2009年2月5日木曜日

今日のお仕事

昨日は、1日休みにしました。個人事業主の特権です。
しばらく何かと動き続けたので、集中力を切らさないように、気持ちを途切れさせないように、ということで丸1日休みの日、と決めてしまいました。これが火曜日の事。

実際には電話が何本か入ってしまったため、完全に仕事抜きという訳にもいきませんでしたが、まあ、ほとんど抜け殻のようなだらしなさで一日を過ごしたのでこんなものかな、というところでしょうか。
それでも前日(火曜日)までに手配してあった部品などが届いたので、その部品取り付けの段取りで何本か電話連絡をしたところ、何とはなしに明日(つまり今日)の予定がなんとなく埋まっていってしまいました。午前中、Oさんのパジェロミニに、マルチメーターを取り付けにいく。午後、Mさんの勤め先にいってカルディナのドアミラーを交換する。帰ってきたら、僕のロードスターに純正オーディオをつけ直す。あとはその場その場の臨機応変スケジュールということで。

ちなみに、僕の経歴にメカニック関連部門への従事期間というのはありません。当然整備士免許なんてのも持っていません。
ただ、トヨペット時代、止むを得ない大人の事情というものがあって工場のメカニックに仕事を任せるよりは自分で動いた方が、はるかにストレスが少なく、はるかに進行具合の把握が容易で、しかも安心、ということに気がついた(行き着いた)結果、エンジンやブレーキなどの保安部品の調整・整備こそしませんが、そのほかの症状診断や大雑把な修理見積、簡単な部品交換、用品の取り付け、はてはナビゲーションの取り付けなども自分でこなすようになりました。
このため今回のメーター交換やドアミラー交換などは当然の如く自分の工具を一揃い持ち出して、その場でお店を拡げて自分で作業するのです。このほうが早いし、時間も短く、お客さんとしても安くあがります。

そんな具合で、途中途中何本かの電話を受けながら、事務処理の段取りなどを指示しつつ、時間調整をしつつ、さっき帰ってきたというような具合です。



ところで、安堂さんの「らかす」では相変らずクルマ遍歴についての連載が続いています。何とはなしに文章にツヤが乏しくなってきたような気がしないでもないので、いい加減連載に対する興味というか気力が薄れてきているのかな?と感じなくもありませんが、それはそれとして。販売員とのやりとりが掲載されているので、それについての感想を。

「BMWの加速が急に悪くなって、エンジンを切って再始動したら、なんともなくなった」。
これはエアマスセンサーだろー、というのが第一印象。エアマスセンサーとは、空気の流入量や流入温度、流入速度などを計測するセンサーです。これが不調になると、空気の流入が悪くなったとコンピューターが判断し、一定以上のガソリン供給を制限します。つまりエンジンがふけなくなる。
コンピューターの自己診断履歴に残っていないというのは、ただ単にエンジンを切ってしまったので、その時までの履歴が消えてしまい、エラー信号がメモリー上に残っていないだけでしょう。けっこう、こういうのありますからね。チェックランプがついたらそのまま持ってこないと診断履歴が消えてしまっているというクルマ。
BMWの保障修理規定がどのようになっているのか知りませんが、それでもやたらめったらな保障修理を受け付けてばかりでは利益がなくなってしまうでしょうから、おそらくはコンピューターの自己診断画面のコピーを添付しないと保障修理による部品交換を受け付けないだとか、そういう規定でもあるんじゃないのかな?と邪推してしまいました。
ただ、この後に続く「保障期間が過ぎても......」という安堂さんの要求箇所については、かつてディーラー側にいた人間からすると「そりゃ無理だろー」という感じですかね。だって、このときは不調が(勝手に)直ってしまっているわけですから。不良箇所の特定すら出来ていないんですし。自分が担当者なら苦笑いして誤魔化すしかないよなーという印象ですね。「そうですねー」とかいいながら。

エアコンのパイプについては、文章を目で追いながら「これエアコンのドレンパイプ絡みの事だろうな」と思いつつ読み進めていったらやはりエアコン関連の事でしたね。
「設計ミスじゃないの」という安堂さんのコメントもありましたが、欧州車ではこの程度の煮詰め不足は日常茶飯事だと思っているので、まあこんなもんだろうな、と。新車といっても常に完璧ではありえないし。


さて、お次は「ヘッドライト内に進入した水滴」。安堂さんは「白内障....」という表現をされていましたが。
トヨタ車の場合、樹脂レンズに変更され始めたあたりから、こういった症状をよく目にするようになりました。特にハイエースワゴンに多かったような気がします。あとはデザイン的に「薄型のレンズユニット」の車に比較的、この水滴が中に侵入しレンズが曇る症状が多かったようなそうでもないような。
確かに新車を納車して、すぐにこんな状態になったということであれば、お客さんの「新車を買ったんだ」という感情もありますので納車後1年間程度まではメーカークレームとして処理してレンズユニットごと新品に交換していたと思います。多分途中から対策品も出たように思います。
ただ、1年を過ぎたあたり、限度としても2年くらいまでじゃないかなあ、と思うのですが、これ(水の浸入)を言われるとどうしようかな、ということになるでしょうねえ、実際。販売店の側としては。「(担当者は)言を左右にした」と文中にはありますが、通らない保障修理を上げても、誰がその分を負担するのか?ということになりますからねえ。工賃はともかく、部品代を。
まあ、理屈としては水が入ってきた箇所があれば抜けることも可能ということでしょうし、こういった症状の車でライトユニットそのものがダメになったという車は、少なくとも自分の担当車・担当期間の中ではありませんでした。構造を思い出してみても結線の露出しているような所はありませんし、元々ある程度水をかぶっても良いような設計だったような気がします。

というわけで「数日間のドック入り」期間中に行われたのはおそらくヘッドライトユニットの分解・清掃とパッキン部の再シーリング加工かな?というところでしょうか。部品代が出ないように、でも工賃は別請求でメーカークレームを上げて、といった感じかな。ヴィッツの中古車で、おそらくこれに類似の作業が行われていたっぽい痕跡のある車を見たことがあります。

でもまあ、今まで言ってきたことはあくまで販売店内部の内々の事なので、別にお客さん言うべきことではないですし、お客さんとしてみれば、内部でどういった処理をされていたとしても希望の状態になっていさえすればいいわけですからねえ。
ただやっぱり改めて、新車のケアって大変だなー、と。そう思いました。いろいろあったなー、と、ちょっと遠くを見つめる目をしちゃったり。

では今日のところはこの辺で。


2009年1月28日水曜日

ファーストコンタクト

自分と自動車保険とのファーストコンタクトはトヨペット入社時の新人研修における「自動車保険」の講習でした。
その後、各営業に配属されてから間もなくオートバイとの接触事故を起こしてしまいました。「事故・保険」との関わりはこれが事始めということになります。もちろん事故処理に関しての周囲からのアドバイスなどあるはずもなく、全て自分でやりました。つまり、最初から「保険をどう使って、保険とどう付き合っていくか」という関わり方をしていたことになります。そして根底では今でもこのスタンスに変わりがありません。

ですので本音で言うと「保険契約を取る」ということを出発点としていないので、自分の知人が何処で保険に入っていようと関係ない、という気持ちはあります。というか、そんなこと(保険契約を集める事)で頭を下げて回りたくない、という気持ちが強いので実際友人・知人・親戚・血縁関係にお願い営業をしたことはありません。まあ、所謂やせ我慢でもありますが。
ただ、トヨペット時代にお付き合いがあったお客さんには「すみませんがこれからもお付き合い願えますか?」と言って回ったことはあります。

いわゆる出発点というか、自分にとっての終着点は「クルマを維持管理していく中で、突発的に起きた事故やトラブル・修理やメンテナンス(車選びや周辺知識なども含めて)に関して、如何にお客さんに負担感を感じさせることなく、そのクルマとつきあていって貰えるか」というところでしょうか。自分の配っている「オートサービスシバタ」のカレンダーに入れてある「クオリティ・オブ・ライフ」の一文にはそういった意味を籠めたつもりです。

人によって車の占めるウエートは様々ですが、かといって車にばかり関わっていられるほど一般の方は暇ではありません。仕事や趣味、家のことや家族のこと、次から次へと難問は降りかかってきます。そんな中で車に神経を割く時間は決して多くはないと思います。
特に事故ということになれば、気に病む事は山ほどあっても、それに髪を引っ張られてばかりはいられません。とは言っても次から次へと保険会社からの電話が鳴り、矢継ぎ早に質問を浴びせかけられるものです。
そんなときに、近くにいて、いち早く着地点を探し出して如何に痛みの少ない決着・解決を見るか。如何に「こうしたらどうですか?」という気持ちの落としドコを提示してあげられるか?それが自分の本領だと思っています。

そんなスタンスなので正直な所、気持ちの入らない方、付き合っていて、こちらの気持ちの乗らない方のフォローをするのは気が重くなります。
もちろん仕事として割り切ってしまう人(代理店)はそれでいいのでしょうが、こちらとしては一人ひとりのお客さんに対してそれなりの気持ちの入れ込み方をしていますので、こちら側から保険継続を断わるケースもあります。まあ、別に保険なんかは何処でも入れますし、毎年何かしらのトラブルがあるわけでもないですし。形のない商品ですから、いくらでも売ってくれますしね。

ですが、自分の時間や情熱の量には限りがありますので「あなたには売れない」と思えば売らないこともありえるわけです。今お付き合いのある方の中には「保険のみ」のお付き合いの方もありますし、「クルマの事だけ」お付き合いのある方もあります。もちろんその方それぞれに今までの経緯や仕事のご関係があるでしょうから、自分の商売上のこととしてはともかく「どちらも」という強制はしません。
でもイザという時になってフォローをさせていただくにあたって、色んな所でぼろの出ることはあります。保険なら保険で「最初の受け入れのところで」契約内容をこうしておいて貰えれば.....、ということですとかね。もちろん加入時には其処を信用されているのですから其処から保険に入っているのでしょうが、担当者がどこまでのレベル・意識の人か?なんてこちらには分かりませんしねえ。

結局は門構えではなく、担当者個人の意識次第という話になってしまうんですけどね。例えばいくらメーカーの看板を掲げた工場であったとしてもクルマを触るのはメカニックという一個人ですから。

2009年1月27日火曜日

示談交渉

昨年末、事故をされた方がありました。事故形態は、よくある(よくあっては困るんだけど、)一旦停止無視による接触です。こちら側の契約者は直進中で、相手側が一旦停止無視という状況でした。

まあ、基本過失8:2の状況ではありましたが、保険会社には「出来れば9:0もしくは8:0での示談を希望している」旨を最初から指示しておきました。つまりは「こちらが無過失であるとは言わないが、あなたに保険を使うつもりがない」ということですね。

ただ、当初から気にしていたのは日産ディーラーに、直に入庫をしてしまったということです。別にそこで自分が間に入ることによって中間マージンを.....、ということも考えなくはありませんが、それ以上に示談が長引いた場合のことを気にはしていました。
もちろん保険事故とはいえ修理工場としては、あくまでも車の所有者から修理依頼を受けているわけですから請求先は所有者へ、となります。御金の出何処がどこであろうと、これは関係ありません。つまり示談が長引いた場合、事故内容に関わらず車の持ち主に「早く払ってください」と言ってくる訳です。
最終的に示談が済めばもちろん保険会社から過失分の支払が行われるわけですのでトータルとしては帳尻は合うのですが、この辺が理解されず、結果示談を急いでしまうことがママあります。


例として。30万円の修理費がかかった事故があったとします。過失割合は相手8、自分が2とします。つまりは24万円を相手から貰い、残り6万円を自身の車両保険で賄うか、自費で払うか、という事故です。
示談がつかなくても車両保険に加入していれば車両保険の先払いをしてくれるので30万円という修理費が確定すれば、それは先に指定先に支払われます。相手から貰うべき24万円は、後から保険会社同士で精算をすることになります。

車両保険に入っていなくて示談が完了していないとき。修理工場は回収の締めもありますので、30万円の修理費の督促を保険会社ではなく車の所有者にします。まだ示談が済んでいないと言われれば、「早くお話を済ませてくださいね」くらいのことはいうでしょう。
ここで自分が先に30万を払ってしまい、保険会社から24万円振り込まれるのを気長に待てればいいのですが、なかなかそうする人がいないのが現実なわけです。
自分の主張に固執するなら、そうすればいいじゃん、とか思うのですが、大概「立替払いも嫌だけど、譲るのも嫌」という方向に話が向いてしまうのが普通です。で、保険会社に不満がたまっていくことになるのですね。

出来れば車両保険には入っておいてください。もしくは、すぐに動かせる現金を常に幾らかは手元に置いておいて貰い、じっくりと腰を据えておいていただきたいと思います。「あせる何とかやらは貰いが少ない」とは言いますが、けっこう当っているな、と思う今日この頃です。

2009年1月17日土曜日

買い物が止まらない

2年ほど前にMA-1というジャンバーを買い換えました。

あ、ちなみにMA-1というのはベトナム戦争の頃までアメリカ軍の航空機パイロットに支給していた、搭乗時に着るための防寒ジャンバーです。現在は防寒の為というより耐火性能を重視した物に切り替えられています。

なかなか長持ちしてくれた奴で、途中捨てようかと思ったこともあったりしたけど、なんとなく勿体無くてそのまま着続け、とうとう20年の御年を迎えることになってしまいました。

買い換える(とはいってもまだ椅子の背もたれにかけてある)きっかけはウチの柴犬ペロ輔のいたずらです。とにかく子犬の頃はあちこちガジガジかじっていてそのうちこのMA-1の袖のニットが餌食になってしまったというわけです。さすがに袖がヨレてしまう様を見て嫁さんに「いい加減換えたら?」と言われてしまいました。

とはいいつつもこれに特に不満があったわけでは無いので、つぎもMA-1で良いやと調べ始め、とあるものを買ったはいいのですが、それをきっかけにフライトジャケットを買いあさる癖がついてしまい、未だにこれが止まりません。困ったものです。

最初に買ったのはバズリクソンズというメーカーのMA-1でした。久しぶりに買った新品のMA-1はこれでもか、というくらいに分厚く「これが本物だぜ」という雰囲気をぷんぷん漂わせる逸品でした。

基本的に柴田は手荷物というのが大嫌いです。普段は仕方なく鞄なんぞを手にしていますが、特に持ち歩かなくてはいけない書類さえなければ、とにかく手ぶらでいたい人間です。もちろん最近は余計な書類は持ち歩くな(個人情報流出を防ぐ目的の為)というのが保険屋の常識ですから、これに倣いパソコンを持ち歩くことも殆どしません。
ただ、困るのがお客さんの先々で保険屋の顔とクルマ屋の顔を縦横無尽(というほどでもないけど)に使い分けるのでスーツの上下では少々やりづらい事態も生じてきます。このため最近は下はスラックス上はYシャツにネクタイでも、その上はジャンバーを羽織ることが多くなってきました。靴はもう面倒くさいのでスニーカーで行く事が殆ど。ただ、あんまりぱっと見に変でもいけないので黒いもの(大概はナイキのfreeシリーズ)を履いています。
ジャケットを着なくなると困るのが、小物類の収容場所です。財布に手帳、電話などなど。こんな具合ですからポケットの数が多く、大きさも余裕があるMA-1はとても重宝するのです。

そんな訳でMA-1を買ったのはいいのですが、バズリクソンのMA-1は逆に良すぎてしまいました。つまりは品質や質感が良すぎて、却って普段着ていくには気後れしてしまうのです。このためバカな話ですが、普段使い用に、もう少し安めのヒューストンという所(自衛隊員に支給する為の官給品を納入している会社らしい)が作ったMA-1を買い足しました。これが後に更に尾を引く事態を引き起こすことになります。
この安いヒューストン製を手にしたことで「あ、ここのこういうところでコストの差があるのか」という値段の差の理由を明確に把握していけてしまう特典を手にしてしまったのです。
例えばファスナー。バズリクソン製ではファスナーの歯の材質にアルミ鍛造品を使っています。ヒューストン製はおそらく真鍮プレス品。もちろん、オリジナルのMA-1では「軽い」ということでアルミを使ったのでしょうが、更に鍛造製品ということでエッジが適度に丸くなっており、バズリクソン製のファスナーは非常に滑りがいいのです文字にするとシュルシュルって感じ。これがヒューストン製になるとエッジが立っているせいか、ガジガジ・・・という感じでファスナーがしまっていきます。また、このエッジのせいでしょうけど、ファスナーの歯が生地に触れる際に少々かじってしまうのか毛羽立ってしまっている所があります。かえってプラ製の歯の方が良かったのかも?と思ってしまうくらい。
その他には生地ですとか。特にその染めなのですが、近年の糸の染色は反応性の染料で染めます。利点としては非常に均一に染まるのが良い、ということなのですが、逆に生地の表情に乏しい物となってしまいます。昔は染料の入った圧力釜に生地を入れ、120度で3時間煮るなどといった工程だったため、悪く言えば染まり具合に斑が出来ることもあるが、織りあがった状態の生地の表情が豊かになるということもあります。例えば藍染の生地などがいい例でしょうか。
で、やっぱり昔の染めでやっているらしいバズリクソン製は表情が豊かな生地となっています。比べるとヒューストン製は均一すぎてのっぺりとした感じ。

こうなると、変に目が肥えてきてしまうので、他の衣料も「きちんとしたつくりや材質の製品」が欲しくなってきてしまいます。とはいっても一定品質以上を求めてしまうと価格も一定金額以上となってしまいます。例えばこれ以降に買った防寒用のフード付・ハーフ丈のジャンバー(結局これも軍用品のレプリカでN-3Bというタイプを選びました)が約10万円。革ジャンバーが約13万円といった具合です。もちろん定価で買った訳ではありませんが、それでもそれなりの金額は払いました。とっても満足はしていますが。

困るのは、こういう品物を置いてあるお店が浜松には非常に少ないということです。
まあ、当然店側としては在庫が残っては困るでしょうから、ある程度売れそうなものしか仕入れません。つまり見栄えのいい「安い」物が主流になります。これは結局「どこでも売ってる、何時でも手にはいる物」ということに他なりません。
仮にそういう「一般的でない」品物を売っているお店に行っても、更にそこから柴田サイズに適合するものがあるのか?というハードルが待ち構えています。こうなると先日見に行ったアクアスキュータムのトレンチコートもそうですが、仮にお店は在ったとしてもサイズがない。もしくは全国に1着しか在庫がない、ということも1度や2度ではありません。つらいところではありますが。

こうなると、本当に欲しかったものなら「あるときに買っちまえ」という事になりがちになってしまいます。どうせこの先、早々巡りあうものではないんだから。
また、昨今の景気状況は世の中の品物を「安いもの」主導にしつつあります。別に安いものでも構わない事柄や物もいっぱいありますが、ちょっと気を抜くとそれは「貧相」と紙一重になってしまうのが怖いところです。で、そこには落ちたくない。やっぱり人間見た目で判断されますしね。

ということで、「これは・・・!」とか思っちゃうと買い物が止まりません。
誰か何とかしてください。嫁さんに怒られるのが一番という説もありますが。

2009年1月12日月曜日

空回り

最近、コロパパさんのブログにコメントを書き込めなくなっているので直接感想を書き込めないのが残念なのですが、ここのところのキーワードは「空回り」なのかな、と。

おそらく戦後6千万程度の人口であれば、今の体制でもなんとなくやっていけたのであろう、と思うのですが、現在は1億3千万弱の人口のようです。つまり倍以上になっているわけで。
結論を先に書いちゃうと、明治維新以降なんとなく成立してきたであろう現体制は、規模やその深度などに既に対応しきれていないのでは?ということです。しかも切り盛りすべき立法府・行政府が既に住民から見放されているのではないのか?と思うほどの支持率の低さ。
右肩上がりできた戦後40年ほどまでは「今が良ければ良いや」とか植木ひとしの「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ」を地で行く有様で、「まあ、いいや」であったものが、ひとたび悪くなると、その無能さや実行力のなさ、責任感のなさ、決断力のなさ等諸々の負の局面の露呈となってしまっているのかな、と。


ではどうすれば、という事になるのですが、結局は「現場の事は現場の人間にしか分からない」という事なのかなあ。つまりは役所の何々課という役の人よりは、現地のというか実際の住民に判断をゆだねる、ということもしていた方がよくないかい?と思うことが往々にしてあるわけで。ただ、役所の人間はその立場を生かした「ジャッジメント」に特化した方が良いのでは?と思うのです。
民間会社でもそうでしょうが、上役の重要な役割は「下っ端では分からない・見えない局面を想定した上での方向付けという面を含んだ決断・判断とそれに伴う裁量」だと思うのですが。
この権限を任されるからこそ、下っ端と同じレベルの仕事はしていられないし、判断の元となる情報は常に入れていなければいけないし。現場の状況がわかる・常に事業の方向性との整合性を図る、もしくは事業の方向性の着地点を探る、というのが上役の業務でしょう?で、これが上役達の給料の原資なわけで。

ただ、景気がいいときには「何もやらない」というが結果的によかったり、仕事の1つと看做されてしまたりすることもあるわけで。



医療費ということだと、実際の所、年金がそのまま介護費に流用、という事になっている人も少なからずいます。また年金イコール浜松オートへの移動タクシー料金と博打(パチンコなども含む)の原資という事も往々にしてあるようです。
そういうことを見ていると、年金という制度そのものが「これで良いのか?」とも思います。つまりは「飼い殺しほど人間を腐らせるものはないのかな?」という疑問もあるのです。小さな幸せと言えば聞えはいいのですが、「それが博打かよ?」とか、年金制度が基本的には賦課制度なんだから、いくら働いていたからといってあなたが貯めていたお金ではないという事や、年金の負担はこちら側が負うことになるんだよね?とか。
確かに以前「40年も律儀に働いてきた」人が、老後というか第二の人生をゆとりをもって暮らすという事に対して夢を抱いてはいけないのか?というきついお言葉をいただいたこともあります。もちろん自分がその時になったとき、今の自分と同じ言葉が吐けるのかな、という事も念頭にはあるのですが。

どうせなら、もっと自己責任という部分を考えた方がいいのでは?とも思ったり。


ただ、それらはさておき、公務員というか、行政に関わる方々に対して。
既に住民の期待に答えうる団体になりきれていないような気がします。つまり、自身の給料の原資を集めるだけの期待に応え切れていないというか、住民が給料を払いたくない団体に成り下がっていると言うか。つまりは株主に「NO」を突きつけられている、という自覚はないんだろうなあ。自分は一生懸命仕事をしているという自己満足なだけで。
団体交渉権がないから、とは言いつつ公務員組合はあるわけですし、実質圧力団体にはしっかりなっているわけで。

もう一度原点というかねえ。「私らの生活が」という場面もよくテレビなんかで報道されていますが、それなら生活レベルを落とせば良いじゃんとか、おもっちゃうわけで。自身が「プチ小室哲也」状態という事がわかっているのかなあ。自身の現状の生活が大事なだけでしょ?とかね。内需拡大が、とは言いつつ日本人って溜め込むのが好きだからねえ。
政治家からすれば、例えば前回の浜松市長選とかも大差で康友君が勝った、というわけではありませんから公務員票がかなり重要になってくるというのは分かるんですがね。ただ、公務員の生活第一では実際の納税者が枯れてしまうわけで。
ならば「日曜の・しかも日中」しか投票時間がない(つまりはそういう勤務体系の人しか投票できない)投票時間を「ネット投票でも良いよ」という事にしてみたり、いっその事「公務員は、在職中は投票権が停止される」なんていう措置を考えたこともあるんですが。


そんなことをウツラウツラと思ってしまう休日の午後なのでした。

2009年1月7日水曜日

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。相変らずマイペースな更新ですが、ボチボチやっていこうかな、と思っております。

さて。昨年末から会う人ごとに「自動車業界は大変だねー」と慰められてしまいました。皆さん気にかけていただきありがとうございます。でも。
これはパーセントと金額と、という話になるのですが、例えば年間1000万円収入の人がいたとして。所得税か何からで40%の税引き分があったとしましょうか。すると残りが600万円になるわけです。
で、あるとき税金の控除どうのこうのの変更という事があり控除分が30パーセントになったとするとその差額は100万円にものぼる訳ですが、同じ割合で年収500万円の場合は50万円という事になるわけです。額面だけで言われれば50万円の差ではありますが、その印象は人によって、場面によって様々である訳で。
つまりは自分の場合そんなに手広い商売になっている訳ではないし、保険とクルマ関係というダブルインカム(言葉はかっこいいけどトータルはそれほどでもない)なので、まあ流行の言葉で言うと「リスクヘッジ」をしているということになるのか?パーセントといわれても元の金額や数値があっての話なので、元が少なきゃ「えへへ」という程度の被害額でもあるわけです。


そういうことはともかくとして、元ディーラー人としての感覚で最近の状況を見ていると、3月頃にもう一波乱あるだろうなーと。
というのは、自動車ディーラーって4月から延々溜め込んできた累積赤字を2~3月の増販時期に一気に取り戻すというサイクルを延々とやってきた業界のようなので、ここに来て赤字を埋めきれない所ってけっこうあるだろうな、と。聞くところによると12月頃の話では営業所目標数字の約半分も消化できるかどうか、という状況のようですからねえ。
おそらくは目標数字の実態としては本音8割、採算分岐6~7割というところでしょうから、半分というレベルは危険水域だろうな、と。そうでなくても国内販売は低迷しっぱなしな訳だし。メーカーとしても端から黒字化は諦めているだろうし、せめて足を引っ張らないで、とは思っていただろうけどドル箱である海外があの調子じゃあねえ。

イスラエルの戦争話が出ていますが「戦争ほどいい商売はない」という観点からすると、戦争するだけの体力がなくなってしまったアメリカの代わりにイスラエル自身が一発花火をあげようかと動き始めたのか?というのは根性の曲がりすぎた、穿った見方なのかなあ。

車の話に戻します。
今回の自動車業界全般に及んだ波乱は「新車が安すぎる」という事に尽きると思います。「嘘こけ、高けーよ」と言われそうですが、その実200万円クラスの車では諸経費分が40万円近くにのぼります。結局値引き分は税金の補填でしかなく、いくら値引きをかけても車輌本体価格以下の金額で車を買うことなど、下取車価格を考えない限りありえない話であると言うのが現実です。
ではその車輌本体の金額の内訳ですが、以前書いた通り、ディーラーへのメーカー卸価格は8掛程度です。仮に本体金額200万円とすれば仕入れは160万前後。この金額が工場出荷後3ヵ月後の手形でメーカーに入金される訳です。
仮にこの車が月5000台、モデル期間5年の生産計画だったとします。そうすると累計生産台数は30万台。この台数の売上で全てを賄わなくてはいけません。先ほどの出荷価格160万円の車で考えればトータル4800億円の売上ですが、これで全てを何とか工面しなくては自動車会社は赤字になってしまいます。開発費用は大体1000億とか2000億と言われます。仮に1000億としたって残りは3800億円しか残りません。これで車の材料費から人件費から広告費用や設備投資分やメーカーの儲け(純益)を出さなくてはいけないのです。
仮にこの半分がクルマにかけられる生産原価とすると1900億。とすれば1台あたり63万円強。1台当り約3万点の部品で構成されているといわれますから、平均部品単価は21円程度となってしまいます。この金額を見てどう思うかは人それぞれでしょうが、現実はこんなものです。メーカーの営業努力ってすごいと思います。ほんと。
逆に予想が大外れの方向に振れて売れてしまった場合。例えば初代のオデッセイとか。こんな時にはメーカーは笑いが止まりません。最初に計算してある必要経費は台数が増えたところで変わりませんから、売り上げ増はそのまま丸まる儲けとなるからです。当時のホンダも秘かに「潰れる」という噂すらあった経営状況でしたが、この一発で形勢逆転でした。今の「国内2位のメーカー」という称号も元を辿ればここが出発点(というか転換点)でしたね。あとは初代デミオとか初代FFファミリアも似た様な経緯だったと聞き及んでします。

今回の一斉減産の場合。元々想定していた償却金額が重くのしかかってきます。こうなれば形振り構っていられなくなるのは当然かな、と。派遣を切ろうが、広告効果に疑問があるようならば広告出稿を止めるとか。旗振り先導役としての経営陣の責任問題は当然としても、次の車の開発は既に進めているわけですし、次の給料日は迫ってくるし。出るものは出て行くわけですしね。

こういう流れを見るにつけ惜しいと思うのは「レクサス」の失敗です。部品一点の原価が10銭上がってもいいから必要な所には必要な金額を費やした、良質なコンセプトと、それに基づいた車を作り、1台1台丁寧に売る、というモデルを築きそこなっている訳ですからね。適正規模による適正利益、というスタイルを手にするチャンスだったハズなのに。蓋を開けてみればクルマにではなく飾り付けにお金がかかった、ただ単に利幅の大きな商品に仕立てられたクルマを「上質」という包装紙に包んで売るという、いかにも薄っぺらなものになってしまいました。
ノリタケのティーセットとかスナップオンで統一された工具とか、どうでもいい部分にコストをかけた店舗など見向きもされないのは、いわば予想された結果だったと思うのですがねえ。
自分もベンツC200を持っていますが、単に良質なクルマが欲しかっただけでイコール高額車というか、ありていに言うとクラウン・セルシオ・シーマ・セドリック・グロリアあたりの飾り立てられたお座敷列車のような、しかも周囲にも押しの利く車が欲しかった訳ではありません。まあこれらの車は結果的にはベンツの顔(グリル)もが表層的に採り入れられていますから同列の所謂「高級車」と周囲には認識されがちなのが残念ではありますが。

ある程度の生産規模でないと適正レベルの利潤すら出てこない、つまり更に更に増産を追い求めないと利潤を増やせないシステムは「減産」の一声で「食えない」状況になってしまいます。特に部品メーカーや孫請(2次)以下の下請けにとっては死活問題でしょう。

どこかの自動車雑誌に「新車金額」で販売する「レストアした中古車」を売る、という商売を目にしました。メーカーとしてはあんまり面白くない商売でしょうが、でも、レストアされるだけの『愛情』の対象とされるだけのクルマを作ってほしいという気持ちはあります。
以前、自動車評論家の舘内さんが「人数を集めて、こちら側の欲しい車をこちら側主導でメーカーに作ってもらう」という事を提唱していたことがあります。実例で言えば「クロネコヤマト」のウォークスルーバンですね。あれは一般販売もしてはいますが、元の企画はヤマト運送による持込企画です。「うちには何台の車があり、○年周期で代替をしています。年間代替台数は何台にのぼりますが、こういう車を作ってくれれば必ず年間何台買いますから作ってください」ということです。
よく耳にするのは「AE86」を再販してくれれば、というものだったりとか。でもまあ、ああいうクルマを欲しがる人は得てして「口ばっかり」という人が多いのできちんと前金で何割かはメーカーに渡さないと無理でしょうが。
何年か前に発表されたアルテッツアは惜しい企画だったと思うんですけどねえ。


まあ、いろいろ思うところの多い昨年末ではありました。なにはともあれ自分のできる範囲で今年もやっていきたいと思います。ほどほどにお付き合いくださいませ。

2008年12月30日火曜日

言ったそばから

昨日、今日と2日かけて本家「しばた新聞」をお客さんに配ってきました。

元々この印刷バージョンの「しばた新聞」が本家になります。A4の両面印刷で10ページ前後というスタイルです。内容は「イヌネコ通信(ウチのペットの四方山話)」「役に立つかもしれない保険の話」「歯医者への道」「「オーディオの部屋」などなど。WEB版「しばた新聞」と比べると、少々内容がソフトになっています。原則毎月一回発行で今回が31回目。最初はトヨペット時代のお客さんと、現在の保険契約者、車のフォローをさせていただいているお客さんということで300部ほど作っていました。現在は200部程度です。

その中で、「柴のペロを可愛がらなきゃ、、、、」なんていってた傍から、いきなり昨日の夜、言葉通り「飼い犬に手をかまれて」しまいました。とほほ。今現在は右手に包帯をしている有様です。まあ、犬同士のいがみ合いに割って入ろうとした自分も悪いのですが。

ただ、ご主人様に歯向かった罪はとてつもなく重いので、これはきっちり思い知らせてやらなくてはいけません。ここで甘やかしては一生舐められっぱなしです。ヤキを入れるべきときには容赦なくやるのが僕の流儀です。
思い違いをしていただきたくはありませんが、これは虐待ではありません。躾です。まあ、感情がまったく混じっていない、といえばウソになりますが、この辺は人間の子供でも同じじゃないのかなあ?当然、限度というものは存在しますが。子供はいないんで分かりませんが、少なくとも自分はそうされてきたように思うのですが。

そんなわけで、いがみ合いの興奮冷めやらず唸り声が収まってもいない、その直後に首根っこを押さえつけ、きっちりご主人様のご意向を叩き込んでやります。反撃する元気のあるうちは、こちらも容赦しません。あくまでも優位にあるのはどちらなのか、きっちりと分からせなければ、我儘な所がいつまでもそのままになってしまいます。

そんなこんなで一晩が過ぎ、朝になって出かけるときに見たペロは、なんだかいつもよりもおとなしく見えました。
そして夜。最初は嫁さんが散歩の紐を握っていた為か、フーフー言いながら紐を引っ張っていたので選手交替することに。交替直後は紐を引っ張る気配がしましたのでこちらもぐっと紐を引き、選手交替をしたことを分からせてやったところ、とてもおとなしくなりました。よしよし。まだ昨日の記憶が残っているようです。
もう少し様子を見る必要はありそうですが、いつまででも怒っているように見せると犬の方がもたなくなりそうですので、適当なころあいを見計らって、いつもの接し方に戻そうと思います。明日のペロの様子はどんなだろうかと、ちょっと気を揉みつつ、今日はこの辺で寝ようと思います。