2008年6月3日火曜日

人のココロを読む

商売柄、人の心というか感情を読む、状況を読む、という事を十数年間、生業の一部としていることになります。
例えば、ある車の見積を依頼されたとき。前回の注文書や普段の会話の内容からして次はこういうものをつけたら如何でしょう、といった提案や、そこでこういうオプションならば値引き額がここまで広がるから、最終的にはこういう話のまとめ方が出来る、というか値引きの金額の落としどころまで予想して商談に臨む、であったり。
事故のとき。ヤマ勘見積りで、この位までの修理見積になるだろう、というところからお客さんの要望を聞いておいて話の落としどころや保険金の予想金額、次に予測される修理金額との差や事故車の残債との兼ね合い、その他。次にどういう絵を書いていくべきか、は結構重要なポイントとなってきます。

これと似たようなことだと勝手に思っているのが、交通状況による予測や判断です。

まあ、ある程度ご高齢の方の運転する車はハナカラ疑ってかかっているのでまだいいのですが、以外にあてにならないのが比較的若そうな人たち。判断スピードや反射神経の反応が、今から遅いようじゃまずいだろ、と心配するような年齢の見かけのドライバーですら、こちらの意表をつく攻撃を仕掛けてくるので、ついつい胸のホルスターにあるエアーガンで追撃したくなるくらいです(家にはありますが、さすがに持ち歩くことはしません)。

ですので、以前は「誰にでも運転できる、門戸の広すぎることも問題ではないのか?」とも思っていたのですが、最近は「運転者の総体としてのレベルがひどく落ちてきているのではないか?」と思うようになりました。教習所のやり方であるとか、単なる集金システムに成り下がっているだのと色々な批判はあるでしょうけど、それ以前の問題かな、と。

でも、そこまで人間のレベルの落ちること自体がまずくないですかね?

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