2009年5月31日日曜日

所詮は動物

つらつらと何とはなしに思っていたことと類似していることが書かれていたので、ちょっと。
柴田の居住地域よりはるか北方、行動範囲のの北限近辺に仮住まいを構えているらしき「らかす」の安堂さんのブログの事です。

どうも世の中おりこうさんに過ぎるというか、綺麗好きすぎるというか。嫌煙運動にしてもそうだし、男女同権運動にしてもそう、弱者保護や嫌韓・反韓なんかもその類いだと思っていますが、あまりにも人間の有り様について杓子定規に考えすぎてやしませんか?と思わせられる事が少なくありません。

某フロイトの様に何でもかんでもセックスや幼児体験にその根源を求めようという傾向には辟易する所がありますが、あまりにも潔癖・おりこうさん・論理的・理知的・思慮・配慮のある人間像なんてものはあまりにも現実離れした姿である様な気がしています。
やはり人間という一個の動物である以上、らかす中にある桝谷さんのあまりにも論理的な行動と反面、あまりにも人間味溢れる過剰な親切心とか木屑だらけの家の中の様子だとか等、行き当たりばったりの気まぐれさや敬虔なキリスト教徒にあるまじき(?)下ネタは、いたし方のないことのように思っています。逆にこれこそが人間である、と思ってもいるのですが。

中古車選びにしてもそうですが、あれやこれや条件選びや選択を進めていたとしても「一目ぼれ」などと称した衝動買いは逆に一番楽しい買い物の方法であったりもするわけですし、日頃慎重な品物選択を信条とし、きっちり値引き交渉をして車を購入している方でも、何でまたこんなへんてこな所にこれだけの金額を投入するのか、などという光景を目にしたことは一度や二度という程度の回数のことではありません。

どうも、最近の方々は「理不尽な他者」との折衝・接触を余儀なくされるということが少なく(人の移動が多く、核家族化というよりも、より個別行動化している気がします)腹を割った付き合いを避ける傾向が強いのかなあ?と。酩酊することを嫌い(別に強制するつもりはないですが)自分をある程度さらけ出し、清濁併せ呑むということが少なく、同好の士同士での限られた接触に終始することが多いのかなあ、と。
車輌販売の現場だと、自分は「夜撃ち朝駆け」とまで言われた営業攻勢まではしませんでしたが、それでも「夜訪」と言われた夜間のお客さん宅への訪問はけっこう頻繁にしていました。まあ、そこでアルコールが入ることもあったり、宴会なんだか仕事なんだかわかんない展開になることもありましたが、そういう席での「いついつごろには車を考えたいなあ」という言葉であったり、その後家族との親交を深めたりであったり、という事前情報・周辺情報は大切にしていたものです。
ところが今は皆さんおりこうさんというか行儀が良くなったというのか、「夜訪」は今は禁止されているのだそうです。また、お客様情報の保護という観点から営業用のコンピューターを極力社外に持ち出すことを禁じているのだそうで。自分以前の世代なら手書きの見積りなど当たり前の時代だったんですが、今時の連中は車輌総額はコンピューターの画面に描いてあるもの、としか思っていませんからおそらく自分で見積りなど計算できません。
また、昨今の減税対象の摘要などは複雑怪奇なシステムになっていますので(おそらく類別区分番号の何番に該当する車種は何%の減税といった適用方式)、おそらく営業所外での計算は事実上出来ないでしょう。ということはお客様宅での商談・契約という光景は消滅してるんでしょうねえ。


ちょっと前に自宅マンションの隣人を「性奴隷」にする目的で拉致、ばれそうになったので切り刻んで殺してしまい、下水等に流しての処理を図った、という事件がありました。まあ既に「性奴隷にしようと思って」とか「誰でも良かった」というところで既にアウトなんですけど、それでも「証拠隠滅を図り....」というくだりなんかは、かろうじて論理的なというか合理的な理由をそこに見出そうという警察側の意思が感じられます。でもねえ。
チラホラと目にしたところによると犯人はどうも「欠損嗜好」の性癖者であったようで。つまりはなから「手足を切断する」ことは既定路線で、被害者をまあ所謂「だるま女」にする目的で拉致、で、止血に失敗して結果死亡させてしまったのでは?なんて話も目にするわけです。ほんとかよ?なんて思ったりもするのですが、ある意味そちらの方が辻褄も合うかなあなんて思ったりもするわけで。

「衣食足りて礼節を知る」なんてなんか虚しくなってしまいます。逆に獣性むき出しじゃん、て。一般人は基本的に無防備な羊であることが多いわけですから、羊としての習性を叩き込まれることのなかった群れを離れた個体に理性とか羊としての常識を期待する方が無理な気がします。
大学の一般教養の心理学の講義中、「狼少女」を取り扱った回がありました。結局は彼女は亡くなるまで人になりきることはなかった、と記憶しています。何にでも成れるというフレキシブルな脳細胞を持ったからこそ狼にもなれたわけですが、反面やはり人間として馴らすことがなければ人間にすらなれないし、やはり奥底に獣性(大脳旧皮質でしたっけ?)は潜み続けている訳です。


きちんと集団行動を営むことのできる理性と共にやはり動物としての本能は在り続ける、というバランス感覚はあってしかるべきじゃあないかなあ、と。草食系男子なんて言い方が最近はあるみたいですが、人(男)を舐めくさるのもいい加減にしろよ、と思ってもいます。性別が女というだけで天下取った気になってんなよ、と思ってみたり。
でも1匹のオスとして、可愛い女の子を見たりするとやはりニコニコしてしまうんですけどね。

2009年5月29日金曜日

新車か中古車か 3

もちろん中古車というからには新車時代もあったわけで。つまりは初代オーナー様によるメーカー様へのお布施が支払済になっていなければ中古車という存在はありえません。
「中古車とはいえ補修パーツなんかは買っているんだから......」といった論調もありますが、メーカーにとってはモデル廃止後のパーツ生産などお荷物でしかありません。だってそれだけの為に10年以上前の金型を含めた生産設備をそっくり残しておかなければいけないんですから。とはいってもその保管に関する業務は下請工場任せのようですけど。
あくまでもメーカーとしては新車の開発とその販売が生命線です。だから継続生産される旧プリウスは装備を落としたとはいえあれだけの金額にも出来ますし、プジョーも306を再生産するとか何とか言っているようですが、あれも生産に関わる設備その他がそっくり残してあるから出来ることです。しかも開発にかかった減価償却は既に終わっている、とされているはずですから安くも作れるわけです。

中にはメーカーの威信をかけて絶対にパーツ供給を終わらせない、といった車もあります。トヨタ2000GTなんかがそのいい例です。いまだにダッシュボードに張られている「ヤマハ謹製ローズウッド製の化粧パネル」は注文があれば再生産されているそうです。トヨペット時代、お客さんにヤマハ天竜工場の方がいましたが、当時も「こないだ注文があったから作って持ってったよ」なんて言葉を聴いたものです。
その他はセンチュリーロイヤルですかねえ。皇室専用車。何でも30年間のパーツ供給を約束されたメーカー保証つきなんだとか。当初1台1億なんていっていたようですが随分とダンピングされたようで。しかも生産台数少ないし。絶対元なんか取れないだろうなあ。

さてさて。前回「安く買える」のが中古車のいいところだと書きましたが、では何でもかんでも安いからという理由で中古車で十分なのか?という話。新車がいいという理由、といってもいいかもしれません。

自分自身がトヨペットにいた頃(特に最後期)は、自身が新車販売部門に在籍していたこともあり「新車がいい」と言っていました。これは時代ということもありますが、プリウス登場を発端とした新機軸の設計手法や車体骨格・エンジン、電子装備の発展途上期(特にナビ関係)と重なったこともあり、発表される新車のことごとくとはいいませんが、その当時の新車の大多数が以前のモデルと比べて明らかに良くなってきていた、ということがあげられます。
例えばヴィッツと先代モデルに当るスターレットやターセル・コルサ・カローラⅡの3兄弟を比較すれと分かりやすいのですが、後者は明らかに「トヨタのラインアップ中の最廉価車種」という以上は何も特筆すべき所のない車種に成り下がっていた存在でした。販売店側としては「軽に行かれないための防衛線」といった存在でしかなく、メーカーの姿勢も「モデルチェンジの時期が来たから変えました」的な熱意を感じないモデルチェンジをされてきた感が強い車たちです。
ではヴィッツは?とくればプリウスにはじまるトヨタの車輌設計の変革のトップバッターであり、特にヴィッツはフランス工場立ち上げにおけるメイン生産車でもありましたから、大げさでもなんでもなくトヨタにとっての「世界戦略車」でした。ですからその力の入れようは半端ではなく、クルマそのものからも「俺は今までのクルマとは違う」っていうオーラが漂っていました。

こうした勢いのある商品は新車でしか味わえないものです。もちろんその時代性も含めての話です。確かに10年近く経った今の中古車でもその残り香はありますが、やはりあのときに味わっておきたかったなあ、という悔いはあります(あとは初代ワゴンRですとかね)。でも当時はトヨペットにいましたので、そういう訳にもいかなかったんですよねえ。うちはプラッツしか売ってなかったし。
ですから「どちらでもいい」という人にはプラッツを(後ろ髪を引かれつつ)勧めていましたが、本心ではヴィッツの方が商品としての成り立ちや仕上がりに分があると思っていましたので、仕方がないと思いつつヴィッツを売っていました。上には内緒で。

先日、兄貴の乗っているアルファロメオに乗る機会がありました。確かにその個体は10万キロオーバーということもありましたが、それ以上に車体のガタというかヤレ様は酷いものでした。
購入当時の兄貴のアルファは新車でこそありませんでしたが販売店の試乗車上がりということらしく、2000キロも乗ったかな?という走行キロ数での購入だったかと思います。当時自慢されついでに1日乗り回していたことがあるのですが、その当時の記憶と比較するとあまりのポンコツ状態にあきれてしまいました。まあ、手っ取り早くいえば「中古のアルファなんぞ、乗るもんじゃねえな」というところです。新車の当時が最高の状態で、あとは見るも無残に朽ち果ててくる、といったところでしょうか。こういうクルマは新車でしか味わいようがありません。
こうしたクルマは新車時が最高の味でしょうから、安いからといって中古車に飛びつくことをお勧めしません。一時は自分もアルファロメオの156がいい加減安くなってきているのでどうか?と思わなくもありませんでしたが、145のボディと足回りのヤレ様に愛想が尽きました。まあ足回りくらいならブッシュ交換なりダンパー交換なりという方法も考えますが、あれはおそらくボディそのものが緩くなってきていう感じでした。ボディそのものは如何ともし様がありませんので、すっぱり諦めた訳です。


これはなんとなく、という感じでしかありませんが、所謂「味(風合い)がいい」ものというのはとにかく「いのち短く、はかない」というものなのかもしれません。例えば布地。
風合いがいい、着心地のいいモノというのは大抵糸そのものが非常に細く、しかも繊細な染めであったり織りであったり、というものが大半であるように思います。で、そうしたものは得てしてヘビーローテーションには向かず、普段着るというか着倒すものにはユニクロ物あたりが一番向いていたりするものです(あまりにも安物過ぎて糸の量そのものをケチっている場合は除く)。
ジーンズは生地としては非常に丈夫な織物ではありますが、染めそのものはインディゴ(つまり藍染め)です。実はインディゴという染料は糸に染み込んでいるのではなく繊維の中に入り込んでいるだけということらしく、このため擦れた所の繊維がほぐれてしまうと、染料も転げ落ちてしまう結果、色落ちがでるということらしいです。俗に言うビンテージジーンズなどというものは、その色落ちの具合を愉しむものであるらしいのでイコール履いても洗わないというのが作法なんだとか。まあ、ジーンズの話はともかく「味」というものはクルマにも影響を及ぼすものであるようです。例えばダンパー(ショックアブソーバー)とか。
ダンパーの主要部品といえばオイルとその通り道を空けたゴム製の隔壁ですが、両者とも酸化や劣化が免れない性質のものです。また、当然シャフトとオイルの漏れを防いでいるゴム部品は常に擦れあっていますし、こすれあっているということは磨耗もしています。
ダンパーでよく目にする有名どころでいえば「オーリンズ」とか「ビルシュタイン」ですが、これらの製品はオーバーホールして使うことを前提としています。つまりは劣化する部品があることを前提にして、交換すべき部品は交換して使い続けられるように設計しています(だから高い、ということもいえるんですが)。ところが日本車ユーザーだと、ダンパーなんて交換すべきもののリストには入っていない方がほとんどです。このため、メーカーとしても「無交換」を前提にした部品開発を部品メーカーに要求します。ですからダンパーといえばハメ殺しにされた分解不可が当たり前。こうすれば少なくとも外気に触れることでの酸化や劣化は防げます。
整備屋さんに言わせればダンパーの劣化は1万キロくらいから、なんだとか。味をとれば当然シャフトの精度を上げてゴムはなるべく薄く、オイルもサブタンクまでつけちゃって、なんて感じになるのでしょうが、耐久性や簡便性をとれば「大体こんなもの」という精度にしておき清濁併せ呑む仕様にせざるを得ないでしょう。

ダンパーに限らず味を追求し始めるとキリがありません。鮮度命となれば新車しか選択肢がありません。どちらかといえば日本車は味よりも耐久性命な感じです。でもメーカーによって随分趣は異なります。特にホンダ・マツダ・日産あたりは味に、より比重がかかっている感じがします。マガジンXの「ざ・総括」で評判がいいのもこの三社(+富士重工)な感じですね。余分な話ではありますが。
では欧州車は?うーん。味筆頭はポルシェかなあ、やっぱり。そのあとにBMWとかアウディ、プジョーって感じでしょうかねえ。旧E46のBMWは随分良くなったって印象がありますが(それでもマイナートラブルは多い)、その前のE36は鮮度の落ちが早かったなあ、って感じでした。アウディも然り。意外とVWって乗ってないんで知りません。あとベンツもここ最近のは乗っていないんで。この辺の車は新車のほうがいいんじゃないのかなあ。

2009年5月28日木曜日

プリウスとインサイト

クルマ屋をやっていて不思議なのは、ここまでわかりやすい商品なのにも関わらず、それでも区別のつかない人が大勢いるという事。それはいわゆるOEM商品である日産のモコをはじめとした軽自動車シリーズと供給元であるスズキや三菱といった各メーカの元商品との区別です。

モコはスズキのMRワゴンだし、ピノはアルト、オッティーは三菱のeKワゴンだし、キックスはパジェロジュニアなのですが、意外というかなんというか、一般の方の中には日産が軽を作り始めたと勘違いしている人がかなりの数存在しています。まあ、日産もあれだけ素知らぬ振りしてCMを流しまくっていますから思いどうりの流れなのかもしれませんが。
昨年末に浜松インター直前にある日産のディーラーの前を通りかかったとき、納車準備中であった車はことごとくが「日産製」の軽でした。人ごとではありますが、販売側があんなに安易な方向に走って本体は大丈夫かいな?と思わずにはいられません。販売側は軽を売って糊口をしのぐつもりなんでしょうが、おそらく現場の人間としては「1台は1台」というカウントでしょうからいきおい楽な軽自動車販売に傾きがちになるのは分かりきった流れです。そうなれば、従来ならばなんとか自家用小型車に話を持っていく努力もあったでしょうが、おそらく垣根の取れた今は何の障壁もなく軽自動車の商談に入っていくでしょう。メーカーからすればディーラーは工場の生産ラインスピードを維持していく為の計算の基礎であるはずなんですが、こういう流れになってしまった以上元の鞘に戻すのは至難の業になるでしょうねえ。まあ、ルノー分の生産も混流しているからいいのか?


さて。同様の流れが見られるのがお題のプリウスとインサイトです。
別に自分の古巣がトヨタディーラーであるからといってプリウスを持ち上げるわけではありませんが、特に初代プリウスの登場は自動車史100年余のなかで大きくページを割かれてもいい事柄だったと今でも思っています。

そのプリウスの特徴は、その全ての基本要素が新設計部品で構成されていたことです。世間様的にはハイブリッド車第一号車としての名誉が挙げられるでしょうが、本当にすごい所はボディとエンジンを同時に新規設計で纏め上げたというところにあります。それが自動車会社にとってどれだけ勇気のいる作業であったことか。ハイブリッドシステムの組み込みはかなり後になって決まった話であり、それよりも21世紀基準車としてのボディ骨格設計とエンジンの新規設計のほうがもっと評価されるべきです。
もちろんTHSシステム自体の新規性・独創性をけなすつもりはありません。ほとんど範とするものがない中でエンジンの動力とバッテリーからの動力とを、走行状況や走行環境、バッテリー残量などを総合的に判断しつつ自在にその動力源の比率や混合度合いを配分していくシステムを従来のA/Tとほぼ同サイズにまとめあげ、かつ信頼性を同時に達成している所などはあきれるほど感心する所です。

ただ残念な所はその後で、マイナーチェンジ後や新型(2代目)と後継モデルになればなるほど周りの声に引きずられていき、発進時のアクセルの応答性のよさであったり、加速性能であったり、本来は苦手なはずの高速巡行領域での走行性を求められる、という本来の良さはスポイルされていったように思います。加えて、いつの間にやら「ハイブリッドカー」という枕詞の付いた「究極のエコカー」みたいな扱われ方をされるようになってしまったのですね。
このためトルク性能を重視する為に昇圧回路を使った従来よりも高電圧のモーターを使って高トルクを演出してみたり、あまりに燃費を気にするあまりモーターやバッテリーに負担の多い基本設定となっていたり、燃費の為に空力を気にせざるをえなくなり、二等辺三角形のスタイルから抜けられなくなってしまったりしています。

さて、インサイトです。基本的に今のインサイトは、フィットにIMAシステムのハイブリッド機構を組み込んだもの、というのがその実像でしょう。もともとのインサイトは「燃費データでプリウスに勝ったハイブリッドカー」ということしか売りのない車でした。
初代プリウスは先ほども書いたように「次世代車の基準足りうるボディ設計・骨格を持った車」という部分が本筋でしたから、もちろん空力も大事ではありますが、それ以上に「大人4人がきちんと座ることができ、更にその乗車定員分の荷物も十分に収納可能なボディ」という基本空間を有することを要求されていました。このためもちろんボディは鉄製で乗車定員は5人となっています。
ところがインサイトのターゲットは「プリウスに燃費で勝つ」ことしかありませんでしたから、ボディは重量的に有利なアルミボディで、しかも乗車定員は2人。しかも確かにハイブリッドシステムとはいえエンジンは3気筒の1リットルエンジンに補助モーターをアシストとして使う、といういたってシンプルな構成です。重量的には850~870キロ程度だったようです。これに対してプリウスは1220キロと400キロ弱も重いうえ、更に乗車定員3人分・150キロほど重い状態での計測となる訳ですから燃費競争の比較対象にならないように思います。

このように両者は違っている訳ですが、今回ホンダはインサイトを「200万をきるハイブリッド車」として世に出してきました。個人的には「それ相応に安物のフィットハイブリッド」としか見ていませんでしたが一般的には「安いハイブリッド車」「大人気・初期受注2万台」とか何とか。
それを横目で見た「出てきたライバルはとにかく潰しにかかる」信条のトヨタは、ハイブリッド車としては高級機であるプリウスを「200万ちょっとで買えるハイブリッド車」として世に出してしまいました。聞くところによれば発表直前に40万円ほどいきなり発売価格を下げてきたのだとか。まあ、買う側にすればありがたい話なのですが、売る側(ディーラー)にとってはいきなり儲からない車になってしまったようです(全店舗での扱い車種にもなりましたし)。

個人的にはどちらが売れてもどうでもいい話なのですが、少々寂しいのは「ホンダがあんな所ではっちゃけなければ(初代・二代目インサイト共)」もう少しましなハイブリッド車の方向もあったんじゃないか、と思うとともにせっかく初代が築いたプリウスという車の本質的な良さがどんどんスポイルされてモデルチェンジされていくのは寂しいなあ、というところですねえ。

2009年5月27日水曜日

新車か中古か 2

先日の続きです。

中古車の魅力とは、簡単に言えば「新車より安く買える」、これです。これに尽きます。
だって、新車時に400万円(車輌本体価格)もした新車(つまり経費込みで450万円くらい)が、6年落ちとはいえ100万そこそこ(これも経費込みでの金額)で買える(買えた)んですから。ちなみにこれは自分のC200の場合。

話は脱線しますが、欧州車は買うときには高いが、売るときもそれなりの金額で買ってもらえるので結局はお得、なんて妄言がありますが、それは嘘です。かつてはそういう面もあったでしょうが、やはり信頼性と維持費を気にする方が大半ですので、メーカー保証の残っている3年未満車ならともかく、それ以降はガタ落ちです。特に元金額が大きいので、残価率何パーセントなんていっているようなやり方ですと1%分の金額が大きいので額面のさがり方は半端ではありません。

ただ、ものはやり方次第というのか、逆に値落ちの大きい方が中古車を買う側にとってはありがたいことです。それがきちんと選んだ個体で、モデル的にもトラブルの発生比率の少ないモデルであれば尚更です。

例えば日本車の、特にセダン系などは、買う側にとってはいい感じで値が落ちていきます(逆に新車を買う側からすればちょっとかわいそう)し、トラブルも少ないです。
ただ、気をつけたいのは、ここのところの日本車は特に電子装備の過剰化がすすんできており、何をするにもまずは車載コンピューターにお伺いを立てなければいけないということです。つまりは機械そのものはなんともなくとも、それに付随するセンサー類がダメになり警告灯が点灯するという事が増えてきています。つまりは余分な出費が嵩むこともしばしばありえます、ということ。


また、これは数年前からある傾向なのでしょが、メカニックもとりあえず車載コンピューターの自己診断を見てから次のフェーズにすすむ、というパターンが増えてきています。何が言いたいかというと、「機械を見て判断するのではなく、コンピューターの画面を見て、コンピューターがそう言っているからここの部品を交換する、ということに終始する」ようになってきています。
このため自分の経験則や知識を元に機械の状態を判断するということが出来なくなってきており、現に異音がしているにもかかわらず「コンピューターが異常と判断していない」という理由でそのまま納車してしまった、なんて笑えない話も耳にしています。そしてその話を聞いたのが既に7~8年前の事ですから、現場の人員配置を考えると当時の新人は既に車検の検査員の資格を取り、工場の中ではチーフ格になっていてもおかしくない時期ですから、なんだか恐ろしい話でもあります。

話を元に戻すと、個人の感覚では今の電子装備満載・電子制御満載の車よりも「ほどほど電子制御」というレベルの方がまだ整備できる余地が残されている分、ましかな、と。
ただ、確かに今の環境基準・排気ガス規制を満たそうとすると従来のインジェクションによる燃料噴射よりは直噴エンジンの方が直接ガソリン量そのものを制御できますし、冷間作動時の触媒の働き方をセンシングしつつ酸素濃度や吸入温度などの要素を加味しつつ燃料を濃すぎないように(エンジン始動直後は少々ガソリンを濃く吹いているので、触媒が作動適温状態になるまでは排気ガスが通常時より汚れています)薄すぎないように調整しています。というか、通常走行の時の排気ガスのクリーン化にこれ以上大幅な向上は望めないとくれば向上幅の大きいエンジン始動直後を綿密に制御しないと今まで以上のクリーン化にならない、ということであちこちに各種のセンサーを配置しつつ精密制御をしましょう、という事になっているわけです。まあ、これが「星5つ」とか「排気ガス基準75%減達成車」とかいっている車の実態なんですけどね。

まあ、そんなこんなで、4~5年前までの日本車や、数年前までの欧州車(2000年前後の頃)位が中古車として買うには頃合じゃあないのかなー、と思っています。

また出かける用事が出来てしまいましたので続きはそのうち。

2009年5月23日土曜日

付加価値

やはり一般的には車検費用は高額の部類に入ると思います。

今年の4月から車検・法定点検の案内葉書を出すようにしました。そしてそこには車検の基本費用は載せるようにしています。24ヶ月定期点検・車検代行費用は車種問わずで同じに設定しているのでそこは25,000円で統一。あとは重量税・自賠責・印紙代の費用を足しあげて車重1.5tクラスまでのクルマは基本料金88,220円(オイル交換を含む追加部品・追加作業工賃は除く)で案内を出しています。もちろん納車引き取り・代車料(現在はヴィッツかベンツC200。さすがにロードスターは出したことがありません。)込みの金額です。

ここのところは平均車齢が上がっていることや、10万キロというひとつの壁を越えようかという車が多いこと、少々工賃や部品代の追加が多くなっていることもあり請求金額が嵩みがちなのが現状です。
出来れば、こちらとしては12ヶ月点検の入庫率をあげて整備費用の分散を図りたいのが山々なのですが、そこはそれ、お客さんの意向が最優先ですから最近の風潮にのっとり車検以外の点検は少々控え気味になってきているのが現状です。

で、そうなると整備費用そのものはたいした金額にならずとも、それに税金と自賠責保険費用のプラス(個人的には「上底費用」と呼んでいます)が馬鹿になりませんからいきおい大台越えの請求金額も珍しくなくなってきます。
ただ困ったことに幾らココとココを交換させていただきましたと言ったとしてもそこはそれ、あんまり車に興味のない人にはどうでもいいことで、結局は「えー、こんなにかかったの?」の一言になってしまうことも少なくありません。だって、交換されたブレーキパッドを見させられても「汚いなあ」以上の感想はありませんし、油脂類を交換しましたと言っても「ふーん」以上の感想は出てきません。

では「車検(もしくは何らかの整備)」を受けてきたんだ、と判って貰うのには何が一番効果的か?と考えた末に行き着いた結論は「「綺麗に洗車もしくはボディ磨き」をした上で納める、でした。これなら判り易いでしょう?そこそこ高額になってしまった請求費用を心理的に理解しやすくする1手段としては「綺麗なったわが愛車」というのは有効な説得材料になってくれるのでは?とちょっと期待しています。べつに請求費用を高額にするためにキレイにしている訳ではないというのがミソですね。

今、車検整備を依頼している業者さんの一件はワックス洗車(車内の掃除機がけを含む)をした上で仕上げてくれています。もう一件は通常の水洗い洗車と掃除機仕上げ。ただねえ。こちとら新車販売を10年以上経験してきている人間ですから、当然新車の状態を普通以上に知り尽くしている訳で。そういう目で見るとやはり甘いんですよね。仕上げが。
例えばで言うと整備業者さんのやる仕上げのほとんどはガラスの拭きあげが甘い。外はともかく内側の拭き上げはほとんど皆無というのが現状です。いちいち作業を指定しないとやってこない。
また、自分として気になるのがハンドルのべたつき。けっこう皆さん無頓着なんですよねえ。日本車の新車ではとくにハンドルにカバーがかけられている、ということはありませんが、外車の場合はハンドルにビニールのカバーがかかっています。これは「アバロン」の新車の納車準備の際に気がつきました。ものすごく念入りにビニールが巻き付けられていたんですよ。「ああ、彼の国ではココが気になるんだろうな」と思わず納得してしまった所です。
結婚してから気がついた事なんですが、女性って日焼け止めクリームとかとか保湿クリームとかを日常的に手に塗り込んでいるようです。日常的に水仕事が多いからなんでしょうけど、こと車に関してはこの所為でドアハンドルとかステアリングホイールが妙に白く変色している例が多いような気がします。

まあ細かい箇所についていちいち採り上げていくとキリがありませんが、そういうことを含めて今後車検の際には2日というよりも3日もしくは4日ほどお借りして自分が気になる所をきちんと磨き上げた上で納めるようにしようかなあ、と考えています。

とりあえず昨日、試行段階ではありますが第一号試験車をお納めいたしました。オーナーであるその方は一目見るなり、おお?という表情をされ「綺麗なったなあ」と喜んでくださいました。まあ、とは言いつつフロント部のみの磨きでしかなかったのですが。
ボンネット・フロントフェンダー左右・バンパー。グリル部の角は汚れがたまりやすい箇所でもありますからいっその事、と思いグリルを外し、裏や隅にたまったゴミを除去し洗剤やコンパウンドを駆使して磨き上げました。またウインドウオッシャーノズルも外してきちんとボンネットとの接合箇所まできちんと磨き上げたので水垢の残りかすもありません。ボディーカラーが白だった事もあり、未施工箇所との差も分かりやすく、やった後の差異が際立っていたこともあったでしょう。

で、今日は第二弾。先日車検を済ませた軽自動車を磨き上げています。これは新車で納めて3年、任意保険まで柴田が手掛けている方ですので特別サービスとして無料にて磨き上げている所です。途中経過でしかありませんが、やっている人間が「綺麗になったなー」って感心しています。
ただ、新車状態を知ってもいますので「あそこも、ココも」なんてついつい欲が出てしまうのが困ったものです。もうひとつ困るのが1台の車をきちんと仕上げるのが体力的にけっこうきついということですかね。けっこう疲れるんですよ、実際。

2009年5月17日日曜日

新車か中古か

こんなのは別にどっちでもいい話っていえばいい話。
お金のある人は新車をバンバン買ってもらえばいい話だし、次から次に乗り変えてもらえばいい。たまに聞く話で「もう中古でしか売っていないから」中古車を買うなんて人もいるけど、現実にはその売っていないクルマの中でもなるべく安いクルマを買おうとしているのが現実ナわけです。決して程度命とか何とかいってその中でもトップレベルの金額のクルマを買おうなんて人はあんまりいません。
結局「中古車=新車より安く買える」が原点だと思います。

では新車のメリットは?といえば、もちろんピッカピカのおろしたてで、自分が最初に触った(ハズ)初親。新車保証はついてるし、調子はいいはず。なんたって作りたてなんだから。........と、いうところだと思うのですがそこはそれ、やっぱり機械モノですから個体によって微妙な差はあります。
例えばセルシオなんてクルマは700万ほどしたクルマなんで、そんな異常というか調子を崩したなんて個体はあってはならないはずの存在なのですが、なんかの添加剤でも入れたか、1ヶ月点検の時にすでに異音が発生しており、ついにはエンジン交換となった個体もありました(もちろん新車での話)。ま、当然全てメーカー保証で対応させていただきましたが、
700万円の外れクジを引いちゃったんですね、なんて口が裂けても言えませんしねえ。
この話には尾ひれがあり、後にオーバーヒート寸前までいってしまい、またまた大騒ぎになってしまいました。おそらくこれはエンジン交換時のラジエーターホース結束に使うホースバンドといわれる部品があるのですが、これが新車製造時のときの締結位置とずれていた為、ちょろちょろと冷却水が漏れた事による
メカニックに因る人的被害だったと確信しています。結局はエンジン交換時にラジエーターホースも交換しておけばよかったのに部品代をケチったんでしょうなあ。後でサービスフロントの人間を締め上げておきました(メカニック本人を締め上げると、他の作業でしっぺ返しをされる可能性があるので本人には追及しませんでした)が、それでも自分たちの作業ミスは認めなかったなあ。あの野郎ー。
良くも悪くも新車の調子は一定レベルの範囲内にありましたが、過去に納めた車(500台くらい納めた)中で一台だけ「これは」というくらい調子よく回るエンジンの新車がありました。あれが所謂「アタリ」のエンジンなんでしょうねえ。明らかに違うんですよねえ。あの個体、今はどうしてるんだろう?

ではクルマ屋として、どのクルマなら新車で買うほうがいいと思っており、どのクルマなら中古でいいと思っているのか、という話なんですが。

ひとつは値落ちの問題。逆にいえば中古車になればこれだけ安く買えるという話ですね。アバウトな話ではありますが1年乗ると大概100万円くらいは下取金額が落ちます。もちろん車種や新車金額によっても差はありますが、想定しているのは400万円ぐらいまでの車の場合。
値が落ちるのはもちろん、それが中古屋さんやオークション会場にとっての仕入れであったり取引金額だからです。そこから各業者の経費や利益を乗っけて「これくらいなら新車が横に並んでも中古車として競争力のある金額だ」という金額にならなければいけません。
仮に300万円のクルマだったとしてそれが新車値引き30万円で売られているとします。すると実勢価格は270万円。すると...。やはり1年落ちの中古車なら30万円から50万円ほどの差額がないとチト競争力に欠けるかな?という判断でしょうかね。もちろん装備品によっても差はありますが。
すると店頭表示価格は220万円。ここから店の利益が店頭並び200万オーバーの表示価格車なら30万円くらいは考えるでしょう。それから商品化にかかる内装外装の掃除等々、これらで5万円くらいかな。外注で済ますか内々でやるかにも因るでしょうけど。そうするといつの間にやら下取金額は185万円になってしまっているわけです。新車のときに買ったフロアマットやその他の装備品をわざわざ外す人もそうはいませんから、その分もありますし、本当は払っているはずの自動車税や自賠責の金額もきちんと上乗せして買い取ってもらっていますか?なんてこともあるわけです。まあ、あとは傷があるとか人気のない色だとか、距離を乗りすぎているとか、なんだかんだと難癖がついてお安い金額で買い叩かれる訳です。

あ、出かける用事が出来てしまいました。今日はこの辺で。多分続きます。

2009年5月14日木曜日

難しい所

最近はおかげさまで車の保険や生命保険、医療保険、保険の内容診断、車のタイヤ交換、ナビ取付、車検に点検に一般修理、一般整備、新車販売、中古車販売、鈑金修理手配に、簡易鈑金見積り、簡単な故障診断に保険のハンドリングなどなど、まさになんでも屋さんの様相を呈していて、何とはなしに毎日あれこれと御用命をいただきつつ、作業をこなしつつ、手配をしつつ、なんて日々を過ごさせていただいています。

おそらくこれはお医者さんでも似たようなところがあるのでしょうが、まずは患者さんの御要望を聞きつつ、それらを基に幾つか問診をしつつ、患者さん(保険の内容であったりクルマの状態)の容体を目測していく、という流れが基本かな、と思っています。つまりは患者さん(お客さん)へのヒアリングが一番先にあるというところがミソ。
もちろんこちらとしては真摯に耳を傾けているつもりなのですが、中には相手が言葉に出さない要望なんかもあったりするところが後々の悲劇を生む温床になっていることもあったりするのが困りものです。こちらとしては言葉通り、額面どおりに言葉を受け取ることが多い(下手げな解釈は挟めない)のですが、お付き合いの長い方が多くなってくると中には以心伝心の意思疎通を期待されているところもでてきたりして、「それならそうと、先に言ってよー」なんてこともあったりなかったり。


歳のワリには結構入院回数というか入院経験が多いワタクシではありますが(現在までに4回)、お世話になるたびに毎回毎回、治療方針の説明や入院日数によるスケジューリングの説明など、やる事がこと細かくなってきている印象を受けます。
もちろん人体に関することですから細心の注意を払って、医療ミスを防ぐ姿勢というか体制・システムの構築を連綿と続けておられるようで、非常に参考になるのかな、と個人的には思っています。そういう説明のパターン化も考えなくてはいけないかなあ、と自身のカバーする分野に対しても思わずにはいられません。
クルマ業界的にはそういう「説明する」という事に関する技量やバックボーンは個人の資質に大きく依存しているのが現状です。トヨタのCMでいう「これから目線」なんていうのは、スローガンとしては正しいと思うのですが、果たしてそれが何処まで徹底させていくつもりなのか。
保険業界的には、生保分野では「保険内容の説明手法」が、特に外資系を中心として随分と研究されていて、そしてパターン化もされています。これはアリコに在籍していた時に随分とやってきました。

では損保分野。ここではそうした試みはあまりなされておらず、せいぜい個人的な努力の範囲をでておりません。損保ジャパンなどではCMで「分かりやすい保険」を謳っていますが、じゃあどんな風?といってパンフレットを見てもあまり従来からの変化は見えず、どうも掛け声だけに終わっているような気がしてなりません。このあたりは研究の余地が随分残されているように感じますが、損保社員が直接直にお客さんと話をする機会が実際にはないのが現実ですから、まだまだこの道は険しい気がしてなりません。
結局の所、損保会社自身が「契約者から見て、何処がどういう風に分からないのかが分からない」訳ですからね。例えば大学教授は専門分野の研究者ではあっても「教える」という「技術に精通している訳ではない」ということと似通ったところなのでしょう。

政権交替

小沢さんが辞任してしまいました。

個人的にはこの際一回ぐらい民主党に政権交替してみてもいいじゃないか、と言う気持ちはありました。今現在は確かに首相は麻生君ですが、今に連なる時代を形作ってきた歴代の自民党総裁たち(一部社会党出身首相を含む)や自民党幹部連中を支持し続けた結果が「今」であるのですから、それこそどうしようもなければ一回くらい交替してみる価値はあるのでは?とも思っていました。
それが、一度は自民党の幹事長まで勤め上げた小沢さんが野にくだり民主党の代表になって、ということならばまだ、主張するということに対するその言葉の責任をほとんどその身に受けたことのない怪しい連中が代表である時期よりはよっぽどましかな、という淡い期待もありました。

でもねえ。

鳩山じゃあダメかな、と。(正直岡田君の事はよく知らないので誰か教えてください)

村山の二の舞ににゃりゃせんか、と。

羽田談話の類いをまた繰り返したりせやせんか、と。

鳩山の「日本はみんなのもの」なんて、その言葉がどういう意味を帯びてくるかなんて想像したこともないのか、だた単に言葉に酔っているだけなのか。


司馬遼太郎が「風塵抄」か何かで、「クーデターは軍隊で言う大佐クラス以上の人間を巻き込まないと成功しない」ということを書いていました。まあなるほどそういうもんか、と思います。
企業で言う部長クラス。幕末に思いを巡らせれば、薩長では割合藩の上層部の連中(小松帯刀とか)にも理解者がいたおかげで西郷であったり大久保であったりが動くことが出来ましたし、桂小五郎や高杉晋作などは自身が藩の上層部に食い込める家柄の出身者だったかと思います。
翻って土佐藩では山内容堂が中途半端に賢いというか権勢をふるいすぎたために藩内に残った武市半平太などは日の目を見ることはなくなってしまい、早い時期から活動拠点を藩外に求めていた坂本竜馬や中岡慎太郎は、後々までそのことに苦労することにもなりました。

さて。民主党の中の戦力分布はよく知りませんが、そうしたことをふまえての参謀というのか作戦を心に秘めた戦略家っているのかなあ。まあ、鳩山君なら鳩山君でもいいのですが、それをきちんと誘導できる懐刀というのか、島津久光にきちんと手綱を掛けうまく誘導しきった大久保利通みたいな存在。

戊辰戦争の頃、箱根の険を利用して海上から薩長軍を追討するべしという建議が徳川慶喜に対してあったらしいのですが、その際慶喜が家臣に「我が方に薩の西郷の如き者がいるか、大久保利通の如き者がいるのか」と反問したそうです。それを言われ家臣は黙ってしまった、ということですが、その真偽はともかく今の嘆かわしい所もまさにそれだと思うのですがねえ。

これならばより痛みの少なそうな方、ということで相対的に「まだ自民党でも.......」となってしまうのもいたしかたない風にもなってしまいそうで。
最も一番悪いのは「投票しても変わらない」などと悟った風な事をいい「投票しないことが自分の意思表示」などと言っていた連中ですよねえ。ただ、何処に意思表示をしていいのか。いっそアンチの意思表示として共産党にでも入れるかなあ。公明はありえない選択だし、社民もみずほ君の言うことがあまりにも馬鹿馬鹿しいしから入れる気にならないし。でも今の選挙制度だとそうした弱小政党への票は死に票になる確率が高いんでそれも考えモンなんですよねえ。

2009年5月11日月曜日

理解に苦しむ

保険に限らず、車のことでもよくある断わり文句が「つきあいがあるから」です。
まあ、「お付き合い」そのものに関してどうのこうの言うつもりはさらさらありませんし、自分との関係やその他の何がしかがその方より「より貧弱であった」だけの事でしょうから、大概そういわれると「ああそうですか」とか何とか言ってさっさと話を打ち切り、引き上げてしまうのが常です。

そうした話の仕方は第三者であるはずのお客さんに対してだけではなく、近親縁者に対してもそうで、特に身内に対して営業をするつもりはさらさらありません。だって嫌なんですもの。言うのも嫌だし、言われるのも嫌。だから親戚でもありお客さんでもある、という人はそんなにいません。そのほとんどは「向こうから言ってきた」親戚達です。
ただ、身内であるだけに話を打ち切った後でも後日談だけは耳に入ってきたりすることがあります。今日聞いてきたのは車検の話。いちおう自賠責だけは前回やってもらってあったので、車検日だけは把握しており、いちおう念のため車検の案内と概算数字(車検取得金額総額)だけはお知らせをしておきました。

いつもの事ならお好きにどうぞとしか思っていないのですが、今回案内葉書を出したのは、今まで付き合いのあった整備業者が昨年の秋口に「商売を辞める」ということを言って回ってきた、ということを耳にしていたからです。
ただ、辞めたとはいってもその辞めた環境にその整備業者本人が順応しきっていないようでシャッターを閉めてある日もあれば、ちょろっと仕事をしたりする日もあったりと、どっちつかずで多分小遣い稼ぎみたいな感覚なのでしょう。ただ耳にしている範囲ですと、けっこうな請求金額を言っているようです。その程度の舐めた感覚で車をいじられ、ぼったくられている親戚がかわいそうだとも思ったので車検案内の葉書を出した、というのが今回の経緯でした。

今まで耳にしているところで言えばその業者、自分のところで納めた新車にもかかわらず「ぶつけちゃったから直して欲しい」とお客に言われても「この程度のキズなら直さなくてもいい」と言ったとか。パワーウインドウの動きが変だとか言われても「そんなのわからん」「直らん」と言うだけだったり。

その親戚は某H社のフィットを新車でそこから買ったのですが、ドアミラーの根元の塗料が剥げてきている(2回目の車検前時点)事に関して「これでいいだろう」とタッチペンで小汚く塗りたくってくるだけでお茶を濁そうとしてきました。
幾らなんでもそれは酷かろうと思い見るに見かねて、まずは新車保証書を探し出してそのフィットを卸したディーラーを突き止めました。この程度の仕上がりならばメーカークレームの対象になっていてもおかしくないと思ったからです。そして確認を取ったところ案の定メーカークレーム対象のサービス項目になっていました。そして即入庫。翌日にはめでたくミラーの根元は新品の対策品に交換されて戻ってきたのです。
まあ正直な所、街中の業者ってこんなものか?とも思いました。それが全部の平均像とは思いませんが、それでも酷い所は酷いもんだなあ、と。結局こんなもん、で慣れきってしまっていて全てとは言わないまでも自分本位の考え方や行動になってしまい、お客さんといえば搾取の対象以上ではなくなっちゃってきているんだろうなあ、と。

ただそれにもましてお人好しなのがその親戚ですね。はたから見ればその整備業者にとってその親戚はその程度の存在でしかないのでしょうが、親戚からすればお客さんの一人でもある、ということで、それが「付き合いがあるから」という冒頭の言葉になっているのでしょう。でも、その親戚にとってものすごく大口のお客さん、ということならともかく自分の目からしたらそれほどでもなく、じゃあ、随分と気心が通じているのか、といえばそういう風でもない。


うーん。理解に苦しむ。そうまでしてして付き合い続ける意味はないと自分なら思っちゃうんですけどねえ。まあいいけど。

2009年5月9日土曜日

佐久間巡業


今年も行ってまいりました。
ただ、今年は昨年に引き続き雨天でのドライブ。さすがに水窪近辺は標高が1000メートル程になりますので雨天ともなると雲の中になってしまい危ないのもそうなんですが、それ以上に視界が晴れず、せっかくの景色がまったく見えず仕舞い、しかもスーパー林道のある道中はどうも地質的に弱いらしく、あちこちに崩落の痕跡が散見され、下手げな肝試しコースよりも怖いというおまけ付きです。

そんなこんなで晴れたらロードスターをオープンにしてゆっくりドライブと思っていたのですが、昨日まで引き続いた雨の中でしたのでやむなく断念。今年はベンツ君で行く事にしました。
チワワのちっちは柴田の実家に拉致されることになっていたので、今年はぺろは留守番。このためわざわざコンパクトハッチのイストで行くよりはしっかり剛性のセダン車ベンツで行くか、ということになったのです。先日やっと純正仕様の15インチホイールとタイヤ(もちろんミシュラン)が手配できたので足元の不安もありません。

いつもならば、もう少し他の車を見かけるのですが、今年のスーパー林道の道中では先行車に遭遇する事はなく、対向車も3台程度でした。これで晴れてくれれば本当に最高のシチュエーションだったのに。
おそらくETC渋滞というか1,000円集中によって、いつもはここへも来る車たちも高速道路へ行ったのでしょう。おかげで道中は非常に快適で常にマイペース(法定速度位)で行く事ができ、なんだか妙に自宅に戻ってくるまでの時間も短かったような気がします。
うちに帰ってきてテレビをつけると期待通りの渋滞ニュースだらけでした。ああ、行かなくてよかった。
しっかし何でこう「混むことが分かっていながら」、同じ行動をみんなとるのでしょうかねえ。その心理が理解できません。どうせならその逆を突き混まない所に行く、もしくは出かけない、という選択が無いものなのか?と思わずにはいられません。なんだか、ダッコちゃんやフラフープに群がり飛びついた当時の世相と変わっていないんだろうなあ、と思わず納得しちゃった一日でした。

2009年5月4日月曜日

片手落ち

ナビゲーションシステムがまだ黎明期だったと思しきころ(平成一桁時代)、今もあるのだろうけど普段何をしているのか分からないナビ研協会というところの自主規制が話題にのぼったことがありました。

その中で憶えているのは「生活道路をナビゲーション上の誘導道路として表示しない」とか、「あまりにも個人的な情報までナビ情報として掲載するのは如何なものか」といったような内容のものでした。
当時は今ほど個人情報というものに対して意識がなかったこともあり、タウンページにある個人の電話番号や表示地番を地図データとしてそのまま転用しているソフトなんかも散見されました。たしかNTTも希望者には有料で電子電話帳といった感じのものを配布していたような記憶もあります。
もうひとつの「生活道路」に関してなんですが、規制の内容としては確か「4メートル以下の道幅の道路を表示しない・誘導路として検索対象に入れない」といった感じのものだったかと思います。確かにあんまり道幅のない道路は老人や子供の憩いの場として機能している箇所も多く、そこをナビゲーションされた、ただの通過道路としてしか意識していない土地勘のないドライバーの通過は確かに危険な存在になりがちです。また、そうした車輌とも事故が段々増えてきたことも、そういう規制の流れの裏事情にはあったでしょう。そういった意味では先見の明があった、と思います。

ただ、えてしてそういう規制に忠実なナビゲーションシステムは往々にして使いにくいことも多く(妙に遠回りをさせられる、案内が不親切などなど)、ナビ研未加入会社のソフトを指名してくる方も中にはありました。
現在はどうかといえば、さすがに個人の電話番号や個人宅地番を個人名と併記して表示するようなことはしませんが、それはなくてもなんとなく分かるように各社工夫を凝らした表示・案内をするようになり、何とかまともに使えるようにはなってきているようです。

さて、今日、こういうことを思ったのは他でもない、地元村櫛のガーデンパークで行われているらしい「フラワーフェスタ」とかいうイベントの為に4mというほど狭くはないにしても村櫛町のメインストリート兼生活道路(つまりは老人や子供がけっこうウロウロする道路)をバンバン通過する車輌が絶えないことに些か立腹したからです。
確かにガーデンパーク周辺には誘導員が何人となく配置されておりました。ですが北からの進入路である交差点には「ガーデンパークこちら」という立て看板ひとつなく、おそらくナビゲーションに誘導されるがままに(基本的にナビゲーションシステムは距離優先で誘導路を計算する為)そのまま町内を縦断する道に進入してくる他府県ナンバーのクルマが絶えません。今のところ交通事故そのものはないようですが、それはともかく、静かなことがとりえだった村櫛町内が何とはなしに騒々しいのは我慢がなりません。
いちおう町内を迂回してガーデンパークに行く道路もあるのですから、もう少しきっちりとしたルート表示看板なりを設置すれば事足りる(もしくは地元者優先道路とかいう表示)事だとは思うのですが、どうもそういう感覚はないのか、それとも言っても聞いてくれないだけなのか。

地元自治会ではガーデンパーク内に出店をしているようですが、そこでの売上が上がることのみに目が行く事の無い様にしてもらいたいものです。
あともう1点。こういうときに渋滞するからといって、つまらんところで信号機など設置することの無い様にしてもらいたいものです。もうこれ以上村櫛に信号機は要りません。

高速道路の無料化を希望する一人ではあるのですが、浜名湖大橋が無料開放されて以降、マナーの無い車、交通標識の読めないらしいクルマが特に中ノ島(舞阪・雄踏方面への分岐路)に氾濫していて困ります。ここ最近はアサリの潮干狩り目当ての行楽客で駐車場には車があふれかえっている状態です。せめて駐車料金くらい徴収するべきなのではと思ってしまいます。

このため転回禁止、右折禁止道路にもかかわらず、平気で道路上をウロウロしているクルマや人、そして自転車通行道路があるにもかかわらず、わざわざ自転車が車道を走っている姿にも事欠きません。そろそろ交通弱者という逆差別はやめてみてもいいのではと思わずにはいられません。

2009年5月1日金曜日

凧揚げ

今日から5月です。当地浜松は5月3.4.5日と3日間浜松祭りが開催されます。村櫛町は浜松祭りには参加していない地域になりますが、もちろん近隣地域での大イベントですからそれなりに影響は受けます。

まず、基本的には期間中、市街地及び中田島方面には出かけるつもりはありません。紳士危うきに近寄らず、ってなもんで、渋滞するであろう地域には近寄らないのが人間の知恵というものです。昔一度だけ凧揚げを見に行った記憶があるのですが、渋滞がひどくて懲りました。だからあっちには近寄らないのがいいのです。

昨日もそうでしたし、今日もそうなのですが、保険関係の電話が保険会社からや所属事務所からバンバン入っています。もう、うるさいうるさい。自動車関係業務が長かった(い)自分としては、ゴールデンウイークは長期休暇のシーズンという固定概念から抜けられません。
逆に金融業たる保険屋さんは基本的に「暦どおり」の休み方をするところがほとんどのようですから、なんか違和感があります。だって、特にここ浜松では凧の時期は何もかも止まる、って感覚が強いですから。自分は天邪鬼なセールスでしたので却って3月よりも4月5月が忙しいことが多ったのですが、普通のセールス(特に来店客待ちが主な契約ルートのセールス)は、この時期ほとんどお客さんなどは来ませんから、それこそ連休中明けはどうしよう?ってな感じでした。

今年は例年になく経済状況が厳しいようで、凧関係のご商売をされている方も今年ばかりはなかなか厳しい局面を迎えそうな感じです。袋井の花火も今年は中止になるって事だし。