2008年7月28日月曜日

ちょっと、いくらなんでもこれはひどいと思ったのは例の6億円横領事件。

その程度の大小はあれ、親が子を思う気持ち、というのは兎も角、やっちゃいけない事とそれを混同するのはルール違反でしょう。
なんだかんだと理由をつけてはいるようですが泣きゃあ許されるものでもない。まあ、その程度の人物でしかない、という事か。
親も親なら子も子という事で、6億のうち18000万円は車上狙いに遭い盗まれ、残りは豪遊して使っちまったとか。おいおい。4.2億円たら、仮に365日で使っちまうこと考えたら1日で115万円だよ?どういう使い方したっての?


以前付き合いのあった鈑金屋さんで、事務所荒らしに遭い、200万円ほどをやられた、という事件がありました。まあ、200万も事務所に置いといたってのがマヌケだとは思いますが。それは兎も角、事件をすっかり忘れていた7年ほど経ったある日。いきなり千葉県警から浜松の片田舎のその業者宛に電話がかかって来たんだそうです。
「おたくさんは○○さんですか?」
「はい、そうですけど」
「以前、事務所荒らしで現金の盗難にあったことがありますか?」
「はい、ありますけど」
「実は、先日千葉県警の管轄内で窃盗犯が捕まりまして、余罪の追及をしていた所、そちらの名前が出たんですね。で、」.......と以下会話が続いたそうです。

で、ここで聞いたのは、「窃盗犯がつかまったところで、犯人に弁済能力がなければ、そのお金が返って来る事はない」という事。
えー?やり得じゃん!って思ったのは私一人じゃないはずです。そう、先の6億横領したババアも返せませんと万歳すればそのことに関してはそれまで、という事。これっておかしくない?
それこそ、そんな奴は不採算道路の建設にでもカンズメで従事してもらうか、原油高騰の折、国内の炭鉱で操業しても採算が合ってくるだろうから、そこに強制収容して、きっちりガメた分を詰めさせるかしなきゃウソでしょ?人権なんて言葉は義務を全うした上で補償されるものであり、何はなくとも人権ありきじゃ、正直者が馬鹿を見るだけじゃん。



以前、とある人とのメールで「会社というものは雇用した以上は雇用し続ける責任が生じる」といった意味の言葉が出てきました。個人的にはそれには納得できません。
自分自身が営業職という場にあり続けたこともあるのでしょうが、会社はあくまで慈善事業ではなく営利追求団体である以上(一定規模以上にもなれば、その影響力も含め、社会的責任も生じるとは思いますが)、雇用者は、その活動を乱す、もしくは稼げない、人の足を引っ張るといった類いの被雇用者を速やかに退場させられる権利があると思います。雇い続ける、続けないは先行投資としての経営者の判断の裁量であるべきでしょう。
一旦会社に入った以上は本人が「辞める」といわない以上クビに出来ないというシステムはどうかと?共通認識として「みんなして頑張ろうよ」というものが醸成されているようなところはともかく、「入社できたこと=既得権益」じゃあまずいでしょう。だって、やらなくてもいい事になるじゃん。それがある意味、いい大学、いい高校、いい中学には入れれば......、という変なブランド志向にもなっているような。変なところで封建社会が残ってないですか?


それではお仕事の時間です。いってきます。

2008年7月27日日曜日

昨日、一昨日と事故の話が相次ぎました。

一件は、当事者のお兄さんからの連絡。
トヨペット当時、そのお兄さん(とはいっても60過ぎの人)経由で妹さんのクルマ(中古車)を納めました。新車のセールスに中古車の話というのもおかしな話ではありますが、まあそれは、それ。
納めたとはいっても、お付き合いはそこまでで、点検や自動車保険などのその後のメンテナンスは特に依頼もなかったので、そのまま音信不通となっていました。早い話が無関係といえば無関係な人なのですがね。で、この人が追突をされたとのこと。
「柴田さん、ちょっと力になって貰いたい」とお兄さんから言われれば断わる訳にもいきません。地元の人なら分かるでしょうけど、自宅から事故現場の磐田まで、夕方の6時半過ぎから出かける事になりました。ちょっと、いい距離です。

何やかやと1時間後ぐらいに事故現場に到着。話を聞いてみると事故車両は相手方の付き合っている車屋さんが保管しているとの事。おいおい、とは思いましたが、後の祭りです。まだ、警察連絡のレッカー車でなく出よかったね、というくらい。
日頃車検などを入れているカローラ店や、自分が当時在籍していたトヨペット有玉店にも連絡はしてくれた(相手方の車屋さんが)そうですが、預かるのはいいが代車は無い、といったツレナイ返答ばかりだったとの事。まあ、そんなもんでしょうね。
こちら側の加入していた保険会社(損保J)の代理店は、おそらく追突、という状況を聞いたからでしょうけど、「困ったことがあったらまた連絡ください」というご返答だったとか。おいおい。いくら保険会社として賠償責任がない事故だからといって、それはないだろう?レッカー手配の算段くらい心配しろよ。
こんなわけで、いつもの如く、全てをかぶる立場にまたしても追い込まれることに?さて。

もう一つの事故は、これまた無関係といえば無関係なのですが、お客さんの息子(既に結婚していて別生計)の嫁さん。この方が、一旦停止無視のクルマに突っ込また、というお話。「ちょっと柴田さん、いーい?」てな感じでお客さんからの電話が始まり、相手は東海、こちらは日本興亜。で、相手保険会社からは事故後しばらく何も言ってこず、加害者本人から「ごめんなさい」の一言もなく、こちらの保険会社も何のアドバイスもしてくれない、などなど。本人も忙しいのでバタバタしつつ、傍で見ている嫁さんのほうの親が却ってイライラしだす始末で、こちらにお呼びがかかったという経緯でした。

2つに共通して言いえることは「やい、代理店の野郎、動けよ。」という事。
事故直後の初動はレッカーサービスに。後の示談交渉やらなんやらに関してはサービスセンターに、なんて考えの連中がどうも多いようです。保険会社的にしても、代理店の連中に、変に事故にクビを突っ込まれるよりは新規契約に邁進してくれたほうが良い、という風潮なのでしょうけどね。

それともう一つは、車両保険をもっと大切にしたほうがいい、という事。大概、保険契約の際には自分が相手に当てる事は考えても、当てられる事には案外頭が回りません。当てた側になった際には自分の車の修理費も仕方がない、自業自得だ、で済みますが、すまないのは当てられた被害者側。だって、君さえ来なければ......、とは誰しも思うことですから。つまりは自己防衛のためにも車両保険をもっと大事に考えてください、と思います。

ここ最近でよく見かけるのは、「車両保険金額10万円」とか「20万円」という内容。これじゃあ意味ないんですよ。自分を守れない。特に極低年式車などは車両保険金額が下がっています。でも修理費30万とかはすぐにでもいってしまう金額ですし、時価全損となった場合、代替の原資にもなりません。
おそらくは契約更改時に「前年同条件」で更改しているだけで、車両保険金額などには思いを馳せたことの無い代理店が扱っているのでしょう。時価額がどうこう言っても、車両保険の設定金額はある程度自由裁量です(目安はありますが)。あまりに低い金額になっていた場合、同程度のクルマが買える保険金額に設定しなおしておくことをお勧めします。
これを、ここのところ4~5件たて続けに目にしました。保険の内容によって保険料は大幅に変りますが、車両保険の金額が10万から30万に変わったところで、それほど大きな違いは出てこないはずです。冒頭の1軒目の事故の方もこれで、保険種類は一般車両保険でしたが、保険金額は20万円でした。

そんなこんなで、明日以降は他代理店の尻拭いに翻弄されそうな予感です。

2008年7月25日金曜日

先日の日曜日は、兄貴に誘われていた「スターシップ・トルーパーズ3」を名古屋まで見に行った。まあ、兄貴に誘われての映画は大体名古屋方面まで出向くことが多いので、これはいつもの事。で、誘われるのもまあ、毎度というか、たまにあることなので、映画そのものを見に行くこともいつもの事。

で、「スターシップ・トルーパーズ」なんだけど、これはSF界の人にとってはハインラインさんの書いた超有名古典SF小説を原作とした映画。邦題は「宇宙の戦士」。ハヤカワ文庫で売ってる。おそらく世界的に見ても日本での人気は突出しているんじゃないかと思う。というのも、ハヤカワ文庫版「宇宙の戦士」には「スタジオぬえ」によるイラストが入っているからだ。なかでも「装甲強化服(パワードスーツ)」のデザインがカッコイイ。かくいう自分も、このイラスト欲しさに本を買ってしまったのはいうまでもない。
その中味なんだけど、しばらくは読まなかった。だって、冒頭にはパワードスーツが出てくるけど(この描写がまたカッコイイ)、その後はずっと出てこずに、新兵の教育過程の話やデュボワ先生の「歴史と道徳哲学(だったかな?)」の講義が延々と続くから。何度か挫折して読んだ記憶がある。

「スターシップトルーパーズ(めんどくさいので以後はSTと略します)」の映画化の話を聞いたときにはドキドキした。「あのパワードスーツが動くのか?」の一点で。見てみたらパワードスーツのカケラも出てこなかった。その点はがっくりきたし、「蜘蛛野郎」が「バク」に変わっていた。でもこの映画はうまいと感じた。原作のカケラをうまく拾ってあって「劣化コピー」ではなく、原作を元にインスパイアーされた創作物だと思った。CGも「CG使った」事を自慢したいのではなく、うまく映像造りの道具として使いこなしてあって、そつがなかった。
「ST3」も、これまたうまく続編として構成されていて、うまいなあ、と思わせられた。せっかく登場したパワードスーツ「マローダー」にデザインにはガックリきたけど、まあこれは仕方がない。何で「ロボコップ2」なんだと思ったが、よく考えてみたら同じ監督だったので納得した。


ここまでは前置き。何でこんなことを書き始めたかというと、「何で無差別殺人が止められないのか」という文章を見たので。この文章を見て「ST」の原作である「宇宙の戦士」を思い出したから。
作中で、主人公ジュアン・リコの通う高校の「歴史と道徳哲学」の先生であるアンリ・デュボア先生(退役軍人、機動歩兵・元中佐)は「制御された暴力」について、かなりのページ数を割いて説明しています。「暴力は歴史上、数多くの問題を解決してきた」とか体罰や鞭打ちについてとか。詳しくは買って読んでみて下さい。

おそらく秋葉原の加藤君にしても今回の菅野君にしても、「他者に置き換えた場合の自分が想像できない」ことや「自分以外が自分の世界に存在していない」と思います。
なんだかんだいって人間は他者と関わっていく事でしか存在できないものだと思うのですが、自分だけはその枠外にいる。つまり「誰でも良かった」であり「世間とうまくいかない」であったり。自分が他者に関わってもらえる存在になろうとする努力があったのか?と思わざるを得ません。自分が変わっていくしかないのに、と思うんですが。
そんな彼らにどうするべきなのか。
大学時代、一般教養の単位の中に法学がありました。教授の専門は刑法との事でした。その中で憶えているのは、日本の「刑」というのは「教育刑主義」だ、との事。つまりは法を犯したものを嗜め、社会生活に戻りうる状態にするための刑という、なんとも理想的なもの。でも、そんなので矯正できるものなのか?「三つ子の魂、百まで」なんていう言葉もあることだし。

そんなこんなで「宇宙の戦士」を思い出すのです。
彼の世界では鞭打ち刑が存在します。しかも公開の。悪いことをしたら叩かれる。「もうこんなことしちゃだめよ」なんて甘やかすことなどしない。暴力を推奨する訳ではないが、躊躇うことは無い。きちんと制御されたなかで行使される。ま、これがそのまま良いとも思いませんが、まったく無視するべきでもないとは思います。
市民権の大切さを言うのは分からなくもありませんが、軍人のみが尊いでは、戦前の日本というか2.24になってしまいますし。「ST」では、そのあたりはかなりパロディチックに描かれ皮肉っているようにもとれます。

鞭打ちで思い出すのは「パッション」。キリストの当時を映像化したものなのでしょうけど、あれは痛そうだった。ものすごく。荊の冠もそういうことかと思いましたし、実際あんなの見せられた日にゃあ、悪いことは出来んもんだ、と思うでしょうねえ。やっぱり肉食ってる人間のやることは違うわ、と思いました、実際。

罰する側は努めて公正明大であろうとしなければいけないでしょうし、罰せられる側は信賞必罰というか、きちんとその辺の線引きをしっかりするべきじゃないですかねえ。未成年だからとか、精神状態が、とかいう逃げ道は作るべきじゃないと思うんですが。



2008年7月23日水曜日

大阪の道

先日の土曜日。とある所用(車の下見)があって、大阪まで出かけてきました。

その道中思ったのは、意外に大阪の道というのはスムーズに流れているということ。
よく、汐見坂を過ぎて愛知県警の管轄に入ると途端に、道が比較的スムーズに流れ出すというのはよくあることですが、大阪も街中も結構というか、まあまあスムーズに流れてくれたので、これはうれしい誤算でした。逆に言えば、如何に浜松の道路行政が杜撰か、という事でもあるわけですが。

つらつらとその時に思ったのは、道路設計というのか、交通行政というのか、交通の流れの制御に関しては関西系の人間の方がウワテなのか?という疑問です。
というのも、言葉に関してはここ浜松というか、浜名湖を境にして関西系と関東系がぶつかり合っています。つまり、新居町や湖西市の方は既に名古屋弁というか関西系のアクセントが濃厚になってくるのですが、ここ浜松のほうは関東系というのかな?例えば浜名湖の北側に細江町というところがあるのですが、ここの方言は妙に関西系と関東系の言葉が入り乱れている、などといったことを耳にした事があります。
つまりはそれほど愛知県に入った途端に交通の流れがよくなったと感じてしまうのです。逆に愛知県から静岡県に帰ってくると妙に交差点で止まる回数が増えるというか、いらいらしだすというのか。

まあ、そんなことを考えてしまった大阪行きでした、ということで。

2008年7月19日土曜日

いっやあ。ガリバーしつこいです。着信拒否にしてあっても、まだ一日に3回も4回も電話がかかってきます。いちいち留守電に伝言を残しているようですが、聞いてみたいようなどうでもいいような。なんかひどい脅し文句とか残っていそうな気もしますが、果たして聞いてみようか、どうしようか、いかがなものか?と言いつつ、気がついたときにはその都度記録は消していますので、もう後の祭りなわけですが。しかし何時まで電話かけてくるつもりなんでしょうかね?

まあ、かほどさようにと申しますか、こうした訳の分からない色んな業者が渦巻いているクルマ業界なわけですが、今日のお題はガソリンスタンド。いや、気がつかない内にやられているもんです。と言うのは今回の被害車は代車のヴィッツ君。
確かにうちに来た当初より、アイドリング時のエンジンの震えが少々気になったのと、エアコンが動いている時のコンプレッサー付近よりのギュリギュリ音が気にはなっておりました。このため以前、プラグを抜いて見ましたところ、わりと先端が丸くなっておりましたので、エンジンの震えはこれだろうな、と。という訳で3日ほど前にプラグは交換してやりました。イリジウムにしようかとも思ったのですが、高いので却下。これで結構静かになってくれたので、後はエアコン。電磁クラッチの切り替えがうまくいっていないのかな?とも思っていたのですが、本日の症状はエアコンが入ったと思ったらすぐに切れ、コンプレッサーからのギュリギュリ音も相変らず。あろうことかエアコンのコンプレッサーが急に入ったり切れたりするため、変速のうまくいっていないATのようになってしまい、その度にガクガクする始末です。うーん。どうしよう。なんかエアコンがまったく効いていないような気もしてきました。送風が冷たくないじゃん?これ。

仕方がありません。整備工場でもいいのですが、ここは一発専門家に見せることにしました。ディーラーでも一通りの事はやるように機器はあるのですが、エアコンに関する重整備やその他の電気関連の重整備は専門業者に出します。セルのオーバーホールなんかも、そうした業者の守備範囲です。さて、その結果は?

結論からすると、冒頭登場したガソリンスタンド、もしくはその類いの「車関係の整備を聞きかじった俄か業者」が原因ではないか?という事になりました。ウチにお嫁入りする前に事件は起きていたということですね。つまりは「フロンガスの過充填」による、エアコンシステム内の過圧化により、システムが正常に作動していなかったのだとか。特に今日は小雨の降った後、かなり気温が上がったため、余計に内部が高圧化してしまい、いつもより作動がより不安定になったのでは?という診断結果となりました。
作業としてはフロンガスを適正な圧力にまで抜き、内圧を適正値に戻した、という事なのですが、まあ、簡単に言えばフロンガスを抜いた、というだけなので、あわよくば「タダ」でやってくれるかな?という淡い期待がありましたが、しっかり2500円取られました。ケチだなあ。


今回の教訓としては、やはり、クルマ屋以外の「クルマ屋モドキ」には車を見せちゃイカンなあ、という事ですね。
ガソリンスタンド以外にも「自動後退」とか「黄色帽子」などのカー用品のピットも同様ですが、あの人たちの頭の中では「エアコンの効きがよくないらしい」=「ガスを補充すれば良い」とか、「ガソリンタンクの中には水が溜まるもの」=「水抜き剤を入れてあげるのが良いこと」とか、「エンジンその他の劣化を防ぐには添加剤が効果的」=「『マイ○ロ○ン』を入れると、エンジンその他の劣化が防げる」とかの非常にパターン化された商売上都合のよい整備マニュアルが出来上がっているようです。
以前の体験談では、行きつけのガソリンスタンドで「撥水ワイパー」なる物が売られていて、勧められるがままに買ってみたのですが、その際にワイパーゴムについているバネを捨てられてしまいました。後日、あまりにもそのワイパーの調子がよくないので元の純正ワイパーに戻そうとしたところ、バネが捨てられていることが発覚。スタンドでも時、既に遅しでバネは何処?という状態。仕方なくワイパーの先端ユニットを丸々取り直したことがありました。

実際エアコンに関して言えば、平成の頭以降の物であれば、まずガス漏れなどは起こりません。というより漏れたという話を聴いたことがありません。もしあるとすれば、事故でぶつかっているクルマ。一度ぶつかってしまった車は、なかなかにキチンと寸法がでませんから、エアコン関係の配管などに無理が来てしまうこともあり、それが原因でガスが漏れてしまうことはよくあります。それ以外では...............、無いなあ。

ここしばらくの間に発表されたクルマに関して言うと「触らないでください」と言わんばかりのカバー類であったりレイアウトだったり。でも、確かに下手げに素人さんに触られたことが原因で調子を崩すことも多く、それが元で「異音がする」とか言われた日にゃあ、メーカーもたまりませんから、ますますエンジンルームはブラックボックスになってきてしまいました。

「ディーラー・マンセー」と言うつもりはありませんが、あまりにも「利益の一環として」手を出されるのもどうかと思う店舗もありますので、その辺はよく見極めていただけたらな、と。とりあえず、「整備士の資格」を持っています、と言うだけではあんまり信用しない方がよいかと。また、整備士の学校出た時点で「国家3級」とかの資格くらいは持ってるハズですが、やはりメカニックはセンスも重要だけど場数というか経験値が基本ですから。

東京は銀座にある包丁屋さんの「砥ぎ」の話を雑誌で目にしました。そこでは、包丁の砥ぎを1ヶ月から3ヶ月でマスターするとのことですが、その数がね。1日で多い時で30~50本研ぐそうです。一般家庭で1ヶ月に1回研ぐとしても、1日で3年分の量をこなすという訳です。で、それを毎日。うまくなるわけだよなあ。

ま、そんなわけで、改めて「餅は餅屋」という言葉を噛みしめたのです。

2008年7月17日木曜日

続・ガリバー

いやー。ガリバーの無料査定なんですけどね。しつこいです。何べんでも電話かかってきます。あんまり五月蝿いんで、着信拒否にしちゃいました。もしこれを読んでいる人の中で、一度聞いてみようかと思っている人があったら止めといた方がいいです。くどい。

よくこういうのって感心するんですが、仕事だらっていっても、よく電話できるなー、とか思っちゃうんですよね。しかも妙に馬鹿丁寧な口調で。そこで引いちゃっていたら先がないのも分らんでもないですけど。
そこで、ああいうところに聞かなくてもいい方法など。

実は、というほどのことでもないですけど、巷のクルマ屋さんは、隣近所のクルマ屋さんで並んでいるクルマを見て金額をつけることが多いです。つまり「この位(年式・走行距離など)のクルマならこれくらいの金額をつけても大丈夫か」という判断です。
年式の新しい場合、よく1年で百万落ちるとか言います。これは新車値引きも関係します。仮に車両本体300万の車の場合で本体値引き20万くらいが通常の値引きだとします。つまり新車の実売が280万円。ここで、1年落ちの中古車がいくらの金額なら新車と勝負できるか?
と考えます。
中古車の店頭表示金額が250万円だとすると微妙かな?と。これが220万~230万くらいの表示価格だったとするとどうでしょう。1年しか乗っていないクルマが7~80万円引きで買える。これなら食指が動かなくもないかな、という感覚にもなろうかと思います。この、「このくらいならお買い得かな?」という金額差が一つの基準です。
で、ここからお店の利益、つまりこのくらいの金額のクルマならば台あたり30万前後の利益を出そうとするでしょうから、つまり200万前後の下取価格というわけです。

本来ならば消費税を払っている課税対象業者ならば、この下取価格に5%の消費税を含めた金額を提示しなくてはいけないはずなのですが、そんな言葉の聴けた例はありませんねえ。ディーラー時代にはよく小細工をして、その消費税上乗せ分で新車の追い金を調整したこともあったっけ。今その手口が通用するかどうか知りませんが。
後、ごまかしの手口として、自賠責の残月数とか、自動車税の残りとか、リサイクル費用とかがあります。つまりはそれらをひっくるめて全部でいくら、とやるわけです。
また新車販売のときの話ですが、お客さんは8月も過ぎると自動車税のことはすっかり忘れています。これで調整する、という事もよくやりましたねえ。

で。更に2年落ち3年落ち、となると先ほどの230万円から年間で更にもう2~30万円くらい差がないと、という話になりますので、それ相応の金額に成ってしまうというわけです。このため3年で半額などとよく言われる国産車は、確かにこういうからくりというか理屈で動いている訳です。新車値引きが激しい場合、中古車の金額が接近してしまいますので、表示価格を下げざるを得ません。このため安い下取値は更に安くなります。

以上は通常の例ですが、メーカーでやる、よくある手として、ちょっと顔の造形を変えてお化粧直しをする時があるます。
これをやられると、一般的には「現行型の顔」というものにご威光が移ってしまいますので、旧型の顔は値を下げざるを得ません。となると2~30万円の差どころか、50万円ほど違ってきてしまうこともありえます。特に発表間もない時期でやられるとこれは痛いです。要注意メーカーとしては「ホ○ダ」でしょうか。よく自社登録もしたしね。

外車とかだとやはり3年という時期が一つの区切りなんでしょう。ベンツとかだと新車登録後3年まではメルセデスケアなどと称して、ほぼ全ての項目でメーカー補償が適用されるようです。つまり3年経ったら以後の修理費は自己負担。一般的にベンツは維持費がかかる、という通説は今でも健在ですから、それに恐れをなして、とにかく表示価格を下げないと売れない。このため、新車時450万超のベンツも6年経ったら100万ソコソコで買える、という事になる訳です。まあ、これは余談。

じゃあ、オレの車は?という向きもあるでしょう。そういうときには「GOO」で検索することをお勧めします。(カーセンサーだとちょっと、やりづらい)
車の年式や走行距離、色などの条件を入力すると、その条件に見合った車が一覧で出てきます。それを見ていると、大体の中心価格帯が見えてくるはずです。
基本的にクルマ屋さんは、いくら安くても1台10~15万円(車両本体50万以下が目安)は利益を見込んでいます。100万前後で20万。200万前後で30万前後。ですから逆に店頭表示価格からこの金額を引いてやればいいのです。
後は買取屋さんの利益(3~5万円)とオークション会場の出品手数料、会場までの搬送料などで10万ほどを引いてやると大体の買取金額が出てきます。もちろん傷や、要修理箇所等のある場合は、更にそこから加修費用分を減額します。
仮に150万とします。ここから20万円強の利益と10万円ほどの諸経費分を引くと120万円以下。と、まあこんなところでしょう。

ご参考になりましたでしょうか?それでは、また。

2008年7月15日火曜日

ちょっと用事もあったので、今日初めて「ガリバーの無料査定」というモノをやってみた。今回は、ネットからの無料査定。45秒で金額が分かります、という謳い文句だった。
入力項目は

車のメーカー名
車名
年式
走行距離(1万キロ単位の大雑把なもの)

グレード
名前(ひらがなの読みのみ)
居住地(県まで)
メールアドレス
連絡の取れる電話番号

くらい。結果は、45秒では連絡は来なかったが、7分後には第一報がきた。で、このときには手元に携帯電話を置いてなかったので出れず。さっき、18:24に電話が来た。

予想はしていたが、先ずは手始めに、こちらの情報収集にかかってきた。果たしてホット客なのか、それとも冷やかしか、という判断をしたのだろう。
お問合せいただいた御理由は?」⇒まあ、これはそのままですね。
今後距離が伸びる可能性は?」⇒査定金額の変更の可能性。金額が良ければ直ぐに売却になるかの判断
時期的にはいかかでしょうか?」⇒相手の心積もりはどうか?今すぐになるのか?
売却は何のためでしょうか?」⇒売却だけならそのまま。代替の場合はそれもガリバーで取り込めるのか?という判断。

この辺は適当に答えておいたが、相手としては脈アリと取ったのか、
「○○(車名)のようなミニバンは現在大変人気があり、探している方の多い車である。このため良い数字の出せる可能性が高い。ついては、浜松にお住まいであれば最高金額の出せる担当者がガリバーの各店舗を巡回しているので、ご都合をあわせて頂きお車の状態を見させていただければ最高の金額を提示させていただくことが出来る。その上で各店舗を回られてみてはどうか。ついては、浜松の査定員の予定を見てみたいので、お住まいの郵便番号を教えていただきたい。」ときた。ほほう、と思う。
最重要ポイントはこちらの住所。情報をつかんでおけば後で何時でもコンタクトを取ることができるから。
それと「最高金額の出せる査定員」というところもポイント。美味しいエサに飛びつくかどうか、だから。そこで飛びつけば、本人(つまり決定権者)が売却予定のクルマに乗って店舗まで出向いてくる訳だし、「巡回」な訳ですからアポもきちんと取れる。
まあ、きちんとマニュアルがあるのでしょう。でも、もちろん自分が郵便番号を言う訳がない。

「ちょっと待ってください。こちらとしては査定金額を教えて頂けるという事でお問い合わせをさせていただいた訳で、概算さえ教えていただければ今回の用は足せます。最高金額を出していただけるのはいいのですが、順序として概算が出なければ、今後の計画も立てようがないでしょう?」
「きちんと車の現状が分かりませんと金額が出せないのですが」
「無論、傷の状況もあるでしょうし、距離が今後どのように伸びるかも分かりませんから、教えていただいた金額から今後減額が出るだろう事は承知しています。ともかくも目安がないことには、今後の動きを検討しようにも材料がありません。まずは概算で結構です。」
「............。129万から85万円の間です。」

とまあ、こんな具合で当初の目的の情報は聞き出せたので、ではまた、といって電話は切った。
しかし。上限金額と最低金額との差が44万円。うーん。確かに実際には事故車でありながらも「電話ではこう言われた」とか言ってゴネル奴とかもいるだろうから、迂闊な金額がいえないのも分からんでもないが、ねえ?


一時の買取業者の台頭もいまや段々ひと段落してきて、既に次の段階に入ってきているのは承知している。つまりは今まではディーラーの牙城であった車両販売にも進出してきているということ。
既に中古車買取については一定以上の知名度がある以上、ある程度は中古車の価格コントロールも出来るようになったし、それ以上に買い取り車両の量もかなりの台数を抱えている。不思議な感覚もあるが、買取業者から車を買いたいと思うに人たちも徐々に出てきているらしい。それもあってか、今まで付き合いのあったビッグウエーブのとある店も社名を変えてきたし、損保の代理店も始めたようだ。まあ、こちらとしては「なめてもらっては困る」というところだけど。
そんな中、今、ディーラーは何を考え、何をしようとしているのかよく分からない。
メーカー名のついた大ディーラーとはいえ、
実態と中味はその辺(失礼)のクルマ屋と大差ないのは古巣だからよく知っている。まだ、メーカーと同一視してくれて、勘違いしてくれている人がまだ居るうちに、もう少し戦略を立て直したほうがいいんでないかい?余計なお世話だろうけど。

2008年7月13日日曜日

さっき、受信料を払っていないBSで、ペットボトルリサイクルの話をやっていた。

詳しくは知らないので、テレビでやっていたことをそのまま受け取ると、自治体の回収してきたペットボトルを「容器リサイクル協会」とか言う所が無料で引き取り、その回収容器(ペットボトル)を「指定業者」と呼ばれる特定の再生工場に流す。で、その再生料金はペットボトルを作った業者が負担する、という事なのだとか。

で、今はペットボトルが原油高の影響も受けて回収容器も原料として十分採算に合う(まあ、オイルサンドに処理費用をかけてでも採算が合ってくるのと同じ理屈)。つまり、ゴミだと言いつつそれは商品になれる。
もちろん回収費用をかけて集めてきたペットボトルがお金になるんなら、それに越したことはないと考えるのが人情だから、自治体としては買うところには売るだろうね、そりゃ。でもそうなると面白くないのは「財団法人 容器リサイクル協会」とかいう所。再生工場からのバックがあったのかどうか知らないけれど、取引量があまりにも少なければ、自分たちの仕事の評価にも影響するだろうから、必死になって「容器リサイクル法」とかを楯にとって「なんでうちにペットボトルを引き渡してくんないのか」と詰め寄って(当人にとっては交渉とか相談とか言っていたけど)いるらしい。
指定業者としても仕入れがタダで、必要経費はペットボトル製造業者持ちな訳だから、こんなにおいしい商売もなかっただろう。再生した商品はもちろん売れる状態にしていた訳だろうし。もしくはペレットに再生しただけか?その辺の100円ショップにある程度の低い品物(ペラペラのクリアーファイルやフォルダーなど)などの原料になっていたような気がしてきた。


つらつらと見ていて思ったのは、結局は「利」だな、と。どういうようにうまく利益誘導をしていくかだろう、と。
ふと思い出したのが坂本竜馬が亀山社中設立前に構想していた「九州諸藩連合」。つまり当時としては、開国とか攘夷とかの主義主張は措いといて、運輸、貿易という餡をいかにしてみんなで嘗めあうか。そうしていがみ合う諸藩たちと共同作業を繰り返し(先ず腹を肥やしたうえで)、
親近感を醸成していく。いくら理を説こうが頭ではわかっても気持ちがそこに落ちるかどうかが難しい所なわけで。基本的には薩長連合もこの論法だし、誤解を恐れずに言うなら大政奉還もある意味双方の絡み合う状況を都合よく「利益誘導」させた案といえるかもしれない。

司馬遼太郎が綺麗に書きすぎているのかもしれないけど、「坂の上の雲」で描かれている明治政府のとった日露戦争における戦略は見事の一言だと思う。今に通じる正論による平押しもないわけじゃないけど、きちんと秘密裡に潜行させているところもある(あったらしい)。
せっかく将棋や囲碁などという複雑怪奇なゲームを伝承させてきて、未だにコンピューターでも勝つことが至難な業の持ち主が日本にはウジャウジャいるのだから、もう少し戦略という面で活用させてあげなよって思ったりもする。それこそ勿体無い。

2008年7月12日土曜日

ニュートンの地球温暖化の号を昨日の夜、読み返していた。
冒頭にスウェーデンハウスの広告記事があった。

彼の地から運んだ木材を最果ての地である日本まで運んで、最終加工を施し、高気密、高断熱の家を作るんだそうな。

日本では家を35年周期で建て替える。そのたびに20~30トンの建築廃材のゴミを出す。スウェーデンハウスは100年もつ家を作る。だからエコである、と書いていたが、ホントか?

多分今僕が住んでいる家は今は亡きおじいちゃんが建てた家で、確か小学校の高学年の頃に建てた筈だから、既に25年以上は経っている。30年位か。実際に住んでみて、とても後5年ほどで建て替えなくてはいけない状態であるようには思えないし、実際そのつもりも無い。使える物は使えるまで使うつもりだ。
だから、35年しか持たないと言うのは「スイートテンダイヤモンド」や「結婚指輪は給料の3か月分」などというあまりにも馬鹿馬鹿しい、広告代理店の誘導と同じよなもんと思う。35年経ったら建て替えるものなんですよ、と。結婚指輪の相場はお給料の3か月分なんですよ、と。結婚後10年経ったら、奥様に感謝とねぎらいの意味を籠めて10粒のダイヤの入った指環を贈るのが習慣・常識なんです、とか。

五月蝿いよ。君達、邪魔。
なぜそうまでして人の言うことに乗ろうとするの?馬鹿だねえ。ローンも終わって、そこからがおいしい時期でしょうに。

同じような論法に「法定償却」と言うものがある。これも馬鹿馬鹿しい。何で縁もゆかりもない人間から「あなたのクルマの価値は6年経ったらゼロになる」なんて教えられなくちゃならないの?余計なお世話だ、となんで言わないのか?しかもそれが法律で決められている、と初めて聞いた日には「なんて横暴な奴だ」と思ったものだ。使える使えないなんて、あくまでも所有者の気持ちの中の話であって、そんなことまでお世話されるつもりはない。

話は戻ってスウェーデンホーム。拾い読みした限りでは「高気密・高断熱」という事か?でもさあ。

日本は世界に稀に見る高湿度の国だよ?平安時代の寝殿造りを見ていないのかね?基本的には夏の高湿度を無難に過ごす事を基本にした家造りが基本だと言うこと。つまり如何に湿気を逃すか?という事が基本であって、高気密・高断熱の家というのは「空調設備が常に働いているという事を前提とした設計」だと言うこと。
常に締め切った空間であるならば高気密高断熱の空間も意味を成すだろうけど(例えば土蔵)、常に人の出入りする個人住宅であれば高気密・高断熱の家の空調の存在は前提条件になる。それが冬ばかりの空間ならばいいけど日本は四季がある。暑かったり寒かったり。つまり空調機器の存在は欠かせないということだ。

昔はそんな便利な機械はなったから、とにかく過ごしやすいように(特に京都盆地や奈良盆地では死活問題だったろう)高床式の壁は全て取り外せる(蔀戸のように)形態にし、更に池を造成して床の下を通すようにしてあった。冬はとにかく着込むことで何とかやり過ごすように。これが古代の日本住宅の知恵。

北欧木材でつくった住宅と言えば、聞えとイメージは良いかもしれないが、これら自然環境のことは無視した、エネルギー消費(空調)が当然の事としてある、を前提とした住宅であるように思う。
100年持つ?大きなお世話。35年経ったら建て替えるもんですよ、と言ってきた奴らの言いそうなことだ。
先ずスウェーデンホームに建て替えるにしても、先に20~30トンの建築廃材は先に出てくるんだよね。木材を全て北欧から持ってくる、という事は、その運搬工程で既にエネルギーの消費が余計にかかるわけだよね?高気密・高断熱と言ってるけど、実際の空調コストと、湿気対策はどうなってるの?100年持たせるのは、その家に住む住人の選択であって、そこまで言い切っていいのか?などなど。

基本的に住宅産業というのはクルマ産業と同じで、周囲のお金や資材や諸々を台風の目の如く強烈に吸い込んで、強烈な風速とともに関係業界にばら撒くものだと思っている。そこには関係業界はもとより税金や金融・保険や施主の人間関係や将来までをも巻き込んだものになる。

先にあげた35年説の様な歪んだ「男子たるもの一度は家を.....」なんて概念はもう捨てようよ。

それにかかるお金を考えるくらいなら、使える物は使って、その分、悠々自適な生活時間や生活環境に向けたほうがいいのではないかい?せっかく人口構成のこともあり人口が減少傾向にあるのなら、もうそこまであくせくして借金を背負い、現状維持や年収アップにあくせくするより、増えた空き家を修復して住むほうがよっぽどいいと思うんだけどな。

よく、年収200万以下の低所得者層とか何とか言うけど、余計なお世話だと思うんだよね。悪くいえば東京の(実生活体験の薄い)価値観一辺倒。
だって、所得の多い人ほど無駄遣いの金額も比例して騰がっていく傾向にあるし、じゃあ、その無駄遣いって何?と言うと「家」とか「クルマ」とか、「ブランド品」とか、お子様の教育費とか。なさけない。いかに中身の無いものが多いことか。

取引業者の社長に「柴田君のスローライフと言うか何というか。なんかそういう感覚が羨ましい。」という意味のことを言われた事がある。本当に沿うかどうかは知らないけど、でも社長。周囲がそう言うから、自分もその尻馬に乗る、じゃあ、あまりにも寂しいでしょう?
勇気のいることかもしれないけど、出るもの減らせば、出さなきゃいけない物も無い訳で。

スペインとかフランスの南部とかイタリアの話だったのかな?あちらは日本に比べ随分と平均所得が低いのだそうな。でも、彼らは非常に豊かな生活をしている、なんてよく聞く話。
結局は足る、という事を知っているという事じゃあないのかなあ?
もっともっとと言い続けてきた日本は、今どうなった?小汚い町並みに、税収アップ(固定資産税)をもくろんだ地方自治体による、あまりにも奇形な街づくりと、いびつな人口構成。止まらない汚職と止まない無駄遣い。

何か、嫌になっちゃうよ、実際。

終わらないので、今日はここまで。

2008年7月11日金曜日

目に付いた記事

今日、久しぶりに静岡新聞を見た。
その中で見かけた目に付いた記事を一つ。

道路特定財源の一般財源化について、浜松市長の鈴木康友君に「どう思う?」ってアンケートが来たらしい。それについて、「まだ未定」と康友君は答えたそうな。まあ、そりゃそうだわな。まだ決まった訳ではないし。そんな先の話についてどうのこうの言える訳ではない。せいぜい、もう少し突っ込んだ回答をしても、「国政の場での議論を見守っている所です」以上には答えようがないと思う。

でも、これでも道路族の議員は気に入らないらしい。市議会の自民党議員連中が、大挙して市長に次々と面談の申込みをし、これはどういうことか、と捩じ込んだんだそうな。
曰く、道路財源はあくまでも道路建設に限定するべきで、それ以外の用途を連想させるような発言すら禁句、という事らしい。
これじゃ柑口令だよ。ここは民主主義の国じゃなかったのか?
浜松の民度というか議員連中のレベルの低さを露呈する悲しい出来事だと思った。あいつらにとっては、これで次回の議席(というか自分の生活)も確保出来た位の意識しかないんだろうが、レベル低い連中はやはりここにも居たんだな、と再認識できたという程度の出来事でしかなかった。やっぱり自民党に入れるのは次回も回避。無論、宗教団体党にも入れるつもりは毛頭無いが。


人一人の認識力なんてタカがしれていて、やはり今まで関わってきた世界の事と、その周辺の出来事くらいまでしか論評できないもののように思う。以前「クイズダービー」という番組に出演していた篠沢教授という人は、番組内では、いつもトンチンカンな回答しか出来ない、いわば当る確率の低すぎる大穴の回答者だったが、その専門分野のフランス文学に関してはとっても権威ある(あまり好きな言葉ではないけど適当な言葉が見当たらなかったので使ってしまいました)人だったようだ。つまり、そのような専門分野に関してはとってもすごい人でも、それ以外のことではさっぱり、という例。
だから僕はやっぱりクルマ関係と保険関係。そして営業関連を業務の中心としてきたということで、常に「道路を使ってきた側の立場」というものに関しては、ちょっとだけ思うことがある。

以前も書いたけど、道路というのは、先ずスムーズに流すことが大前提。だから10メートルそこそこで信号機が連なるなんて、道路設計そのものが間違っている。スムーズに流すためには、なるべく信号機なんて無い方がいいのが当たり前。目的地に速く着く手段として車があるのに、ナビゲーションの設定平均速度が時速30キロなんて冗談にしか思えない。その上スムーズに信号機をパスしようとすると時速80キロくらいを維持しなきゃなんないなんて、それこそ冗談だろ?
ここ何年かで出来たバイパスと呼ばれる道路群がある。まあ、大体2車線道路で中央分離帯がきちんとあって、という道路だけど、これもひどい。ちょっと見通せる場所になるとうんざりするぐらい信号機が見渡せるのだから。どこがバイパスだっちゅーねん。
浜松みたいな地方都市での2車線道路なんてもう幹線道路以外の何者でもない。ところが、国道1号線ですら「なんでこんなところで.....、」と思わせられるくらいのつまらないところで信号機でその流れがせき止められる。国道1号線でだよ?よく、首都を迂回する道路を作るの作らないの、という話がある。浜松にとっては国道1号線と浜松環状線がそれに当るものと思われるが、これがひどすぎる。何回止めれば気が済むんだってーの、ってくらい止まる。これまた、たいして交通量の無い横道を通すために。こんな詰まらん道路を作るために税金を取ってるなんて許せん。

そこで。
これは以前書いたけど、100メートル以内には信号機のある交差点を連続して作らない。これが1つ。

途中で見かける「横切れる」もしくは「右折可能な」中央分離帯の途切れた箇所は全部塞ぐ。
これが2つ目。

3つ目は、基本的には幹線道路はロータリー化して、可能な限り信号機の設置は避ける。途中からの流入には高速道路のような合流レーンを付けるか、一旦停止での左折のみの流入とする。

4つ。中央分離帯の途切れた箇所は塞ぐが、右折可としてある箇所には必ず右折レーンを設けて、直進車の通行を妨げない。3にあった流入箇所から右折したい車は右折レーンのあるところまで行って、そこでUターンをする。そこでUターンも出来ないようなヘタクソは免許を停止する。

とりあえずこの辺はすぐに着手していってもらいたい。このためなら道路財源を確保するのにもやぶさかではない(新規着工はもちろん凍結。もういらない。既存の路線整備で既に十分。)。但し、通常走行に関してさほど不満のないレベルになったら、予算は即座に停止する。このやめるタイミングは難しいが、(作る前の交通量調査はやるけど、)造作をした後の交通状況調査や利用者へのヒアリングをして適切なタイミングに、迅速に止める。


先日、「埋蔵金」と言い出した元大蔵省官僚とかの口述本を見、ました。その中で「経済理論として国内需要が落ち込み、景気の低迷している時期に公共事業をしたところで、その効果は無いということは常識。むしろ金融緩和策を実施した方が効果は上がる。」などという趣旨の文章がありました。
経済学に関してはとんと縁がありませんが、その文章を拾い読みするに経済学とは「風が吹くと桶屋が儲かる」理論構造を、今までの経験や実証を元に理論体系化した学問なのかな?という感じでした。だったらもっとやれよ、と思います。事実、今まではその真反対の「ばら撒き」を続け、まったく今もたいした効果が上がっていないわけですから。


いい加減、移動にストレスの無い道を作って欲しい今日この頃なのです。

2008年7月7日月曜日

商売の波

昨日行ってきた先で、こんな相談を受けました。Nさんといいます。その息子さんの話(とはいっても、もう40後半のはず。ちなみに独身)。
曰く「息子が会社を辞めてきた。辞めてからはネットで商売をしようとしてたみたいだけど、なかなかうまくいかない、儲からないという事で、改めてどこかの会社に入れてもらおうとしているらしい。
一つには今、あいつには金がないはずだけど、勤めだしたら車が必要になるはずだ。その時には相談に乗ってくれまいか。
もう一つは、何かいい就職先があるようなら紹介してやって欲しい。」
とまあ、こんな相談でした。

まあ、車のほうはともかくとして就職先について。
すぐに思いつく先としてはアリコの営業職員と、日本興亜の代理店研修生。まあ、うまくいくかどうかはともかく向こう3ヶ月くらいは在籍自体は出来るだろうから、その間給料を貰うだけは貰っておいて、その間きちんとした就職先を探す、もしくはその道で上手く行けるようならそれに越したことはないし。という話はしておいた。
募集自体はアリコの場合は毎月日常的に。日本興亜の場合は偶数月に。まあ、とりあえず話し聞いてくるだけならいつでもできるから、連絡は今でもしてあげますよ、と。後は当事者同士で話をしてもらって、縁がなければそれまで。向こうから断わられることもあるし、こっちの都合もあるでしょう、と言ってあげたのですが。

まあ、このNさん。何かにつけてああでもない、こうでもない、というのですね。とりあえず金に困ってんのなら段取りなんか気にしてる場合でもないんでしょうけど、当人にとっては一つ一つカタを付けたいらしい。

話を聞いてみると、Nさんが今まで7年いた会社ではブラジル人との関わりが多かったから、今後もそういう方面で何とかやっていきたい、というのです。でも、そういうワリにはブラジル人の知り合いが何十人といる、というわけでもないらしい。では言葉がどうかといえば、それも怪しい、というよりまったくできない。

ブラジル人は結構いい給料を取っています。派遣を介しているとはいえ、残業があることを前提にして職場を選ぶ人が多いですから、40といわず50近く貰っているのもいます。手取りで。で、そのお金をどうするかというと、あまり貯める、という話は聞きません。母国に送金するか、もしくは使ってしまいます。このためその場限りの羽振りは結構良いです。
このためクルマに結構な額のお金をかけるのもいます。
そういうことを、Nさんも聞き及んでいますから、そういう人達に向けてチューニングなどの仕事を請け負う工場を紹介していく、という事も考えているようです。でもね。ブラジル人自身の修理工場もあるし、彼らは彼らで自身で渡りをつけてきていて、それなりにやりたいことを既にやっている連中が多い。つまりNさんに面倒見てもらわなければいけない理由はないわけです。だってNさん、クルマ関係のネットワークないもん。知識もないし。

こうすれば儲かりそうだ、とか、こういう話があるよ、という良い部分だけを聞き及んできて想像を逞しくするのはいいんですが、Nさん、なんかお手軽すぎるような。
もういい年だし、でも、オヤジさんは75くらいだから、もう頼る訳にもいかないし。もう少し現実的なことを考えてもいいんじゃないかなあ、なんて思ってしまいました。

巷には、FXでどうのとか、ネットショップでこんなに儲かりました、とかいう本が溢れています。
それが全て間違いではないでしょうけど、相場で儲ける人がいれば、その分損をしている人がいるわけです。昨今の石油相場で言えば、そのツケを払わされているのが消費者であり、実害を被っているのがアフリカなどの外貨準備高を持っていない後進国。だって、買えないもん、あんな金額じゃあ。あっちでは高いか安いか、なんていう甘ったれたもんじゃなくて死活問題でしょう。実際。
ネットショップもいまやいっぱいありすぎて信用するための取っ掛かりをどこに求めるか、という話になってしまいます。つまり一般的になりすぎて、同時に競争相手がありすぎて、どこを足場にしてお客さんと繋がるか、という事になる。在庫の量なのか。技術か。知識か。それともプレゼン能力か。それともそれ以外の何かか。他との差別化をどこに求めるか。
Nさん、もう少し考えるか、考える前に手に汗握るかしたほうが良いような気がするんですが。