです。そこでは夫婦間の好みの相違というのもあるので、その辺は臨機応変に何時の間にやら寝ていた、という体をとるわけですが。

普段は自宅に一番近いレンタル屋さんを使っているわけですが、最近夙に思うのは、画面が時たまフリーズするものが多いということ。で、よーく見ると結構研磨痕が分かるものがあるわけです。これはお店の人の磨きのテクニック(というかちょっとした気づかい)が悪いのか、それともお客さんの扱いが乱暴なだけなのか?
確かにママ、「え?」というような扱いをされたCDを見たりもするので、これかとも思うのですがね。例えばよくあるのがCDを裸のまま扱う。そのままダッシュボードやコンソールボックスに投げ込まれている。更に信号面などお構い無しにべたべた触る。落とす。埃だらけのままプレーヤーにかける、などなど。いやですね。

そうなると却ってバックアップした状態のDVD(ありていに言えばコピーした)の方がエラーも出難くて快適に視聴できたりもするわけです。マナーが悪いことを嘆くべきか、それともお店を変えるべきか。どうせ自分のものじゃない、という意識から来るのかどうか知りませんが、後の人のことをもう少し考えてもらいたいなあ。でも、そこまで言わなきゃならないのか?というのも悲しい。

あれから


イストの掃除がまったく進んでおりません。
一つには雨。
一つには他のことで忙しかった(いいわけ)。
一つにはどこまでやるの?と思っちゃった。
などなど。

思わぬ伏兵というわけでもないのですが、つまらない理由としては、意外にも汚れていないというか、カーペットの掃除機がけをやれば、ある程度はソコソコは見れてしまうかも?という症状診断もあります。つまりはがんばってやっても、あんまりその努力が報われないような気もしてきたため、内装などという地味でめんどくさいことをやるよりさっさと外装磨きに入った方が...、という逃げの感覚ですね。
べつに嫁さんからお金とってやってるわけでもないので、ボチボチやればいいや、というのもある。うむ。

しかし、なんですね。ガソリンの価格。
新聞各紙を見ても(「あらたにす」http://allatanys.jp/)上がった、という報道だけで、そのほかになんとも思わんのかい?といった感じ。
まずはきちんと事実を把握する、のが報道の基本だとしても、その基盤の上に立った考察がなければさしたる意味を持たないと思うんですが。

数年前の円高ドル安時に、あれだけ無意味な数兆円規模の市場介入をやらかせといてそのドルで何やったかといえばアメリカ国債を買ったって言ってましたよね。それでその国債そのものはアメリカにおきっぱなしで。その金利は?何年債を買ったの?究極的には本当に日本人のためになるんでしょうね?

ここのところ、福沢諭吉さんの「学問のすすめ」なんぞを読んでいます。実は中学生の頃に一度挑戦したことがあるのですが、挫折しました。なぜか?
「学問のすすめ」執筆当時は、まだ日本語の口語文の作文技術がまだ確立されていない時代の文章です。このため(現代の文章の比べると)とても読みにくい。句点・句読点の打ち方がまだ一般技法として確立されていないので、そこでつまずいてしまう訳です。甘い、というご批判は甘んじて受けますが、ありがたいことに最近は口語訳の学問のすすめが刊行されているのでした。今読んでいるのはそれです。
で。その印象。これって、何時の時代の文章なのだろうか、と思うほどに今の状況とあんまり変わりません。明治時代の改革の一翼を担った、という初々しい意気込みというか、希望をそこかしこに感じるのは刊行時の空気を感じますが、それ以外は今と驚くほど共通しています。逆に人間それほど変るもんじゃない、というか歴史は繰り返す、という事もいえるのですが。でもまあ、情けないというか。現在の1万円札に福沢諭吉の肖像が使われているのが、何の皮肉だ?と思うほどですね。みなさんもご一読されてみては如何でしょう。

しかしまあ、お国としては、そこに住む人の生活基盤を守る気はないんでしょうねえ。自分の関係者だけは守る気はあるみたいですが。それを思うと今の世情としては室町時代に近いのかなと思わざるを得ません。
あちらこちらが関所だらけで、ちょっと移動しただけで関所の通行料のために財布の中身は随分軽くなるし、徳政令は何とか出ていないにせよ、政府の借金を何とかするために今にも何かやりそうだし。あちこちに当時の座のような組合だらけでコピーワンスの議論ですら、まだ進まないし。そういえば比叡山や石山本願寺、各地の一向宗のように現在でも宗教勢力は花盛りだしね。でも、現代のオタク文化やIT関連が現代版の東山文化か?といわれるとちょっと嫌だなあ。
士郎正宗という漫画家のお話の中では、日本が「ポセイドン」という呼称で登場します。「ニッポンセイヒン」という音が混ざって「ポセイドン」という事になったというこじつけですが。それはともかく、そこでは「ポセイドン」は企業集合体としての国家として描かれています。さっきのことにこじつければ企業=守護大名みたいな感じなんでしょうかね。経団連が国家の主導権を持つ?うーん。それはいやだなあ。

現代の中国は民主国家だとは言っていますが実の所は皇帝制度が姿を変えたものでしょう?人民解放軍の指揮権を誰が握っているかで代替わりをするという。かわいそうですが韓国などは今でもその属国というか、独り立ちできないというのか。李氏朝鮮がそうでしたよね。で、反対方向にある日本には噛み付く、みたいな。
西欧史はよくは知らないのですが、いまのEUは、ずっと夢見たローマ帝国再現なのでしょう?実態としては結構、物言う市民の集合体みたいな印象を強く受けます。結局の所、地域地域による落ち着きどころ、ともいうべき比較的長く続いた政治形態があるような気がします。中東なんかもそうだしね。
日本としては武士階級による地方自治という形態(中央政府はあっても)が比較的長く続いたように思います。おそらくそれが性に合っている、という事なのでは?ある意味、これの現代版が「ポセイドン」なのかもしれないなあ、と思ってみたりみなかったり。
そこからすると今はいびつというか。ひょっとすると日本という国としてはあんまり中央集権国家という形態が馴染まないのかもしれない。道州制への移行という議論もあるようですが、お上のご指導による着せ替えではねえ。

唐突にこの辺でおわり。