2008年9月30日火曜日

いってきました

行ってきましたよ、MotoGP。
遥か彼方のツインリクもてぎ迄。遠かった。なんつったって「奥」の一歩手前だもん。地図で場所の確認をしていたらちょっと先に「白河」の地名が。ってことは白河の関か、とね。近くに逆井川の地名があったりするところを見るとやはり「義経記」の記述を思い出す。うーん。奥の地だ。

感心したのは、その人口密度ゆえのことだと思うけど、土地の使い方が広やかなこと。道の感じや交通状況は、こっち(浜松)の感覚だと天竜・船明以北の感じに近かった。いや、やっぱり信号機の無いのってすばらしいなあ。
「もてぎ」そのものは栃木県になるけど、宿泊は茨城県の水戸で取った。でも、茂木から水戸まで、1時間弱で行けちゃう。しかも下道で。でまた、その水戸の涼しげなことといったら。駅前はとても静かで、県庁所在地なんだろうけど、住宅地だらけでとっても静か。


これからは人口が減って、どうにかせにゃあならんという論調だらけのような気もするけど、本当にそうなのだろうか?と思った。なんにせよ、国土に対する適正な人口密度ってものもあるんじゃないの?という思いが新たに。
中学校の記憶にいよればアメリカの人口は日本の2倍程度ながら、国土は24倍というように当時は習った。つまり一人あたまの土地占有面積が日本人の12倍という事。あちらさんの豊かさの源泉はここにあるような気がしてるんだけどなあ。で、そこをうまく機械力でカバーしてる。

この辺の事はまた印刷バージョンの「しばた新聞」紙上にて。

2008年9月25日木曜日

オペラ。

今日は久しぶりに歯医者さんに行って来ました。
印刷版しばた新聞をお読みの方ならご存知かと思いますが
オペラ デンタルオフィス」という歯医者さんです。ちなみに、院長先生は自分が大学時代にいた今は亡き「浜松市学生寮」で同室だった後輩です。頭の中身は遥かに彼のほうが良かったので大学の後輩という訳ではありません。誤解のなき様に。


久しぶりに見た院長先生であるチャーリー(当時のあだ名)は、頭髪に少々白いものが混じり始めたようです。それを指摘しようかとも思いましたが隣の診察室には別の患者さんがいたので止めました。色んな苦労があるんだろうなあ、とは思いつつも口をつぐんで診察室を後にしました。
チャーリーの良い所は、その生来の人の良さや素直さなのでしょう。学生寮時代には口さがない自分の同級生(特に米野厳視とか)には「あの手つきで歯を削られたくない」とか言われたりもしていましたが、術中の言動から察するに「随分と立派になったなあ」と感心せざるを得ません。思えば20年近くもその修練を積んでいるわけですからね。


ただ思わないことがないわけでもありません。
特に外科手術の絡む医療行為に関しては手術者と監督者が別々に居てもいいのではないか?という思いです(コスト的な問題点は度外視するとして)。

というのも、必ずしもいいお医者さんがいい術者であるとは限らないのではないか?という疑問があるからです。似た例としては、すばらしい研究者は必ずしもすばらしい教育者足りえるとは限らない、ということです。つまり、知識や見識があることはいいにしても、前者においては、それと手先が器用なこととは必ずしもイコールではない。後者で言えば教育者として「教える・伝える」という技術の熟達者である、という事とイコールでもない。


とは言いつつも、これらの事はチャーリーの修練の末に達した境地をけなすものではありません。2つを両立させようと努力を絶やさなかったことに対して素直に賞賛をささげたいと思います。
北京のオリンピックで見事金メダルを獲得した女子ソフトボールの主力投手の上野選手のインタビューは気持ちのいいものでした。勝因は?と聞かれ、間髪いれずに「練習したから」と答えたそうです。いくら才能溢れる人であっても使われることのない技術は錆びつくだけです。



話は変わって、先日高濃度フッ素配合の歯磨きを使うことによって虫歯が治ってしまった話をネットで目にしました。
その記事によると、そうした高濃度フッ素配合の歯磨きは口腔外科のある病院か歯医者さんでないと売っていないのだとか。ウソかまことかはともかく、虫歯がなくなってしまうと歯医者さんが困ってしまうので、ワザと圧力をかけて一般市販をさせないのだとかという、まことしやかな都市伝説じみた話も紹介されていました。
今日の診察の会計の時。ふとカウンターの隅の商品コーナーに目をやると。売ってるじゃん。フッ素配合歯磨き。歯科用って文字も入ってるし。この歯磨きに関しては、また機会を見てレポートの続きをするつもりです。乞うご期待。

それでは今日はこの辺で。

2008年9月22日月曜日

今日は、朝から一日伝票整理をしていました。
特にこれといって急ぎの仕事がなかったのと、忙しさにかまけて、ごちゃっと一緒くたにまとめていた領収書とかレシートの束が目に付いて仕方なかったからです。
それと以前まとめ買いしていたクリアーファイルが何時の間にやら目に見えて減っていった訳をよーく考えてみたら、レシート類をてきとーにまとめていることで大量にここでストックされていることに気がついたからでもあります。

そんなこんなで嫌々ながら分類に入ります。こういうことには長けていないので、分類をしつつ、何とか楽してというか、うまい書類の流れを作れないか、とブツブツ考えながら作業をしているとなかなか捗りません。
頭の痛いのはやはりクルマ部門です。ごちゃごちゃ。経費といいつつも税金の建て替え払いが多いので、これを何とかしないことには売上が伸してしまいます。確かに売上が伸びるのは喜ばしいことではありますが、それはきちんと利益がついてきた仕事ならばこその事です。ただ単に売上が伸びただけでは、消費税をいっぱい払うことになるだけなので、そういう事態は避けたいところです。



そんなこんなで何時の間にやら5時になってしまいましたので、いつもは親父に任せているペロの夕方の散歩ですが、今日は気分転換も含めて行くことにしました。
まず目に付いたのは彼岸花。やけに最近は涼しい日が続いていますが、やはり時期はそんな頃に差し掛かってきています。それでも遠くでツクツクボーシの鳴声も聞こえてきます。Web版しばた新聞第一号に登場したメスのザリガニにも会いました。おなかいっぱいに卵を抱えてヨタヨタと道路を横断しようとしていました。轢かれずに横断できることを祈りつつ先を急ぎます。
今日、散歩に出てきて一番良かった思った出来事。それはカワセミの実物に遭遇できたこと。写真は撮れませんでしたが、おおう、って思っちゃいました。村櫛でも見れるんだ、て。多分20センチ前後の大きさで、最初は虫かと思ったくらいでした。意外にちっちゃかった。
え?って思ったのはその背中の青色の鮮やかさ。テレビのブラウン管や、写真ではママ、見たことはありましたが、やはりその鮮やかさは本物は本物のままで見なきゃダメだな、と思わせられました。メノウというのか、トパーズの輝きというのか。ものすごく鮮やかな光沢のトルコ石といったらいいのか。あれは絵じゃあ再現できないだろうな、という感じ。よく、カービングでカワセミを作ったのを見かけますが、あの人たちは実物を見て作ったんだろうかと疑ってしまうほどその光沢には目を奪われました。そうねえ。あの色を出そうと思ったら、まずアルミ箔を下地に貼って、その上からクリアーブルーをのっけるって感じでしょうかね。

まあ、そんなこんなで、今日はちょっといいことがあったのでご報告させていただきました。

2008年9月18日木曜日

研修生時代は兎も角として、独立してからこの方、生命保険を売ったことがないというか止めてしまった。いろいろ理由はあるのだけれど、ひとつには人様の財産を預かる、という事に対してそこまで全面の信頼を置かれてもいいのだろうか?と思ってしまうから。まあ、実際預かるのは生命保険会社だとしても。


7月頃のお話。
とある方に「どこかいい就職先はないだろうか?」と聞かれ、自分に言える所といってもアリコか某日本社の損保の代理店研修生くらいしかないですよ、と答えた。
様々な募集条件をかいくぐって、その方は今年の10月からアリコジャパンに勤務することになった。その話が決まる以前。8月の半ばに、この方から電話があった。「何で柴田さんはアリコを辞めたんですか?」と聞かれた。

理由はいろいろあるけれど、その最たる理由は10年20年もしくはそれ以上という長期に亘っての補償と金融商品なんぞ自分自身が信用しきれていないから、というのがその際たるもの。
長期傷害保険の税制上の扱いもそのひとつだし、逓増定期保険もその税制上の優遇処置は消えた。所詮今は良くても将来まで優位性を補償してくれる訳ではない。果たしてその時に、お客さんにそのことを説明しきれる自身が今の自分にはない。
現在扱っている1年物の損保程度ならなんかあっても基本掛け捨て。期間も1年でしかない。お客さんの負担もまだ、その程度で済むし、こちらの心労も1年分で済む。そこだけに全力を傾注すれいいんだから。

もう一つあるのが、自分自身が10年も今の姿であり続ける訳がない、と思っていること。状況は常に変わるし、変転がないとは言い切れない。でも生保はその保障期間の永さゆえに、常に契約者・保険会社が一定の状況下にあり続ける事を要求する一面がある。自分としては、そんなことお客さんに言い切れるのかい?という自問に答えられない。

あっちの人たち(アリコの人たち)は割り切りの良すぎる人たちが多かったから、「そうは言っても、こっちも勧めたが、最終判断はお客さん。無理に勧めた訳じゃない。」とすんなり口にする人が多かったが、今頃どうしてんのかな?
先日の記事について。

内心こんなこと書いて、とか思いながらも「公開」ボタンを押して、あーあ、とか思ってはいたのですが、言われちゃいましたね。コロパパさんに。

かいつまんで言えば最後の言葉、「弱者に対して優しい社会」であって欲しい。ちょっと書いている内容が酷すぎやしませんか、ということだと思いますが、そういう受け取り方でいいでしょうか。


ご指摘の部分はごもっともだと思います。ただ、こういうときにいつも引っかかって脳裏に浮かぶのが「弱者の暴力」という言葉です。
弱者へのいたわりは人としてのやさしさの部分の発現だと思います。ただ、だからといって、それを受け取る側・受ける側があまりにも無自覚になってしまい、むしろそうされるのが当然だという態度になってしまうのでは本末転倒ではないでしょうか。

好きでこういう状況・状態になったのではない。それはそれとして、だから補助・支援を受けるのが当然なんだ、では違うんじゃないですか、と思うのです。全員が全員そうと言っているわけではない。もちろん、好きで日がな一日ジャスコあたりで時間を潰している人ばかりではないでしょう。でも、「優しさ」と「甘やかす」のは似て非なるものとも思うのです。



これは個人差もあるところだとは思うのですが、個人的にはあまり現在の「公」という存在を信用しきってはおりません。
例えば年金の制度にしても、本当に社会的なコンセンサスの取れた制度でありえているのかい?と思うのです。例えば支払いと受け取りの金額の世代差ですが、もらえなきゃ困る、という現受給者は、少なくとも現支給額の維持を言うでしょう。そして高齢者層で地方の方が投票率も高く、しかも1票の格差が大きい訳ですから国としても、そういった得票率の高い、1票の価値の高い層の声を如実に反映させようとするでしょう。
ところが、現役世代は、そういった向きに無関心であることが多く、特に若年層であればあるほど「投票するだけムダ」という意識が高くなる傾向が強いように思います。


北欧のような福祉国家もいいでしょうけど、それを目指すなら(そうでなくても)、まずは運営者側(公)の意識向上が先であるように思います。商売をする側からすれば金銭の透明性なんてものは初歩中の初歩のはずですが、どうもそれに関する躾がなっていなさ過ぎる気がしてなりません。

江戸時代の刑罰基準である「公事方御定書」をサラッと読んだことがありますが、金銭の横領に関する刑罰は非常に厳しかった記憶があります。確かに当時の貨幣価値が非常に高かったということもあるのでしょうが、公務に携わる人間である以上、それくらい金銭に潔癖であるべき、位の意識があって欲しいものです。


ああ、またなんか話が違う方向へ行っちゃったような。


2008年9月13日土曜日

笑うのは不謹慎と判って笑ってしまったのが、例の事故米関連。もう、農林水産省なんて「省」から格下げして「庁」でいいんじゃないの?って真剣に思った。

工業用のりに使途を限定っていう言い訳はもう聞き飽きたが、ふと思ったのはその工業用のりに使用する澱粉材料としての米ってどの程度の需要があるの?って思って調べようとした矢先に目にした記事。「実は工業用のりの原料として米を使うなんて話は聞いたことがありません」という「不易のり」や「ヤマトのり」(つまりはメーカーご本人の弁)のコメント。
えー?というよりも先に「あ、やっぱり?」と思ってしまったのはどんなもんか、とも思うのですが、まあ仕方ない。
まあ、考えてみれば当たり前で、原価低減に必死なメーカーとしてなら、わざわざ中間業者なんぞを挟むくらいなら直に仕入れるよな。それよか事故米なんぞを放出するくらいなら、何で倉庫に腐るほど眠っているらしい超古古米を放出しないんだ?そっちの方がよほど倉庫代も浮くだろうに。ODAなんぞに金をつぎ込むくらいなら売れ残っている米をアフリカとかに寄贈した方がよっぽど喜ばれないか?

国が関与した業界でうまく行った試しなし、ということらしいから、やっぱりもう農水省なんぞは解体して、省として、もっと規模縮小したほうがいいでしょう。共済事業なんかもきっちり金融庁管轄にしてさ。
農協なんかは「オレに仕切らせろ」って感覚の奴って多いから大変だろうけど、もう役目を終えてるような気がするんだよね。共済なんかは「組合員の何割までなら、無関係の人が利用してもいい」っていう縛りがあったはずなんだけど、そんなのお構いなしでしょう?存続するなら存続するで本来の形にきちんと限定するとかさ。いくら高投票率を誇る地方の高齢者を抱えている団体だからっていってもこの優遇ぶりは酷すぎるような気がする。
だって今、旧浜松市の中で百姓を中心とした生計でやっている人てどのくらいになるの?それに対してJAとぴあ浜松で1700人弱の職員数。びっくりしたのが、ふと思い立って調べてみた遠鉄の職員数。1550名。農協の方が多いでやんの。一体どれだけぶら下がるつもりなんだ?と思う。


今更言っても仕方ないとは思うけど、どうせならキチッと住専問題の時にやばかった農協なんかは、きちんと自分のケツを拭かせるべきだったと思うんだよね。企業は潰れるのもなんだから、自己責任で、潰れる時にはつぶれてくれないとかえって禍根を残すような気がする。

2008年9月9日火曜日

柴田の場合、学校出て、そのまま新卒でトヨタディーラーに新車営業として勤め、その後アリコジャパンにCT(コンサルタント)として1年半。その後、某日本社の損保の代理店研修生を経て今に至る、という経歴を経ています。つまり、サラリーマンから社員としての個人営業職、個人経営者という立場に移り変わっています。

ディーラーの営業職時代から「営業職は個人事業主のようなものだ。そのつもりで.....、」などと、非常に経営者側からすると都合のよい高説の元、クドクドと長いお説教を聴かされるのが常でした。ただ、今にしてい思えばサラリーマン上司の言うことなど甘っちょろくてチャンチャラおかしいというか、よく口から出まかせ言うよな、とか思ったりもするのですが。

良くも悪くも、人間、その置かれた環境の中に特化して馴染んでいくものだと思います。ホントそれ以外の世界が見えなくなってしまう。お恥ずかしい話ですが、クルマの売れないときなど、それを苦にしてもう死んでしまいたいと思ったことも幾度となくありますし、気が変になりそうになったこともあります。自腹斬ってまで台数を作ろうとまでは思ったことまではないですが。
一度などは自分の置かれている状況や出処進退のことも含め、どうも思い詰め過ぎていることもあり、精神科の病院へも罹ろうかと思ったこともありました。ほんと自分自身「ヤバイな」と思える時期もあったので。
でも、斜め後ろの高いところから自分を見下ろす第二の自分の存在というのか、自分自身を別人としてみている目、というモノを意識的に存在させてもいたので、まあ、何とか今の自分がある、とい事もあるわけです。
まあ、そんなことはともかく。


こんなことを思い出したのは、例の三笠フーズの「事故米を混ぜて売上を作ろうとしちゃいました事件」です。サラリーマンってホント自分の世界が狭いから嫌だなーと。その世界だけで完結しちゃう所がある。売上が立てばいいじゃないか、とね。昔の自分を思ってみてもそうだけど。
今の自分ならば「所詮雇われサラリーマンなんだから、月が変われば、また次の数字目標がくるだけ。黙っていても厭味な顔はされるだろうけど、給料はくれるんだから思い悩むほどじゃない。」なんて割り切るようにすると思いますが(そんな奴ばかりな職場も嫌だけど)、きっとそういう風に言ってくれる人がいなかったんだろうなー、とつい想像してしまいます。

お客さんと話をしていてこんな話が出てきました。
「商売がうまくいこうがいくまいが、それは時の運。ダメならダメで、元々何も無いところから始めたんだから、それは元に戻っただけじゃない。そんときゃ女房とも離婚して縁を切って、親にも勘当してもらって、自分で全ておっかぶればいい事。」
さすがに僕はここまで強くはなりきれていませんが、それでもトヨペット辞める時には「それでダメなら旗振りでも工場でもいい。なんとなれば百姓にでもなるさ。」とおもって辞めました。何とかおかげさまで、今のところは三度のお米のご飯にはありつけてはいます。まあ、どこに行ってもお米はついて回っていくものなのかなーと。
今でもたまに元同僚や先輩方々、出先で知り合った販売店違いの同職の方々と会う機会があります。別に飛び出したほうが偉いとまでは思いませんが、それでもやはり現職や現状に汲々としている方を見るにつけ、「それなら飛び出すことも選択肢の一つ」と言ってしまう事もあります。


もう少し、肩の力を抜いて、ちょっと立ち止まって周りを見渡してみることも必要じゃないかなー、と。一(イチ)、落ちこぼれサラリーマンとして思ってみたり。


2008年9月6日土曜日

トヨペット時代、何人かのお客さんが定年を迎えるのを目にしてきました。
ある人は抜け殻のようになり、ある人は最初の頃は趣味に没頭していましたが、おそらく間が持たなくなったのでしょう、日々をなんとなく過ごす様になていました。
またある人は、また勤めに行き始めたら車を買い替えると言いつつ、ぼんやり過ごす快適さと言うかぬるさに浸かりきってしまい、結局働きに行く気が起こらず、そのまんま。こりゃあ、車の代替話にはいかんな、という事で次第に足が遠のいたある日、たまたま近くを通りかかり、久しぶりに寄ってみたら亡くなっていたとか、そんなこともあったり。

やっぱり、定年って概念はあかんのじゃなかろうか?と思うこの頃です。だって、働けるくせに飼い殺し状態じゃないですか。「クレクレ」のみの状態の人間の醜さは、ちょっとねえ。「餓鬼」って言葉もあることだし。

そこがゴールと思い、其処からは悠々自適なセカンドライフと思うのでしょうが、それこそ、功成り、名を上げ、と言う状態の人ならそこでおしまい、もいいでしょうけど、一般サラリーマンまでがそれを夢見ると言うのは悪平等じゃなかろうかな、と。たしかに何人たりとも1日24時間が過ぎていくのは同じなのですが、年長者が必ずしも.....、とは思わないし、誰しも同じ60年なら60年を過ごしてきた訳でもない訳ですから、一律年齢で区切ってしまうのは、ちょっと乱暴すぎやしませんかと思うのは暴論なんですかね。

で、その悪平等には当然コストが付きまとう訳で、誰が背負うように出来ているかというと「後の世代」って、おい。
今まで年金払ってきたじゃないか、というのはいいのですが、それを言うなら賦課方式の年金受給の設計なわけですから、あなた方が払ってきた年金は、それよりも上の世代に対して払ってきたわけであって、これから貰う年金の原資は現役世代から徴収された分なわけでしょ?だったら、こちらが気持ちよく払えるだけの理由なり体制なりを説明してよね、と思うのは言い過ぎなんでしょうか。
遊んでいながらにして年金貰う。これはオレの権利。とか言いつつ、時間をもてあました爺さまや婆さまたちは、エアコンが効いてて快適なジャスコで日がな一日たむろしてみたり、パチンコに行ってみたり、ガーデンパークに行ってみたり、中にはデパ地下の試食品を食いまくって、店員に嫌がられたりする人もいるやに聞き及んでいますが、醜いなー。
ここでもう一度、「労働の義務」ってもんをきちんと言うべきじゃないでしょうかね。

人として、せめて目障りな生き様だけはしたくないとは思っているのですが、現状は反面教師とするしかないのかな。

2008年9月4日木曜日

えー、ご無沙汰しております。柴田です。
先月は何気にとても忙しく、夏休みは満足に取れませんでした、というより暦上の休みも満足に休めませんでした。なんかトヨペット時代に逆戻りしたような感じです。まあ、当時のように7時半にがバット跳ね起きて、タバコを一服するや否や飛び出していった、というような事はありませんが、それでも毎日毎日(今も)休む間もなく毎日がなんとなく忙しく行過ぎていきます。それでも何とかちょっとは気も緩められるようになったので、ちょっと更新。

実は今でも模型屋通いが止まりません。で、何時の間にやら何かしらを買ってきてしまうという循環が続いています。そこで思ったことを二つ三つ。

何気に最近のガンプラはすごいです。随分前に多色成型を採りいれてはいますが、その多色成型も以前のような複数色の成型プラ枠をひとつにまとめたに留まらず、1つのパーツに複数の成型色のプラを入れてみたり(つまり1つ成型枠に2つの金型を、使っているということでしょう)、元の枠に性質の違うプラをかぶせることにより、ランナーの状態で間接の軸が既に出来上がっている、といった多彩な成型技術が、実にさりげなく、しかも惜しみなく使われています。これがまず、成型技術そのものもに驚くこと。
第二に、スライド金型までもが実に巧妙に組まれていて、普通に考えたらありえない方向のスリット孔までが成型されていたり、金型そのものの製作技術の向上もあるのでしょうけど、今までなら考えられなかったピッチでの筋彫りや貫通溝までもが実に繊細にモールドされています。却ってこちら側から「一体その金型の寿命はどのくらい?」と心配してしまいたくなるほどです。
第三に。
おそらくコンピューター援用設計の賜物であるCAD,CAMが、「使える」段階にまで熟成されたことが大きいのでしょう。今までなら正中方向などでしか分割できなかったパーツ分けが、設計段階で既に完成予想図をCGで確認しつつ、パーティングラインや成型時の抜けや湯流れまで見込んだパーツ配置で以って金型が作られています。図面だけでは予想のつかないパーツ形状も画面上の立体検討を済ませた上で、分割線のでないようなパーツ分けがなされています。まさに立体パズルです。しかもそれでもきちんと組み立てられる。つまりきちんとした精度補償も出来ているという。なんかすごい世界に入ってきています。

ではスケールモデルはどうでしょうか?先日発売になった「モデルグラフィックス」付録の1/700艦船模型用の機銃。これにはたまげました。もう、瑕見で追わなくては十分に確認できないほどのモールドで作られた米粒ほどの機銃です。気違い沙汰のような製品。

なんだか、大人の趣味といえば聞えは良いですが、なんと言うかここまで来ると大人気ないような気もします。今日はそんなことを思いつつ、おやすみなさい。