2008年12月30日火曜日

言ったそばから

昨日、今日と2日かけて本家「しばた新聞」をお客さんに配ってきました。

元々この印刷バージョンの「しばた新聞」が本家になります。A4の両面印刷で10ページ前後というスタイルです。内容は「イヌネコ通信(ウチのペットの四方山話)」「役に立つかもしれない保険の話」「歯医者への道」「「オーディオの部屋」などなど。WEB版「しばた新聞」と比べると、少々内容がソフトになっています。原則毎月一回発行で今回が31回目。最初はトヨペット時代のお客さんと、現在の保険契約者、車のフォローをさせていただいているお客さんということで300部ほど作っていました。現在は200部程度です。

その中で、「柴のペロを可愛がらなきゃ、、、、」なんていってた傍から、いきなり昨日の夜、言葉通り「飼い犬に手をかまれて」しまいました。とほほ。今現在は右手に包帯をしている有様です。まあ、犬同士のいがみ合いに割って入ろうとした自分も悪いのですが。

ただ、ご主人様に歯向かった罪はとてつもなく重いので、これはきっちり思い知らせてやらなくてはいけません。ここで甘やかしては一生舐められっぱなしです。ヤキを入れるべきときには容赦なくやるのが僕の流儀です。
思い違いをしていただきたくはありませんが、これは虐待ではありません。躾です。まあ、感情がまったく混じっていない、といえばウソになりますが、この辺は人間の子供でも同じじゃないのかなあ?当然、限度というものは存在しますが。子供はいないんで分かりませんが、少なくとも自分はそうされてきたように思うのですが。

そんなわけで、いがみ合いの興奮冷めやらず唸り声が収まってもいない、その直後に首根っこを押さえつけ、きっちりご主人様のご意向を叩き込んでやります。反撃する元気のあるうちは、こちらも容赦しません。あくまでも優位にあるのはどちらなのか、きっちりと分からせなければ、我儘な所がいつまでもそのままになってしまいます。

そんなこんなで一晩が過ぎ、朝になって出かけるときに見たペロは、なんだかいつもよりもおとなしく見えました。
そして夜。最初は嫁さんが散歩の紐を握っていた為か、フーフー言いながら紐を引っ張っていたので選手交替することに。交替直後は紐を引っ張る気配がしましたのでこちらもぐっと紐を引き、選手交替をしたことを分からせてやったところ、とてもおとなしくなりました。よしよし。まだ昨日の記憶が残っているようです。
もう少し様子を見る必要はありそうですが、いつまででも怒っているように見せると犬の方がもたなくなりそうですので、適当なころあいを見計らって、いつもの接し方に戻そうと思います。明日のペロの様子はどんなだろうかと、ちょっと気を揉みつつ、今日はこの辺で寝ようと思います。

2008年11月26日水曜日

査定というもの

現在のように、一人1台という保有台数に近づいてくると、新車販売という形態には必ずといっていいほど下取車が発生するのが普通です。この下取車という存在は、今は管理がうるさくなってきましたが、昔は新車セールスの内職・小遣い稼ぎの源泉として、かなり大掛かりにやられていたようです。

「ようです」というのは、自分がセールスになった頃は、その内職をかなり派手にやってきた方々が本社の課長とか営業所長、各地区の部長職につき始めた頃で、そういう手口を知り尽くしている方々が、後進の者には「やるな」と。当然そんなことをやられたら自分たちの退職金の原資が減ってくることにもなるので、先の見え始めた時期になって口々に「内職禁止」を掛け声として言い始めたのですね。よく「昔はさんざん自分たちがうまい汁を吸っといて、今になってそれを言い出すか・・・・・・、」なんてグチをいっていた人もいましたが。

もちろん自分なんかは、そんな裏家業を覚える暇もないうちにそんなことを言われていたので、うまい汁を吸うどころか散々その尻拭いをさせられたものです。
よく「溶かす」とか「流す」という隠語が当時使われていましたが、大体いい加減な人ほどそういう事(下取車を自社の中古車センターに入庫せず、自分の知り合いの中古車屋に買い取ってもらったり、自分のお客さんに直接売ってきてしまうこと)をやっていたので、名義変更をしないまま、車だけ横流しをしてしまうことが多かったんですね。で、そういう人たちが辞めた後、担当引継ぎでお客さんを回っていると「以前下取りに出したクルマの自動車税が未だにうちに来るんだけど、どうなってるの?」とくる訳です。
まあ、そういうことを散々やって私腹を肥やしていた方々が今では部長さんとか役員さんになっているわけですから、大したものです。まあ、誰というつもりもないですが。

話が本筋から外れてしまいっぱなしになるのでこの辺で軌道修正。

今でこそ車の買取屋さんというのも一般的になってきましたが、以上のようなことが平然と行われてきたことから判るように、以前の状況では新車・中古車に関わらず、下取車は査定金額で下取してもらう、というのが一般的な販売形態でした。
もちろん下取車が横流しされる場合は、査定金額分が横流し金額で充当されていて、お客さんへの請求金額は変わっていない、ということですね。最初はお客さんとの契約書は下取有りになっているのが、後日契約変更で下取無しに変わっている、というパターンが殆どですので非常にわかりやすい犯行手口だったですけど。この手がばれて、会社のお金を横領した、という罪に問われて何人かクビになった人が実際にいました。嗅覚が鋭くて、その前に辞め人もいましたけど。

さて、査定金額です。
今では一般化してきた中古車オークションでの判定基準に、以前の査定基準が迎合した形になってきています(減点基準が大まかになってきたという意味で)。以前の査定基準は、先ず標準状態と呼ばれる車の状態と年式・型式別の基本価格という数字がありました。
大雑把にいえば、基本価格は標準状態だった場合のクルマの基準仕入れ価格といったところです。つまりは何年式のこのクルマはいくらで仕入れますよ、ということです。
ただ、その標準状態と呼ばれる車の状態なのですが、「車検は3ヶ月以内」「車の外装・内装は無傷であること」「機関は良好であること」「事故などによる修履歴が無いこと」「装備品に欠品・欠陥・故障等のないこと」といった、現実的にはありえない車の状態を想定しているので、基本的には何らかの減点があって当たり前(つまり仕入れ価格が値引かれていく)という状況でした。
減点とは簡単に言えば「商品価値を回復するのに要する修理費・材料費の実費分」で、どんなにきれいな車でも「総磨き・ルームクリーニング」は減点しておくこと、といった内規なんかもありました。つまりは、あるべき仕入金額から商品化するまでにかかる経費を差し引いた金額が査定金額というものでした。お客さんに「そういう車(標準状態のクルマ)を下取りに入れなさい」といっているようなものですね。
で、逆に言うと査定における減点金額というものは「そのまま修理費の実費」という事にもなるので、これを大雑把に押さえておくと、事故をしたときなんかの「ヤマ勘見積り」にも役立つのでけっこう便利です。個人的には。
ただ、あくまでも最低限の実費ということ(つまりは叩かれた外注金額)なのと、この基準が平成11年頃のものなので、もういい加減工賃や部品代も値上りしているため、若干の修正が必要(×1.2とか1.5くらいか?)な所は注意点ですね。

次回からはもう少し細かくこの査定基準を説明していこうと思います。
それでは。

ディーラーとメーカーの関係 2

昨日の続きです。

ディーラーとメーカーとはあくまでも一体ではなく、別々のものです。判りやすいか判りにくいかはともかく、例としてよく上げられるのは「セブンアンドアイホールディングス(だったっけ?)」とセブンイレブンのお店の関係。
コンビニエンスストアの経営主体はあくまで脱サラした人や元々お店をやっていた人がセブンイレブンやローソンなどのお店に模様替えしてやっている所が殆どです。中には直営店もあるとは聞きますが、基本的には別。お店側は、セブンイレブンの看板や商標などの使用権、POSなどの販売システム、セブンイレブンで流通させている商品の流通権等を一括して購入しています。セブンイレブン側はその見返りとして販売ノウハウの提供や広告出稿、競争力のある商品開発などを一手に引き受け、毎月幾らという基本料金と売上の何パーセントという業績報酬を受け取っている訳です。

ディーラーとメーカーの関係も同じで、基本的にはトヨタの車はディーラーにしか卸していません。クロネコヤマトのように直に注文を入れるところもありますが、特にウォークスルーバンはクロネコヤマトの持ち込み企画の車ですから仕方のないところだとも思いますけどね。
ですからディーラーの親会社はクルマとなんらかかわりのない業種であることもありえるわけです。元が何の商売をやっていようとトヨタが「力のある販売店になる可能性がある」と思えばコンビニと同じく「トヨタ車を卸価格で売ってあげます」という「流通権」を売ってもらったところがディーラーの看板を掲げている所、という事になります。

流通権にはいろいろなものがくっついてきます。最近ではネッツ店にはじまる店舗イメージの統一から、整備機器の斡旋からメカニックの制服からトヨタ共販をはじめとした各種流通の斡旋などなど。トヨタクレジットなんかもそうでしたか。
知ってる範囲でばらすと、ディーラーで計上している定価販売での利益率は20%弱でした。大体15~8%といった所でしょうか(実際はこれから値引きが絡んでくるので相当落ち込む)。だから当時値引き交渉を(もちろん上司と)しているときには、オプションやなにやらで最終粗利益がこれくらいになるので、ここまで値引きならどうでしょうか?などといて値引き金額を引き出していました。

もちろん、卸価格で車が入ってくるのはいいのですが、買ったからには支払いがあるのは当然です。トヨタの場合、車が入荷されると自動的に3ヵ月後の手形を切らされるのだそうです。つまりは3ヶ月の間に車を販売してもらい、きちんと代金を回収してウチに支払ってくださいね、という仕組みでした。

というところで長くなってきたので今日はこのくらいにします。

2008年11月24日月曜日

ディーラーとメーカーの関係

「ディーラー」というと、メーカー傘下の、少々敷居は高いがメーカーのお膝元として、きちんとした体制を整えている販売店というイメージが一般的のようです。

「のようです」というのは、柴田自身は学校を出てから、そのままディーラーの新車セールスとして就職してしまったので、世間一般の見方というか、外の人間から見たイメージが逆に想像できないのです。
おそらく「トヨタディーラーの人間にこういう対応をされた」とかいう苦情や意見は、その人にとっては「トヨタに無碍な対応をされた」というように映っているでしょうから、当然メーカーも気にはしているでしょうし、営業手法や体制に関するフォローも販売店に対してはしています。ですが、トヨタ資本が入っている販売店もありますが、多くはトヨタ販売店の場合、地場資本による地元有力(?)企業による経営であることが多いようです。この為、例えば古巣である静岡トヨペットは静岡鉄道資本ですし、カローラ東海やネッツ東静岡なども同様に静岡鉄道が親会社です。他にはネッツトヨタ浜松は遠鉄資本だったりします。静岡トヨタはスタートは地場資本だったらしいですが、一時怪しかったらしく、その時以降は県内では珍しいトヨタ資本の販売店です。

昨夜、嫁さんとワン公達の散歩中にこのような話になったのですが、以上のような経緯ですから、メーカーにとっては販売店こそがお客さんな訳です。
つまり基本的な姿勢としてはお客さんへの助言やフォローはするが、それ以上ではないということも言えます。つまりは強気なお客さんというか、実績を持っているお客さん(ディーラー)は、メーカーの意向はおかまないなしで販売店統合(つまりはトヨペット店とか、カローラ店という垣根を実質無視しているところもある)をしてしまう所もあるし、メーカーの主催する研修には参加をしない、というところすらあります。
だから例えば新車発表の時とかにメーカーがTVCMとかは打ちますが、あれはディーラー支援であって、新車発表会の告知とかは、それとは別にディーラーで独自にCMを打ったりしています。

嫁さんに「それホント?」って聞かれたのはカタログとか幟や店内POPなどの販促物について。
実は、メーカーのお得意さんである各ディーラーは,色んなものをメーカーに斡旋されています。例えばカタログはメーカーから100冊いくらで買っています。さすがにセルシオやらソアラクラスになるとカタログもお高いので、確かあのへんは20冊単位だったように記憶しています。その他、新車発表会の案内告知DMそのものや、それ用の封筒、新車の印刷されたボックスティッシュやイベント用のお土産とか、イメージキャラクターの飾りつけなどもそうです。色見本のプラモデルもありましたが、あれもそうでしょうね。そういえば初代イプサムの時に起用された「イプー」のぬいぐるみとか、スタッフジャンバーもそうだったはずです。

メーカーは各種商品を潤沢にそろえていますから、売るものには事欠きません。例えばコンピューターシステムもそうです。サービスが使っているシステムももちろんですが、セールスが使っているものもメーカーからシステムごと買っています。元々は京都のほうのディーラーが独自システムとして作ったものをトヨタが買い上げ、システムを整備して他販売店でも運用できるように仕立て直したものだと聞きます。

ただ、ディーラーのお偉いさんという方々は今までいい時代を過ごしてきたセールスがその席にいることが多いので、言っちゃうとあんまり深く物事を考えるのが不得意な方が多いらしく、しかもサラリーマン重役な為に、どこかの国の官僚のように「使うことが大好き」だったりするので困ったものです。今そのツケを払っているようなのは、たぶん気のせいなのでしょう。そう願いたい所です。

その「深く考えない所」が遺憾なく発揮された事例がありました。初代イプサムがマイナーチェンジを受けた頃の事だと記憶しています。なぜかトヨタ販売店で、あのセガが開発販売していたゲーム機である「ドリームキャスト」を売っていたことがあるのです。
当時、実際の販売員である自分たちも「何でドリキャス?」と首を傾げました。うちらクルマ会社だよ、と。おそらく売れれば儲かると誰かさんに吹き込まれた役員連中が「ウチにはセールスが腐るほどいる。販売会社なんだから。あいつらに売らせればいい。売ってくるのはあいつらだ。」とまあ、こんな具合の経緯だったのでしょう。そのうち営業所にも5セットだったか10セットだったかのドリキャスがやってきて倉庫に詰まれていました。当然の如く、まったく売れなかったので、そのうち新車販売の「ご成約プレゼント」として、複雑な顔をしたお客さんの両手に抱えられ幾つかのドリキャスは去っていきました。残りは?多分かなり大量に残っていたのだろうと思います。そのかなりの部分は噂によると秘かに持ち去られた(従業員に)ようです。だって、在庫管理なんかしてなかったもん。そういえば所長も買わされてたなあ。
トヨペット時代の最後期に労働組合の端役をしていた頃、月イチくらいで本社(静岡)に行っていました。よく販売促進部というところの倉庫を間借りして作業や会議をしていましたが、あそこに幾つか忘れ去られたようにドリキャスがあったなあ。

タイムリーなもので言えばカレンダーもメーカーから買っていたそうです。8月くらいになるとメーカーから幾つか見本が送られてきて「どれにしますか?」とくるわけです。で、大概そのなかで一番安いのを選んで、「じゃあ、これを1万本(発注数は不明)」という具合。
でも、仮に1本300円として発注数1万本だと300万。で、静岡県内にはトヨタディーラーは9社あるから平均発注数を6000本としても1620万円。いい商売だなあ。全国のディーラーのがまとまれば、静岡県が全国の5%市場って言うから、その20倍として3億超の売上。むむむ。何気にすごいな。さすがトヨタ、商売上手だわ。

2008年11月22日土曜日

足もと

麻生君が叩かれている。

別に彼のことを一時たりとも信用した事が無いので、その世評の事などはどうでも良かったりもするんだけど。人間「顔」で評価しちゃいけないとは思うし、それを言われると自分はどうなんだ、という事もあるので自分も自信はない。
でも、いい年こいてあんなに歪んだ人相はちょっとどうかと思う。30過ぎたら自分の顔に責任を持て、という言葉があるけど、一卵性双生児だって30にもなれば双方の表情に少しずつ差が出てくるものらしい。それは両人の過ごしてきた経験値や環境の差が影響するのだとか。(それを思うと双子で売ってる芸人がいたけど、あれは恥ずかしい)つまりは、そこまで年齢を重ねれば親から受けついた骨格を変える事はできなくとも、本人の生活信条や人格形成が普段の表情を作り、人相を作る、という事なのだろうと思う。自分も気を付けなくちゃ。

麻生君が叩かれる理由を考えてみた。
思えば、小泉君は大した所のない、時代の流れがよかった(ビル・クリントンもそういうところが多分になると思う)時期に就任した首相だった。自民党の中の変わり者だったが為に、評判の最悪だった借金王・小渕、いなかっぺ大将・森という時代を経て、実に誤解をされやすい「自民党をぶっ壊す」というスローガンとアドバルーン役に田中真紀子を起用したこともあり、珍しいくらいの大勝をしちゃった。
それまでの首相経験者たちと違い言語明瞭・言葉はワンフレーズ、でも内容は浅薄だった。下手げに政策研究などすると、あるのかどうかも怪しい「政治的な勘が鈍る」くらいのことを言ってのけるほど、自身の政策信条は「郵政民営化」という実態はともかく看板だけは架け替える(つまりは目的と手段が完全に入れ替わっている)ことに終始していた。

それでも、威勢だけは良かったし、「道路公団民営化」とか「霞ヶ関改革」などという期待値だけは大きい掛け声は言い続けていたし、拉致被害者の帰ってきたタイミングにも当った事もあり、掛け声は郵政民営化選挙、内容は?というはぐらかし選挙にも大勝した。
つまりは、実際の働きはともかく、自民党の旗頭としての役目はきちんと果たせていたし、女性問題で足を引っ張られることも無かったので、殊、選挙というイベントに関しては非常に党員達にとっても都合のいい人だったわけだ。

ところが、次の安倍君は大負けしちゃった。ねじれ国会の元になる選挙で旗頭としての責任を果たせなかった。
次の福田君は選挙をまたず、解散をすることもせずに下りちゃった。選挙で負けて詰め腹を切らされるのが嫌なんだろう。頭は良いだろうから、わざわざ負け戦とわかって大将をやるバカはいない。織田信長のように一生に一度の大博打を仕掛ける度胸すらなかったということだ。これだけ公務員、中央・地方合わせての官僚・役人のやりたい放題が大問題になっていて、その刷新を公約にした知事達が出てきているのだから、この流れを使わない手はないと思うんだけどなあ。
で、旗頭を経験した事のない麻生君が首相になってしまって今に至る、と。つまり麻生君自身が選挙で勝ったことがないし、これでいざ選挙、となった場合に勝てるかどうかわかんない。だったら、もっと世論にあわせた策をやっておかないと次に今の椅子に座り続けていられるか分からない、というあせりなんだろうな。今の造反の流れは。

一回麻生君に選挙をやらせたら?人気取り、扇動、人身掌握というイベントを経験させないと、そういう気遣いをしないままの党首ってどんなもんよって思うんだけど。それこそ、自分の足元がおぼつかないってところが目に付きすぎるんだよね。








先日のタイヤについて。コロパパさんよりコメントをいただきました。ありがとうございます。

タイヤの横幅が増えるということは接地面積の増加に繋がるのでは、という主旨のご指摘かと思いますが、実は、横幅が増加しても、殆ど接地面積そのものは増えません。
確かに接地幅は広がるのですが、接地長が逆に狭まるので、タイヤと地面との接触面積は実は殆ど差がないのが実情です。なぜか?
扁平率の高いタイヤに比べると扁平率の低いタイヤの方が形として変形しにくい。この為、高扁平率タイヤは地面に対してべたっと潰れる為横幅は無くとも接地している縦幅が長いのです。低扁平率タイヤはその逆になるわけです。

2008年11月16日日曜日

タイヤのナゾ

未だによく解らないので教えて欲しいのですが、昨今の大きすぎるタイヤって、何の意味があるのでしょう?
特にクルマ屋さん関係で言うと大爆笑される例え話があります。
女性にはわかんない話になるのですが、まあ、そういう下(シモ)の関係のお店に行った時のことです。そこのお姉さんの使う褒め言葉「まあ、ご立派」。これって、無意味に大きいタイヤを見た時に言う「でけえなあ」と同じだよね、てね。

さて、話を戻して。大きなタイヤの事です。

大きいとイイコト。んー。カッコイイ?それくらいかな?まあ、あとはゴムの表面積が増えるので過剰な走り方をした場合には多少タイヤの劣化(交換サイクル)を遅らせられるとか?ほかにある?

基本的にはホイールを大きくする、という事はタイヤを大きくしたい、ということより大きなブレーキローターを入れたいので必然的にホイールが大きくなってしまう、という事のほうが大きいような気がします。ブレーキローターを大きくしたい理由は簡単。梃子の原理ですから、中心軸より、より離れた所の方がより大きい制動力が得られる理屈です。
その意味で言うとディスクブレーキよりもドラムブレーキの方が制動力は大きくなります。ただ、ドラムブレーキは効きはいいんですが、その効き方が直線的でない、とか放熱性がよくないとか、整備性が・・・・、とかいう理由で現在の主流は効きの悪いディスクブレーキが主流です。
ディスクブレーキは効きが悪い代わりに、その制動力の伸びが、器機にかける力に対して直線的なんだとか。判りやすくいうとブレーキの効きをブレーキペダルにかける力で調整しやすい特性があるのだそうです。でもドラムブレーキのままの大きさだとブレーキそのものが効かないので、ブレーキローターそのものを大きめにする必要があるわけです。つまり、それを収める為にホイールも大きくなる、と。
以前は、センターローターといって、ホイールの中にブレーキがあるのではなく、ドライブシャフトの付け根(つまりエンジンやデフのすぐそば)の車体中央付近にブレーキがある、というものもありました。バネ下重量の低減などのメリットもあるのですが、ただ、整備性が悪すぎることや、放熱性の問題があって今では「ハマー」くらいにしか採用例が無かったと思います(ハマーの場合は泥だろうが砂漠であろうがお構いなしに入っていく車ですので、制動力を確保する為に比較的ブレーキシステムが汚れにくい車体中央にブレーキを持ってきたかった、という理由だと聞きます)。


話は戻って。もちろん、運動面におけるバランスで「このくらい」というホイールサイズはあるんでしょうけど、ホイールだけが妙にデカイのは却ってバネ下重量が増えるだけでしょうから、大きすぎるホイール=余計な重量物でしかありませんから、路面への追従性が低下することになりかねません。
大きなタイヤ(=幅も広い)なら接地面積も大きい。イコール高性能、という誤解があります。実はタイヤの幅が広くなっても接地面積にはほとんど変化がありません。なぜなら幅広タイヤの場合はその分扁平率が低い(単純にいってホイールから地面までのゴムの厚みが、より薄くなる事)為に、自重を支える為ゴムそのものが変形しにくく作ってありますので、横幅は広くなってもその分縦の接地長が短くなる、という理屈です。

というわけで、自分的には昨今の大きすぎる新車のタイヤ設定には首を傾げています。傍目にはかっこいいのかもしれませんが、座っちゃえば見えんのだし、その分犠牲になるものが大きすぎるように思うのですよね。タイヤの交換費用や、乗り心地、サスペンションや車体にかかる負担、余計に必要な初期の運動エネルギーなどなど。
なんとなく、という感覚で言えばイイトコ16インチまでがせいぜいじゃないかな?普通のクルマなら15インチ位でしょう。先のタイヤの扁平率も、いっても55とか50まで。

ちょっと前、どこかの自動車雑誌で「インチダウン」という言葉が流行った事があったそうです。行き過ぎるホイールの大径化(「インチアップ」と呼ばれます)に対して「逆に少々インチダウンさせるのが知的」なんだとかかんだとか。ただ、メーカーとしては「純正サイズ」でセットアップしている訳ですからあんまりカッコツケだけでホイールを換えるのはいただけません。
そんな訳で僕のロードスターは純正サイズの純正ホイールを履かせている訳です。ただ、車高が落としてあるのでこれは元に戻さなくては、というのが今後のメニューですね。既に純正のダンパーとバネは用意してあるのですが、何時やろうかな、と。
ベンツ君も初代オーナー(自分は2代目)がメーカー純正オプションで16インチにしてあります。これも本来のサイズに戻してあげたい、と思ってはいるのですが。いつの事になるのやら、というところです。

2008年11月15日土曜日

給付金

給付金について。

あんなんやってなんか意味があるのかね?かつての地域振興券と同じじゃんか。あの大失敗したさ。かわんねーよ、あんなの。

1つ疑問なのは、何で「払う」というか「支出すること」はすぐに考えるくせに、減らすことには妙に消極的なのか?という事。
今回の給付金についても、その分国家予算から2兆円分を何とかやりくりして(例えば公務員のボーナス支給を止めて、それで捻出するとか)払うってんなら判らんでもないけど、埋蔵金を当てにするとか、借金してその払いは後回し、とかそういうことなんでしょ。
ばら撒きによる経済効果っていうけど、でも基本的に日本人って溜め込むのが好きな性癖があるからやはり無駄なように思う。そうでなければ郵便貯金がああまで巨大にならないよ。

逆にブラジル人なんかと付き合ってると、何でああまで気前よく遣っちゃうかな?と思うけど。何でもかんでもローンにしたがる。ああいうの見てると、アメリカ人の消費形態もあんな感じなんだろうな、と思う。

麻生君の庶民感覚が、とか色んなこと言われてるみたいだけど、結局何かをやる為に総理になったのではなく名誉職として一度はあの職に就きたかった、ということでありすぎるんじゃないのかな、と。ウチの家系として、一度は総理大臣くらいはなっておかないと、とかね。グランドプランが無さ過ぎるよ。大久保利通の係累だとかいう事らしいけど、比較対象にもならない。
大政奉還の成った時に、坂本竜馬の作った人事案の中に当の本人の名前が無かった、というエピソードがある。西郷隆盛に「なぜあんたの名前がないのだ?」と聞かれた際、竜馬は「位人臣を極める為にやってきたわけではない」といった意味のことを言ったそうだけど、それこそ、鶏が先か、卵が先かという話で、大政奉還は自身の望む生活形態・政治形態に必要な措置だったというだけだったのだろうと思う。
大久保利通にしたって、島津久光に取り入ったのはその先にしたい事があった為だといわれているし、事実出先の西郷と薩摩内部の大久保という両輪は実にいい動きをしていたと思う。


話はちょっとずれるけど、「位打ち」という言葉がある。単純にいえば、官職や勲章などの名誉を贈って相手を篭絡するという手段の事なんだけど、以外にこれにハマる人って多いんだよね。レベルは異常に低いけど、僕にもこれをヤラレタ事がある。トヨペットを辞めようとしていたとき、それを地区部長に言いに行った。
地区部長と言っても、つい直前まで自分の居た「有玉店」の所長だった人だった。辞めてどこに行くんだという話から何から。早い話が慰留なんだけど、その話の中で「そろそろ柴田も主任にしなきゃならんと思っていたが・・・・、」なんて事まで言い出した。「ああ、これって位打ちだな」って思った。
最後には「お前の良いと思える環境にしていくことを約束する」とまで云われたので、もうしばらく留まることにしたんだけど、結果としてその約束は反故にされたも同然だったので、結局は辞めたんだけど。

なんか、上役になればなるほど権限も大きくなるけど、それに伴う責任も大きい、という事がすっぽり抜けているような気がします。「権利」と「義務」の関係のようにね。
2兆円もばら撒くのは良いけど、それに対する結果責任だって問われるべきなんじゃないですか?「皆さんに選ばれた私の行った政策なわけですから、その最終的な責任は国民にある」って?いいの?それで?

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何とかオリジナルの現金出納帳なんぞも何とか形になり、やり残していた自動精算シートへの今までの請求書の打ち込みの仕直しをしていたんですが、印刷時になって気がついたことが。

何時の間にやら余白の設定がいじられているのか、どういう原因かわからないのですが、今までA4の用紙に入るように作られていた書式が少々はみ出す様になっており、1ページの用紙が2枚に亘るように自動改変されてしまっていました。念のため他の計算シートも見てみましたがやはり同じように2枚にわたるシート内容になっていました。
近頃はまったくいじってもいなかった、一番元になっているシート原紙も確認してみましたが、やはり同様に2ページにわたるシートになってしまっていました。何で?

例えば、ウインドウズの自動アップデートがあるじゃないですか。あの改変でウイルスに犯されないようにという理由でワードやエクセルもバージョンアップを受けるときがあるように思うのですが、あの時?うーん。そんなことってあるのかな?

どなたか同じような被害(勘違い?)にあわれた方はいらっしゃいませんかね?あれー?なんでなんだろう?

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2008年11月9日日曜日

続・新型ディスプレイ

昨日に引き続き、新型ディスプレイについてです。
チョコチョコといじっていると何とか2画面表示というか、同時使用のやり方が判明してきまして、今ではヒョイヒョイと、あちこちの画面にウインドウを移してはこっちでこの操作をし、これも見ながら、とかいうのを出来るようになりつつあります。もちろんいつものように人に聞くなどという姑息な手段を使わずに、一人でああでもない・こうでもないとブツブツ言いながらやっています。時間はかかりますが、なんとなく理解しながらやっているので、いざという時には対処方法というか逃げ方が判るので、やはり自分でやる方がいいかな、と。

さて、このようなワイド画面と2画面環境とを一挙同時に手に入れたので、ここに到ってやっと「ウインドウ」という画面システムの恩恵というか名前の意味を再確認いたしました。今までは全画面表示しか使っていなかったので、なんとも思っていなかったのですが、こういうことだったのね、と。ああ、サルだなー、と自分をせせら笑ってみたりしています。

以前、サブで使っていたシンクパットも、ここまでデスクトップ環境がくると殆ど開くこともなくなってきています。
ま、そんなことは兎も角、以前このシンクパッド(もちろんIBM時代の製品)のメインメモリを増設してあげたことがあります。その「メモリを増やす」という行為の意味の説明として「作業領域としての、事務所で喩えると『机の面積』を広げてあげる」という事をどこかで読みました。
で、今回この画面の拡張と2画面化とで「この机を広げる」ということを「ああ、こういうことか」と自分のこととして実感しております。うーん。広いってステキ。快適だし、作業もしやすいし。

3年ほど前、メインで使っているデルのデスクトップを新調した際の事です。
ここは気張ってとか思い、メインメモリを当時ではあまり聞いた事のない2GBにしてあげました。ちなみにシンクパッドは256MBでしたが。
XPの使いこなせるメモリは上限4GBという事なので何時かは、と思わないでもありません。でも今でもメモリはソコソコ金額がするのと、4Gということは「1GBのメモリが4枚」必要という事になります。VISTA時代の今となっては2GBのメインメモリも珍しくないのでしょうが、XPなんだし、もう少し我慢しようかな、と思っております。今でも変わらずサクサク動くしね。それでもたまにはハードディスクのクリーンアップとか、古いファイルの圧縮とかやってますけどね。

2008年11月8日土曜日

新型24インチディスプレイ

しばらく、価格コムのページを睨みながら、どうしようかこうしようか、と悶々と考え続けてきた新型ディスプレイ。
先日ついにエイヤッと購入ボタンをクリック。在庫は無いけど最安値だったアマゾンで購入決定。あんまりアマゾンに好い印象がないのだけれど、まあいいかという事で。

ついに来ましたよ。今日、さっき。
寸法のイメージは巻尺で考えていただけだったんで、梱包を空けてみて「けっこうデカイな」と。そして設置(机の上に)してみて「でかっ」。接続してみて画面を立ち上げてみて「文字小さ!」。
逆に画面が大きいので、相対的に文字の小ささが気になり、今まで使っていた壁紙が「え?こんなに画面サイズ小さかったの?」という感じ。
しかも今まで画面接続がアナログだったのが、デジタル接続に変わったためもあるのかなんか妙に綺麗です。秘蔵の画像も、なんかステキに映してくれるます。でも今まで気がつかなかった画像データの大きさに違和感もあったり。

2画面プランにも挑戦していますが、いまだ旧デルモニターは暗いまま。沈黙を保っています。
ただ、ウレシイというか誤算なのは、ここまで横画面が広いと「ツインにする意味」が相対的に薄くなっちゃったかな、と。
普段はA4縦の紙サイズを意識して帳簿なぞをいじって使っていますので、横が広々していて、これならA4見開きサイズを意識してエクセル使っても大丈夫そうな感じです。さっそく新帳簿を作ってみるつもりです。だって、早々に現金出納帳は作んないと。来年は課税業者になっちゃいますからね。

それではまた。

2008年11月6日木曜日

目付

リンクサイトである、「F&F」は、きちんと毎日更新されているので、柴田的には、ほぼ毎日チェックを入れるサイトさんです。
そして、今日のコラムは公務員について書かれていらっしゃいました。

今までの「しばた新聞」で書いたか書いていないか記憶にないのですが、公的機関にも会計監査を義務付ける方法がないものだろか、と思案したことがあります。確かに会計監査局なる機関が有るのは承知はしていますが、所詮といっては言葉が過ぎますけど、同じ穴のムジナどうしなわけです。歴史の長い機関であればあるほど慣れや手抜きや横着仕事が蔓延するのは公務員も民間も同じことです。つまりは「仕事やってます」というポーズ以上のことはしなくなるのが当たり前であって、それに期待するほうが馬鹿馬鹿しいものです。

そこで考えたのが「第四の権力」や「ペンの力」などと、自らを形容されることの多いマスコミ関係の方をうまく使えないか?というものです。
記者クラブとかいうところで、官僚からエサ(ネタ)を撒いてもらい、飼いならされているようなモノという事を耳にした事があります。
まあ、そんな出来レースのようなことは誰にでもできる程度の人にやってもらうようにして、ムダや、無理・ムラを積極的に採り上げてもらい、それによって浮いた国家予算の何パーセントかを手数料として新聞社などに還元し、広告主に左右されない独自財源としてもらうという仕組みはどうだろう?というものです。

ただ、ここでも出来レースになる可能性はありますから、例えばマスコミ関係企業の収入面における企業からの広告出稿料を全体の50%以内にすることといった枠を作って、真剣にチェックをすることが自身の収入に繋がる、といった仕組みだったらどうかなー、とか妄想しました。もちろんここでも良からぬ事を考えるやからは出てくるでしょうから、自信が潔白であること、という紳士協定に強力な罰則を付随させることは必須かなー、とか。

そうすれば、先ず官僚や地方公共団体の使い込みや汚職などは積極的に外部の人間がチェックを掛けるわけですし、それが収入にもなる。でも、ある程度緊張が維持できなければ収入は減ってしまう。企業としても、広告出稿そのもの意味を考え直すきっかけになるのでは?とか。また、大企業であればあるほど広告費用の率が大きいでしょうから全体でいえば商品価格や原価の上昇も抑えられるかな?とか。まあ、妄想ですけどね。


何で、それを思いついたときに書かなかったかというと、ただ単に忘れてた。今日思い出したのはタイトルの「目付」というキーワードを思い出したから。

幕末の頃、遣米使節団(勝海舟とか福沢諭吉とか)が派遣された時に、彼の地で珍らしがられた風習の1つに「日本人は、どこに行くにも、いつも二人連れで出かける。いつもスパイを連れ歩いているのだ。」といわれたそうです。その「もう一人」とは「目付」の事です。

目付とは大目付が老中直属、目付が若年寄直属のいわば監視役の事です。大目付が大名や朝廷、目付が旗本などの御家人を監視する役割だったそうです。トップ直属機関というところがいい感じです。
しかも位も高かったそうで大目付の場合「○○守」という称号までついたとか。ここまでなれば確かに手を回そうにも手が付けられなかったでしょうなあ。何でこういう良い制度まで忘れちゃったんだろう。

別に「消費者庁」の創設を笑うつもりはありませんが、そんなお茶濁しを考えるより、「綱紀粛正」を旗頭に目付を復活した方がよくないですかねえ。公務員がクビにならない、という幻想を先ず潰すことが先決なような気がするんですけど。ま、あくまでも妄想の域を出ませんが。

2008年11月2日日曜日

クルマのガラス磨き

今日は、しばらく前から気になってしょうがなかった「ガラス磨き」をしました。

普段乗っている車ならばともかく、露天駐車のまましばらく乗っていない車は、かなりの確率で「雨ジミ」が、特にフロントガラスにこびりついていることが多いものです。あの雨がたれている様子がそのまま残ってしまっているようなガラスの表面に見覚えはないでしょうか。

思い起こしてみると自分が乗っていたクルマよりも中古車屋で仕入れてきたクルマにそれが多いようです。ウチの車で言うと「ロードスター」や「ベンツ」。あと、「銀ヴィッツ」もそうだったかな。てことはやはり長期在庫車になればなるほど雨染みがつくのか。ふむ。
ところが、あまりガラスを磨いている光景というのは見た記憶がありません。

ディーラーでは、下取の車が入ってくると先ず一通り洗い上げます。内装も外装も。この時点では、つい昨日今日まではお客さんのところで日常的に乗られていたわけですから雨染みが気になるレベルではないと思われます。
自分がしているような「シートを外して中をがらんどうにしてから洗う」ことまではしません。あくまでもそのまま洗える所までは手を付ける、というレベルです。よほど酷い要鈑金箇所は展示前に直しますが、軽微な箇所はそのままです。

後は展示場に並べてお客さんがつくまでは、先ず手を加えられることはありません。なぜって、「手を加える=補修をする」ですから、その度に原価が上がっていくことになります。わざわざ利益率を下げるようなことをする訳がありません。
先ほどの「軽微な鈑金箇所はそのまま」というのも、仕入原価を上げて売価をあげるよりも、お客さんの選択に任せて、その表示売価を下げる方が得策だ、という判断があるからです。

もちろん、展示前に点検をする、という事もありません。長期在庫になってしまう場合は、改めて点検をやり直す羽目になりますから、その分の点検代が勿体無いからです。つまり並んでいる車の機械的な状態は、お客さんに売れてしまうまでお店側は全く気が付きません。長くなってしまうので中古屋さん(ディーラーの中古車部門も含む)の実態はこのくらいにして。

そんなわけですから、長期在庫中に雨染みがついてしまったクルマは、既に洗い上げは済んでいるものとされているため、後はお客さんから要望のあった加修や補修のみを済ませて納車、という段取りになります。

つまりは雨染みを気にしてわざわざ磨く、なんて作業日程が加わる余地は無かった訳ですね。

さて、そのガラスについた雨染みなんですが、普通のコンパウンドでは取れません。なぜって、その正体は酸化ケイ素(なんだとさ)だからです。ガラスと非常に馴染みやすいというのもありますが、酸化ケイ素自体が硬すぎて、ふつうのセラミックス粒子なんぞでは歯が立たないのだそうです。
つまりはガラス用のコンパウンドでないといけません。ただ、先ほどの理由で、その作業自体が珍しく、ガラスコンパウンドの需要そのものが少ないため、高いです。普通のコンパウンドの倍くらいしました。

で。そんなこんなで磨いたのですが。

いいですねえ。自己満足ですけど。ピカピカのガラスは視界もよく、気分がいいです。

綺麗です。ワイパーを動かしても引っ掛かりが無く、きちんと水滴が拭取られます。
これは雨染みと一緒に油膜も綺麗さっぱりと取っちゃったからです。

明日は、内装の掃除をしてあげたいと思います。シートを外すところまではやりませんが。

2008年11月1日土曜日

昔の事。

永くクルマ屋をやっていると、一人のお客様で2回目、3回目の代替ということも珍しくないですし、実際今お付き合いしていただいている方の殆どはそういった方になります。ただ、1台のクルマに乗る期間がこうも長くなってくると、久方ぶりの代替という事もまま、起こる事になります。

で、そこで起こる事(つまりは商談の際の交渉の場面)は、そのまんま7年前、10年前の再現だったりすることも珍しくありません。というより、そのまんま。
普段は調子伺いだったり点検の案内だったり雑談だったりで、そんなことを何年間も繰り返しているので商談の場面でのその人特有のクセなんぞすっかり忘れていたのに、その時になって「あっ」と思い出す。「しまった。忘れてた。」なんてね。「そういえばそうだったよなー」とか。

こちらも商売ですから、よっぽどまでは我慢しているつもりなんですが、今までに何回か商談をこちらからお断りした方があります。なんというか手癖の悪い方というか、商行為の相手とするには、どうもお行儀の悪すぎる方がいるのですね。
礼儀として、商談を持ちかけた、持ちかけられた、のいずれにせよ、話をはじめた以上は良い方向にせよ悪い方向にせよ、きちんと結果を相手に伝えるのが当たり前だと思うのです。でも中には、ギリギリまで引っ張って「やっぱり.....」なんて断り方をする人がいました。嫌なら嫌ではっきりと途中で「ここまで」と言ってもらえれば、こちらもお仕事ですから「ああ、そういうことでしたら結構です」という事で、すんなり引き上げてくるのですが、どうも話を打ち切れない方がいる。
他には、これは新車販売の時でしたが、値引きがうるさ過ぎる人。これも嫌でしたね。新人の時なら兎も角、ある程度以上のキャリアになれば注文書の値引き欄は常にチェックをしていましたから、車種別の上限決済金額(つまりは値引きの通る範囲)は殆ど頭の中に入っているわけです。ところが、こちらのいうことを一切聞き入れず、とにかく「もう一度所長に聞いてきなさい」の一点張りの人。こちらもあまり気持ちの良い商談相手とはいえなくなってきてますから、「それなら結構ですから、もう帰ります」といって何度か帰ってきちゃったことがありました。
実際、最終的には買ってもらった方もありましたが、既に相手に対するこちらの気持ちが冷めていますから、その後のお付き合いは業務連絡上以上のものにはなりませんでしたね。



あ、そうそう。よく「私は所長決済まで行かないと買わない」なんて自慢げに言う方がありますが、あれ、雑誌の読みすぎです。
確かに毎月の所長会議資料には「条件指示枠」と「所長枠」なんていう欄が分けて書いてありましたが、名ばかりでした。所長枠で値引きが収まっている注文書は当時殆どありません。所長の机の横には条件申請書の紙が束になっていたものです。
つまりは所長枠ですら、常に大幅にはみだしている注文書が普通で、そんな中「所長でござい」とばかりに(値引きの)大盤振る舞いしていたら部下に示しがつきません。
つまりはベテランセールス出身であることの多い所長のまとめた商売であればあるほど「こんなもの」という数字でまとめられた注文書が多いのが事実でした。途中、それを逆手に取り、商談中のお客さんに必ず所長を紹介するようにすること、なんて余計な御指導が本社からあったりしたのものです。

自分の場合は、そういうお客さんに対しては、さっさと所長をあてがって条件を切らせていました。「とにかく所長さんが出した条件なんだから......」という事だけで納得してくれるのですから楽と言えば楽なんですが。実際には「よくこんな数字を平気で言うよなあ(つまりは抑えた値引き金額)」とか思いつつ。


本日の教訓。
あんまり人(雑誌・新聞など)の言うことばっかり鵜呑みにしてると碌な事が無い様に思います。相手も同じ人間な訳ですから、結局は営業を味方につけておく作戦の方が良い様に思うんだけどなあ。

それでは今日はこの辺で。

2008年10月25日土曜日

co-op

安堂さんには先ほどお詫びのメールを入れました。先ず「ごめんなさい」と、ひとこと言っておかないとどうも更新する気になれなかったからです。
今後できる限りの注意を払うようにいたしますので、先日の件は重ねてお詫び申し上げます。ごめんなさい。


さて。
最近新聞を読まなくなりました。以前は日経新聞を取っていたのだけれど、なんかつまらないので購読を止めたのです。で、無きゃ無いで、そのように通してしまっているので、まあいいや、と新聞のない生活にすっかり浸かっているこのごろです。

ですのでこれは、どこかで書かれているのかもしれませんが、「CO-OP」。またしてもコープ、つまり生協の品物で薬物が検出されたとか、いないとか。ん?

そうそう。例の農薬ギョーザも生協の品物だったですよね。

でも生協って、名の通り「生活協同組合」ですよね?組合員の為に、組合費を払っている人だけのスーパーとかやってるとこですよね?そういうところで、そんな品物なんですか?別に中国を工場として使って、安くて質のいい食品を安定的に供給するということは、とてもいい事なのでしょうけど、どっかで目的がすり変わってきていることってないですか?どっかの国の公務員たちのように。住人の為ではなく、自身の保身の為に、という風に。

どっかの衆議院議員のように「国会議員は年収4千万なんですよね」とか、あれって間違っても言ってはいけない事だと思うんですよね。その時点で議員としての倫理観念はありませんって公言してるようなものだと思うんですけど。
たしかに職業の1つなんでしょうけど、職業・家業としての意識じゃまずいでしょう、あれは。それこそ、あの発言は、もっと問題にしてもいいと思うんですよね。それこそ松岡君や赤城君や禿のおっさんよりも本質的に悪質だと思う。却って邪気が無いだけに素で言ってる訳でしょう。てことは「そんな馬鹿でいいのか?」ってね。まあ、選んだ人の代表なんだから母体もそうなんだ、と言われればぐうの音もでないか。はあ。




2008年10月19日日曜日

パッケージングと運転姿勢

コロパパさんのHPにて、運転姿勢や車のパッケージング、などについて触れられていましたので、私見も交えてちょっと。

文中、アテンザの主力市場が日本以外にあるから、向こうの人の体型に合わせているのでは?というところについて。
別にマツダを擁護するつもりはありませんが、個人的には「ま、こういうこともあるのでは」といった程度のコメントを。
基本的に日本向けのクルマでは交通事情がありますから当然右ハンドルで設計します。欧州ではイギリスを除く全て(?)の国が左ハンドルであるやに聞いております。
いきなり何を言い出すかというと、クルマというのはその運転装置の配置の関係上、左ハンドルに比べて右ハンドルのクルマは、少々運転席の位置が後ろに行きがちになってしまうということがあります。
コロパパさんは以前北欧の方にいらしていたことがある、という文章がありました。柴田自身は殆ど国外には出たことがないし、日本国内で運転する以上は左ハンドルは不便で仕方が無いので乗らないことに決めているので、あんまり自分の経験の裏打ちはありません。
が、左ハンドル車の場合、ホイールハウスと呼ばれる室内へのタイヤの膨らみをフットレスト(左足の)スペースとして利用することによりペダル配置を10cm前後、前方にずらすことが可能だと聞いています。
で、その辺の設計共用の辻褄を合わせるようにチルト・テレスコピックハンドルなどの位置の調整機構が採用されている、というのは穿った見方になるでしょうかね。

ここ数年、トヨタのFFのコンパクトカーは初代ヴィッツ、ビスタ・アルデオ、初代プリウスの頃を皮切りに軒並み150センチくらいの全高を実現してきました。こうすることにより、従来の身長の低いクルマで当たり前とされてきた、足を前方に投げ出して、シートを倒すという安楽椅子のようなシートポジションがばっさりと否定されたと思っています。(今でもそういう運転姿勢をとっている人は少なくありませんけども)
全高が高くなったことにより、床面と座面の高低差が大きく取れるようになりました。するとソファーのような座り方から事務椅子のような座り方に変わり、同時に膝の曲がりの角度が直角に近い角度となります。こうすることによって運転ペダルをエンジンルームの奥深い所に配置する必要がなくなりました。
このため比較的こうしたプロポーションのクルマは、運転姿勢が合わせ易い傾向があるように思います。つまり、右でも左でも適正位置で設計できるということです。ただ、自分的には、惜しいことにハンドルポストの位置(ハンドルの中心軸)がけっこう低い位置から突き出ているので、膝周りのスペースが少々窮屈になってしまっているのが残念な所です。
アテンザは、以前から比べれば背も高い車ではありますが、車のキャラクターもありますから、比較的低い(座面と床面の高低差があまり取られていない)ポジションで設定されていませんでしたっけ?これが理由のひとつかな、と思うのですが。

エアバックという装置があります。基本的には火薬を使って、その爆風で布製の袋を膨らませ、乗員のケガを低減させるのが目的の装置です。ただ、風船が膨らみきったその時に乗員の顔面を受け止めるのではカウンターパンチを受けた状態になります。このため、乗員の顔なり胸を風船が受け止めるタイミングは「既に膨らみきった後のしぼみかけた状態」が理想です。
理想的な運転姿勢といわれるのは、コロパパさんが仰っていたようにシートの奥深くに座っている状態で、手を前に伸ばした時に、ある程度余裕がある状態でハンドルの輪の上端が手首の辺りに来る位、と言われています。で、これをまともにやるとハンドルがかなり近い位置に来ます。でも、これがエアバックの設計時にも標準状態として設計されている姿勢です。風船の容量は大体運転席で60リットルくらい。助手席で120リットルくらいとされているようです。
先ほどの理想的な運転姿勢をとろうとすると随分とシートが前に来て、更にシートの背もたれもかなり立てた状態になると思います。そう。殆どの人はシートが寝すぎています。エアバックメーカーの人の話ですと背もたれの理想角度は21度くらいだそうです。もしや、と思った方は御家族の方に協力してもらって、写真を撮ってもらってから測ってみてはいかがでしょう?
では、シートが寝ているとどうなるか?つまりはシートベルトが肩から浮いている状態ですね。
エアバックが作動するような衝撃がクルマに加わった場合、まずクルマが行うのはシートベルトの締め付けです。とにかく乗員をクルマに固定しようとするのです。それでもシートベルトは乗員の重みで伸びます。そのシートベルトで支えきれなかったエネルギーをエアバックで吸収しようとするのです。
シートバックを立てて、シートに深く座っている人は、きちんとシートベルトが体に密着しているはずです。この状態ならば、さっきのように車がきちんと乗員を守ろうとする動きが効果を発揮してくれるでしょう。
ですがシートを寝かせて、座面にも浅く腰掛けている人は、シートベルトがうまく作動しません。いくらクルマが乗員を固定しようとしてもうまく固定しきれず、運動エネルギーが相殺されることなく前方に突っ込んで行きエアバックのカウンターパンチを食らうことになってしまうのです。つまり、エアバックは「きちんとした姿勢でシートに座り、更にきちんとシートベルトをすることによって初めて被害を軽減できる役目を果たせる」という性格のものなのです。


という事で、きちんとシートベルトはしましょうね。
警察はシートベルトを五月蝿く言いますが、個人的にはそんなことは行き過ぎたお節介だと思うんですよね。いくら言ったってやらない人はやらないもん。実際。
結果、その人が大怪我をしたところで自己責任じゃん、というのは酷い物言いなんですかね。それこそ保険の治療費の支払いもシートベルとしてなかったときは2/3とか、1/2くらいに削減するってくらいでいいんじゃないですかねえ。いい大人なんだから取り締まられるからシートベルトをするなんて恥ずかしいじゃない。そのくらいの結果責任は受け入れるべきなんじゃないのかなあ。とまあ、いつもの余分なことまで言ってしまいましたが、今日はこの辺で。

2008年10月18日土曜日

あらら

安堂さんに随分と持ち上げられてしまいました。文章を目で追いつつ、思わず「あらら...」と呟いてしまいました。うむむ。

で、まず反省点。
普段お客さんとしゃべっている時に必ずといっていいほど持ち歩いているのがサインペン(ラッションペンみたいな先の太い奴)と、A4の紙を何枚か留めたバインダー。何に使うかというと、そこに絵を書きながら説明する訳です。もちろん普段は顔色というか表情を見ながら話をしますので「あ、この人はこの話についてこれなくなっているな」と感じると、ちょっと待ってね、と言いつつ上記の秘密道具を取り出して「こうこう、こうなっていて」と説明する訳です。

ところがブログ上では相手の表情が読めないので、ついつい流して書いてしまう所があります。安堂さん、わかりにくい文章でごめんなさい。

大丈夫ですよね?とありましたが、どういう状況か、どの程度のパンクなのか見ていないので、返答の仕様がないんですよね。実際。
まあ、ただ、文中の感じからするとおそらく釘を踏んでしまい空気が抜け始めたばかりの状態だと思いますので、ゴムの痛みを心配しなければならないほどのタイヤのひしゃげがあったわけではないと思います。いいんじゃないでしょうか?
もし、ご心配な様であれば、欧州車ってスペアタイヤが標準サイズだったと思いますので、今回のドライブ中だけそのスペアに入れ替えておく、というのはいかがでしょう?あ!ランフラットだからスペアを積んでいない?BMWの車両状態を知らないや。

 
 ちなみに「たんこぶ」って表現したのはこれのことです。
この方の場合、おそらくは縁石か、それに類する段差に乗り上げたことが原因かと思われます。
で、中のワイヤーが切れたことにより写真のようにそこだけ張力を失って「たんこぶ」が出来てしまったと。こうなると、想定しているタイヤの強度が出ませんので、最悪バーストしちゃうかな?という事になるので「交換です」となります。


今回は写真付にしてみました。これなら判り易くなりますか?

2008年10月14日火曜日

ランフラットタイヤ

安堂さん主催のHP「らかす」で、ランフラットタイヤについて触れられていました。おそらく氏の事ですからユーモアに包まれた格好で脚色がなされているのでしょうが、文中出てきた「若い男性(ディーラーで最初に電話口に出た人)」のような人も少なからず居るでしょうから、知っている限りのことを書いておくのも良かろうと思いました。


自分の経験の中で言うとランフラットタイヤが登場し始めたのは平成13年ごろの事だと思います。初めて納めた装着車は、あの屋根の開く電動オープンカーになった形のソアラです。
当時カタログにあった謳い文句では「とにかくトランクルームが狭いので、ゴルフバックを納める必要のある方はメーカープションの『ランフラットタイヤ』をお選びください。」となっていました。
最近はパンク修理キットでお茶を濁すクルマもありますが、基本的には「パンクをしても、ある程度の距離は自力で何とか移動できるような内容の装備品を備えていること」という内規か法令でもあるようです。
つまりソアラの場合は屋根を仕舞う必要上、スペアタイヤのスペースを犠牲にでもしない限り、トランクルームには余計な物など入る余地は無い、ということですね。このためオプション扱いとはいえランフラットタイヤが比較的速い時期に市場投入されたわけです。



さて、忘れないうちにそろそろ本題に入りたいと思います。ランフラットタイヤの一番の売りは、完全にタイヤの空気が抜けてしまった場合でも、そのサイドウォールのゴム層を厚く作ってあるおかげで100キロ程度は自走が可能である、ということです。

何でサイドウォールを厚めに作ってあるかというと、そこを厚く作ることでホイールのリム(ヘリというか耳というか)を保護しようということです。何でそこを保護するのかということですが、おそらくアルミホイールを想定しての事でしょうけど、アルミホイールは軽い(必ずしもそうでない場合も多数あり)のはいいのですが、てっちん(鉄製ホイール)に比べると材質として粘りが無いので、つまりは衝撃に弱い。特に直接大きな衝撃が加わった場合、ホイールそのものが割れてしまう場合もあるやに聞きます。
もうひとつの理由は、今時のクルマのタイヤというものは、その殆どがチューブレスタイヤだということです。昔はタイヤの中にチューブが入っていましたが、今はその代わりにホイールのリムとタイヤが密着することで気密性を確保していますから、ホイールが割れてしまうのは論外ですが、変形してしまってもその後の再使用が出来なくなる可能性が高いのです。
まあそんなこんなで、ホイールにゴム草履を履かせて、何とか最悪の事態を防ごう、という発想なのです。おそらく銃弾でパンクしてしまった時などを想定しているのでしょうね。


安堂さんのBMWが、どの程度のパンクであったのかは知る由もありません。が、おそらく途中から空気圧警告灯が点いた、という事や、真新しい釘が刺さっていた、という事から走り始めて間もなく釘を踏んでいたのでしょう。
おそらくその程度であれば、パンク時の対応は普通のチューブレスタイヤと同等の感覚でいいと思われます。つまりはトレッド面でのパンクならば修理が可能ということ。

ソアラでもランフラットタイヤ装着車には空気圧警告装置が付いていました。ちなみに、夏に規定の空気圧で調整してあった状態で、冬の寒い時に警告灯が点く位敏感でした。
想像するに、空気が完全に抜けてしまった場合の走行可能距離は、応急用タイヤに比べてランフラットタイヤのほうが短い事。また、100キロ程度は走れる、とは言っても路面状況によっては「絶対に大丈夫」という事を言い切れるのか?(つまりは「走ることが出来る」ではなく「走ろうと思えばできなくもない」という程度。あくまでも緊急用。)ということなのでしょう。なるべく早くに気付いてね!という意味で空気圧警告灯が付いているのでしょうね。

ちょっと話は変わりますが、タイヤというものは、あらかじめ想定された空気圧の空気が入ってこそのゴムの袋です。つまりは規定の空気圧分の空気が充填されいて、初めてトレッド面がきちんと地面に接地し、サイドウォールがパンと張りタイヤのケース剛性、その他を成立させています。
では、その空気圧が少ないとどうなるか。所定の性能を維持できません。たとえば、規定の空気圧ならば地面からの衝撃に対するタイヤの変形も想定の範囲内なのでしょうが、規定以下の空気圧になると、所期の想定以上の変形の連続はタイヤの発熱にも繋がります。つまりはゴムが劣化してしまう、ということですね。
特に完全に空気の抜け切った状態での使用はゴムの発熱もかなりのものでしょう。それに加え、タイヤの中に組み込まれているビードワイヤーなどのタイヤの構造物への影響も少なくないでしょう。それを考えると、完全に空気の抜け切った状態で使用してしまった場合には、距離の多寡はとりあえず交換を考えた方がいいのかな、と思います。
自分ならどうするか?うーん。とりあえず、あんまり距離を走っていない様なら、まず空気を入れてみて、タンこぶが出来ていなかったら(カーカスが千切れていないことを確認してから)恐る恐る乗ってみるってところかな。しばらくはあんまりスピード出さないようにして、タンこぶが出来ていないか観察は続けるでしょうね。
ただ、交換するのはいいんだけど、ランフラットタイヤを舐めているととんでもない目に遭います。何かって言うと高いんですよ、金額が。既出のソアラの場合(ブリジストンの18インチ)、4本で16万強(つまり1本4万くらい)かかりました。あんときには「え?」って自分の耳を疑いましたもん。しかも、サイドウォールが硬いのでおそらく、その辺の一般業者では交換作業が出来ません、というか実際断わられましたので、その時はメーカーの営業所に持ち込んで、そこで交換してもらいました。

ただ、さすがに日本国内ならば銃撃戦に巻き込まれることは滅多にないでしょうから、警告灯に気付いたら、なるべく早く任意保険に大体付いているであろう付帯サービスのパンク修理を依頼して、おとなしく修理業者の来るのを待っていたほうが無難かと思います。


ま、そんなところでしょうかね。
というわけで今日はこの辺でおしまい。

2008年10月12日日曜日

室町時代

以前、今の世相は室町時代に酷似しているのではないか?というようなことを書いたような書かなかったような?

論拠としては。
力のありそうでなさそうで、コロコロ変わる首相(室町将軍)や、力はありそうなんだけどとは言いつつ首相になって強権を振るうほどの声望は無いし、実力も定かではない各管領(各派閥の首領と言われる人)たちと、何世代にも亘って各地方に勢力を張ってきたがゆえに名族ではあっても、族長というだけの存在に成り下がっているっぽい2世3世議員たち。で、バブル崩壊(応仁の乱勃発)以降、だらだらと誰がどうするでもない政争を続けている。
各地方では、力の無くなった中央政府の意向を無視して経済活動にいそしんだり(トヨタ自動車)、それぞれの勢力(寺社勢力や各荘園)を背景にしつつバラバラに動き出している(創価学会、特殊法人など)。
こんな感じですかね。柴田の大きらいな有料道路など、当時いたる所にあった関所の通行料となんら変わるところはありません。いくら市で幾ばくかの金銭を得ても通行料で身ぐるみ剥がされていく、という。
そう思うと、最近各地でもてはやされ始めている著名知事などは、守護(戦国)大名のはしりになるのかもしれません。橋下さんや田中さんや。そのまんま東は個人的にどうも胡散臭く思っているのでここでは様子見という事にしておきます。
冗談半分、まじめ半分として、静岡県知事にヘッドハンティングしてもいいのではと思うこともありますね。

日本史の流れとしてはみなさんご存知の通り、その後戦国時代の戦乱(というよりブロック経済圏を束ねる領主同士の小競り合い)をへて、次第に有力な地方政権が確立してゆき、織田信長の登場となる訳です。

ある意味、信長が日本史上の奇跡だと思うのが、よくあそこまで世間や周囲に後腐れの無い人物が存在できたものだ、ということです。大体周囲に潰されるんですよね。
例えば、秀吉などは若い時期に浜松にいますが、周囲に嫌われて愛知に逃げ帰っている訳ですし、似たような例だと若き日の本田宗一郎なども「赤シャツ」などと陰で言われて浜松を後にしています。浜松製作所はあるにしても、メインバンクは東京三菱ですしね。当時、融資の相談に(あの)静岡銀行を訪れた所、あっさりと断わられたんだとか。

しかもそれに続いて秀吉という類を見ない働き者が近くに居た事。信長があそこまで我儘でなければ中世の怨霊じみた地方勢力や地縁・血縁、流通経路や価値基準など、あそこまで劇的に雰囲気を変えることは出来なかっただろうと思います。
そういった意味で言えば、小泉君などは幕末の山内容堂なみの一時の声望はあったにせよ、彼同様、信長を意識しつつ、その足元にも及ばなかったと言う点でもそっくりだったように思います。



ここのところ思うのは、既に「議院内閣制」を核とした間接民主主義そのものが崩壊しかけているのではないか?ということです。
つまりは、住民の(多数決によって)信任した議員による、そのまた(多数決による)信任の結果は、住民の信任する首長なり、議決結果たり得ているのかな?という結果になってはいまいか、とね。
先ほどの有名知事などは議会に拠って立っていると言うよりは、直接住民の声に拠って立っているわけです議会との軋轢はものすごいようですが。旧来の有権者団体と実際の多数派の意見とは、如実に差が出てきているのでは?と思うのです。

そりゃ、投票率50%近辺の多数派と言われてもねえとも思うのですが。しかも各地方の議員は小選挙区で争われるという事は、特に候補者数が3人とかになった場合死票の数も馬鹿にならない数にのぼる訳で。
こう思うと、共産党の律儀に「各選挙区に何が何でも候補者を一人必ず立ててくる」のも、却って票をばらけさせることは死票の増加にもなるわけで、どんなもんかな、ともおもってしまいます。


まあ、そんな訳で何時まで室町時代が続くんでしょうかね?

2008年10月9日木曜日

湊屋藤助

何度かご登場願っている「らかす」中に度々紹介されていた「湊屋藤助」という日本酒があります。
柴田自身は、あまり日本酒を嗜まない方なので、あまり詳しくは知らないのですが、文中、あちこちで採り上げられていました。まあ、飲兵衛を自称されている安堂さんの事ですからおそらく美味しいのでしょう。

なぜ、こんな話を始めるのかというと、お客さんの中で家を新築された方とお店を新たにオープンされる方がいらっしゃるのです。今までに随分とお世話になってきた方であったので、何も言わずに知らん顔、という訳にもいかんだろう、と。というところで、何か新築祝いを、と思ったのですが、ありきたりのものではつまらない。

お客さんの中で凧時計を作っていらっしゃる方があります。大雑把に言えば時計の文字盤に和凧を使っているものです。もちろん大きさは時計に合わせてているので、ミニチュアサイズですが、骨などは浜松祭りで作られる大凧と同様にしつらえてあるようです。
で、これをとも思ったのですが、ぶっちゃけたはなし、時計そのものの機械部分は汎用品の安物です。今時これを、というのもなあ、とも思い返して却下。7千円位するしね。


新装開店で花輪なんてのも考えましたが、あんなもの貰っても萎れてくるだけだしねえ。
というわけで、急遽無難なお祝いのお酒、という線に落ち着きました。
そんな訳で、ふと思い出したのが湊屋藤助なのです。
近所の酒屋にあるかな?とも思いましたが行って無駄足なのもつまらないのでネット通販で買うことにいたしました。3本。
1本はKさんの新築祝い用。
1本はTさんのショップオープン祝い。
もう1本は?


もちろん自分用に決まってるじゃないですか。せっかく人にあげるのに、自分の飲んだことのないお酒というのもツマラン。せっかくだから飲んでみたいじゃない。

さっき注文を出しましたので、1週間位でくるのかな、と。

ちょっと楽しみが出来ました。

2008年10月7日火曜日

お金と金融工学という名の数学

タイトルは大げさですが、中味は大したことはありません。なぜって、僕は数学の落ちこぼれだから。
中学まではソコソコどの学科であろうとも、ソコソコついて行けたように思っていたのですが、高校からは興味の対象を見失ったのか、はたまた舐めてかかっていたからか、こと数学に関してはさっぱり馬鹿たれになってしまっていました。
ブルーバックスシリーズに、「今から始める高校数学」とかいうタイトルの本があったので、興味本位に買って見開いてみたことがありますが、中には耳に痛い指摘が書いてありました。

曰く、英語のできる生徒は、同様に数学のできる生徒とイコールであることが多い、と。

つまりは外国語の習得などという地道な努力を要する学問は同様に、地道に論理を積み上げる練習を重ねなければならない数学と、その習得に要する課程が重なることが多く、結果、数学が出来る生徒は英語が出来る、という事と多くは重なっている、とか何とか。
そういえば、幕末の洋学者でも、オランダ語・英語の熟達者が同様に科学、数学分野の熟達者であった例が多かったような。例えば大村益次郎とか。うーん。痛い。つまり怠け者であったわけですね、僕は。

さて、そんな怠け者が思う戯言ですから、これ以降のことは本気にとってもらっても困るのですが。

以前ここで採り上げた、「スターシップ・トルーパーズ」邦題「宇宙の戦士」ですが、ここにも主人公ジュアン・リコの前に大きく立ちはだかる壁として数学が登場します。
学生時代、数学を苦手としていた主人公は、高校卒業後の入隊志願後に、希望所属先をずらずらと出すのですが、そのことごとくに数学の点数が立ちはだかり希望を却下されます。ついにはそのリストの一番最後に書かれた起動歩兵に配属となります。
後に、主人公は職業軍人として、キャリア(任官)を目指すのですが、ここでも、またしても数学が立ちはだかるのです。文中では「数学は全ての基礎であり、全てに関わっており、.....」と言った文章で表現されています。まあ、これは前置き。

昨日、自動車評論家の両角さんのメールマガジン中で、金融工学について触れられていた箇所がありました。それでこんなことをツラツラと思い出したのです。

確かに数学は、途中課程をすっとばかすと丸をもらえない教科です。こうこう、こうなって、そのうえで、と、キチンとしか思考過程を経ないといけません。まあ、中には数学は暗記するものだと言う人もいますが、そういう人のことはここでは措いておきます。
「宇宙の戦士」中のジュアン・リコも、士官たる者きちんと筋道の通ることすら言えず、またその訓練すらまともに終了できないものは任官するべきでない、という作者の思想なのでしょう。

ただ、金融工学、もとい高等数学に話を戻すと、話・論旨の筋道は兎も角、その前提条件にちょっとした飛躍を含めたり、ありえない前提を含めることによって、いくらすばらしい論旨も、まったくあさっての方向を向いた結論にたどり着くことも珍しくないと思います。

大学時代、心理学の講義を取った事があります。講義中、教授が言うことには「世論アンケートなど、質問の仕方で如何様にもその結論を誘導することは出る。問題はいかに意図的な操作が反映することにならないようにするための設問の仕方だ」といっていましたが、これも似たようなことか?

両角さんの指摘は、今時の金融工学にも、そのような前提条件や「ある任意の....、」といった条件付けに瑕疵があったのではないか?という論旨でした。
金融商品そのものが投機的な側面を有する以上、そこに意図的なものを含まず、市場の公平性などと呼ばれる様々な思惑の結果にイカサマがあってはならないのは当然のこととは思います。ですが、果たして彼らの理屈が果たしてどこまで正当性があるものやら。残念ながら、僕にはその検証能力がまるきりありませんので悔しい所です。
ただ、いくらリスク分散しているからといって「サブプライムローン」などは商品にすること、そのものがイカンだろ、と思うのですが。
てことは理屈や策などというもの以前の一般常識として、というか理性というか。

静岡銀行がバブル時、一切土地投機筋への融資を行わなかったことで、その後の不良債権がらみのゴタゴタに振り回されることがなく、為に、後に銀行としての信用を一気に高めた、とは良く言われることではあります。
でもまあ、静銀といえば、地元では「シブ銀」と言われ、お金を貸さない、金利高い、手数料高い、の3拍子揃った所なので、それが巷間言われている「高い見識によるものであった」のかは疑問の残る所ではあります。
まあそれは兎も角、世間の動きに惑わされずに、本業の精神を貫くと言うのか。お金を預かる金融機関としての矜持というのか。そういうところからやり直さにゃあイカンのじゃないかな、と思うのですが。

そうそう、行き過ぎた原油価格もそうですが、市場の動きは神の声として、市場の往くに任せる、というのがあるじゃないですか。ですが、市場の中の動きだけに納まればいいのですが、そうばかりでもなく、あまりにも影響の大きすぎる分野でも、ある意味放任主義でありすぎるように思うのですよね。
これに対するレフリーストップというか、取引停止に至るガイドラインというか。ものすごい反発はあるでしょうけど、金融と実態の均衡を探る動きが出て.......、来ないだろうなあ。

今日はこの辺でおしまい。



2008年10月5日日曜日

以前、どこで書いたか記憶に無いのですが、選挙管理委員会が管理している情報の開示をせよ、という事をいったことがありました。
言わんとするところは、実際に今の議員達はどのような層を代表しているのか、という傾向が出せるはずだ、という事。それを元に、逆にどういった層の声が反映されていないのか、が出てくるはずだ、というものです。

政治不信がどうやらこうやら、と言われて久しい訳ですが、一向にそれが止む気配がないのは、単純な話し、今の議員さんという連中は、例えば自分の思う方向を体現していない、という事なわけで。つまりは自分の意見ではなく、どこか他の意見を代表している議員さんが大多数なわけです。

例えば1票の価値の地方格差などと言う話もありましたが、wikiによると衆議院で3倍、参議院で6倍(これも、人口比か、有権者数か、投票者数のいずれを基準とすべきか、という問題もある)が、合憲の範囲内とされているらしい。そんなにあっていいのか?と個人的には思うわけですがね。
個人的な感想でいえば、地方(人口密度の低い)の第一次・第二次産業あたりの有権者層の意思が前面に出て来すぎているような感じがあるのですが、気のせいでしょうかね?

先日、ツインリンクもてぎに行ってきた際に思ったのですが、東京の社会資本の拙さ、酷さに比べ、地方に行くにしたがって道路環境が格段によくなっていくんですよね。

浜松市は先だって大型合併をして、政令都市とやらになったのですが、あんな長野県の県境に近い所まで浜松市にしちゃって大丈夫かい?だって、投票率からして圧倒的に田舎の方が高い訳だし、逆に、中央の若い奴なんかは投票すらしない。てことは予算の大半が北方領土に流れていくような気がするんだけどなあ。つくばエキスプレス沿線のように周りは山しかないから道路は作り放題だし。

税金は所得の再配分っていえば聞えはいいけど、もういい加減、地方の「自分の財布」ってもんを再認識してもらって、自分のとこの上がりだけでやってもらうようにしたほうがいいのではないだろうか?と思うのは暴論でしょうか?
そうすれば、東京都で上がる税金は首都高その他の再整備に十分な予算がつけられるだろうし、地方のばかげた大型開発や大型施設は身の丈に合わない大型支出となり、足かせがつく。
戦後80年くらい経つ訳で、そんな中で今になってまで出来ていない道路やダムは、結局は必然性が薄かったというか優先順位が低かったと言わざるを得ないでしょう?誰のためのものか。誰のためになっているのか。

「権利」の対になる言葉として「義務」があるように、費やした「費用」や「事業」に対しては「効果」が求められるのは当たり前でしょう。労働に対して対価を求めるのは当たり前のことではありますが「適価」であることも重要なのではなかろうか?
非常に長期的な先行投資という分野のものがあることは承知していますが、それにしたって戦前の理化学研究所のように自前の事業を持ちつつ、自分の財布の範囲内でやる、というのが普通の形なんじゃないのかな。と。

なんだかいつものように話があちこち行ってしまったので、唐突に今日はこの辺で終わり。

2008年10月4日土曜日

お金にまつわるエトセトラ

「策士、策におぼれる」なんて言葉がありますが、昨今の金融情勢はまさにこの言葉に尽きるのではないか、と思ったりします。
基本、借りたものは返す。商売で借りたのならきちんと金利をつけ、元本とともに耳を揃えて返済する。ハズであったものが、何故かそうでないことも多い。

金融商品においては、その性格上、必ずしも有利な状態で取引を終える、という事が必ずしも約束されていないことも少なくありません。まあ、お金を元手に何とかしようと思う、という行為自体はギャンブルとなんら変わりないわけです。
お客さんの中には「きちんとリスクを見越した上で、こうした行為に自己資金を投下するのは、理性のある大人としての嗜み」などという方もいるのですが、元来、ギャンブルそのものにまったく関心の無い柴田としては、その手の商品販売に魅力をまったく感じないので、向いていないんでしょう。


保険関係に限った話ではないのでしょうが、それでも何社か保険関係のスカウトというかリクルートのお話を聞いてきた中での話を思い返すと、何かと「夢は?」とか「目標は?」という話に誘導されます。最終的には「いくらの収入を得ようと思うか?」という話に行き着くわけです。
個人的には収入金額に魅力を感じて保険業界に入った訳ではないので、あんまりその手の話には興味を感じないのですが、アリコ時代もそうですし、損保の研修生時代にもそうした誘導手法は常套手段でした。でも、今更ながらに思うのは金融業界って身内への金払いが良すぎないか?てことです。
確かに金融商品の特性として、扱い金額が多ければ多いほど手数料率で手数料が計算されますから、その分収入は多くなるわけです。
クルマ屋時代もそうですが、普段接している金額によって、自分の感覚も麻痺してしまうことが往々にしてあります。トヨペットの扱い車種で言えば、300万円くらいが普通で、アルファード位になると450万くらいの金額が普通に飛び交いますから、100万くらいのクルマなど、これっぱか、位の感覚も出たりするわけで。たかがフロアマットだけで7万円とかね。

それが保険屋になると何千万、何億、という金額もザラにあるわけです。
特に今時のように金利の安い時代になると、300万円を3.5%の実質金利で借りたとしても、5年の貸し出し期間で30万円もつきません。月に直せば約5000円です。という事は仮に一人あたま月に100万円稼がなくてはいけない会社となれば、300万円の200倍。つまり1ヶ月に6億円貸し出していないことには帳尻が合いません。こりゃ大変。
小口に一軒一軒というのは確実な返済にはなるでしょうが、目標金額にはいきません。いきおい、大口を狙うことになるでしょうねえ。ただ、それは、ますます日常の金銭感覚と離れていくことになるでしょうね。


うーん。てことは、やはり異常なほど金利が安すぎる今の状況が問題なんだろうか?自然金利と言う概念があるそうで、普通の状態ならば金利は4%程度あるのが当たり前なんだとか。おそらくその辺だと貸出金利は8%~10%なんでしょうかね?
今とある金融機関の金利情報を見てみましたが普通預金で0.15%。対して貸出金利は条件にも因るだろうけど、3~4%のようです。つまり両者の差は20倍以上。これってどうなんですかね?もうけすぎ?それともこんなもんなのか?


商業経済の発達によって、それまでの農本経済はぼろぼろになってしまいました。つまりは自給自足の原則がくずれ、貨幣がなくては生活できないようになってしまった、という変化がありました。それ以前は、定住・農本経済によって狩猟・採取生活が駆逐されていきました。
果たして金融経済が、これから先、どこまで健闘していくのかはわかりません。
ただ、今のところはまだ商品経済を駆逐して、これからの主流となるには背骨というのか、その基本精神がしっかりしていないような印象を受けます。
逆に「銀行屋如きに何がわかる」と言えるほど、製造業の方々のがんばりに期待したいというのが今の心境です。自分も含めてね。



2008年9月30日火曜日

いってきました

行ってきましたよ、MotoGP。
遥か彼方のツインリクもてぎ迄。遠かった。なんつったって「奥」の一歩手前だもん。地図で場所の確認をしていたらちょっと先に「白河」の地名が。ってことは白河の関か、とね。近くに逆井川の地名があったりするところを見るとやはり「義経記」の記述を思い出す。うーん。奥の地だ。

感心したのは、その人口密度ゆえのことだと思うけど、土地の使い方が広やかなこと。道の感じや交通状況は、こっち(浜松)の感覚だと天竜・船明以北の感じに近かった。いや、やっぱり信号機の無いのってすばらしいなあ。
「もてぎ」そのものは栃木県になるけど、宿泊は茨城県の水戸で取った。でも、茂木から水戸まで、1時間弱で行けちゃう。しかも下道で。でまた、その水戸の涼しげなことといったら。駅前はとても静かで、県庁所在地なんだろうけど、住宅地だらけでとっても静か。


これからは人口が減って、どうにかせにゃあならんという論調だらけのような気もするけど、本当にそうなのだろうか?と思った。なんにせよ、国土に対する適正な人口密度ってものもあるんじゃないの?という思いが新たに。
中学校の記憶にいよればアメリカの人口は日本の2倍程度ながら、国土は24倍というように当時は習った。つまり一人あたまの土地占有面積が日本人の12倍という事。あちらさんの豊かさの源泉はここにあるような気がしてるんだけどなあ。で、そこをうまく機械力でカバーしてる。

この辺の事はまた印刷バージョンの「しばた新聞」紙上にて。

2008年9月25日木曜日

オペラ。

今日は久しぶりに歯医者さんに行って来ました。
印刷版しばた新聞をお読みの方ならご存知かと思いますが
オペラ デンタルオフィス」という歯医者さんです。ちなみに、院長先生は自分が大学時代にいた今は亡き「浜松市学生寮」で同室だった後輩です。頭の中身は遥かに彼のほうが良かったので大学の後輩という訳ではありません。誤解のなき様に。


久しぶりに見た院長先生であるチャーリー(当時のあだ名)は、頭髪に少々白いものが混じり始めたようです。それを指摘しようかとも思いましたが隣の診察室には別の患者さんがいたので止めました。色んな苦労があるんだろうなあ、とは思いつつも口をつぐんで診察室を後にしました。
チャーリーの良い所は、その生来の人の良さや素直さなのでしょう。学生寮時代には口さがない自分の同級生(特に米野厳視とか)には「あの手つきで歯を削られたくない」とか言われたりもしていましたが、術中の言動から察するに「随分と立派になったなあ」と感心せざるを得ません。思えば20年近くもその修練を積んでいるわけですからね。


ただ思わないことがないわけでもありません。
特に外科手術の絡む医療行為に関しては手術者と監督者が別々に居てもいいのではないか?という思いです(コスト的な問題点は度外視するとして)。

というのも、必ずしもいいお医者さんがいい術者であるとは限らないのではないか?という疑問があるからです。似た例としては、すばらしい研究者は必ずしもすばらしい教育者足りえるとは限らない、ということです。つまり、知識や見識があることはいいにしても、前者においては、それと手先が器用なこととは必ずしもイコールではない。後者で言えば教育者として「教える・伝える」という技術の熟達者である、という事とイコールでもない。


とは言いつつも、これらの事はチャーリーの修練の末に達した境地をけなすものではありません。2つを両立させようと努力を絶やさなかったことに対して素直に賞賛をささげたいと思います。
北京のオリンピックで見事金メダルを獲得した女子ソフトボールの主力投手の上野選手のインタビューは気持ちのいいものでした。勝因は?と聞かれ、間髪いれずに「練習したから」と答えたそうです。いくら才能溢れる人であっても使われることのない技術は錆びつくだけです。



話は変わって、先日高濃度フッ素配合の歯磨きを使うことによって虫歯が治ってしまった話をネットで目にしました。
その記事によると、そうした高濃度フッ素配合の歯磨きは口腔外科のある病院か歯医者さんでないと売っていないのだとか。ウソかまことかはともかく、虫歯がなくなってしまうと歯医者さんが困ってしまうので、ワザと圧力をかけて一般市販をさせないのだとかという、まことしやかな都市伝説じみた話も紹介されていました。
今日の診察の会計の時。ふとカウンターの隅の商品コーナーに目をやると。売ってるじゃん。フッ素配合歯磨き。歯科用って文字も入ってるし。この歯磨きに関しては、また機会を見てレポートの続きをするつもりです。乞うご期待。

それでは今日はこの辺で。

2008年9月22日月曜日

今日は、朝から一日伝票整理をしていました。
特にこれといって急ぎの仕事がなかったのと、忙しさにかまけて、ごちゃっと一緒くたにまとめていた領収書とかレシートの束が目に付いて仕方なかったからです。
それと以前まとめ買いしていたクリアーファイルが何時の間にやら目に見えて減っていった訳をよーく考えてみたら、レシート類をてきとーにまとめていることで大量にここでストックされていることに気がついたからでもあります。

そんなこんなで嫌々ながら分類に入ります。こういうことには長けていないので、分類をしつつ、何とか楽してというか、うまい書類の流れを作れないか、とブツブツ考えながら作業をしているとなかなか捗りません。
頭の痛いのはやはりクルマ部門です。ごちゃごちゃ。経費といいつつも税金の建て替え払いが多いので、これを何とかしないことには売上が伸してしまいます。確かに売上が伸びるのは喜ばしいことではありますが、それはきちんと利益がついてきた仕事ならばこその事です。ただ単に売上が伸びただけでは、消費税をいっぱい払うことになるだけなので、そういう事態は避けたいところです。



そんなこんなで何時の間にやら5時になってしまいましたので、いつもは親父に任せているペロの夕方の散歩ですが、今日は気分転換も含めて行くことにしました。
まず目に付いたのは彼岸花。やけに最近は涼しい日が続いていますが、やはり時期はそんな頃に差し掛かってきています。それでも遠くでツクツクボーシの鳴声も聞こえてきます。Web版しばた新聞第一号に登場したメスのザリガニにも会いました。おなかいっぱいに卵を抱えてヨタヨタと道路を横断しようとしていました。轢かれずに横断できることを祈りつつ先を急ぎます。
今日、散歩に出てきて一番良かった思った出来事。それはカワセミの実物に遭遇できたこと。写真は撮れませんでしたが、おおう、って思っちゃいました。村櫛でも見れるんだ、て。多分20センチ前後の大きさで、最初は虫かと思ったくらいでした。意外にちっちゃかった。
え?って思ったのはその背中の青色の鮮やかさ。テレビのブラウン管や、写真ではママ、見たことはありましたが、やはりその鮮やかさは本物は本物のままで見なきゃダメだな、と思わせられました。メノウというのか、トパーズの輝きというのか。ものすごく鮮やかな光沢のトルコ石といったらいいのか。あれは絵じゃあ再現できないだろうな、という感じ。よく、カービングでカワセミを作ったのを見かけますが、あの人たちは実物を見て作ったんだろうかと疑ってしまうほどその光沢には目を奪われました。そうねえ。あの色を出そうと思ったら、まずアルミ箔を下地に貼って、その上からクリアーブルーをのっけるって感じでしょうかね。

まあ、そんなこんなで、今日はちょっといいことがあったのでご報告させていただきました。

2008年9月18日木曜日

研修生時代は兎も角として、独立してからこの方、生命保険を売ったことがないというか止めてしまった。いろいろ理由はあるのだけれど、ひとつには人様の財産を預かる、という事に対してそこまで全面の信頼を置かれてもいいのだろうか?と思ってしまうから。まあ、実際預かるのは生命保険会社だとしても。


7月頃のお話。
とある方に「どこかいい就職先はないだろうか?」と聞かれ、自分に言える所といってもアリコか某日本社の損保の代理店研修生くらいしかないですよ、と答えた。
様々な募集条件をかいくぐって、その方は今年の10月からアリコジャパンに勤務することになった。その話が決まる以前。8月の半ばに、この方から電話があった。「何で柴田さんはアリコを辞めたんですか?」と聞かれた。

理由はいろいろあるけれど、その最たる理由は10年20年もしくはそれ以上という長期に亘っての補償と金融商品なんぞ自分自身が信用しきれていないから、というのがその際たるもの。
長期傷害保険の税制上の扱いもそのひとつだし、逓増定期保険もその税制上の優遇処置は消えた。所詮今は良くても将来まで優位性を補償してくれる訳ではない。果たしてその時に、お客さんにそのことを説明しきれる自身が今の自分にはない。
現在扱っている1年物の損保程度ならなんかあっても基本掛け捨て。期間も1年でしかない。お客さんの負担もまだ、その程度で済むし、こちらの心労も1年分で済む。そこだけに全力を傾注すれいいんだから。

もう一つあるのが、自分自身が10年も今の姿であり続ける訳がない、と思っていること。状況は常に変わるし、変転がないとは言い切れない。でも生保はその保障期間の永さゆえに、常に契約者・保険会社が一定の状況下にあり続ける事を要求する一面がある。自分としては、そんなことお客さんに言い切れるのかい?という自問に答えられない。

あっちの人たち(アリコの人たち)は割り切りの良すぎる人たちが多かったから、「そうは言っても、こっちも勧めたが、最終判断はお客さん。無理に勧めた訳じゃない。」とすんなり口にする人が多かったが、今頃どうしてんのかな?
先日の記事について。

内心こんなこと書いて、とか思いながらも「公開」ボタンを押して、あーあ、とか思ってはいたのですが、言われちゃいましたね。コロパパさんに。

かいつまんで言えば最後の言葉、「弱者に対して優しい社会」であって欲しい。ちょっと書いている内容が酷すぎやしませんか、ということだと思いますが、そういう受け取り方でいいでしょうか。


ご指摘の部分はごもっともだと思います。ただ、こういうときにいつも引っかかって脳裏に浮かぶのが「弱者の暴力」という言葉です。
弱者へのいたわりは人としてのやさしさの部分の発現だと思います。ただ、だからといって、それを受け取る側・受ける側があまりにも無自覚になってしまい、むしろそうされるのが当然だという態度になってしまうのでは本末転倒ではないでしょうか。

好きでこういう状況・状態になったのではない。それはそれとして、だから補助・支援を受けるのが当然なんだ、では違うんじゃないですか、と思うのです。全員が全員そうと言っているわけではない。もちろん、好きで日がな一日ジャスコあたりで時間を潰している人ばかりではないでしょう。でも、「優しさ」と「甘やかす」のは似て非なるものとも思うのです。



これは個人差もあるところだとは思うのですが、個人的にはあまり現在の「公」という存在を信用しきってはおりません。
例えば年金の制度にしても、本当に社会的なコンセンサスの取れた制度でありえているのかい?と思うのです。例えば支払いと受け取りの金額の世代差ですが、もらえなきゃ困る、という現受給者は、少なくとも現支給額の維持を言うでしょう。そして高齢者層で地方の方が投票率も高く、しかも1票の格差が大きい訳ですから国としても、そういった得票率の高い、1票の価値の高い層の声を如実に反映させようとするでしょう。
ところが、現役世代は、そういった向きに無関心であることが多く、特に若年層であればあるほど「投票するだけムダ」という意識が高くなる傾向が強いように思います。


北欧のような福祉国家もいいでしょうけど、それを目指すなら(そうでなくても)、まずは運営者側(公)の意識向上が先であるように思います。商売をする側からすれば金銭の透明性なんてものは初歩中の初歩のはずですが、どうもそれに関する躾がなっていなさ過ぎる気がしてなりません。

江戸時代の刑罰基準である「公事方御定書」をサラッと読んだことがありますが、金銭の横領に関する刑罰は非常に厳しかった記憶があります。確かに当時の貨幣価値が非常に高かったということもあるのでしょうが、公務に携わる人間である以上、それくらい金銭に潔癖であるべき、位の意識があって欲しいものです。


ああ、またなんか話が違う方向へ行っちゃったような。


2008年9月13日土曜日

笑うのは不謹慎と判って笑ってしまったのが、例の事故米関連。もう、農林水産省なんて「省」から格下げして「庁」でいいんじゃないの?って真剣に思った。

工業用のりに使途を限定っていう言い訳はもう聞き飽きたが、ふと思ったのはその工業用のりに使用する澱粉材料としての米ってどの程度の需要があるの?って思って調べようとした矢先に目にした記事。「実は工業用のりの原料として米を使うなんて話は聞いたことがありません」という「不易のり」や「ヤマトのり」(つまりはメーカーご本人の弁)のコメント。
えー?というよりも先に「あ、やっぱり?」と思ってしまったのはどんなもんか、とも思うのですが、まあ仕方ない。
まあ、考えてみれば当たり前で、原価低減に必死なメーカーとしてなら、わざわざ中間業者なんぞを挟むくらいなら直に仕入れるよな。それよか事故米なんぞを放出するくらいなら、何で倉庫に腐るほど眠っているらしい超古古米を放出しないんだ?そっちの方がよほど倉庫代も浮くだろうに。ODAなんぞに金をつぎ込むくらいなら売れ残っている米をアフリカとかに寄贈した方がよっぽど喜ばれないか?

国が関与した業界でうまく行った試しなし、ということらしいから、やっぱりもう農水省なんぞは解体して、省として、もっと規模縮小したほうがいいでしょう。共済事業なんかもきっちり金融庁管轄にしてさ。
農協なんかは「オレに仕切らせろ」って感覚の奴って多いから大変だろうけど、もう役目を終えてるような気がするんだよね。共済なんかは「組合員の何割までなら、無関係の人が利用してもいい」っていう縛りがあったはずなんだけど、そんなのお構いなしでしょう?存続するなら存続するで本来の形にきちんと限定するとかさ。いくら高投票率を誇る地方の高齢者を抱えている団体だからっていってもこの優遇ぶりは酷すぎるような気がする。
だって今、旧浜松市の中で百姓を中心とした生計でやっている人てどのくらいになるの?それに対してJAとぴあ浜松で1700人弱の職員数。びっくりしたのが、ふと思い立って調べてみた遠鉄の職員数。1550名。農協の方が多いでやんの。一体どれだけぶら下がるつもりなんだ?と思う。


今更言っても仕方ないとは思うけど、どうせならキチッと住専問題の時にやばかった農協なんかは、きちんと自分のケツを拭かせるべきだったと思うんだよね。企業は潰れるのもなんだから、自己責任で、潰れる時にはつぶれてくれないとかえって禍根を残すような気がする。

2008年9月9日火曜日

柴田の場合、学校出て、そのまま新卒でトヨタディーラーに新車営業として勤め、その後アリコジャパンにCT(コンサルタント)として1年半。その後、某日本社の損保の代理店研修生を経て今に至る、という経歴を経ています。つまり、サラリーマンから社員としての個人営業職、個人経営者という立場に移り変わっています。

ディーラーの営業職時代から「営業職は個人事業主のようなものだ。そのつもりで.....、」などと、非常に経営者側からすると都合のよい高説の元、クドクドと長いお説教を聴かされるのが常でした。ただ、今にしてい思えばサラリーマン上司の言うことなど甘っちょろくてチャンチャラおかしいというか、よく口から出まかせ言うよな、とか思ったりもするのですが。

良くも悪くも、人間、その置かれた環境の中に特化して馴染んでいくものだと思います。ホントそれ以外の世界が見えなくなってしまう。お恥ずかしい話ですが、クルマの売れないときなど、それを苦にしてもう死んでしまいたいと思ったことも幾度となくありますし、気が変になりそうになったこともあります。自腹斬ってまで台数を作ろうとまでは思ったことまではないですが。
一度などは自分の置かれている状況や出処進退のことも含め、どうも思い詰め過ぎていることもあり、精神科の病院へも罹ろうかと思ったこともありました。ほんと自分自身「ヤバイな」と思える時期もあったので。
でも、斜め後ろの高いところから自分を見下ろす第二の自分の存在というのか、自分自身を別人としてみている目、というモノを意識的に存在させてもいたので、まあ、何とか今の自分がある、とい事もあるわけです。
まあ、そんなことはともかく。


こんなことを思い出したのは、例の三笠フーズの「事故米を混ぜて売上を作ろうとしちゃいました事件」です。サラリーマンってホント自分の世界が狭いから嫌だなーと。その世界だけで完結しちゃう所がある。売上が立てばいいじゃないか、とね。昔の自分を思ってみてもそうだけど。
今の自分ならば「所詮雇われサラリーマンなんだから、月が変われば、また次の数字目標がくるだけ。黙っていても厭味な顔はされるだろうけど、給料はくれるんだから思い悩むほどじゃない。」なんて割り切るようにすると思いますが(そんな奴ばかりな職場も嫌だけど)、きっとそういう風に言ってくれる人がいなかったんだろうなー、とつい想像してしまいます。

お客さんと話をしていてこんな話が出てきました。
「商売がうまくいこうがいくまいが、それは時の運。ダメならダメで、元々何も無いところから始めたんだから、それは元に戻っただけじゃない。そんときゃ女房とも離婚して縁を切って、親にも勘当してもらって、自分で全ておっかぶればいい事。」
さすがに僕はここまで強くはなりきれていませんが、それでもトヨペット辞める時には「それでダメなら旗振りでも工場でもいい。なんとなれば百姓にでもなるさ。」とおもって辞めました。何とかおかげさまで、今のところは三度のお米のご飯にはありつけてはいます。まあ、どこに行ってもお米はついて回っていくものなのかなーと。
今でもたまに元同僚や先輩方々、出先で知り合った販売店違いの同職の方々と会う機会があります。別に飛び出したほうが偉いとまでは思いませんが、それでもやはり現職や現状に汲々としている方を見るにつけ、「それなら飛び出すことも選択肢の一つ」と言ってしまう事もあります。


もう少し、肩の力を抜いて、ちょっと立ち止まって周りを見渡してみることも必要じゃないかなー、と。一(イチ)、落ちこぼれサラリーマンとして思ってみたり。


2008年9月6日土曜日

トヨペット時代、何人かのお客さんが定年を迎えるのを目にしてきました。
ある人は抜け殻のようになり、ある人は最初の頃は趣味に没頭していましたが、おそらく間が持たなくなったのでしょう、日々をなんとなく過ごす様になていました。
またある人は、また勤めに行き始めたら車を買い替えると言いつつ、ぼんやり過ごす快適さと言うかぬるさに浸かりきってしまい、結局働きに行く気が起こらず、そのまんま。こりゃあ、車の代替話にはいかんな、という事で次第に足が遠のいたある日、たまたま近くを通りかかり、久しぶりに寄ってみたら亡くなっていたとか、そんなこともあったり。

やっぱり、定年って概念はあかんのじゃなかろうか?と思うこの頃です。だって、働けるくせに飼い殺し状態じゃないですか。「クレクレ」のみの状態の人間の醜さは、ちょっとねえ。「餓鬼」って言葉もあることだし。

そこがゴールと思い、其処からは悠々自適なセカンドライフと思うのでしょうが、それこそ、功成り、名を上げ、と言う状態の人ならそこでおしまい、もいいでしょうけど、一般サラリーマンまでがそれを夢見ると言うのは悪平等じゃなかろうかな、と。たしかに何人たりとも1日24時間が過ぎていくのは同じなのですが、年長者が必ずしも.....、とは思わないし、誰しも同じ60年なら60年を過ごしてきた訳でもない訳ですから、一律年齢で区切ってしまうのは、ちょっと乱暴すぎやしませんかと思うのは暴論なんですかね。

で、その悪平等には当然コストが付きまとう訳で、誰が背負うように出来ているかというと「後の世代」って、おい。
今まで年金払ってきたじゃないか、というのはいいのですが、それを言うなら賦課方式の年金受給の設計なわけですから、あなた方が払ってきた年金は、それよりも上の世代に対して払ってきたわけであって、これから貰う年金の原資は現役世代から徴収された分なわけでしょ?だったら、こちらが気持ちよく払えるだけの理由なり体制なりを説明してよね、と思うのは言い過ぎなんでしょうか。
遊んでいながらにして年金貰う。これはオレの権利。とか言いつつ、時間をもてあました爺さまや婆さまたちは、エアコンが効いてて快適なジャスコで日がな一日たむろしてみたり、パチンコに行ってみたり、ガーデンパークに行ってみたり、中にはデパ地下の試食品を食いまくって、店員に嫌がられたりする人もいるやに聞き及んでいますが、醜いなー。
ここでもう一度、「労働の義務」ってもんをきちんと言うべきじゃないでしょうかね。

人として、せめて目障りな生き様だけはしたくないとは思っているのですが、現状は反面教師とするしかないのかな。

2008年9月4日木曜日

えー、ご無沙汰しております。柴田です。
先月は何気にとても忙しく、夏休みは満足に取れませんでした、というより暦上の休みも満足に休めませんでした。なんかトヨペット時代に逆戻りしたような感じです。まあ、当時のように7時半にがバット跳ね起きて、タバコを一服するや否や飛び出していった、というような事はありませんが、それでも毎日毎日(今も)休む間もなく毎日がなんとなく忙しく行過ぎていきます。それでも何とかちょっとは気も緩められるようになったので、ちょっと更新。

実は今でも模型屋通いが止まりません。で、何時の間にやら何かしらを買ってきてしまうという循環が続いています。そこで思ったことを二つ三つ。

何気に最近のガンプラはすごいです。随分前に多色成型を採りいれてはいますが、その多色成型も以前のような複数色の成型プラ枠をひとつにまとめたに留まらず、1つのパーツに複数の成型色のプラを入れてみたり(つまり1つ成型枠に2つの金型を、使っているということでしょう)、元の枠に性質の違うプラをかぶせることにより、ランナーの状態で間接の軸が既に出来上がっている、といった多彩な成型技術が、実にさりげなく、しかも惜しみなく使われています。これがまず、成型技術そのものもに驚くこと。
第二に、スライド金型までもが実に巧妙に組まれていて、普通に考えたらありえない方向のスリット孔までが成型されていたり、金型そのものの製作技術の向上もあるのでしょうけど、今までなら考えられなかったピッチでの筋彫りや貫通溝までもが実に繊細にモールドされています。却ってこちら側から「一体その金型の寿命はどのくらい?」と心配してしまいたくなるほどです。
第三に。
おそらくコンピューター援用設計の賜物であるCAD,CAMが、「使える」段階にまで熟成されたことが大きいのでしょう。今までなら正中方向などでしか分割できなかったパーツ分けが、設計段階で既に完成予想図をCGで確認しつつ、パーティングラインや成型時の抜けや湯流れまで見込んだパーツ配置で以って金型が作られています。図面だけでは予想のつかないパーツ形状も画面上の立体検討を済ませた上で、分割線のでないようなパーツ分けがなされています。まさに立体パズルです。しかもそれでもきちんと組み立てられる。つまりきちんとした精度補償も出来ているという。なんかすごい世界に入ってきています。

ではスケールモデルはどうでしょうか?先日発売になった「モデルグラフィックス」付録の1/700艦船模型用の機銃。これにはたまげました。もう、瑕見で追わなくては十分に確認できないほどのモールドで作られた米粒ほどの機銃です。気違い沙汰のような製品。

なんだか、大人の趣味といえば聞えは良いですが、なんと言うかここまで来ると大人気ないような気もします。今日はそんなことを思いつつ、おやすみなさい。

2008年8月17日日曜日

ヴィッツがお嫁入りをすることになってしまいました。そんな訳で、嫁入り前の手向けとして工賃ロハでヘッドライトカバーの交換をしてあげることにいたしました。
左の写真が、交換前。
以前、コンパウンドを使って磨いてあ
げたこともあったのですが、すぐに黄変してしまいました。ポリカーボネイトは紫外線による表面の劣化が避けられないようで、このためカバー表面にはUVカットのクリアーコートが施されているようです。でも、ほったらかしの人はすぐに変色が始まってしまい、みっともない有様になってしまいます。わりとマメにレンズを拭いてあげると綺麗な状態が長持ちするようですが、そこはそれ、中古車では前オーナーの気遣いの程は分かりません。

ヴィッツの場合はありがたいことにレンズカバー単品で部品が供給されています。金額は4000円でした(片側1枚)。で、こいつをヴィッツ君に装着してあげるのです。
これが外したレンズカバー。こんなに汚れているというか変色してしまっているのです。
ヘッドライトユニットは人間で言えば目です。これによって表情が一変してしまいます。人間に限らず、生き物は年を経ると瞳がにごってきます。この辺はコロパパさんが専門家ですのでヘタげな事は書けませんが、水晶体が濁ってくるということなのでしょうか。つまり瞳の濁りは、年齢を感じさせられるひとつの基準ともなります。このため、クルマのヘッドライトも濁っていると年齢を感じさせられてしまいます。逆にここが綺麗になると一気にクルマが若返ります。


これがカバーを外した状態。意外なほど中は健全です。リフレクターに曇りはなく、そのほかの部分もこれといったヤレは感じません。
で、これに注文しておいた新品のカバーを着けると。




作業している本人が一番びっくりした瞬間。
何これ?すげー綺麗じゃん。まるで新品のユニットを取った(発注した)みたい。ここまで変わるんだー。

そんなこんなでしばらく眺めてい
ましたが、このままでは終わりません。仕方なくボディへの取り付けにかかります。




取り付け途中の写真です。こんなに艶やかになります。
なんだかここだけの記事にするのは勿体無いので、手配り版元祖「しばた新聞」にも記事にしちゃおうと思いました。まだ今月号できていないしね。

しかし、新しく見えるなー。
多分このヴィッツ君がお嫁入りした後、また同じヴィッツ君を買うつもりなので、その時はもう一度おんなじように変えてあげることにしよっと。

近頃、化粧品の宣伝で「メジカラ(眼力)」とかいうキャッチコピーを目にしましたが、こういうメジカラもあるんだな、と。まつげを書き入れてあげるつもりはありませんけどね。

でもこれ、私のもやってくれと言われたら工賃貰わないとつらい作業だなー。今回は勉強も含めてだからいいとしても。

2008年8月1日金曜日

お酒との付き合いは、かれこれ20年以上にもなりますか。ついこんなことを思ったのは「最近のコゾー共はビールが飲めない奴が多い」とかいう記事を目にしたから。

多分飲み始めは高校2年くらいの夏頃と思います。親父の飲むビールをコッソリがばちょと飲み干していました。で、その後、恒例の村祭りの宵祭りの打ち上げの時、今でも忘れない「宝焼酎 純」の一気飲み大会があり、そこで初めての二日酔いというか泥酔状態を経験しました。
そこに同席していた友人の証言によると、夜中の2時とか3時ごろになって初めて「柴田がいない」という話になったとの事。捜索の結果、自分は外の庭の中で泥酔していて、既に体が冷たくなっていた様です。こりゃ大変という事になり、親に通報が行き、軽トラで両親が迎えに来て自宅に収容されたのだとか。
その張本人は前夜12時くらいまでの記憶はかろうじて保持しているのですが、それ以降の記憶がありません。翌日のお昼過ぎになって始めてぼんやりと目が覚め、「何でここにいるんだろう」という思いとともに頭痛が。どうやってもここにたどり着いたのか記憶がない。あちこち痛い。どうも頭がはっきりしない。その後、意識の戻った子供に気がついた親から延々説教を喰らい(あたりまえだ)、やっとの思いで開放された後、フラフラと本祭りの練りの列を見つけ近寄ると友人たちの驚きの声が上がりました。どうやら柴田は死んだんじゃないか?という噂が背びれ尾ひれをつけて駆け巡っていたようです。

残念なことにそれからたっぷり1年はアルコールの臭いすらダメになりました。その臭いがするだけで吐き気がするのです。今でもチョびっとばかし影響は残っていて、日本酒がダメです。いい日本酒ならいいのですが、ちょっと質の悪い奴だともうだめで、あとで頭痛に悩まされることになります。
このため、もっぱら飲み会などではビールばかり最初から最後まで飲んでいます。家でもビールばかり。たまに気分がいいと日本酒にも手を出しますが、これ!という銘柄を知りませんので、やはりビールに戻ってしまいます。

会社員時代はよく飲みに行きました。居酒屋から、スナックから、お姉ちゃんのいる所から、お姉ちゃんが色んなサービスしてくれる所から。でも確かに言われてみれば会社の飲み会で、最初からウーロン茶しか飲まない奴って徐々に増えていったような気がします。また、お姉ちゃん達が「何とかサワー」を頼むのは分からんでもないですが、野郎でも「サワー」しか飲まない奴が居ました。

何年か前に「地図の読めない女と......」という題の本を書店で見かけました。「ふーん」とは思いましたが買いませんでした。でもなんと、うちの嫁さんが買ってあったのです。珍しいことに。で、つい最近それを読んだのですが、その中に「男女の味覚の違い」という事も書かれてあったと思います。曰く「男は苦味の違いを理解でき、女は甘いものに惹かれる」とか言う文章だったかと思います。

男性の女性化、とはよく目にする言葉ではありますし、ことさらそれを強調するつもりもないですが、この味覚の好みの変化も「環境への適応」の一つなんですかねえ。別に男性であることを強調するつもりもないですが、この種の変化が、女に媚びるという意味での環境適応も随分含まれているような気もして、なんか嫌です。

2008年7月28日月曜日

ちょっと、いくらなんでもこれはひどいと思ったのは例の6億円横領事件。

その程度の大小はあれ、親が子を思う気持ち、というのは兎も角、やっちゃいけない事とそれを混同するのはルール違反でしょう。
なんだかんだと理由をつけてはいるようですが泣きゃあ許されるものでもない。まあ、その程度の人物でしかない、という事か。
親も親なら子も子という事で、6億のうち18000万円は車上狙いに遭い盗まれ、残りは豪遊して使っちまったとか。おいおい。4.2億円たら、仮に365日で使っちまうこと考えたら1日で115万円だよ?どういう使い方したっての?


以前付き合いのあった鈑金屋さんで、事務所荒らしに遭い、200万円ほどをやられた、という事件がありました。まあ、200万も事務所に置いといたってのがマヌケだとは思いますが。それは兎も角、事件をすっかり忘れていた7年ほど経ったある日。いきなり千葉県警から浜松の片田舎のその業者宛に電話がかかって来たんだそうです。
「おたくさんは○○さんですか?」
「はい、そうですけど」
「以前、事務所荒らしで現金の盗難にあったことがありますか?」
「はい、ありますけど」
「実は、先日千葉県警の管轄内で窃盗犯が捕まりまして、余罪の追及をしていた所、そちらの名前が出たんですね。で、」.......と以下会話が続いたそうです。

で、ここで聞いたのは、「窃盗犯がつかまったところで、犯人に弁済能力がなければ、そのお金が返って来る事はない」という事。
えー?やり得じゃん!って思ったのは私一人じゃないはずです。そう、先の6億横領したババアも返せませんと万歳すればそのことに関してはそれまで、という事。これっておかしくない?
それこそ、そんな奴は不採算道路の建設にでもカンズメで従事してもらうか、原油高騰の折、国内の炭鉱で操業しても採算が合ってくるだろうから、そこに強制収容して、きっちりガメた分を詰めさせるかしなきゃウソでしょ?人権なんて言葉は義務を全うした上で補償されるものであり、何はなくとも人権ありきじゃ、正直者が馬鹿を見るだけじゃん。



以前、とある人とのメールで「会社というものは雇用した以上は雇用し続ける責任が生じる」といった意味の言葉が出てきました。個人的にはそれには納得できません。
自分自身が営業職という場にあり続けたこともあるのでしょうが、会社はあくまで慈善事業ではなく営利追求団体である以上(一定規模以上にもなれば、その影響力も含め、社会的責任も生じるとは思いますが)、雇用者は、その活動を乱す、もしくは稼げない、人の足を引っ張るといった類いの被雇用者を速やかに退場させられる権利があると思います。雇い続ける、続けないは先行投資としての経営者の判断の裁量であるべきでしょう。
一旦会社に入った以上は本人が「辞める」といわない以上クビに出来ないというシステムはどうかと?共通認識として「みんなして頑張ろうよ」というものが醸成されているようなところはともかく、「入社できたこと=既得権益」じゃあまずいでしょう。だって、やらなくてもいい事になるじゃん。それがある意味、いい大学、いい高校、いい中学には入れれば......、という変なブランド志向にもなっているような。変なところで封建社会が残ってないですか?


それではお仕事の時間です。いってきます。

2008年7月27日日曜日

昨日、一昨日と事故の話が相次ぎました。

一件は、当事者のお兄さんからの連絡。
トヨペット当時、そのお兄さん(とはいっても60過ぎの人)経由で妹さんのクルマ(中古車)を納めました。新車のセールスに中古車の話というのもおかしな話ではありますが、まあそれは、それ。
納めたとはいっても、お付き合いはそこまでで、点検や自動車保険などのその後のメンテナンスは特に依頼もなかったので、そのまま音信不通となっていました。早い話が無関係といえば無関係な人なのですがね。で、この人が追突をされたとのこと。
「柴田さん、ちょっと力になって貰いたい」とお兄さんから言われれば断わる訳にもいきません。地元の人なら分かるでしょうけど、自宅から事故現場の磐田まで、夕方の6時半過ぎから出かける事になりました。ちょっと、いい距離です。

何やかやと1時間後ぐらいに事故現場に到着。話を聞いてみると事故車両は相手方の付き合っている車屋さんが保管しているとの事。おいおい、とは思いましたが、後の祭りです。まだ、警察連絡のレッカー車でなく出よかったね、というくらい。
日頃車検などを入れているカローラ店や、自分が当時在籍していたトヨペット有玉店にも連絡はしてくれた(相手方の車屋さんが)そうですが、預かるのはいいが代車は無い、といったツレナイ返答ばかりだったとの事。まあ、そんなもんでしょうね。
こちら側の加入していた保険会社(損保J)の代理店は、おそらく追突、という状況を聞いたからでしょうけど、「困ったことがあったらまた連絡ください」というご返答だったとか。おいおい。いくら保険会社として賠償責任がない事故だからといって、それはないだろう?レッカー手配の算段くらい心配しろよ。
こんなわけで、いつもの如く、全てをかぶる立場にまたしても追い込まれることに?さて。

もう一つの事故は、これまた無関係といえば無関係なのですが、お客さんの息子(既に結婚していて別生計)の嫁さん。この方が、一旦停止無視のクルマに突っ込また、というお話。「ちょっと柴田さん、いーい?」てな感じでお客さんからの電話が始まり、相手は東海、こちらは日本興亜。で、相手保険会社からは事故後しばらく何も言ってこず、加害者本人から「ごめんなさい」の一言もなく、こちらの保険会社も何のアドバイスもしてくれない、などなど。本人も忙しいのでバタバタしつつ、傍で見ている嫁さんのほうの親が却ってイライラしだす始末で、こちらにお呼びがかかったという経緯でした。

2つに共通して言いえることは「やい、代理店の野郎、動けよ。」という事。
事故直後の初動はレッカーサービスに。後の示談交渉やらなんやらに関してはサービスセンターに、なんて考えの連中がどうも多いようです。保険会社的にしても、代理店の連中に、変に事故にクビを突っ込まれるよりは新規契約に邁進してくれたほうが良い、という風潮なのでしょうけどね。

それともう一つは、車両保険をもっと大切にしたほうがいい、という事。大概、保険契約の際には自分が相手に当てる事は考えても、当てられる事には案外頭が回りません。当てた側になった際には自分の車の修理費も仕方がない、自業自得だ、で済みますが、すまないのは当てられた被害者側。だって、君さえ来なければ......、とは誰しも思うことですから。つまりは自己防衛のためにも車両保険をもっと大事に考えてください、と思います。

ここ最近でよく見かけるのは、「車両保険金額10万円」とか「20万円」という内容。これじゃあ意味ないんですよ。自分を守れない。特に極低年式車などは車両保険金額が下がっています。でも修理費30万とかはすぐにでもいってしまう金額ですし、時価全損となった場合、代替の原資にもなりません。
おそらくは契約更改時に「前年同条件」で更改しているだけで、車両保険金額などには思いを馳せたことの無い代理店が扱っているのでしょう。時価額がどうこう言っても、車両保険の設定金額はある程度自由裁量です(目安はありますが)。あまりに低い金額になっていた場合、同程度のクルマが買える保険金額に設定しなおしておくことをお勧めします。
これを、ここのところ4~5件たて続けに目にしました。保険の内容によって保険料は大幅に変りますが、車両保険の金額が10万から30万に変わったところで、それほど大きな違いは出てこないはずです。冒頭の1軒目の事故の方もこれで、保険種類は一般車両保険でしたが、保険金額は20万円でした。

そんなこんなで、明日以降は他代理店の尻拭いに翻弄されそうな予感です。

2008年7月25日金曜日

先日の日曜日は、兄貴に誘われていた「スターシップ・トルーパーズ3」を名古屋まで見に行った。まあ、兄貴に誘われての映画は大体名古屋方面まで出向くことが多いので、これはいつもの事。で、誘われるのもまあ、毎度というか、たまにあることなので、映画そのものを見に行くこともいつもの事。

で、「スターシップ・トルーパーズ」なんだけど、これはSF界の人にとってはハインラインさんの書いた超有名古典SF小説を原作とした映画。邦題は「宇宙の戦士」。ハヤカワ文庫で売ってる。おそらく世界的に見ても日本での人気は突出しているんじゃないかと思う。というのも、ハヤカワ文庫版「宇宙の戦士」には「スタジオぬえ」によるイラストが入っているからだ。なかでも「装甲強化服(パワードスーツ)」のデザインがカッコイイ。かくいう自分も、このイラスト欲しさに本を買ってしまったのはいうまでもない。
その中味なんだけど、しばらくは読まなかった。だって、冒頭にはパワードスーツが出てくるけど(この描写がまたカッコイイ)、その後はずっと出てこずに、新兵の教育過程の話やデュボワ先生の「歴史と道徳哲学(だったかな?)」の講義が延々と続くから。何度か挫折して読んだ記憶がある。

「スターシップトルーパーズ(めんどくさいので以後はSTと略します)」の映画化の話を聞いたときにはドキドキした。「あのパワードスーツが動くのか?」の一点で。見てみたらパワードスーツのカケラも出てこなかった。その点はがっくりきたし、「蜘蛛野郎」が「バク」に変わっていた。でもこの映画はうまいと感じた。原作のカケラをうまく拾ってあって「劣化コピー」ではなく、原作を元にインスパイアーされた創作物だと思った。CGも「CG使った」事を自慢したいのではなく、うまく映像造りの道具として使いこなしてあって、そつがなかった。
「ST3」も、これまたうまく続編として構成されていて、うまいなあ、と思わせられた。せっかく登場したパワードスーツ「マローダー」にデザインにはガックリきたけど、まあこれは仕方がない。何で「ロボコップ2」なんだと思ったが、よく考えてみたら同じ監督だったので納得した。


ここまでは前置き。何でこんなことを書き始めたかというと、「何で無差別殺人が止められないのか」という文章を見たので。この文章を見て「ST」の原作である「宇宙の戦士」を思い出したから。
作中で、主人公ジュアン・リコの通う高校の「歴史と道徳哲学」の先生であるアンリ・デュボア先生(退役軍人、機動歩兵・元中佐)は「制御された暴力」について、かなりのページ数を割いて説明しています。「暴力は歴史上、数多くの問題を解決してきた」とか体罰や鞭打ちについてとか。詳しくは買って読んでみて下さい。

おそらく秋葉原の加藤君にしても今回の菅野君にしても、「他者に置き換えた場合の自分が想像できない」ことや「自分以外が自分の世界に存在していない」と思います。
なんだかんだいって人間は他者と関わっていく事でしか存在できないものだと思うのですが、自分だけはその枠外にいる。つまり「誰でも良かった」であり「世間とうまくいかない」であったり。自分が他者に関わってもらえる存在になろうとする努力があったのか?と思わざるを得ません。自分が変わっていくしかないのに、と思うんですが。
そんな彼らにどうするべきなのか。
大学時代、一般教養の単位の中に法学がありました。教授の専門は刑法との事でした。その中で憶えているのは、日本の「刑」というのは「教育刑主義」だ、との事。つまりは法を犯したものを嗜め、社会生活に戻りうる状態にするための刑という、なんとも理想的なもの。でも、そんなので矯正できるものなのか?「三つ子の魂、百まで」なんていう言葉もあることだし。

そんなこんなで「宇宙の戦士」を思い出すのです。
彼の世界では鞭打ち刑が存在します。しかも公開の。悪いことをしたら叩かれる。「もうこんなことしちゃだめよ」なんて甘やかすことなどしない。暴力を推奨する訳ではないが、躊躇うことは無い。きちんと制御されたなかで行使される。ま、これがそのまま良いとも思いませんが、まったく無視するべきでもないとは思います。
市民権の大切さを言うのは分からなくもありませんが、軍人のみが尊いでは、戦前の日本というか2.24になってしまいますし。「ST」では、そのあたりはかなりパロディチックに描かれ皮肉っているようにもとれます。

鞭打ちで思い出すのは「パッション」。キリストの当時を映像化したものなのでしょうけど、あれは痛そうだった。ものすごく。荊の冠もそういうことかと思いましたし、実際あんなの見せられた日にゃあ、悪いことは出来んもんだ、と思うでしょうねえ。やっぱり肉食ってる人間のやることは違うわ、と思いました、実際。

罰する側は努めて公正明大であろうとしなければいけないでしょうし、罰せられる側は信賞必罰というか、きちんとその辺の線引きをしっかりするべきじゃないですかねえ。未成年だからとか、精神状態が、とかいう逃げ道は作るべきじゃないと思うんですが。



2008年7月23日水曜日

大阪の道

先日の土曜日。とある所用(車の下見)があって、大阪まで出かけてきました。

その道中思ったのは、意外に大阪の道というのはスムーズに流れているということ。
よく、汐見坂を過ぎて愛知県警の管轄に入ると途端に、道が比較的スムーズに流れ出すというのはよくあることですが、大阪も街中も結構というか、まあまあスムーズに流れてくれたので、これはうれしい誤算でした。逆に言えば、如何に浜松の道路行政が杜撰か、という事でもあるわけですが。

つらつらとその時に思ったのは、道路設計というのか、交通行政というのか、交通の流れの制御に関しては関西系の人間の方がウワテなのか?という疑問です。
というのも、言葉に関してはここ浜松というか、浜名湖を境にして関西系と関東系がぶつかり合っています。つまり、新居町や湖西市の方は既に名古屋弁というか関西系のアクセントが濃厚になってくるのですが、ここ浜松のほうは関東系というのかな?例えば浜名湖の北側に細江町というところがあるのですが、ここの方言は妙に関西系と関東系の言葉が入り乱れている、などといったことを耳にした事があります。
つまりはそれほど愛知県に入った途端に交通の流れがよくなったと感じてしまうのです。逆に愛知県から静岡県に帰ってくると妙に交差点で止まる回数が増えるというか、いらいらしだすというのか。

まあ、そんなことを考えてしまった大阪行きでした、ということで。

2008年7月19日土曜日

いっやあ。ガリバーしつこいです。着信拒否にしてあっても、まだ一日に3回も4回も電話がかかってきます。いちいち留守電に伝言を残しているようですが、聞いてみたいようなどうでもいいような。なんかひどい脅し文句とか残っていそうな気もしますが、果たして聞いてみようか、どうしようか、いかがなものか?と言いつつ、気がついたときにはその都度記録は消していますので、もう後の祭りなわけですが。しかし何時まで電話かけてくるつもりなんでしょうかね?

まあ、かほどさようにと申しますか、こうした訳の分からない色んな業者が渦巻いているクルマ業界なわけですが、今日のお題はガソリンスタンド。いや、気がつかない内にやられているもんです。と言うのは今回の被害車は代車のヴィッツ君。
確かにうちに来た当初より、アイドリング時のエンジンの震えが少々気になったのと、エアコンが動いている時のコンプレッサー付近よりのギュリギュリ音が気にはなっておりました。このため以前、プラグを抜いて見ましたところ、わりと先端が丸くなっておりましたので、エンジンの震えはこれだろうな、と。という訳で3日ほど前にプラグは交換してやりました。イリジウムにしようかとも思ったのですが、高いので却下。これで結構静かになってくれたので、後はエアコン。電磁クラッチの切り替えがうまくいっていないのかな?とも思っていたのですが、本日の症状はエアコンが入ったと思ったらすぐに切れ、コンプレッサーからのギュリギュリ音も相変らず。あろうことかエアコンのコンプレッサーが急に入ったり切れたりするため、変速のうまくいっていないATのようになってしまい、その度にガクガクする始末です。うーん。どうしよう。なんかエアコンがまったく効いていないような気もしてきました。送風が冷たくないじゃん?これ。

仕方がありません。整備工場でもいいのですが、ここは一発専門家に見せることにしました。ディーラーでも一通りの事はやるように機器はあるのですが、エアコンに関する重整備やその他の電気関連の重整備は専門業者に出します。セルのオーバーホールなんかも、そうした業者の守備範囲です。さて、その結果は?

結論からすると、冒頭登場したガソリンスタンド、もしくはその類いの「車関係の整備を聞きかじった俄か業者」が原因ではないか?という事になりました。ウチにお嫁入りする前に事件は起きていたということですね。つまりは「フロンガスの過充填」による、エアコンシステム内の過圧化により、システムが正常に作動していなかったのだとか。特に今日は小雨の降った後、かなり気温が上がったため、余計に内部が高圧化してしまい、いつもより作動がより不安定になったのでは?という診断結果となりました。
作業としてはフロンガスを適正な圧力にまで抜き、内圧を適正値に戻した、という事なのですが、まあ、簡単に言えばフロンガスを抜いた、というだけなので、あわよくば「タダ」でやってくれるかな?という淡い期待がありましたが、しっかり2500円取られました。ケチだなあ。


今回の教訓としては、やはり、クルマ屋以外の「クルマ屋モドキ」には車を見せちゃイカンなあ、という事ですね。
ガソリンスタンド以外にも「自動後退」とか「黄色帽子」などのカー用品のピットも同様ですが、あの人たちの頭の中では「エアコンの効きがよくないらしい」=「ガスを補充すれば良い」とか、「ガソリンタンクの中には水が溜まるもの」=「水抜き剤を入れてあげるのが良いこと」とか、「エンジンその他の劣化を防ぐには添加剤が効果的」=「『マイ○ロ○ン』を入れると、エンジンその他の劣化が防げる」とかの非常にパターン化された商売上都合のよい整備マニュアルが出来上がっているようです。
以前の体験談では、行きつけのガソリンスタンドで「撥水ワイパー」なる物が売られていて、勧められるがままに買ってみたのですが、その際にワイパーゴムについているバネを捨てられてしまいました。後日、あまりにもそのワイパーの調子がよくないので元の純正ワイパーに戻そうとしたところ、バネが捨てられていることが発覚。スタンドでも時、既に遅しでバネは何処?という状態。仕方なくワイパーの先端ユニットを丸々取り直したことがありました。

実際エアコンに関して言えば、平成の頭以降の物であれば、まずガス漏れなどは起こりません。というより漏れたという話を聴いたことがありません。もしあるとすれば、事故でぶつかっているクルマ。一度ぶつかってしまった車は、なかなかにキチンと寸法がでませんから、エアコン関係の配管などに無理が来てしまうこともあり、それが原因でガスが漏れてしまうことはよくあります。それ以外では...............、無いなあ。

ここしばらくの間に発表されたクルマに関して言うと「触らないでください」と言わんばかりのカバー類であったりレイアウトだったり。でも、確かに下手げに素人さんに触られたことが原因で調子を崩すことも多く、それが元で「異音がする」とか言われた日にゃあ、メーカーもたまりませんから、ますますエンジンルームはブラックボックスになってきてしまいました。

「ディーラー・マンセー」と言うつもりはありませんが、あまりにも「利益の一環として」手を出されるのもどうかと思う店舗もありますので、その辺はよく見極めていただけたらな、と。とりあえず、「整備士の資格」を持っています、と言うだけではあんまり信用しない方がよいかと。また、整備士の学校出た時点で「国家3級」とかの資格くらいは持ってるハズですが、やはりメカニックはセンスも重要だけど場数というか経験値が基本ですから。

東京は銀座にある包丁屋さんの「砥ぎ」の話を雑誌で目にしました。そこでは、包丁の砥ぎを1ヶ月から3ヶ月でマスターするとのことですが、その数がね。1日で多い時で30~50本研ぐそうです。一般家庭で1ヶ月に1回研ぐとしても、1日で3年分の量をこなすという訳です。で、それを毎日。うまくなるわけだよなあ。

ま、そんなわけで、改めて「餅は餅屋」という言葉を噛みしめたのです。

2008年7月17日木曜日

続・ガリバー

いやー。ガリバーの無料査定なんですけどね。しつこいです。何べんでも電話かかってきます。あんまり五月蝿いんで、着信拒否にしちゃいました。もしこれを読んでいる人の中で、一度聞いてみようかと思っている人があったら止めといた方がいいです。くどい。

よくこういうのって感心するんですが、仕事だらっていっても、よく電話できるなー、とか思っちゃうんですよね。しかも妙に馬鹿丁寧な口調で。そこで引いちゃっていたら先がないのも分らんでもないですけど。
そこで、ああいうところに聞かなくてもいい方法など。

実は、というほどのことでもないですけど、巷のクルマ屋さんは、隣近所のクルマ屋さんで並んでいるクルマを見て金額をつけることが多いです。つまり「この位(年式・走行距離など)のクルマならこれくらいの金額をつけても大丈夫か」という判断です。
年式の新しい場合、よく1年で百万落ちるとか言います。これは新車値引きも関係します。仮に車両本体300万の車の場合で本体値引き20万くらいが通常の値引きだとします。つまり新車の実売が280万円。ここで、1年落ちの中古車がいくらの金額なら新車と勝負できるか?
と考えます。
中古車の店頭表示金額が250万円だとすると微妙かな?と。これが220万~230万くらいの表示価格だったとするとどうでしょう。1年しか乗っていないクルマが7~80万円引きで買える。これなら食指が動かなくもないかな、という感覚にもなろうかと思います。この、「このくらいならお買い得かな?」という金額差が一つの基準です。
で、ここからお店の利益、つまりこのくらいの金額のクルマならば台あたり30万前後の利益を出そうとするでしょうから、つまり200万前後の下取価格というわけです。

本来ならば消費税を払っている課税対象業者ならば、この下取価格に5%の消費税を含めた金額を提示しなくてはいけないはずなのですが、そんな言葉の聴けた例はありませんねえ。ディーラー時代にはよく小細工をして、その消費税上乗せ分で新車の追い金を調整したこともあったっけ。今その手口が通用するかどうか知りませんが。
後、ごまかしの手口として、自賠責の残月数とか、自動車税の残りとか、リサイクル費用とかがあります。つまりはそれらをひっくるめて全部でいくら、とやるわけです。
また新車販売のときの話ですが、お客さんは8月も過ぎると自動車税のことはすっかり忘れています。これで調整する、という事もよくやりましたねえ。

で。更に2年落ち3年落ち、となると先ほどの230万円から年間で更にもう2~30万円くらい差がないと、という話になりますので、それ相応の金額に成ってしまうというわけです。このため3年で半額などとよく言われる国産車は、確かにこういうからくりというか理屈で動いている訳です。新車値引きが激しい場合、中古車の金額が接近してしまいますので、表示価格を下げざるを得ません。このため安い下取値は更に安くなります。

以上は通常の例ですが、メーカーでやる、よくある手として、ちょっと顔の造形を変えてお化粧直しをする時があるます。
これをやられると、一般的には「現行型の顔」というものにご威光が移ってしまいますので、旧型の顔は値を下げざるを得ません。となると2~30万円の差どころか、50万円ほど違ってきてしまうこともありえます。特に発表間もない時期でやられるとこれは痛いです。要注意メーカーとしては「ホ○ダ」でしょうか。よく自社登録もしたしね。

外車とかだとやはり3年という時期が一つの区切りなんでしょう。ベンツとかだと新車登録後3年まではメルセデスケアなどと称して、ほぼ全ての項目でメーカー補償が適用されるようです。つまり3年経ったら以後の修理費は自己負担。一般的にベンツは維持費がかかる、という通説は今でも健在ですから、それに恐れをなして、とにかく表示価格を下げないと売れない。このため、新車時450万超のベンツも6年経ったら100万ソコソコで買える、という事になる訳です。まあ、これは余談。

じゃあ、オレの車は?という向きもあるでしょう。そういうときには「GOO」で検索することをお勧めします。(カーセンサーだとちょっと、やりづらい)
車の年式や走行距離、色などの条件を入力すると、その条件に見合った車が一覧で出てきます。それを見ていると、大体の中心価格帯が見えてくるはずです。
基本的にクルマ屋さんは、いくら安くても1台10~15万円(車両本体50万以下が目安)は利益を見込んでいます。100万前後で20万。200万前後で30万前後。ですから逆に店頭表示価格からこの金額を引いてやればいいのです。
後は買取屋さんの利益(3~5万円)とオークション会場の出品手数料、会場までの搬送料などで10万ほどを引いてやると大体の買取金額が出てきます。もちろん傷や、要修理箇所等のある場合は、更にそこから加修費用分を減額します。
仮に150万とします。ここから20万円強の利益と10万円ほどの諸経費分を引くと120万円以下。と、まあこんなところでしょう。

ご参考になりましたでしょうか?それでは、また。

2008年7月15日火曜日

ちょっと用事もあったので、今日初めて「ガリバーの無料査定」というモノをやってみた。今回は、ネットからの無料査定。45秒で金額が分かります、という謳い文句だった。
入力項目は

車のメーカー名
車名
年式
走行距離(1万キロ単位の大雑把なもの)

グレード
名前(ひらがなの読みのみ)
居住地(県まで)
メールアドレス
連絡の取れる電話番号

くらい。結果は、45秒では連絡は来なかったが、7分後には第一報がきた。で、このときには手元に携帯電話を置いてなかったので出れず。さっき、18:24に電話が来た。

予想はしていたが、先ずは手始めに、こちらの情報収集にかかってきた。果たしてホット客なのか、それとも冷やかしか、という判断をしたのだろう。
お問合せいただいた御理由は?」⇒まあ、これはそのままですね。
今後距離が伸びる可能性は?」⇒査定金額の変更の可能性。金額が良ければ直ぐに売却になるかの判断
時期的にはいかかでしょうか?」⇒相手の心積もりはどうか?今すぐになるのか?
売却は何のためでしょうか?」⇒売却だけならそのまま。代替の場合はそれもガリバーで取り込めるのか?という判断。

この辺は適当に答えておいたが、相手としては脈アリと取ったのか、
「○○(車名)のようなミニバンは現在大変人気があり、探している方の多い車である。このため良い数字の出せる可能性が高い。ついては、浜松にお住まいであれば最高金額の出せる担当者がガリバーの各店舗を巡回しているので、ご都合をあわせて頂きお車の状態を見させていただければ最高の金額を提示させていただくことが出来る。その上で各店舗を回られてみてはどうか。ついては、浜松の査定員の予定を見てみたいので、お住まいの郵便番号を教えていただきたい。」ときた。ほほう、と思う。
最重要ポイントはこちらの住所。情報をつかんでおけば後で何時でもコンタクトを取ることができるから。
それと「最高金額の出せる査定員」というところもポイント。美味しいエサに飛びつくかどうか、だから。そこで飛びつけば、本人(つまり決定権者)が売却予定のクルマに乗って店舗まで出向いてくる訳だし、「巡回」な訳ですからアポもきちんと取れる。
まあ、きちんとマニュアルがあるのでしょう。でも、もちろん自分が郵便番号を言う訳がない。

「ちょっと待ってください。こちらとしては査定金額を教えて頂けるという事でお問い合わせをさせていただいた訳で、概算さえ教えていただければ今回の用は足せます。最高金額を出していただけるのはいいのですが、順序として概算が出なければ、今後の計画も立てようがないでしょう?」
「きちんと車の現状が分かりませんと金額が出せないのですが」
「無論、傷の状況もあるでしょうし、距離が今後どのように伸びるかも分かりませんから、教えていただいた金額から今後減額が出るだろう事は承知しています。ともかくも目安がないことには、今後の動きを検討しようにも材料がありません。まずは概算で結構です。」
「............。129万から85万円の間です。」

とまあ、こんな具合で当初の目的の情報は聞き出せたので、ではまた、といって電話は切った。
しかし。上限金額と最低金額との差が44万円。うーん。確かに実際には事故車でありながらも「電話ではこう言われた」とか言ってゴネル奴とかもいるだろうから、迂闊な金額がいえないのも分からんでもないが、ねえ?


一時の買取業者の台頭もいまや段々ひと段落してきて、既に次の段階に入ってきているのは承知している。つまりは今まではディーラーの牙城であった車両販売にも進出してきているということ。
既に中古車買取については一定以上の知名度がある以上、ある程度は中古車の価格コントロールも出来るようになったし、それ以上に買い取り車両の量もかなりの台数を抱えている。不思議な感覚もあるが、買取業者から車を買いたいと思うに人たちも徐々に出てきているらしい。それもあってか、今まで付き合いのあったビッグウエーブのとある店も社名を変えてきたし、損保の代理店も始めたようだ。まあ、こちらとしては「なめてもらっては困る」というところだけど。
そんな中、今、ディーラーは何を考え、何をしようとしているのかよく分からない。
メーカー名のついた大ディーラーとはいえ、
実態と中味はその辺(失礼)のクルマ屋と大差ないのは古巣だからよく知っている。まだ、メーカーと同一視してくれて、勘違いしてくれている人がまだ居るうちに、もう少し戦略を立て直したほうがいいんでないかい?余計なお世話だろうけど。

2008年7月13日日曜日

さっき、受信料を払っていないBSで、ペットボトルリサイクルの話をやっていた。

詳しくは知らないので、テレビでやっていたことをそのまま受け取ると、自治体の回収してきたペットボトルを「容器リサイクル協会」とか言う所が無料で引き取り、その回収容器(ペットボトル)を「指定業者」と呼ばれる特定の再生工場に流す。で、その再生料金はペットボトルを作った業者が負担する、という事なのだとか。

で、今はペットボトルが原油高の影響も受けて回収容器も原料として十分採算に合う(まあ、オイルサンドに処理費用をかけてでも採算が合ってくるのと同じ理屈)。つまり、ゴミだと言いつつそれは商品になれる。
もちろん回収費用をかけて集めてきたペットボトルがお金になるんなら、それに越したことはないと考えるのが人情だから、自治体としては買うところには売るだろうね、そりゃ。でもそうなると面白くないのは「財団法人 容器リサイクル協会」とかいう所。再生工場からのバックがあったのかどうか知らないけれど、取引量があまりにも少なければ、自分たちの仕事の評価にも影響するだろうから、必死になって「容器リサイクル法」とかを楯にとって「なんでうちにペットボトルを引き渡してくんないのか」と詰め寄って(当人にとっては交渉とか相談とか言っていたけど)いるらしい。
指定業者としても仕入れがタダで、必要経費はペットボトル製造業者持ちな訳だから、こんなにおいしい商売もなかっただろう。再生した商品はもちろん売れる状態にしていた訳だろうし。もしくはペレットに再生しただけか?その辺の100円ショップにある程度の低い品物(ペラペラのクリアーファイルやフォルダーなど)などの原料になっていたような気がしてきた。


つらつらと見ていて思ったのは、結局は「利」だな、と。どういうようにうまく利益誘導をしていくかだろう、と。
ふと思い出したのが坂本竜馬が亀山社中設立前に構想していた「九州諸藩連合」。つまり当時としては、開国とか攘夷とかの主義主張は措いといて、運輸、貿易という餡をいかにしてみんなで嘗めあうか。そうしていがみ合う諸藩たちと共同作業を繰り返し(先ず腹を肥やしたうえで)、
親近感を醸成していく。いくら理を説こうが頭ではわかっても気持ちがそこに落ちるかどうかが難しい所なわけで。基本的には薩長連合もこの論法だし、誤解を恐れずに言うなら大政奉還もある意味双方の絡み合う状況を都合よく「利益誘導」させた案といえるかもしれない。

司馬遼太郎が綺麗に書きすぎているのかもしれないけど、「坂の上の雲」で描かれている明治政府のとった日露戦争における戦略は見事の一言だと思う。今に通じる正論による平押しもないわけじゃないけど、きちんと秘密裡に潜行させているところもある(あったらしい)。
せっかく将棋や囲碁などという複雑怪奇なゲームを伝承させてきて、未だにコンピューターでも勝つことが至難な業の持ち主が日本にはウジャウジャいるのだから、もう少し戦略という面で活用させてあげなよって思ったりもする。それこそ勿体無い。

2008年7月12日土曜日

ニュートンの地球温暖化の号を昨日の夜、読み返していた。
冒頭にスウェーデンハウスの広告記事があった。

彼の地から運んだ木材を最果ての地である日本まで運んで、最終加工を施し、高気密、高断熱の家を作るんだそうな。

日本では家を35年周期で建て替える。そのたびに20~30トンの建築廃材のゴミを出す。スウェーデンハウスは100年もつ家を作る。だからエコである、と書いていたが、ホントか?

多分今僕が住んでいる家は今は亡きおじいちゃんが建てた家で、確か小学校の高学年の頃に建てた筈だから、既に25年以上は経っている。30年位か。実際に住んでみて、とても後5年ほどで建て替えなくてはいけない状態であるようには思えないし、実際そのつもりも無い。使える物は使えるまで使うつもりだ。
だから、35年しか持たないと言うのは「スイートテンダイヤモンド」や「結婚指輪は給料の3か月分」などというあまりにも馬鹿馬鹿しい、広告代理店の誘導と同じよなもんと思う。35年経ったら建て替えるものなんですよ、と。結婚指輪の相場はお給料の3か月分なんですよ、と。結婚後10年経ったら、奥様に感謝とねぎらいの意味を籠めて10粒のダイヤの入った指環を贈るのが習慣・常識なんです、とか。

五月蝿いよ。君達、邪魔。
なぜそうまでして人の言うことに乗ろうとするの?馬鹿だねえ。ローンも終わって、そこからがおいしい時期でしょうに。

同じような論法に「法定償却」と言うものがある。これも馬鹿馬鹿しい。何で縁もゆかりもない人間から「あなたのクルマの価値は6年経ったらゼロになる」なんて教えられなくちゃならないの?余計なお世話だ、となんで言わないのか?しかもそれが法律で決められている、と初めて聞いた日には「なんて横暴な奴だ」と思ったものだ。使える使えないなんて、あくまでも所有者の気持ちの中の話であって、そんなことまでお世話されるつもりはない。

話は戻ってスウェーデンホーム。拾い読みした限りでは「高気密・高断熱」という事か?でもさあ。

日本は世界に稀に見る高湿度の国だよ?平安時代の寝殿造りを見ていないのかね?基本的には夏の高湿度を無難に過ごす事を基本にした家造りが基本だと言うこと。つまり如何に湿気を逃すか?という事が基本であって、高気密・高断熱の家というのは「空調設備が常に働いているという事を前提とした設計」だと言うこと。
常に締め切った空間であるならば高気密高断熱の空間も意味を成すだろうけど(例えば土蔵)、常に人の出入りする個人住宅であれば高気密・高断熱の家の空調の存在は前提条件になる。それが冬ばかりの空間ならばいいけど日本は四季がある。暑かったり寒かったり。つまり空調機器の存在は欠かせないということだ。

昔はそんな便利な機械はなったから、とにかく過ごしやすいように(特に京都盆地や奈良盆地では死活問題だったろう)高床式の壁は全て取り外せる(蔀戸のように)形態にし、更に池を造成して床の下を通すようにしてあった。冬はとにかく着込むことで何とかやり過ごすように。これが古代の日本住宅の知恵。

北欧木材でつくった住宅と言えば、聞えとイメージは良いかもしれないが、これら自然環境のことは無視した、エネルギー消費(空調)が当然の事としてある、を前提とした住宅であるように思う。
100年持つ?大きなお世話。35年経ったら建て替えるもんですよ、と言ってきた奴らの言いそうなことだ。
先ずスウェーデンホームに建て替えるにしても、先に20~30トンの建築廃材は先に出てくるんだよね。木材を全て北欧から持ってくる、という事は、その運搬工程で既にエネルギーの消費が余計にかかるわけだよね?高気密・高断熱と言ってるけど、実際の空調コストと、湿気対策はどうなってるの?100年持たせるのは、その家に住む住人の選択であって、そこまで言い切っていいのか?などなど。

基本的に住宅産業というのはクルマ産業と同じで、周囲のお金や資材や諸々を台風の目の如く強烈に吸い込んで、強烈な風速とともに関係業界にばら撒くものだと思っている。そこには関係業界はもとより税金や金融・保険や施主の人間関係や将来までをも巻き込んだものになる。

先にあげた35年説の様な歪んだ「男子たるもの一度は家を.....」なんて概念はもう捨てようよ。

それにかかるお金を考えるくらいなら、使える物は使って、その分、悠々自適な生活時間や生活環境に向けたほうがいいのではないかい?せっかく人口構成のこともあり人口が減少傾向にあるのなら、もうそこまであくせくして借金を背負い、現状維持や年収アップにあくせくするより、増えた空き家を修復して住むほうがよっぽどいいと思うんだけどな。

よく、年収200万以下の低所得者層とか何とか言うけど、余計なお世話だと思うんだよね。悪くいえば東京の(実生活体験の薄い)価値観一辺倒。
だって、所得の多い人ほど無駄遣いの金額も比例して騰がっていく傾向にあるし、じゃあ、その無駄遣いって何?と言うと「家」とか「クルマ」とか、「ブランド品」とか、お子様の教育費とか。なさけない。いかに中身の無いものが多いことか。

取引業者の社長に「柴田君のスローライフと言うか何というか。なんかそういう感覚が羨ましい。」という意味のことを言われた事がある。本当に沿うかどうかは知らないけど、でも社長。周囲がそう言うから、自分もその尻馬に乗る、じゃあ、あまりにも寂しいでしょう?
勇気のいることかもしれないけど、出るもの減らせば、出さなきゃいけない物も無い訳で。

スペインとかフランスの南部とかイタリアの話だったのかな?あちらは日本に比べ随分と平均所得が低いのだそうな。でも、彼らは非常に豊かな生活をしている、なんてよく聞く話。
結局は足る、という事を知っているという事じゃあないのかなあ?
もっともっとと言い続けてきた日本は、今どうなった?小汚い町並みに、税収アップ(固定資産税)をもくろんだ地方自治体による、あまりにも奇形な街づくりと、いびつな人口構成。止まらない汚職と止まない無駄遣い。

何か、嫌になっちゃうよ、実際。

終わらないので、今日はここまで。

2008年7月11日金曜日

目に付いた記事

今日、久しぶりに静岡新聞を見た。
その中で見かけた目に付いた記事を一つ。

道路特定財源の一般財源化について、浜松市長の鈴木康友君に「どう思う?」ってアンケートが来たらしい。それについて、「まだ未定」と康友君は答えたそうな。まあ、そりゃそうだわな。まだ決まった訳ではないし。そんな先の話についてどうのこうの言える訳ではない。せいぜい、もう少し突っ込んだ回答をしても、「国政の場での議論を見守っている所です」以上には答えようがないと思う。

でも、これでも道路族の議員は気に入らないらしい。市議会の自民党議員連中が、大挙して市長に次々と面談の申込みをし、これはどういうことか、と捩じ込んだんだそうな。
曰く、道路財源はあくまでも道路建設に限定するべきで、それ以外の用途を連想させるような発言すら禁句、という事らしい。
これじゃ柑口令だよ。ここは民主主義の国じゃなかったのか?
浜松の民度というか議員連中のレベルの低さを露呈する悲しい出来事だと思った。あいつらにとっては、これで次回の議席(というか自分の生活)も確保出来た位の意識しかないんだろうが、レベル低い連中はやはりここにも居たんだな、と再認識できたという程度の出来事でしかなかった。やっぱり自民党に入れるのは次回も回避。無論、宗教団体党にも入れるつもりは毛頭無いが。


人一人の認識力なんてタカがしれていて、やはり今まで関わってきた世界の事と、その周辺の出来事くらいまでしか論評できないもののように思う。以前「クイズダービー」という番組に出演していた篠沢教授という人は、番組内では、いつもトンチンカンな回答しか出来ない、いわば当る確率の低すぎる大穴の回答者だったが、その専門分野のフランス文学に関してはとっても権威ある(あまり好きな言葉ではないけど適当な言葉が見当たらなかったので使ってしまいました)人だったようだ。つまり、そのような専門分野に関してはとってもすごい人でも、それ以外のことではさっぱり、という例。
だから僕はやっぱりクルマ関係と保険関係。そして営業関連を業務の中心としてきたということで、常に「道路を使ってきた側の立場」というものに関しては、ちょっとだけ思うことがある。

以前も書いたけど、道路というのは、先ずスムーズに流すことが大前提。だから10メートルそこそこで信号機が連なるなんて、道路設計そのものが間違っている。スムーズに流すためには、なるべく信号機なんて無い方がいいのが当たり前。目的地に速く着く手段として車があるのに、ナビゲーションの設定平均速度が時速30キロなんて冗談にしか思えない。その上スムーズに信号機をパスしようとすると時速80キロくらいを維持しなきゃなんないなんて、それこそ冗談だろ?
ここ何年かで出来たバイパスと呼ばれる道路群がある。まあ、大体2車線道路で中央分離帯がきちんとあって、という道路だけど、これもひどい。ちょっと見通せる場所になるとうんざりするぐらい信号機が見渡せるのだから。どこがバイパスだっちゅーねん。
浜松みたいな地方都市での2車線道路なんてもう幹線道路以外の何者でもない。ところが、国道1号線ですら「なんでこんなところで.....、」と思わせられるくらいのつまらないところで信号機でその流れがせき止められる。国道1号線でだよ?よく、首都を迂回する道路を作るの作らないの、という話がある。浜松にとっては国道1号線と浜松環状線がそれに当るものと思われるが、これがひどすぎる。何回止めれば気が済むんだってーの、ってくらい止まる。これまた、たいして交通量の無い横道を通すために。こんな詰まらん道路を作るために税金を取ってるなんて許せん。

そこで。
これは以前書いたけど、100メートル以内には信号機のある交差点を連続して作らない。これが1つ。

途中で見かける「横切れる」もしくは「右折可能な」中央分離帯の途切れた箇所は全部塞ぐ。
これが2つ目。

3つ目は、基本的には幹線道路はロータリー化して、可能な限り信号機の設置は避ける。途中からの流入には高速道路のような合流レーンを付けるか、一旦停止での左折のみの流入とする。

4つ。中央分離帯の途切れた箇所は塞ぐが、右折可としてある箇所には必ず右折レーンを設けて、直進車の通行を妨げない。3にあった流入箇所から右折したい車は右折レーンのあるところまで行って、そこでUターンをする。そこでUターンも出来ないようなヘタクソは免許を停止する。

とりあえずこの辺はすぐに着手していってもらいたい。このためなら道路財源を確保するのにもやぶさかではない(新規着工はもちろん凍結。もういらない。既存の路線整備で既に十分。)。但し、通常走行に関してさほど不満のないレベルになったら、予算は即座に停止する。このやめるタイミングは難しいが、(作る前の交通量調査はやるけど、)造作をした後の交通状況調査や利用者へのヒアリングをして適切なタイミングに、迅速に止める。


先日、「埋蔵金」と言い出した元大蔵省官僚とかの口述本を見、ました。その中で「経済理論として国内需要が落ち込み、景気の低迷している時期に公共事業をしたところで、その効果は無いということは常識。むしろ金融緩和策を実施した方が効果は上がる。」などという趣旨の文章がありました。
経済学に関してはとんと縁がありませんが、その文章を拾い読みするに経済学とは「風が吹くと桶屋が儲かる」理論構造を、今までの経験や実証を元に理論体系化した学問なのかな?という感じでした。だったらもっとやれよ、と思います。事実、今まではその真反対の「ばら撒き」を続け、まったく今もたいした効果が上がっていないわけですから。


いい加減、移動にストレスの無い道を作って欲しい今日この頃なのです。

2008年7月7日月曜日

商売の波

昨日行ってきた先で、こんな相談を受けました。Nさんといいます。その息子さんの話(とはいっても、もう40後半のはず。ちなみに独身)。
曰く「息子が会社を辞めてきた。辞めてからはネットで商売をしようとしてたみたいだけど、なかなかうまくいかない、儲からないという事で、改めてどこかの会社に入れてもらおうとしているらしい。
一つには今、あいつには金がないはずだけど、勤めだしたら車が必要になるはずだ。その時には相談に乗ってくれまいか。
もう一つは、何かいい就職先があるようなら紹介してやって欲しい。」
とまあ、こんな相談でした。

まあ、車のほうはともかくとして就職先について。
すぐに思いつく先としてはアリコの営業職員と、日本興亜の代理店研修生。まあ、うまくいくかどうかはともかく向こう3ヶ月くらいは在籍自体は出来るだろうから、その間給料を貰うだけは貰っておいて、その間きちんとした就職先を探す、もしくはその道で上手く行けるようならそれに越したことはないし。という話はしておいた。
募集自体はアリコの場合は毎月日常的に。日本興亜の場合は偶数月に。まあ、とりあえず話し聞いてくるだけならいつでもできるから、連絡は今でもしてあげますよ、と。後は当事者同士で話をしてもらって、縁がなければそれまで。向こうから断わられることもあるし、こっちの都合もあるでしょう、と言ってあげたのですが。

まあ、このNさん。何かにつけてああでもない、こうでもない、というのですね。とりあえず金に困ってんのなら段取りなんか気にしてる場合でもないんでしょうけど、当人にとっては一つ一つカタを付けたいらしい。

話を聞いてみると、Nさんが今まで7年いた会社ではブラジル人との関わりが多かったから、今後もそういう方面で何とかやっていきたい、というのです。でも、そういうワリにはブラジル人の知り合いが何十人といる、というわけでもないらしい。では言葉がどうかといえば、それも怪しい、というよりまったくできない。

ブラジル人は結構いい給料を取っています。派遣を介しているとはいえ、残業があることを前提にして職場を選ぶ人が多いですから、40といわず50近く貰っているのもいます。手取りで。で、そのお金をどうするかというと、あまり貯める、という話は聞きません。母国に送金するか、もしくは使ってしまいます。このためその場限りの羽振りは結構良いです。
このためクルマに結構な額のお金をかけるのもいます。
そういうことを、Nさんも聞き及んでいますから、そういう人達に向けてチューニングなどの仕事を請け負う工場を紹介していく、という事も考えているようです。でもね。ブラジル人自身の修理工場もあるし、彼らは彼らで自身で渡りをつけてきていて、それなりにやりたいことを既にやっている連中が多い。つまりNさんに面倒見てもらわなければいけない理由はないわけです。だってNさん、クルマ関係のネットワークないもん。知識もないし。

こうすれば儲かりそうだ、とか、こういう話があるよ、という良い部分だけを聞き及んできて想像を逞しくするのはいいんですが、Nさん、なんかお手軽すぎるような。
もういい年だし、でも、オヤジさんは75くらいだから、もう頼る訳にもいかないし。もう少し現実的なことを考えてもいいんじゃないかなあ、なんて思ってしまいました。

巷には、FXでどうのとか、ネットショップでこんなに儲かりました、とかいう本が溢れています。
それが全て間違いではないでしょうけど、相場で儲ける人がいれば、その分損をしている人がいるわけです。昨今の石油相場で言えば、そのツケを払わされているのが消費者であり、実害を被っているのがアフリカなどの外貨準備高を持っていない後進国。だって、買えないもん、あんな金額じゃあ。あっちでは高いか安いか、なんていう甘ったれたもんじゃなくて死活問題でしょう。実際。
ネットショップもいまやいっぱいありすぎて信用するための取っ掛かりをどこに求めるか、という話になってしまいます。つまり一般的になりすぎて、同時に競争相手がありすぎて、どこを足場にしてお客さんと繋がるか、という事になる。在庫の量なのか。技術か。知識か。それともプレゼン能力か。それともそれ以外の何かか。他との差別化をどこに求めるか。
Nさん、もう少し考えるか、考える前に手に汗握るかしたほうが良いような気がするんですが。

2008年6月26日木曜日

世襲制

こういう商売をしていると、親から子へ、という事業継承の場面は数多く目にする。同級生もいれば、いつものガソリンスタンドであったり、お金持ちの社長や農業をやっている人や。

以前、日本の歴史上、武士政権が長かったのは、それが制度として、とてもよくこの日本の風土に馴染んでいたからではないのか?という事を書いたことがあったような、ないような。で同時に「代々世襲」という形態も非常に長く続いているような気がする。これも多分おなじみになっている形態なのではないかな?とも思う。
でなければ、二世議員、三世議員などといったわけのわかんない存在がいることが信じられない。しかしてその実態は?というと晋三君や純一郎君や康夫君、真紀子ちゃん程度だったりする訳だけど。

ドイツだったか、選帝侯という人たちが何人かいたと思う。読んで字の如しで「皇帝を選ぶ諸侯」。つまり忠実な僕というか、丁稚というのか。そういった人達が皇帝にふさわしいか否かを判断し、必ずしもその家の長男が順当に皇帝家を継承していくわけではない、という制度だったかな?実態はどうだったのかよく知らないんだけど。
規模の大きすぎる企業なら社長って誰?ってなもんで、ある程度お飾りでもいいような気もするけど(自分自身、そういうところとは付き合いがないのでよく分からない)、中小企業の場合、社長と従業員の距離はわりあい近い例が多いと思う。この場合、果たしてすんなりと「社長の子供だから、次はあの人が社長」ということを周囲が認めるか、という事はあるのでは?多分、自分と同じ目線で昨日まで横に座っていた人を見るだろうし。

それを考えると、やっぱりしっかりとした実力を持つ番頭を先ず育てることが重要なんだろうな、と思う。で、その番頭に「選帝侯」のような権能も持たせる。確かに息子という存在は分身って言えば分身なんだろうけど、必ずしもそれが後継者としてふさわしいかは別問題だし。ここは選帝侯たる番頭に「これから先も仕えるに足る資質の持ち主かどうか」きちんと見極めてもらったうえで次世代も考えていくべきなんだろうな、とね。まあ、ぼくん家には関係ないことだけどさ。

世襲制

2008年6月23日月曜日

昔からなんとなしに思っていたことがある。それは、結局人間って奴は「物を燃やすことしか出来ていない」のではないか?という疑問である。
考えても見て欲しい。現在人間が使っているエネルギー源としてその大勢を占めている電気だが、これは地面をほじくり返していれば出てくるものではない。その多くは発電所である発電機のタービンを回すことによって得られた電力を長い長い送電線を通じて各家庭に送られてきたものを使っているわけだ。ではそのタービンはどのように回しているのか?
水力発電では流れ落ちる水の、その勢いを使いタービンを回している。火力発電では重油や石炭などの化石燃料を燃やして水を沸かし、その水蒸気の圧力でタービンを回している。原子力は?ウランの原子分裂時に生じるエネルギー、つまり熱で、これまた水を沸かしてその蒸気圧でタービンを回している。結局やっているのはこれだけだ。原子力発電に関しては、燃料であるウランの精製や再利用時の処理工程、そして利用後の廃棄に関して膨大な石油エネルギーを投入せねばならないことから、果たしてこれがクリーンなエネルギーか?と聞かれると、ものすごく疑問だ。結局の所トータルの投入エネルギー量を考えると、けっしてお徳ではないように思える。

さて、ここからは自動車のエネルギーということに話は移る。
最初に認識しておかなければいけないのは、石油というかガソリンという燃料は、エネルギー密度が非常に高く、しかも安価に、簡単に製造できる、今のところ唯一のエネルギー源だと言う事。これがあったからこそ、人間は今のような生活が出来ているのだということは揺るがない事実だと思う。では、なぜ燃料電池だ、水素エンジンだ、などと言うのかと言えば、石油は何れ枯渇する有限なエネルギーである、という認識からだ。
燃料電池にしたって水素を酸素と反応させて電気を得ようという装置。水素エンジンは、そのまま水素を燃料に使おうというエンジン。何れの方法も水素を使うという点では一致している。なぜ水素かといえば一番原子構造が簡単で、一番ありふれた存在だから。水を電気分解すれば得られる、つまりほぼ無限にこの地球上で生産できるはずのエネルギー源だから。
もう一つには二酸化炭素が原因だとされているらしい地球の温暖化(個人的には要素の一つではあっての主原因とはおもっていないが)を、クリーンとされるこれらの技術を使うことによって少しでも防止できるのではないか、といいうことに尽きる。ただ、本当にそうなのか?
先ほど、ガソリンのエネルギー密度について触れたが、水素はどうかというとそれほどではないようだ。単純に言っても液体水素の状態であっても石油の4分の1程度だそうだ。しかも、水素の保管や貯蔵は、石油と比べると膨大なコストや規模の施設がかかり、とても現実的ではない。
現時点においては先ず水素を作り出す、という事にすら結構な石油資源を投入せざるを得ず、結局は「水素を使う」という、実は電気や動力を取り出すための手段であったものが何時の間にやら目的にすり替わってしまっていることが往々にして見受けられる。また、水素や燃料電池に目がくらみ二酸化炭素すら出放題になってしまっていく手法もあり、もう何をかいわんや、という技術発表もある始末である。
ハイブリッド自動車はどうか。簡単に言えばこの自動車は二重の動力源を持つクルマだが、電気モーターの電力は実はエンジンを回して得ている。しかし、発電機の効率やバッテリーの充電効率、回生ブレーキのエネルギー回収効率、ハイブリッド化による重量の増加(多分200キロくらい)を考えると果たしてホントにいい物なのだろうか?と考え込んでしまう所が最近多い。
自分も当初はプリウスをべた褒めしていたが、ロードスターに乗るようになって、それ以前から乗っているバイクの事も考え合わせると、やはり軽いほうがいいんじゃないかと言う考えに変わってきている。先日の軽の維持費で気が付いたのだが、やはり重量というのは重要だと思う。特に最近の車たちは安全性重視ということや快適性能重視(遮音や防音、静粛性や断熱材の充填など)のためもあって、以前と比べ飛躍的に重量が増している。軽トラックですら800キロ台も珍しくないのだから。

話は前後するが、最近のエコブームは見掛け倒しだ。あまりにも雰囲気組が多く、結局は「エコ・エコノミー」だと思う。結局は、商売じゃけん、という事。
エコな住宅といったって建て替えにかかる費用を考えれば、そのまま昔の住宅で十分だし、建築廃材も馬鹿にならない。今乗っている車の燃費が悪いから、新車の燃費がいいからって買い換える人もいたけど、新車に買い換える追い金がいくらという事は考えていないんだろうなあ。どんなにがんばってもその分を回収できるとは思えんのだけど。オール電化にしたて自分ん家でガスを使わない、というだけであって、わざわざ石油を燃やして作った電気で、効率の悪い発熱を行い、電磁波を撒き散らしてる。太陽電池パネルにしたってパネルを作るに際しては膨大なエネルギーをつぎ込んで作る訳であって、しかも発電効率は低い。また、パネルの寿命もそうだし、その補機類の寿命もたいしたことないので、いくら売電できるからといってもトータルではとてもその投資を回収できるとは思えない。
結局は次の新商品を売らんが為の方便であって、まともに個人として投資と回収を考えたら
割に合わないのは目に見えているはず。とはいっても「みんなそうしているから」という理由でお隣さんと一緒でなければ安心できない風潮のようですが。

もういい加減、自分の頭でもう少し立ち止まって考えてみる、というのもいいんじゃないでしょうか?ま、余計なお世話ではありますが。

2008年6月20日金曜日

どうでもいいことですが。

どうでもいいことですが、先日の同級生の事故の後の車選びが、まだふらついています。
ツレとしてはヴィッツが、という事らしいのですが、そいつの嫁さんとしては「黄色ナンバー」じゃないと、という思いが強いらしく、ワタクシトしても、もう匙を投げている状態です。好きにしてくれや、という感じですね。

人間、きっかけは他愛もないことでも、一度こうと思い込むと瞬間接着剤でくっついてしまった人差し指と親指みたいなもんで、最後には指をカッターナイフで切り離す位の覚悟でいかないと指はなかなか離れてくれない、じゃなくて、思いはひっくり返りません。ただ、こちらの思惑通りひっくり返ったとしても、思いを覆されたという恨みっぽい感情だけは残ってしまうことも多く、そんなことなら「好きにしてくんりょ」となるに任せてしまったほうが、こちらとしても気にせずに済みます。

そんなこんなで、以下、同級生に対して送ったメールをそのまま載せます。



学生時代、ステレオのセールスを秋葉原とか上野の電気屋でアルバイトでやって
いた。
当時はパイオニアのプラペートというステレオのCMを中森明菜、
KENWOODではROXYをチェッカーズが宣伝していて、とにかく音質がど
うとかはそっちのけ。最初から指名買い、というパターンが多かった。確かに
カッコ良かったのは認めるけど。べつにお店としては何が売れようが売上自体が
多ければいいのでどうでもいいのだけど、当時オイラはオンキョーという会社に
属していたので、音は他の製品に比べよかったのだけど、南野陽子をイメージ
キャラにした「Radian(ラディアン)」という名前のステレオを売るのにはとて
も苦労した。まあ、今更どうでもいいことだけど。

で、なにが言いたいのかというと、人の思い込みをひっくり返すのは、とても大
変だということ。いくら音が良いとか何とかいっても中高生のガキには中森明菜
のCMのほうが重要であって、スポンサーたる親にしてみれば「うちのお坊ちゃ
まのお選びになったステレオにケチつけるザーマスカ?」ってなモンで。そんな
んで店の評判を落とされるくらいなら、素直に言うがままのステレオをソコソコ
(値引きなし)の金額で売りつけ「はい、サヨウナラ」したほうがこちらとして
も楽だったりもするんだけどさ。

そんなわけで、昨今の軽ブームは「とにかく軽はお買い得」というイメージを植
えつけることには成功したと思う。しかもなんとなく「軽も良くなったじゃん
(昔に比べれば)」という印象とともに。だからそのイメージに乗って「やっぱ
り軽だよね。維持費も安くてサイコーでしょ」って言って、そうしたクルマを訳
知り顔で持ってくのもいいんだけど、もうサラリーマンじゃないから自動車会社
の都合は正直どうでもいいしさ。自分に正直でいたいし。

ただ、実際の所で言うと比較表でも書いたとおり経費的には安いけど、実際の維
持費としては大して変わんなかったりするのが実情。まあ、ガソリン代なんざ、
何やかや言っても毎回毎回帳簿に付けて総トータルを見ている家庭なんか皆無に
等しいから、わからん位まで毒を薄めて飲んでるようなもんか、とも思う。
あの表で判るとおり、軽は極力乗らないか、乗ってもお買い物程度の使用頻度。
もしくは極力ガソリン代がかからない状態でないと経費的にはおいしくない存在
だと改めて思った。自動車税の催促のときとか車検の請求書を見たときなんかは
軽は安いと思うんだけどね。その時は。毎月の走行距離とガソリン代という前提
条件が変わらないのなら軽で11キロ以上の燃費の車でないとヴィッツあたりの
燃費のクルマとの差は埋まらない。
特に通勤使用が主体で日常的に動いているクルマであれば燃費重視のリッター
カー(ヴィッツに限らず、とは言ってもヴィッツ以外だと1リットルの排気量っ
てパッソくらいしかなかった様な気もする。1.3や1.5だと自動車税が5000円
高くなる。)の方がトータルでの出費は少ないと思う。ガソリン代以外の補修費
用や耐用年数も含めて。
ならば軽で燃費のいい奴を、という話になるのだけれど、今時の軽はどれも似た
ような車種ばかりで、どいつもこいつもワゴンRやムーヴみたいなのばかりだか
ら重量も似たか、よったか。実用燃費も同様。結局660ccっていう排気量が
重量に対して小さすぎるんだよね。燃費データをよく見せるためにミッションの
ギア比高くして異様にトルク薄い車も多い。

予算を増やして程度のいい軽を、という話も聞いたけど、クルマ屋ギョーカイの
いう「程度のいい軽自動車、値段の高い軽自動車」というのは「年式が新しく
て、距離数が少ない」とイコール。だからそれが維持費が安く付くかは別問題に
なる。それで商売する側としては予算枠が大きいからやりやすくはなるけど。車
種としてはモビリオとカブる気もするけど、何か良い軽は?と聞かれたら、車種
としては、とりあえずはムーヴだろうな。iはまだ安い中古車ないし。

余談だけど、ワゴンRのタイヤはもう履き替えてきた。エンジンのほうは既にプ
ラグコードを換装済み。後はセンサー類のチェックを再度かけていく。どうせ乗
りかけた船だから、ついでに整備はやり終えてくる。



修正なしで載せたので、分かりにくい所もあるでしょうが、こんな風に回答をしておきました。

さーて、もう寝よ。

2008年6月18日水曜日

公務員

うちの親父がガンで入院しています。現在70歳。昭和12年生まれですから、終戦時に8歳。20歳が、就労開始年齢だとすると昭和32年から働き始めていることに。つまり、年金や健康保険料は満額、全期間支払っている世代になろうかと思います。

何が言いたいのかというと、うちの親父の場合、全期間、これだけ年金保険料にしても健康保険料にしても支払ってきた、という累計金額はかなりのものになると思うのです。でも、健康保険も、年金も、「賦課保険料制度」という「現役世代が支払い、年金世代を支える」という分かったような、結局よくわからん方式で運営されていた訳です。多分オヤジとしては盲目的にその時になったら貰えると信じてきて自民党にも投票してきただろうし、会社員としてウン十年の間勤め上げてきたのだろうな、と思います。
ところが、先年、ようやく老齢健康保険の対象者になったと思った途端、後期高齢者何とかとかいう制度を持ち出されてきました。親父自身からはそのことについて何にも聞いたことはありませんが、果たしてその胸中は?と考えなくもありません。


個人的には、報酬を得る、という所業の事始めは高校の時の郵便局のアルバイトでした。それが唯一学校で認められたアルバイトだったからです。で、感想。「こんな程度で、こんなに呉れるのか?」というのがその正直な所。
次のアルバイトは大学時代。廃品回収業者の集積所の整理係でした。4トンとかそれ以上のトラックにぎっちり積み込まれた新聞紙を素早くおろし、所定のヤードに積み上げる、という仕事です。とにかく紙は重い。そんなトラックが朝から晩までひっきりなしにやってくるのですから、たまりません。昼飯付きで日給7500円くらいだったかな?初日の勤務は夕方雨が降ったので、最後4時過ぎ以降は体を休めることが出来ましたが、それでも足腰立たないというか、明日もやるの?といた感じ。柴田博之18歳の初夏でした。その時思ったのは「お金もらうって大変だ」という事。期待されたことをこなさなければ7500円は貰えないのです。

で、何が言いたいのかというと「この国の制度を成立・維持してきた連中というのは、一体何を以ってして給料を貰ってきたのか?」という根本的な疑問です。くどくど言い始めるとキリがありませんから結論だけいいます。「あんたら給料泥棒だろ?」ってこと。

例えば会社員の場合。平社員は経験や実績もないですから、はっきり言って個人が考えることを要求されません。ただの兵隊です。そこから年数や実績を経て、主任であったり、係長であったりという肩書きが付いていく訳ですが、それは偉くなった、という訳ではないんですよね。まあ、それがこの先起こる間違いの大本だったりする訳ですが。
主任・係長・課長などの肩書きは「そういう目線でモノを見ることが出来る目ができてきた」から、兵隊ではなく、小隊の中の軍曹的な仕事が出来る、もしくはそういう働きを期待される見返りとしてその分の報酬が加算された、という事なんですよね。
更にその先、課長、部長ともなれば「兵隊としての役割」を期待されることはなくなります。その代わり下士官ではなく、キャリア・尉官・士官として「組織をより効率的に動かすことによる生産性の向上」なんかを期待されることになると思うのです。つまり、より「偉くなった」という事ではなく「兵隊でない職責」ができるようになったのかな?という事だと思うのです。一般兵の職務に精通していることは必要条件だとは思いますが、それは十分条件にはならない、とも言えます。

ここで、さっきの話に戻るのですが、公務員であることは、そうした制度設計に関わる為の必要条件だとは思うのですが、ただそれだけでは給料をもらう、という事についての十分条件たり得ていないと思います。労働三権のうちの団体交渉権を認められていない(とは言いつつ、なぜか組合なるものが存在し、それが一定の圧力となっているらしいのは何故?)公務員に向けられた期待とは何か、という事をもう一度考えていただきたいものです。
もちろん、公務員の人たちも「俺達だって一勤め人に過ぎない」という意見もあるでしょう。ただ、その程度の意識しかないのであれば、先日の橋下大阪府知事の言うように「ならば、お辞めいただいて結構です」というのも最もだと思います。それこそ最も「職業倫理」を求められる職な訳ですから。待遇云々でその職を選ぶべきではないと思うのは厳しすぎるのでしょうか。「清廉潔白」という事を示すためにも「最も身内に対して厳しい」職場であるべきなのではないでしょうか。

ただ、いろいろ言っても何時かは制度は緩んでいくんですよね。完全独立の第三者機関を作り監視体制をとらせたところで。最後の頼みの綱は「民度」になるわけですが、それでも少しでも先手を打っておくとすれば、やっぱり握れる権能を少しでも小さくしておくべきなのかなあ、と思ってみたり。うーん。堂々巡り。

2008年6月17日火曜日

同級生の事故の続き

同級生の事故はその後、車の代替の話になり、代車に出した僕のワゴンRを「売ってくれ」という話になっていきました。ただ、ワゴンRを完調状態にしてタイヤを替え、という事をするといくら車検が来年の4月まであるとしても。30万オーバーの請求金額になってしまいます。
で、そこまでお金をかけるなら今後のことを考えてもヴィッツのほうが良いのではないか?という話をしておきました。

で、そこまでが昨日の夕方までの話し。奥さんとの話の内容はというと、あんまり「白ナンバー」の乗用車は奥さんとしては乗り気でない様子。このため、最終的にどうなるか分かりませんが、自分の勉強の為も含めて軽自動車と小型乗用車(ヴィッツクラス)との経費の比較を出してみることにしました。

           諸経費比較

           軽自動車          自家用小型自動車

自動車税     7,200円          29,500円

車検(2年)   55,730円             75,620円    

(この金額はオートサービスシバタでの標準車検費用での話)

任意保険    27,160円             39,070円

(割引等級10等級でのテストパターンでの保険料比較)

合計(1年)   62,225円            106,380円


一日通勤往復30キロとすると……。×30日=900キロ平均(日曜日の長距離レジャーを含む)

軽自動車の現在の普通燃費 10キロ/ℓ程度

    900キロ÷10=月平均90リットルの給油

                   90×170円=15,300円/月

ヴィッツクラスの平均燃費   15キロ/ℓ前後

    900キロ÷15=月平均60リットルの給油

    60×170円=10,200円/月
と、すると。

燃料代を加えた年間経費・維持費(上記の金額+燃料代×12)

軽自動車             245,825円

小型自動車(1t未満車)    228,780円

 但し、あくまでもテストパターン中での試算であり、実際に、このような結果通りになることを保証するものではありません。

こんな訳で、結局の所税金面での優遇によって維持費が安いように見えて結局は小型車の方がお得らしい、という事が分かりました。確かに燃費の数値が一つのネックですが、この数値は現在ダイハツディーラーでメカをやっている従兄弟の証言を基にしています。ヴィッツの燃費は自分の車の実走行数値です。
同級生に渡した比較データには、今日初回車検を受けてきたお客さんの車検証、柴田のヴィッツの車検証、ワゴンRの車検証の3つを添付しておきました。改めて見て思うのは、今時の軽の重いこと。3年落ちのムーヴですけど、860キロあるんですよ。で、自分のヴィッツが880キロ。ちなみにワゴンR(H8初期型)が760キロ。つまりヴィッツは軽と20キロしか重量が違わないのに、エンジンの排気量は1.5倍ある事になります。逆に、如何に軽が無理をしているか、という事ですね。
車体寸法に関しては長さ、幅ともに20センチ程度ヴィッツのほうが大きくなりますが、このくらいの大きさだとヴィッツのほうが無理なく乗れる寸法になると思います。これ以上削ると「どこかしら我慢をしなくてはいけなくなる」のではないかと。


んー。改めて出してみると、こうかー。確かに自動車税の時とか車検の時には「安い」と思うんだけど、じわじわ締め付けられてる、という事ですね。特にここんところはガソリン価格がこんなんですし、これから先も下がる気配は暫くはないですし。
以前から思っていたことですけど、車の形を作るのに今は最低100万かかる、と思っているんです。で、それ以上に価格を削ろうとしている車ってのは本来手を付けちゃいけない所にまで手を突っ込んじゃっている、という感覚はあるんですよね。まあ、そんなこと言いつつも今時の軽は100万円なんて軽くオーバーしてますが。

2008年6月14日土曜日

うーん、迷惑だ。

各方面で色々な話題を振りまいている秋葉原の通り魔殺人事件ですが、はっきりいって迷惑です。というのも、僕はナイフが好きで、いつか買おうと思いつつも、なかなか高価なものだし、きっかけもないし、という事で、今までは雑誌(「ナイフマガジン」という雑誌が隔月で刊行されています)や、その手のお店で眺めるだけにとどまっていました。

今まで買ったナイフは5本(カッターや肥後の守は除く)。初めてのナイフはスイスのアーミーナイフ、ヴェンガーのソルジャータイプ。同じくビクトリノックスのトラベラー、クラッシック。そして佐久間の田舎鍛冶屋の片桐さんという人が打った「剣鉈」を2本。その内ヴェンガーのソルジャーはどこかへ紛失し、剣鉈の2本のうちの1本はトヨペットを定年退職していった親父に呉れてやりました。残り3本ですね。正直剣鉈は大きすぎて(刃渡り30センチ、全長52センチ)普段の使い道といったら眺めて喜ぶ以外の用途がありません。本来はいのししに止めを射す為の物らしいのですが、いくら田舎ものでもそこまでワイルドではありません。
いいとこ使える大きさのヴィクトリノックス・トラベラー(刃渡り5センチ程度)も普段は机の上にあるだけで
、せいぜいが宅急便の梱包を解く程度の物です。一番使えるのは同じくヴィクトリノックスのクラッシック(刃渡り3センチ程度)くらいでしょうか。とはいっても紙を切ったり、封筒の封を切るくらいのものですが。いつもはキーホルダーとして普段使いのキーと一緒に携行しています。

ここで冒頭に戻ります。
何が迷惑といって、あの馬鹿のせいで、こともあろうにナイフの規制がどうのこうのという、予想された動きではありましたが、そんな話が浮上し始めていることです。
ヤバイ、と思いました。買えなくなるかも?

そんな経緯で、買っちゃったんですね。
ブツは、中国系3世の元グリーンベレー隊員アル・マーさんのデザインしたアル・マー ナイフ25thアニバーサリーモデルです。
カッコイイです。何の役にも立ちませんが。シース(鞘)付です。持ち歩くことはないでしょうが。嬉しくて、誰かに自慢したくなります。でも誰にも理解されないとは思いますけど。ちなみに嫁さんに自慢がてら見せびらかしたら、何の興味も示してくれませんでした。まあ、予想されたリアクションではありましたが。


しかし。
奴の事です。まあ、いろいろ派遣業界のどうのこうのとか、二次元ロリのきもオタがどうとか、アニメ声の巫女さんの衣装が似合う女の子がどうとか、真性包茎で童貞で云々とかいろいろ言いつつ、言われつつしているようですが、僕から言わせると存在する所間違えたね、って感じですかね。その年で、そこまで出来上がっちゃってたんなら多分、脳細胞の思考回路の組み換えは不可能でしょう。
ちょっと何にも弁解してやる気が失せるというか。馬鹿さ加減にも程があるというか。
童貞がどうのこうの言う位なら風俗行ってこい?
真性がどうのこうの言うくらいなら切ってもらえ?
アニメ声はともかく、巫女さんの衣装ってのは妄想が先行しすぎだぞ?
いくらなんでも生き物の人間として間違ってる部分が多すぎるぞ?


はー。こんな奴のために僕の趣味を妨害されたくない。

あ、べつに巫女さんのことじゃなくて、アニメ声のことでもなくてナイフ好きということについてですからね。誤解の無い様。

2008年6月11日水曜日


今日の夕方のことです。
とりあえず一通りの仕事を終え、明日のこともあるので早め(4時ごろ)に自宅に戻り、気になっていたロードスターを洗ってあげました。前回洗ってあげてから2週間かそれ以上洗ってあげていないので、先日の夜のドライブのこともあり汚れが気になっていたのです。

「らかす」の安堂さんは高圧洗浄機をお使いとのことですが、僕は相変らず手洗いです。
まずはホース先端のノズルを「シャワー」にセットしクルマ表面を湿らせ、次にカーシャンプーを同じく「シャワー」で適度に泡立たせ、泡を表面に載せていくような感じで、こすらぬよう、泡で洗い流していきます。
ついつい買ってしまったカーシャンプーが捨てられずにまだ使っていますが、洗浄力のことを考えると「ジョイ」がいいらしいです。ただ、普通に思うより家庭用の洗剤は強力なので、とにかく薄めで使う事と、その分きちん
と洗い流すことが重要です。

それだけであればいつもの洗車だったのですが、今日になって気が付いたことがありました。
洗ってる時にフロントのナンバーがプラプラしているので、なんかおかしいなー、と思って、触ってみました。すると、なんと本当にグラグラ。え?と思いインテーク部分を覗いてみると、なんとナンバープレートの支持ステーが片方、固定ボルトの所から折れているではありませんか。おいおい。そんなところが朽ちるのかい?ってなもんです。さすがに20年近い車齢を重ねる車は違います。
でもこれじゃあ、怖くて(ナンバーが何時の間にやら行方不明になりそうで)乗れたもんではありません。もう片方の固定部分が無事だという保証もないですし。

そんなわけで早速部品探しです。
悩みどころが何点か。一番すっきりするのが今の部品を再度発注しなおして新しくすること。問題点は支持ステーの固定ボルトが素直に外れてくれるのか?という点。結構見えないところはそのまま鉄のボルトを使っていることが多く(これくらいはステンレスにしといてくれよと本当に思うこと多数。ただしこ
れはロードスターに限ったことではないですが。)これは明日確認せねばなりますまい。
第2案。モデルの途中から、ややナンバーの固定位置を上方に持って行き(要するに冷却が悪いので)、更に直接バンパーに直接ナンバーが付くように変更されています。これに倣い、バンパー固定用のナンバーフレームを買ってきて付けようかとも思いましたが、これをやるにはかわいい黄色の顔に穴を開けねばなりません。今までせっかくこのままきているのに、今になって穴を開けるのは...。やっぱりヤダナー。
第3案。よく巷で見る、ちょっと他所を向いた位置にナンバーを移設する方法。フロントバンパーのインテーク内にある牽引用フックを使って取り付けます。これはこれで同時にインテーク内にあるエアコンのコンデンサーやラジエーターに外気が当りやすくなります(ノーマルのままだと、もろにナンバープレートが真正面にあり、かなりの部分を塞いでしまうのです)。エアコンの効き具合や水温上昇を防ぐ意味合いでも歓迎すべきではあるのですが、なんか「いかにも」って感じになりそうなので、ちょっと躊躇しています。やっぱりノーマルが清楚でいい感じ。うーんどうしよう。
取り合えず、明日になったら支持ステー外しに挑戦してみます。後はどの程度錆が進んでいるかですかね。うーん。でも折れるなよなー。あーあ。

2008年6月10日火曜日

同級生の事故

今日の10時50分ごろ、同級生から電話がありました。こんな時間にあいつから何の用だ、と思いつつ電話に出ると「今朝、事故をした」とのこと。つまりは、どの様に身を振ったらいいか、という相談です。ちなみに彼は僕の契約者ではありません。現在の自動車保険契約先は農協です。つまりはどうでもいい相談内容なのですが、まあ、お人好しも手伝って聞いてやることにしました。

事故状況です。
信号のある交差点。友人は交差点を右折しようとしていました。相手は結果的には直進したのですが、あろう事か右折のウインカーを出しつつ(これは他者による目撃証言あり)交差点に進入。右折の意思表示を見ていればこちらとしては交差点を曲がろうとしますわな。でも、そのまま直進。結果、相手者と衝突、というわけです。
基本過失としては8:2。直進車優先。こちらは右折車両ですから、当方の過失大、というわけです。いろいろな修正要素は考えられる訳ですが、でも、そうなの?っという感じは拭いきれません。「重大な過失」としては前方不注視とか、ハンドル・ブレーキの不適切な操作などを挙げている訳ですが、この場合は「曲がるよ」という意思表示をしつつ目前でウソをつかれた格好です。で、実は通称「落ち葉マーク」もついていた、との事です。


ここで、柴田個人の基本的なスタンスを書いておきます。
基本的に重量1t近い重量の車両を、ある程度の速度で操作している以上、その操作は簡単に人命を奪うに足る運動エネルギーを内包しています。で、ここで思うのがそれを操る以上、「高齢運転者」とか「初心運転者」とかいう生ぬるい理由だけで、その行為に対する結果責任を逃れるものではない、という感覚です。それが出来ない、わからない、のだったら運転しようと思うなよ、と思うのです。

これは道路を走る、という行為に対する最低限の礼儀作法だと思います。それこそ、ゴルフ場では紳士のスポーツとして最低限襟付きのシャツを着るのがマナーということだそうですが、そんな生ぬるいこと以上に絶対条件として、これは意識するべきです。
「見えなかった」「忘れていた」「気がつかなかった」は軽々しく口にするべきではありません。相手方にとっては慰めにもならないことを意識の底に留めておくべきです。

最近、ある程度以上の規模のお店の入り口付近には身体障害者用の駐車スペースが確保されていることが多くなってきました。これはお店側のやさしさというか(もちろん店側の姿勢のアピールがあることは十分承知の上で)心遣いだと思います。
ただ、この駐車スペースに停める、もしくは停められている車を見るにつけ、「コイツ本当に身体障害者なのか?自分の頭が足りないのは身体障害者とは言わんだろ?」というのが多すぎるように思います。
この種のやさしさに付け入るのは卑怯だという意識が、自分としては有るのですが、どうも「自らの行為を恥じる」という感覚が根本にないようです。空いてるなら停めればいい、みたいなね。もしくはチンピラまがいの格好と、そういう雰囲気の車ならば停めてもいい、という文言が彼らだけには見えているかのようです。


話を元に戻します。これからはこういった高齢者が急速に増えていく時代です。高齢者に対して優しさで以って事に当るのは人として美しい風景ではあると思います。
ですが、果たして、そうした礼遇を受ける立場である高齢者の方たちは、そうしたことを意識していらっしゃるのでしょうか?
感謝しろというつもりはありません。ですが、全てとはいいませんが、どうも先の身障者専用駐車スペースの例を引くまでもなく、却ってそれを当たり前とする「弱者の暴力」とも言うべき横暴さが垣間見えている例が多いように感じられてなりません。もしくは自身の無意識の行為が引き起こす結果についてあまりにも無頓着でありすぎる例が目に余ると思うのです。

自分自身の老いというか体の衰弱を意識することは、決して気持ちのいい事ではありません。ですが、生物である以上決して逃れられない現象でもあります。しかもその訪れには個人差があるため、一定の線引きもし難いのは十分承知していることではあります。
でも、他人の善意というか行為の上に胡坐をかく、もしくは結果として胡坐をかいてしまっている行為というのは決して美しくないことと信じます。
最近の世の中には潔くない行為というか、女々しい行為が蔓延しているようです。どうか、そうした雰囲気というか世の空気を感じることがあるのならば、運転をするな、とは思いませんが、もう少し自身を客観視する視線を持ってもらいたいと思います。

とまあ、今日の事故では、こんなことを考えさせられてしまったのです。


という訳で今日はおしまい。

2008年6月9日月曜日

夜のドライブ

今日は、たまたま嫁さんが帰ってくるのが早かったので、前々から話をしていた自分のほうのオヤジの見舞いに行ってきました。

オヤジは昨年10月ごろにがんのため入院・手術で1ヶ月半ほど入院しており、その後特に経過は聞いていなかったのですが、先月の半ばごろ「術後の検査で影が見つかったので治療のため、再度入院する」と言ってきました。
リコにいたおかげで、そういうことには否応無しに知識の中にありますから「2年以内の再発・転移はあまり喜ばしいことではない」という事は承知の事です。まあ、ある程度は仕方ないことと思ったほうがいいなあ、という気持ちでいました。聞くところによると無菌室の中での点滴治療とか言っていたようですので「本田美奈子常態か」と思っていたのですが、実際入院したところ、特にそうした個室という訳でもなく、普通の4人部屋に入っているとのこと。この為、嫁さんが「一度行く」といったいたので、それが今日になったという訳です。

いってみると何のことはなく、ベットに寝ている訳でもなく談話室でテレビなんぞを見ていましたので、すかさず「病人はベットで安静にしろ」と言っておきました。まあ、かつてのことを思うとやつれたなあ、という印象は拭いきれません。声もかすれていましたし。
本人には言いませんでしたが、人間死期が近づくと、それ相応に生気が乏しくなるというか命の火の勢いが弱くなるというのか、まあそんな感じになるものです。100歳でも「こりゃ、まだまだだな」と思う人もあれば、い
くら若くても「うーん、ちょっとこれはやばいかも」という事もあります。で、オヤジがどうかというと正直「すぐ、というわけではないにせよ、そんなに遠くはないんだろうなあ」という印象でした。順番といえば順番ですから仕方ないんですが。

ですので、お見舞いの時に
言おうと思っていた「やいオヤジ。もう閻魔さんから督促状が来てるから、いいかげんジタバタするな。延滞金まで取られたらどうするつもりだ。早いとこ納めるもんは納めちまえ。」という悪口スパイスを山盛りにした逆励ましの言葉を言い忘れてしまいました。ま、周りの人たちも似たような人ばかりでしょうから、同室の人に聞こえてしまい、あんまり真に受けられても困りますがね。


その後は、時間も時間でしたので途中でラーメンを食べて(たまたま気が付いて入ったところでしたけど、けっこう当りでおいしかった)、せっかくロードスターで来ていたのでそのまま幌を降ろしてオープンエアーで夜のドライブへ。ラーメン食べて汗もかいていたので気持ちいいこと、気持ちいい事。自分が運転手だったので景色を堪能する、という事までは出来ませんでしたが横の嫁さんはじっくり星空が見えたはずです。
まずは浜名バイパスまで出て、夜の
太平洋を左に夜景を右に、90キロほどのスピードで巡行。勿論、オープンのままです。街路灯は流れてゆくのですが夜の海と湖岸に沿った夜の明りはゆっくりと流れてゆきます。浜名湖と太平洋との合流地点は、浜名バイパスの最高高度(50メートルくらいあるのかな?)を誇る所になるのですが、この辺には高層建築は、これ以外にはありませんから「神の視点」てなもんで、しかも屋根もないもんだから開放感抜群。バイクで来ると横風もあるんで、気持ちいいことは気持ちいいんですが、ちょっと怖い。これが二輪と四輪の差ですね。

で、それから、ちょっと迂回してUターンをして「潮見坂」の道の駅で、しばし休憩。まだ、雲が晴れきっていないのか天の川がはっきりとしていませんでした。残念。

その後は、湖西市を北上して三ケ日経由、オレンジロード経由細江経由村櫛行き。途中、猪鼻湖のところでもう一度休憩をしてiPodでBGMを流しつつ星空を眺め、もういいやということで、家に着いたのは11時ごろになってしまいました。
まあ、シチュエーションが良かったのか、道具立てがよかったのか、それとも横に乗っていた人が良かったのか(べつに乗ってさえいれば良かったという説もあるし、他の人のほうが、もっと良かったかも知れないという声もありそうですが、それはおいといて)。なんかいい時間を過ごしてしまいました。

親父にそんな元気があるのかどうかは分かりませんが、退院してきたら「乗りたきゃ乗ってけ」と言ってロードスターを向こうの家に置いてこようかな?