2009年8月30日日曜日

天邪鬼

昔から天邪鬼なんで、みんながこう言うから僕もそうしよう、という従順な所がなく、「ほんとうにそうか?」という疑り深さでもって、なんとなく「ああそういうことか」と少しでも思えない限りは上っ面はともかく本心から翻心するということがあまりありませんでした。損な性格というか可愛げがないというべきなのか。

ですのでいつも上司とは衝突していました。上司からすれば、さぞかし嫌な部下であったろうと思います。「分かりました」とは表面上言っていたとしても、納得していなければいつまでも反旗を翻すなりサボタージュをするからです。
ではその反論の根拠は?と聞かれれば「果たしてそれが本質的にお客さんの為になるのか?」であり、会社としての云々は二の次というか、組織としてのエゴや会社としての都合は前面に押し出すべきでないという姿勢でしたから、やっぱり嫌な部下でした。自分が雇い主だとしたらすぐ解雇でしょう。
皮肉をこめて言えば静岡トヨペットという会社はそういう意味でおおらかというか、寛大な会社であったといえるのかもしれません。まがりなりにも今日独り立ちできるまでに育てていただいたことは事実ですので、非常に感謝はしているんですけどね。

基本的にお客さんに対しては「信用して任された以上は出来る限りのことをする」というスタンスを通してきたつもりです。
ただ、それについてもプライドが付いて回りますので、へんな言い方ではありますが、お客さんの側から信義にもとる、こちらから卑劣とも受け取れる対応をされた場合、すっぱりその場で付き合い方をガラリと変えてしまうという潔癖さもあったり。まあこれは良し悪しがあるので、もう少し穏やかな対応をすべきだろうかと思い直すこともあったりなかったり。
そんなんなので、「アンタとはもうこれ以上付き合えん」と言い切り、席を立ってきてしまったこともありましたねえ、カッコイイといえばカッコイイのですが。そういう経緯をそのまま上司に報告したことや、所長の目の前の席でそういうやりとりをお客さんとかわして電話を切り、「スミマセンがそういうことですので、この話は潰れました」と言ったこともありましたねえ。


巷では「消費者保護」であったり「消費者庁の創設」であったりと、エンドユーザーの保護に一生懸命なようですが、本当にそれだけでいいのか?と思わなくもありません。
誤解を恐れずに言えば、売る側からすると「お客になって欲しくない人」達や「お近づきになりたくない人」たちも絶対数として確実に何人かは存在する訳で、この何でもかんでも「お客様は神様」的な幻想は安売りすべき概念ではないと思うのです。世の中には何故か自分に都合のいいようにしか思考回路が組みあがっていない人も居るんですよねえ。

幸い、今お付き合いいただいている方々に関しては、そういうことを考えなくてもいい輪というか循環といったらいいのか、そういう雰囲気が出来上がっていますので大変ありがたい状況ではあるのですが。極力この輪を守っていけるよう努力・尽力していきたいものです。

2009年8月29日土曜日

スポーティーカー

新車開発において、クルマの基本設計や仕様・生産性などをチェックしつつ最終の煮詰めになって、最後に待ち構えているのがセッティングと呼ばれる最後の詰めの作業です。
もちろんその頃まで行ってしまえば車体ディメンションは基本的に変更のしようがありませんから、彼らテストドライバー達によって仕上げられる最後の余地はタイヤ特性の調整とアライメント調整となります。つまりは足回りの調整ですね。もちろん、実際に走ってみた具合による異音のチェックや気になる特性の洗い出しもあるのですが、最終仕上げは足回りのセッティングを決める、という事になります。

足回りは微妙です。サーキット仕様ならばそれに特化した特性もありでしょうが、市販車としてそこを目指すのは非日常を追うという事になってしまいます。日産GT-Rなどはサーキットを主に、多少は日常を気にしなくも無い、という割り切ったセッティングでしょうし、ユーザー層も「なんとなくそういう雰囲気を愉しむ」というそうでしょうからある程度割り切ることが出来るでしょう。
けど、一番困るだろうな、という車種は所謂「スポーティーカー」でしょう。

例えばうちのロードスターはオープンカーという事で、見た目は非常に気持ちいい車ではありますが殊こういう季節の日中にオープンで走ろうなんて奴は笑いものになりかねません。なぜって、暑いから。
バイク同様、走っている最中はまだマシとしても、ちょっとでも渋滞し始めると太陽からの放射熱を地肌で感じつつ暑さにあえぐ、という事態になります。タイヤが4つあるバイクという表現が適当かもしれません。オープンカーこそエアコンが必需品という訳の判らない事態もなんとなく理解できてしまうのです。
ただロードスターが幸せだったのは、そのユーザー達が割り切って乗っていた人が多かった、と言う一点です。オープンとはそういうものだと割り切って乗ってくれた人が多く、なんだか乗り心地が悪いだのギシギシいうだの、雨漏りがとか、幌が、とかいうネガティブな面に理解がある方々が大多数だった、という事ですね。これがトヨタ車だったとしたらこうはいかなかったでしょう。事実、コペンユーザーの中には「150万円で、電動オープンの車を販売してくれている」という事をメーカーに感謝してくれているユーザーは思ったほど少ないようで、けっこうな数の些細なクレーム「異音がする」「せまい」「乗り心地が硬すぎる」etcがあるようです。
そう思うと、日本車のスポーティーカーがそのキャラクターとしてGT系への道をたどっていった、というのは必然だったのかもしれません。例えばソアラとか、マークⅡのツアラー系・クラウンアスリート系といった系譜ですね。
現行ロードスターにRHT(リトラクタブルハードトップ)仕様があるというのも、そういう流れの中のひとつと理解をしています。初代ロードスターは「低価格でこういう車を提供する」という思想の下での潔ぎよすぎる割り切りの下で開発され、2代目は初代を下に熟成(車体剛性の向上や実用性の向上など)の系譜をたどりました。3代目は普通に乗れるオープンカーという感じでしょうか。極力苦痛を感じさせない、というか。設計技術やコンピューター支援・シュミレーション技術の向上などによって様々な要素の妥協点が非常に高いクルマだと思います。もちろん否定的に捉えている訳ではありません。ただ、一つ言うならば「やはり初代のデザインが好き」というのはあるんですけどね。

2009年8月28日金曜日

気持ちが変わりました。今回だけは自民党に投票します。

但し、注文がひとつだけ。


公明党とは縁を切れ。



これですね。

その上できちんと「政教分離の原則」を再確認し、きっちり宗教団体は宗教活動のみを目的とさせ、きっちりとその利益活動・行動に関してきちんと課税をする方向が望ましいと思います。
もしくは、宗教活動を専門とする公務員としてしまい年間一律例えば200万円の収入とし、お布施その他の収入は先ずは一度国庫に入れた上でお寺の維持管理に必要な金額のみを、その都度請求することは可とする、とかね。
衣食住の内、衣と住はすでに設備・備品としてあるわけだし、それについては無税という事ならば、あとは食が満たされるだけのものがあれば必要ないでしょ?過度な報酬はイケマセン。特に清貧を旨とするのであれば尚更です。


不平不満の元といえばもちろん貧困や飢餓なわけですが、少なくとも日本においては気候面でもそうですがホームレスですら糖尿病や高血圧になってしまうほどの国です。となれば、苦情や不満の元になっているのは「なんとはない不平等なかんじ」というところに由来するのではないかと思います。それともう一つありそうなのが「あの野郎なんかうまくやりやがって」となぜか思ってしまう心の歪みもありそうな感じですが。
法の下の平等は云われて久しい言葉ではありますが、これを再検討するべきではないのでしょうか。それこそ一つ一つ。戦後何十年と経ち蓄積されて来た時代や世相の変化も含めて「そうなってしまった」法の下の不平等は、一度にこうだではなく、それこそ地道に解消していくしかないような気がします。年金の問題にしても然り、健康保険の問題にしても然り、あの人までの世代はよかったが、何で俺たちがそのアオリを食うんだとか、オレはもう何歳になっちゃたからもう大丈夫とか、そういう逃げ切り得みたいな感覚もマズイのではないかな、と。


麻生君がパレスチナ問題に際していったらしい言葉「まずは働け、俺達日本人のように。できるか?」が頭の中に残ります。四の五の言う前に先ずこれです。

どうもね。


民主党の政策って「クレクレ」しか聞こえないんですよね。
ただ、あげるためには原資が必要な訳で。
で、原資って黙って口をあけていれば貯まるものではないんですけどね。
しかも危ない先にまで媚びへつらい過ぎ。

この地域では木内君がおそらく優勢なんでしょう。
ただ少なくとも比例代表で「民主」と書くことは今回は止めました。

2009年8月16日日曜日

どっちもひどい

今回ぐらいは民主党が政権をとってもいい、という気分はあったし、そういうことも言ってきたけど、ここのところ「民主党に政権をとらせたくない」気分でいっぱいの柴田です。
ハトの言うことに「大丈夫か?コイツ」という疑念は以前から抱いていたのですが、やっぱりこいつじゃダメだ、という確信じみたものがここ最近の感想。このままだと史上最悪のダメ首相の呼び声も高い村山の二の舞というか、それを軽く凌駕しそうな勢いで亡国に一直線という気がしてきています。これならまだしも自民党の解体と再生の方がまだマシという気がしてきました。

何度かブログ上で「自営業者になってみてよかった」的な発言を繰り返していますが、それはサラリーマンの時には分からなかった側面に対する見方が随分変わったことを言っています。ただ単に給料を貰う側から、お金の入り口から出口までの全てを見ている立場への転換は個人的には非常に良い経験値に成ったかと思います。
そういう目で見ると、民主党の政策や言動は明らかに「給料をくれ」といっている側だけの言葉としか思えません。

別に麻生君を擁護する気もないのですが、度重なる補正予算の成立と執行がここまで遅れに遅れ、迅速な対応が生命線である経済対策が遅れたのは「民主党以下の野党が議題の提出ごとに審議拒否を繰り返して来た」結果でもあることは明記しておきたいと思います。

究極的には国家運営とは予算配分と法整備・軍事(外交)です。
どのように金を集め、どこに配分するか。すでに現時点の予算配分は大失敗に終わっています。国債や公債の償還残高を見れば一目瞭然です。多少の借財ならば納得も出来るでしょうが、現時点のレベルは異常です。
国債償還分と人件費だけで予算のどのくらいの割合になるのか。予算の正味分はいくらか、きちんとするべきでしょう。おそらく30%くらいしか予算は残らないのでは?と思っているのですが。

実質予算を増やしたいのであれば、国債の償還を停止する(利払いだけはするにしても)とか、公務員全員(国家・地方含む)の退職金の廃止くらいはするべきなのでは?と思います。ムダ使いの精査を徹底すると言うのならば会計監査局の人数を倍増させて官庁からの独立組織とし権限を持たせるかさ。

医療や介護の予算が欲しいのなら、きちんとそれを確保する。そのうえで言葉は悪いけど年寄りにはお金を持たせない・持っていなくともいい方向に持っていく施策を考えちゃあどうですかね。そうすれば振り込め詐欺も減るでしょう?国債償還の停止というのも、それに絡めてもいいかもしれない。生活インフラにかかるものも極力減額をしていけば年金が少なくともやっていけるようにならんかな?
そこで贅沢をしたい、とかもう一つ上を目指したい人には働き続けるもらうとかさ。

そんな中、また新たにばら撒き予算を画策している民主党さんには呆れている所なのです。
しかも、成立した補正予算の執行を停止して「もう一度予算をやり直す」ぐらいのことを言っている訳ですが、来年度予算ならばともかく「今からやって間に合うのかよ?」と思います。だって、普通のローテーションで今の時期が来年分の予算折衝の真っ盛りでしょう?今頃でも財源を突っ込まれて言葉に詰まる程度で、そんな膨大な作業がこなせるのか?

なんだかお花畑のはとぽっぽのお話を聞いていると、なんだかなーと思わずにはおられません。せめて民主党が第一党になるのはともかくとしても、単独過半数は取らせたくないと思う今日この頃です。

2009年8月14日金曜日

自動車事故と歯医者さん

一見関係があまりなさそうなタイトル中の二者ですが、たまに関係を持つことがあります。例えばそれは昨日かかってきたメモリーに入っていない番号からの電話の要件がそうでした。

「もしもし、柴田さんですか?こちらは○○損保・何々支社、示談担当の××です。○年○月の事故の示談担当者が替わりましたのでお知らせのお電話をいたしました。」
「え?そういえば終わった旨の電話がないなあ、とは思っていましたが、まだ例の折れた前歯の治療をやっているんですか?もう3年くらいになりますよね」
という感じでその会話は始まりました。

事故の経緯は「一旦停止で安全確認をして、そろりと車を前に出した」その時に起こりました。多少は車の鼻先が出ていたようですので、きちんと前を見ていれば接触などしなかったでしょうが、事故相手の女子中学生は仲間とのおしゃべりに夢中になっていたようで、車がそこに来ていることには全く気が付かず、そのまま直進。そしてクルマと接触をしたようです(と、聞いています)。
この女子中学生でも、此方にも非があることはとっさに思ったようで、横転はしたものの自転車が壊れたというほどの事もなく、その時は「大丈夫ですから」とか言いつつ、逃げるようにその場を離れた、という経緯のようです。車のキズの修理代という事も頭をよぎったのでしょう。

この場合、基本過失割合としては自転車1:クルマ9なのですが、こちらの一時停止ありと、自転車側の前方不注意を過失割合の修正要素として自転車3:クルマ7という比率が妥当な所かな。

それはともかく、その場は警察を呼ぶ間もなく、クルマに乗っていたこちらの契約者としては、相手に逃げられてしまったくらいの感覚であったようです。警察に事故報告をしようにも相手にとんずらされれば意味がありません。
ところが話の展開が変わったのが、その女の子が家に帰ってからのことだったようです。どうも接触した時の横転により前歯を欠損したようで、そのことを親に問い詰められ白状したのが上記の次第。ウチの娘に何をしてくれるんだ、となった訳ですね。
翌日、契約者から事故報告の電話があり行きました、愛知の碧南まで。そこで相手方と合流して碧南署まで一緒に行き人身扱いの事故報告を済ませたわけですが、お巡りさんからはぶちぶち嫌味を言われるわ(とは言っても彼らの仕事の流れの順序が狂わされたことに対するもの)、相手方の親からはきちんと保障はしてくれるんでしょうね、と問い詰められるわ。
ただ、そこまで言うなら「前見て運転するくらいの躾はしとけよ」とも思いますが、そこは堪えてぐっと飲み込みました。「女の子だから、女の子だから」とも繰り返されましたが(特に父親の方から)、差し歯くらい今時珍しくもなんともない、とか思ってたり。それ以前にあんまり歯並びはいいような印象はなかったなあ、あの子。

そんなこんなで早3年以上の月日が経ったわけですが、未だに歯医者通いを続けているらしい、という訳です。何でも、その子の行っている所は何とか大学で「補綴学」の講師をしている歯医者さんの経営する病院だそうで、インプラントをする為には云々とか言っているようですが。
事故当時中学生、3年後の今なら高校生。たしかに骨の成長を考えれば時期を考えた方がいいというのは分からんでもないんですが。
勝手な想像では、インプラントって顎の骨に直接柱を入れる工法だから、力の掛かる歯を支えるための土台作りが第一義であって、前歯1本(と聞いている)の為にそこまでするのはやりすぎなんじゃあないの?という印象はあります。素人考えでしかありませんが。

ただ保険会社って、医者の言うことはある意味絶対視している傾向が強い(それに不審を持つこと自体が少ない)ので、「まあ、お医者さんの言うことですから」と担当者は言っていましたがね。
でも、事故による保険診療(自賠責・任意保険)はお医者さんにとって美味しい(らしい)様ですから、このへんはもう少し制限があってもいいような気もします。例えば「健康保険が適用される診療の範囲内とする」とかさ。車の事故による代車にしても「国産同等クラス」って約款に書いてるじゃない。ベンツCやBMWの3などの場合はプレミオやカムリあたり、ということなんでしょう。レクサスのIS250位までは要求してもいいのかなあ?

2009年8月13日木曜日

夏休みにしたといっておきながら、なぜか何やかやと忙しい柴田です。昨日は一生懸命磨き上げたラパンにワックスを掛け、オーディオを入替て納めたり。そうこうしている内に来週明けてからの日程は着々と埋まってきてしまっているあたり、まあいつもの日常が引き続き........、といった所でしょうか。

さて、今日になって国民健康保険の請求書が来ました。昨年比で5倍くらいの請求金額になってきました。何で?????


ケインズの経済理論といえば、公共事業によって需要を喚起しつつ、全体の経済を牽引していくっていうイメージが強いです。でも個人的には実は経済論て、傾向と対策というか法則性を追及していく傾向が本筋であるような気がしていて、高等数学を駆使した経済指標やら理論てのも一時もてはやされたけど、結局は演繹というよりは帰納のほうが現実的な学問分野のような気がしています。

そのケインズ理論の中に「将来に不安が残る場合、民衆は貨幣に向かう」とかいう一節があるようです。大体、将来に不安が残るからこそ、その時の出費を見越して溜め込もうとするからこそなんですが、どうも日本という国は「内需拡大」という掛け声だけで何とかなるものと思っているらしく、「後で幾らかかるかわからない」世代が資産の大半を保有している意味が御理解いただけていないようです。
つまりは年金も減り、自分の身の始末という意味での介護や医療に、どれだけ金がかかるか推測不能ということから溜め込んでいるわけなんでしょうから。

それを吐き出させるためにはどうする?といえば、生活や医療にかかるお金を極力減らすことでしょう?生活費は減らされているくせに水道代や電気料等のライフラインは高額だわ、臨時出費ではなくなりつつある医療代は年々保険料の名目で高額になっているわでたまりません。

では民主党のように耳障りのいい「後期高齢者医療保険」の廃止であったり高齢者の医療費の無料化であったりなどという大盤振る舞いに行くのか?という事になるのですが。

ここで話は変わるのですが、現在の国家予算の大半を占めてきつつあるのが国債の償還費用です。それと国家(地方も含む)公務員の人件費です。
人件費が零という訳にもいかないでしょうが、国債償還はどうでしょう。かつて国債のひき受け原資の多くは郵便貯金に依っていたと耳にしています。ではその郵便貯金の主要な預け主は?といえばデータがあるわけではありませんが高齢者が主な様な気がしています。この辺に予算確保の抜け穴があるような気がするんですがねえ。

まあ医療費(国民健康保険費用)が嵩むのはある程度仕方がないような気はしますが、でもなんか多すぎるような気がするのはなぜ?
サラリーマン時代には数多く書かれていた控除項目のひとつとしてしか意識していなかったので特段意識にのぼることはありませんでしたが、毎回毎回自ら納めに行く身分になると「特に病院に行ってもいないのになんでこんなに払うんだ?」とか、これなら自由診療の方がナンボか結果的には安く収まるんじゃないか?と思わなくもありません。

どうも口座落としというか給料天引という制度が「支払っている感覚を麻痺させている」様な気はしています。
「俺達の血税」という人たちもいますが、もう少しどのように・どれだけ引かれているのか?という関心も必要なのかな、という気がしなくもありません。

2009年8月12日水曜日

地震

基本的に損害保険の分野において「地震」というのは治外法権地帯みたいな感じで、大概の場合において「地震」由来の事故、例えばクルマにおいても家の保険(火災保険)にせよ、傷害保険だって地震は基本的には免責事項となっています。それを特約じみたクルマで言えば地震特約とか火災保険で言えば「地震保険(これだけで加入することは出来ない)」、傷害保険では天災特約とか、という形で危険を担保するという事にしている状態です。

まあ、普通の一般住宅においては地震保険の加入に関して問題はないのですが、今回気になったのはテレビなんかでも放映されていた店舗の地震被害です。
基本、店舗(自営業者の工場なども含む)に関しては居住部分を含まない建物に関しては地震保険に加入することは出来ません。なぜかそうなっています。ですので、お店と自宅が一緒になっているような建物であれば建物そのものも地震保険の内容に含むことができますが、それでも店舗内にある什器備品に関しては地震保険の対象外です。あくまでの居住部分に関してのみ、地震由来の事故は担保されているというのが現状です。

また、地震保険といってもその保険金額は何故か建物の保険金額の50%が上限金額となっています。つまりはもう50%に関しては自分で何とかしろ、というのが地震保険です。
もうひとつ、地震保険というのは国営事業として運営されており、東京・神奈川・静岡は一番の危険地帯として認識されていて、この地域に住む人の保険料が一番高く設定されています。
ただ、昨今の地震事情を見るにつけ、「何処も同じじゃん」という思いも強いのも事実です。できればもう少し簡略化、もしくは全国統一の料率として欲しいものです。


いっとき、1970年代の頃という時代においては地震というものは予測可能なのではないか、という論調が強かったのだそうです。井戸から検出されたラジウム濃度が上がっただとか、地磁気の異常だとか何とかかんとか。
ただ、後追い検証の成り立たなかった物が多く、実際普遍的に予測に繋がるものにはなり得なかった様で、最後の最後に残った「予測可能な地震」であるらしい、とされたのが東南海地震だったのだとか。その根拠としては1500年以上に亘る地震の記録と(西暦680年ごろの記録から残っているらしい)その発生時期のなんとはない周期的なもの(およそ100~150年くらいくらいで地震が発生している)ということのようです。
でも、うがった見方をすれば記録に残る範囲では周期的らしいが、今後もそうであるとは限らないとか、海洋プレートの接地点といわれればなんとなく「ああそうか」と思い込みがちではありますが、それすら予想・予測の範囲を超えるものでもない、とかね。実際今回の地震の発生地点は25キロ程度の深さにあるとのことですが、そこまでの深さを実際にボーリング調査できる技術はないし、したとしてもその点の調査結果でしかないですし。

そういえばここのところ、浜松市は住宅地の造成に熱心でした。都田テクノしかり、有玉・半田地区しかり。大平台や桜台などなど、山を切り開き、いままで雑木林というか原生林ぽいところをさんざ切り崩して住宅地とし、地価の上昇を呼び水として固定資産税の徴収金額の増加を図ってきたというのが実情かと思うのですが、見ている限りでは雄踏地区などは元養鰻場の埋立地(それもつい最近)だったしねえ。
何が言いたいかというと、そういうところは今までの災害実績データが少ない所が多い(元々の地元民も知らない)ので、本当に地盤が大丈夫なの?とかね。今では地盤改良措置などを施してから工事に入るようですが、何が絶対という事もないという気がしたりしなかったり。うちなんかは築30年にもなろうかという家ですからそんなこと気にも留めていなかった工法でしょうけどね。

2009年8月11日火曜日

今日から夏休み(予定)

暑い。そして蒸す。

昨日来、台風由来の雨が降り、今朝方5時過ぎには地震に揺り起こされ、なんかマズイかなーとは思いつつ、特に牧の原の崩落以外はこれという事も起こりそうになく、午前中に磐田の保険事務所で打ち合わせが終わり、これ以降は特に来週の月曜日まで予定がない(一つ二つの用事がないわけではないにしても)ので1人従業員・1人社長のオートサービスシバタは今日の午後から夏休みということにしてしまいました。わーい。

何しようかなー。とりあえず前祝でビール飲んじゃおー。んー。つまみはカシューナッツとアーモンドだな。今日の晩飯はお蕎麦にしよっと。

しかし、暑い。雨上がりの後の夏の日差しは湿度急上昇。不快指数も急上昇。あー、中学校の時の夏休み期間の陸上部の練習を思い出しちゃった(高校の時は美術部=帰宅部だったので部活での夏の思い出はない)。いくら汗をかいても蒸発する余地があんまり残されていないから、そのまま汗は流れ流れてぜんぜん体温低下に寄与しないし、空気の密度は濃いのでなんか水の中を泳ぐような感じでもう最悪。
午前中に竜洋の風力発電の風車を何気に見てたけど、ぜんぜん風車が回っていなかった。という事はこの湿度最高潮の空気は行き所がなくこの辺に滞留しているってことだから、こりゃ堪らん。うーん、蒸す。
ということでウチの事務所だけクーラーを効かせて、ハアハア言ってるぺろぴーは仕方なくウチの玄関に退避させてあげました。まあ、外にいるよりはマシだろう。タイル張りの床は冷たいし。

今事務所から見る空は快晴です。
でもなぜかターボ時代最後期のマクラーレンホンダ(勿論ドライバーはアイルトン・セナ)のタミヤ製1/12プラモデルが無性に欲しくてたまりません。完成までにこぎつけるとは思えないけど、買って来ちゃおうかなー、とか思っています。嫁さんに怒られるのを覚悟しつつ。

2009年8月10日月曜日

当時のその時。

いつもヘラヘラしていて気ままに見えるらしい柴田ですが、実は真剣に自殺を考えたことが何度かあります。物的証拠としてはそれに使おうかとも思ったこともある剣鉈(刃渡り一尺ほど)がまだ手元にあったりとかね。さすがにもう使うつもりはないですが。
胸に突立てた事はあるのですが、それ以上に押し込む勇気がなくて止めました。あとは、そこまでする勇気があるんなら、もう少し行動で示すことのできることもあるだろうと思い直す程度の冷静さ(?)が少々あったことが幸いしたのかもしれません。

以前「完全自殺マニュアル」なんて本がありましたが、これも読破してしまいました。自殺には首吊りが最適だとか、手首を切るという行為より、中森明菜のように肘の内側を縦に深く切ったほうがいいとか、なんか色々書いてありましたねえ。
続編として「完全薬マニュアル」とかいう向精神薬とかを扱った本もありましたっけ。でもなんかその本の存在自体が気味悪くもあり捨ててしまったので、今現在、手元にはありません。まあそんな本を読んでいた時代もあったのです。



「自殺白書」とかいう本があります。それ自体を手に取ったことはありませんし、読んだこともないですが、こういう便利な世の中ですからネットでその概要を見ることは出来ます。
その最初の統計数字によると、交通戦争なんて呼ばれた交通事故による死者数1万人をはるかに超える3万人以上の人が昨年は亡くなっているようです。ひとつ間違えば僕も、その中の数字のひとつになっていたかもしれない可能性もあったわけです。
でも、ここまでの数字になると、これは立派な戦争状態である、と言ってもいいと思います。イラク戦争と比べてもひけをとらないレベルです。では何と何が戦争状態なのでしょう?単純に言えば「個人対社会」とか「個人対組織」という事になるのでしょうが、では何で、そこまでいがみあい対立することになってしまうのか。
ひとつには、会話、対話、相互理解の不成立ということなのでしょう。
勿論、相手には相手の言い分があり、こちらにはこちらの思いがあり、双方ともに自分の方に分があると思っているだろうし、何でこんなことが分からないんだろう、と双方ともに思っていることが悲劇なんでしょう。


もちろん解決策はあります。それは当事者本人が、思い詰めている事を「取るに足らぬこと」と、思えるように自分を仕向ける事です(でした)。
また、仕事面で思いつめているのならば「嫌ならやめる、という選択肢だってアリだ」と、現状に固執することを止めるのもいいでしょう。なんだかんだ言ったって「米の飯はついてくる」もんです。別に稼ぎの種は今の職場でなくてもいいのですから。
「何なら百姓でもいいし、工事現場の旗振りだってできるさ」という割り切りを自分では当時しました。
とは言いつつ、今だから言える事でもありますが、当時はそれでも随分と追いつめられてもいましたから、近くにある精神科の病院へも行こうかと思案したものです。
ですが当時、そうした自分を2~3m上空の後方から眺めているもうひとつの自分というのも意識していました。「ああ、傍から見たら俺はこんな姿をしているのか」と思ったものです。そうした他人の目から見た自分を意識してみる、想像してみるのもいいかもしれません。

大多数の人たちは所詮サラリーマンなんですから、米の飯は黙っていても呉れるんです。いいじゃないですか、それならそれで。お役に立てない悔しさはその人の真面目さの裏返しでしょうけど、まあそれはそれ、いつか見返してやるくらいに思って、「いまは給料泥棒でごめんね」位の気軽さがいいと思います。
ただ、以前と違っておおらかさがなくなってきていう御時勢ではありますから、「即戦力即戦力」なんていわれちゃいますけど、やれることからやる、位のスタートでいいと思います。
とは言いつつオートサービスシバタは人を雇う余裕なんてないので自分ひとりで全部やるしかないし、雇うからには即戦力でないと困っちゃいますけど。さっきと言ってることが違いますけどね。

でも所詮人って1人では生きていけないんで、肩肘張らずに「助けてもらってありがとうございます」位のスタンスでいいと思うんですけどね。意地を張ることも時には必要でしょうけどもね。

2009年8月4日火曜日

高速道路無料化

高速道路無料化について、色々な議論があるようです。個人的には「無料化大賛成」です。ですが、その後に「ただし、.......」が付きます。

基本的に無料化は大賛成です。基本的なスタンスとしては「インフラ設備は公共財として税金で整備されたのですから利用料無料が大原則」と思っているからです。
メリットとしては物流コストが大幅に下がるから。楽市楽座ではありませんが、いちいち関所で通行料を取られたのではエンドユーザーの負担するコスト分が膨大になりすぎます。無用の値上りを防ぎ物流を盛んにする、という目的の為にも無料化すべきです。
ただ、物流目的のトラックたちの傍若無人ぶりは目に余るものがありますから「無料通行するためのルールの遵守」を徹底させるべきです。それが出来ないのならば運行免許の即刻停止処分も辞さない等の法整備もするべきでしょう。それと道路を劣化させる原因の大半が彼ら大容量の大型トラックたちなのですから、道路の補修維持という意味合いでの重量税の負担比率を乗用車への過大負担からきちんとトラック達に負担させる方向に転換すべきです。不平不満の第一原因はこうした「不公平感」に端を発しているのですから、先ずこういうところからの法整備に着手すべきです。


それと「全ての高速道路」の無料化には反対です。本当に必要性のある高速道路だったならば、第二次大戦からすでに64年の歳月が流れている訳ですから、少なくとも1970年代、遅くとも1980年代初頭までには世論の要望をバックにすでに整備されていてしかるべきです。
静岡空港もそうですが、整備の遅れたインフラは、何らかの理由によって必要性・優先順位の低い地位に甘んじていたインフラなわけですから、あえてその路線を使うというのならば、きちんとそのコストを負担してもらうのが筋なんじゃあなかろうか?と思います。
地方での高速道路を、という声があるようですが、上記のような理由があるのでは、という勘繰りがあるので、そこまで必要ならば自前の予算で作ればいいでしょうし、そうでなくとも交通量そのものが少ないという物理的な必要性の薄さもあるのではないかと思います。ならば今までの道路を高規格道路として格上げしてあげればいいだけなのでは?とも思います。

ツラツラ書き始めるとキリがないのでまたの機会にしますが、いい加減「公共工事をおもなメシの種」にするしかない業種の取捨選択・生き残りを加速させるべきなのでは?と思います。主要産業は公共工事と公務員ではブラックジョークにもなりません。きちんと自らの飯の種は自分で何とかする気概を育てるべきでしょう。

そんなこんなで次回の選挙では「気分的には民主党」と思っているのですが、危ういことばかり言って馬鹿者どもに調子を合わせている様にしか見えず、現実感というか着地点の見えないことばかり言っているため、民主党・自民党双方に票を入れたくもなく、という感じなのがつらいところです。とは言いつつ、間抜けなことを言っていると「幸福実現党」などという「信心と信用・信頼」の区別もつかない馬鹿共をのさばらせることにも繋がりかねません。投票への参加・棄権は自由ですが、安易な回避は自らの意思の介入しない選挙結果への穏やかな肯定でもある、ということは肝に銘じておきたいものです。

2009年8月3日月曜日

不思議

トヨペットの頃から不思議だったのが、なぜか自分のフトコロは会計士(又は税理士)任せで、何を決断するにも「会計士(税理士)に相談してから.......、」という社長が大勢いらっしゃいました。

何で自分の懐具合を人任せにするのか?不思議不思議。
そんなところを人任せにするなんて、チンポコ他人に握られているようなもんでしょ?
でも多いんですよね、以外にも。

先日、税理士による記帳指導なんてものを受けてきたんですが、あくまでも個人プレーのオリジナルの現金出納帳ではありましたが、何でか絶賛状態で、「経費の累計」金額がでていれば.......、なんていう程度の御注文のお言葉を頂いた位でした。という事は接待交際費の比率やら宣伝広告費の比率を見るくらい、という事か?

確定申告というものがあります。もちろん会社員の時代にはほとんど関わりのない代物でしたが、個人事業主になった途端あれこれと悩みが尽きないものです。ところが、折角の個人事業主になっても「領収書の束」を会計士に持ち込んで「コレでお願い」状態の人も多数いらっしゃるようで、勿体無いと思うことが多いです。それこそ会計士経由で生命保険に加入する人が多いらしいのもうなずけるとことです。

「タカノユリ」という人がいます。例の美容整形の人ですね。その人の雑誌インタビュー記事をよく憶えているのですが、その中で「人の健康には3つある。一つは体の健康、もうひとつは心の健康、もうひとつはお金の健康だ。」という事でした。そのどれかひとつでも損なわれると、そのほかの健康に影響があるという趣旨だったかと思います。ただ、自身の懐具合の把握すらできない(していない)人が多い中で、お金の健康なんて無理な話なのかもしれません。
「政治レベルは正確に民意を反映する」という言葉が本当なら、まさにこれが根源なのでしょう。