2010年6月2日水曜日

キャッチフレーズ

とりあえず昨日は損保ジャパンから電話が来ていません。こちらの損害額がある程度出て来て、おそらくあちらの金額も出ているでしょう。あちらの代理店からの報告は既に入っている(もっとも、現場を見てもいない第三者からの報告があてになるのか?という気もしますが)し、こちらの被害状況を見ているということは、あちらとしても現場状況を既に抑えているでしょう。
そこまで来ているのならば、あとはどの程度の按分にすればいいか?という相手側への相談だけの筈なんですけどね。

もちろん、保険会社の担当者といえどもイチ会社員であることには変わりありません。上司がハンコを押してくれそうな、報告書として通りそうな、上司への説明もつきそうな示談内容であるかどうか、が担当者にとっての焦点です。

新車セールス当時の事でいえば、もちろん車が1台売れるという事が大事なんですが、それと同時に「この値引が、この車の注文書の体裁として通るレベルか否か?」という事が彼女・彼らにとっての最重要課題であろうという推測はします。

当然、支払保険金が上がる、という事は保険会社自身の利益部分を削る、という事につながる訳ですし、保険会社にとってのお客さんは、中に居る人間にとっては実は代理店です。代理店連中の損害率(預かり保険料に対する支払保険金の比率)を引き上げるような示談内容をそう簡単に請合う事も、担当代理店への報告義務の手前しにくいでしょう。この数字は代理店手数料料率を決定する指標数字のひとつなんですね。


もちろん、正当な賠償責任行為を全うする、という事に対しての云々を言い出されると、これまたバランスの取り様が難しいポジションなんでしょうけど。おそらく彼ら自身の目標数字というか、支払い保険金の上限数字バーというものもあるでしょうし。




それはともかく、キャッチフレーズ。


クルマの世界でのキャッチフレーズで、ある程度知名度が高く、しかも随分刷り込み度の高かったモノとしては、やはり「
いつかはクラウン」でしょうかねえ。
ビックリしたのは、私が静岡トヨタの就職説明会の時に、一緒に説明を聞いていた学生で、「あのCMはよかった」などとしたり顔で頷いていた奴がいたことです。何者なんだ?こいつは、と思ってしまいました。

もっとも近頃は「いつかはベンツ」「いつかはBMW」にすり替わっている様な気もしますし、若葉マークのベンツ、ビーエムも珍しくないですから、すっかりクラウンの影も薄れてきた感があります。もっとも、やはりクラウン。金額だけはやはりどっしりとしていますけど。

でも、あれだけ出すのならベンツ・ビーエムも楽に買えてしまうわけですから、そっちに流れるのも分からなくもないか。まあ、逆に言えばそれだけ外車が安く買える・安く売られている時代になったということでもあるのかな。


さて、もうひとつ私がクルマ関係のなかで「これは」と思うキャッチコピー。それは。









「間違いだらけの車選び」








これですね。


実は初めて先日、この「間違いだらけの車選び」シリーズ最新刊「間違いだらけのエコカー選び」を買って今読んでるんですが。


まあ、正直な所、日頃私の思っている所にかなり近いスタンスで書かれていることもあり、あまり目新しく感じる論評には今のところ出くわしてはいません。という事は、昔刊行されていた本もおそらくこういった論調だったのでしょう。いわば「当たり前のことを当たり前に書く」という事なんですが。


もちろん、シリーズ初版当時、こういったことをそのまま書くのが斬新だったということもあるかもしれません。もちろん今だって提灯記事はいっぱいあるわけですから。

でも、これは相当「タイトルの受けのよさ」つまりキャッチコピーに引きずられた面が相当あるのでは?という印象を受けました。これをきっかけに名の売れた人になった分、「更に物事を言い易くなった」、という面と「言い方を鋭くせざるを得なくなってきた」という面もあるのかな?とね。
シリーズ初版は昔、家にあったような気もしますが、当時は挿絵しか見ない人だったので何を書いてあったのかは全く覚えがないんですが。ちょっとくらい読んどけば良かったかな。


タイトルに引きずられた例として近年覚えがあるのは「バカの壁」でしょうか。実はあれも読んだのですが、全く面白くなかった。タイトルとしてのツカミはいいと思うんですが。

あれ以来随分と著者の名前をアチコチで見かけるようになりましたが、本当に皆読んだの、あれ?文章としては全くツマラナイ内容に思ったんですけど。

でもベストセラーにはなってしまったんですよね。




やっぱりツカミは大事だなあ、と痛切に思うこの頃です。ただ、私にはセンスも訓練も足りないので、ああいうタイトルは思い浮かびませんが。


そういえば欠陥車呼ばわりされて、せっかく作った車の運命を台無しにされた例がありましたねえ。ダイハツ・アプローズ。あれ結構いい車だったと思うんだけど。

2010年5月21日金曜日

スゴク痛い 仕事する気になる訳ない

今日は1日憂鬱な日が続いています。その理由は「虫歯」。
1つ下の後輩の開院している歯科医院に定期的に通い続けていることもあり、まさかこういう日がある可能性すら、すっかり頭の中から消去されていました。

痛い。


体の奥底からジワーっと間段なく吐き出され続ける痛み。随分前に扁桃腺の手術をしましたが、その時もこんな痛みを味わいました。


もちろん痛み止めの薬は貰っているのですが、効きだすまでに15分位かかります。胃袋を経て腸から吸収されだし、それが患部に到達するまでは15分位かかるのだな、と当時思い知りました。

扁桃腺はよく痛いと言われますが、何が痛いって、患部をレーザーメスで切除した後、その翌日から点滴じゃなくて、物を食べさせられます。この食べ物が喉元を通り過ぎる際に、まだ傷の塞がっていない患部を触っていく訳ですよ。生傷触られているのと同じですからそりゃあ痛いに決まってます。
で、これが傷口が塞がるまで続く訳ですから、たまった物じゃあありません。これれが痛い正体だったわけです。今回の痛みも、此処までではないにしても、でも、すごく痛いです。


今回は、思い返すと18日の夜が苦難の始まりでした。


毎晩、お風呂に入ったあとは水を飲みます。その時に一瞬、歯の根っこにまで水が回ったような「チカッ」とした感覚がありました。おそらくはあれが発端だったのでしょう。その違和感もその時の一瞬だった為、あれはなんだったんだろう、とは思いつつ丸1日が過ぎました。

で、どうも昨日の夜辺りからジワジワと痛みが。あれー?昨日の事でばい菌でも歯茎に入ったかなあ?と思い、それでも痛み止めの薬を飲み就寝。その後、痛みのため起きてしまったのが午前3時。でもまだその頃は薬が切はじめでもあり、痛み出しの初期でもあり。違和感はあるにしても、それほど酷いわけでもないので仕事に取り掛かりました。
その後、あまりに痛くなってきたので午前7時過ぎには帰宅。バファリンは歯の痛み止めとしても使えることは知っていたので、薬を飲んで15分後。なんだかやんわり痛みが治まりだしました。こうなれば何だか寝ることも出来そうでしたので、ちょっと仮眠。でも1時間半程度で痛み止めの効力が切れ始めて、我慢が出来なくなってきました。これが今日の9時半ごろの事です。

後輩のところに行こうにも、今日は休診日。携帯電話の番号は知っていますが、いくら休診日とはいえ、完全に休みと確定している訳でもないようです。


ということは?ということは。


痛み止めの薬でもって何とか明日まで我慢し通すか?とはいっても、あの診療所は完全予約制ですから飛び込みは受け付けてくれません。仮にそれをしてしまうと、その他の患者さんにシワ寄せが行ってしまいます。何時も待ち時間がほとんど無しで診察施療時間が回ってくるサイクルを私が壊す訳にもいきません。


仕方がないから、近場の歯医者で当座を凌ぐか。それとも、近所の薬局で痛み止めだけ処方してもらうか。


とりあえず、近場の歯医者に行ってみることにしました。

そうしたらなんと、「虫歯です」と言われてしまったのです。とりあえずこの間断なく繰りだされて来る痛みを止めてもらわないことには、どう仕様もありません。後輩の診療時間の空きを確かめられるのは明日ですし、明日診療時間の空きがあるかも分かりません。

ということで久方ぶりに歯の削る音を聞き、歯の中味を抉られる痛みを再体験し。

しかも、痛かったら飲んでくださいといって渡された痛み止めが全く効いてきてくれません。

どうしてくれようかと思い、先ほど行って来た歯医者に電話。「もう少し強い痛み止めの薬を出してくれませんか?」とお願いしたところ「それ以外の薬は出せません」と、何ともつれないお答えが。「なんでしたらバファリンと併用してもらって、効きを調節してください」という、のんびりとした答えまで出てくる始末です。何時か何処かで読んだ「歯医者は患者に痛みを感じさせないことが最優先課題だ」とかいうことばはウソだったんですね。



そんなこんなで、未だにじわじわと痛いです。お昼ごろに飲んだ、痛み止めとして貰ってきた薬とバファリンの波状攻撃は、2時半ごろまでは何とか敵の攻撃を食い止めていてくれましたが、既にダメっぽいです。再度のバファリン攻撃を1時間ほど前に仕掛けましたが、今回の効果は少々薄そうな感じ。未だにバッチリ効いてきた、という感じではありません。貰ってある痛み止めは必ず前の服用から6時間は空けるようにとの厳命です。




仕方ないから薬屋に行って、なんか貰ってこようかなあ。ホント、何にも手につかない。

どうしても車で人を判断してしまう。

今日、帰りの道中で、黒い車にクラクションを鳴らされました。とりあえず見えるのは右後から右折レーンに入ってくる黒い車のノーズ部分です。なんだこいつは、と思いつつまあ、バカタレと関わるのもつまんないや、と思いつつやり過ごすことに。

信号待ちでこちらは止まり、やがてその黒い車を私の視点の斜め前方に捉えることのできるポジションになった瞬間、吹き出しそうになりました。


なんだ、ヒュンダ○かよ

ヒュ○ダイにクラクション鳴らされた私。○ュンダイ車ごときに「なんだルポかよ」と思われたに違いない私。ヒュン○イ車ごときに金を払う程度の輩に小馬鹿にされた私。ムキーくやしー。



ムクムクと怒りがこみ上げてきました。



ふと気がついたのは、あろうことか、その黒いヒ○ンダイ車のリアナンバープレートには金色のナンバーフレームが奢られているではありませんか。






やばい。これじゃあ、はったりになっていない。
オイオイオイ。







まあ、趣味の悪さでは人後に落ちない私でも、このセンスにはついていけません。これはイカン。要注意です。近づいたら危険です。





というわけで、こんなのに関わると私の運気までも落ちてしまいそうなので、そっと哀れみの心でもってこの場を何事もなく通り過ぎることに致しました。



ああ、よかった。○
○○○なんかに関わらなくって。


でも、こういう風に
「車で人を判断する」人が絶えない(人のことは言えない)からこそ、逆に「黒い(白でも可)ベンツ(もしくはBMWでも可)←でも現行車に限る(モデルチェンジ直後1年以内ならば先代モデルでも可)。」に乗る人は我が道を行くかのような走りをする人が多いんだろうなあ。前に、ちょっと白のBMWの邪魔したら、ものすごく睨まれた事あるし。

あー。でもいくらベンツでもAとかBだとハッタリが効かないことが多いので注意が必要です。


それと、この文章は特定のクルマをケナす意図があっての文章ではありませんのであしからず。文中の伏字の中にどのような文字が入るのかは皆さんのご想像にお任せいたします。日本国内ではある意味とってもレアなクルマですから、多分オーナーがこの文章を目にすることはないとは思いますけど。

2010年5月17日月曜日

スポーツカーとは?

スポーツカーって何?と聞かれれば思い浮かぶのはカッコイイスタイルの屋根の低い、幅の広い、排気量がデカイかエンジンパワーのデカイクルマ、というイメージになります。少なくとも私の脳内妄想では。とりあえずカッコイイと思えるスタイルが第一条件ですけどね。
そんな車の中で手に入れたのがR32 GT-Rでした。今でもモヤモヤと思うのは初代インプレッサの22Bです。ランエボでもいいけど。いいトコⅣ辺りかなあ。

それはさておき。


スポーツカーってなんだろうと思うわけです。


スポーツカーの何を以ってスポーツと言うのか。本来なら「最適操作を最適判断の元にこなし続ける。その最適判断をトップスピードで走行しながら行う為には相当高い基礎体力を伴わないと集中力が維持できない。つまり、集中力をとぎらせず、しかも緊張することなく、適切な判断の元にクルマを運転するという行為」がスポーツとしてのクルマの運転です。

以前にも書きましたが、F1ドライバーという人種は「レース中の平均心拍数200回/分」なんだとか。1秒間に3回以上の鼓動をレース中って言えば1時間半とか2時間近い時間です。集中力を維持するためにはこれだけの酸素と栄養を脳みそに送り込まなければいけないわけです。そういえばトップドライバーにデブはいないしなあ。

ということで、おっかなびっくり、ドキドキしながら無理めのスピードでコーナーに突っ込んで、体はカチコチに緊張してハンドルを握り締め、何とか通過した後で「あー怖かった」では、スポーツドライビングには程遠い姿なわけです。


で、そのトップスピードによる最適判断・最適操作をするためのツールがスポーツカーということになるんですが。どうも「いわゆるスポーツカー(「風」に改造された車も含む)」達は道路をヨタヨタと蛇行し、やたらと派手なオナラを盛大に撒き散らすだけのクルマと私の目には映ります。あれじゃあスポーツできなくない?

まあ雰囲気だけと割り切った割り切りスポーツカーは、それはそれで好きなんですけどね。

最適操作と最適判断をするためには、もっとしなやかに動く車でないとダメでしょう。基本的には快適に動くクルマでないと。快適といってもだらけさせてくれる事とは違います。それは仕事場として集中できる快適さ。ラリーカーなんて、そういう意味ではものすごく快適らしいですしね、乗ったことないけど。ゴツゴツした乗り心地では体を痛めてしまうし集中力がそこで途切れてしまうでしょうし。

しなやかに動く為には、やはり軽いことも重要です。軽ければ動きが俊敏になります。慣性重量が減りますから。軽ければ与えられた操作への反応もいいし、エンジンの力もロスしないで済みます。
トップスピードですが、フルスロットルなんて領域はほとんど出番がありません。という事は最高出力はほとんど意味のないものに成り下がります。ということで問題はトルクの出方。きちんと初期トルクが出ているエンジンなら一般道なら2000ccの4発で十分です。コンパクトでもありますしね。それ以上の排気量を装備する(ターボも含む)なら、それはフラットトルク化に充てられるべきです。アクセルを踏み続けなければいけないクルマは疲れるものです。


こうして考えていくとスポーツカーとは、先ず以ってドライバーの操作にきちんと反応してくれるクルマであることが最低条件です。また、きちんと判断し、操作が出来る為に、集中できる快適な環境を備えているであることも条件になります。逆説的に言えば、本質的なスポーツカーであるほうが、より快適なクルマであるはず、とも言えるのかな。

素直な運動特性や操縦性というのは普通の車であればこそ求められることであり、低速からフラットトルク(この点だけで言えば電気モーターは良い特性を持っている)なクルマの方が運転は楽な訳ですから、極論すれば全ての車がスポーツカーであるべき、とも言えるのかな、と。それを殊更にスポーツカーと銘打って売り出すということなら、高次元な領域で運転を楽しめるツールであるべきなんでしょうね。トップスピードだけではなく。
一般的なイメージであるところのスポーツカー像というのは、「トップスピード」という1部分のイメージだけをクローズアップされたクルマが大半なんだろうな、と思います。

これらの事を、言い換えてみれば「人馬一体」であったり、という事になるのでしょう。

ただ思うに、機構がシンプルなほどクルマとの一体感が出やすく、軽く仕上げられるという事を考えると昔の車のほうがスポーツカーを具現化しやすかったのだろうとは思います。もちろん製造技術のレベルによる限界点もそれなりに低かったという面はあったでしょうけど。
比べるに、今時の車は衝突安全や環境負荷・排気ガス規制、生産性と販売価格等々、考え、乗り越えなくてはならないハードルがありすぎるのでしょう。
環境負荷については資源の枯渇化も含めて、まだまだこれからも乗り越えなくてはならないハードルはありますが、それでも衝突安全についてはひと段落したような感はあります。それは同時に衝突安全性を今以上に謳っても、もう既に商売上の謳い文句には成り難くくなったということでもあるのですが。


それでも、「スポーツカー」という言葉には甘美な響きがあることも事実です。願わくば、これからもセールストークでない、その甘美な響きで私達を魅了して行ってほしいものです。

2010年5月14日金曜日

「僕 キャンバストップが好きだ」(ブルーハーツの「僕 パンクロックが好きだ」の節で)

これいいなあ、という思いはあっても今まで手を出してこれなかったクルマに自動車ディーラー退職後の今は乗り継げています。ロードスター、C200、R32GT-R、ルポ、アイ、ヴィッツなどなど。そのうち数台は既に手元にはありませんが、いろいろな意味で考えさせてももらったし、愉しませてもらいました。もちろん「乗りたかった、乗りたい」クルマはそれだけではありませんから、これからも色々な車を買っていくでしょう。

そんな中で、今までに「これいいなあ、乗ってみたいなあ」と思った、クルマ本体ではなく、車の装備があります。それが「キャンバストップ仕様」です。


もちろん開放感はキャンバストップではオープンに敵いません。でもオープンカーというものは車の完成度という面からすると、ノーマル車を改造した程度でははっきり言って「高いわりに大した事がない」レベルの製品にしかなりません。結局は、屋根を「切り飛ばす」という行為は現代のモノコック構造のクルマにとって自殺行為でしかありません。ボディ剛性のバランスはグズグズになってしまいます。

という事になるとオープンカーは専用ボディでなくては大した製品になりえない、という事になります。そうすると選択肢は限られます。もちろん、丸目のセリカのオープンとかも好きには空きなんですがね。


では。

サンルーフでいいじゃないかという声もあるでしょうけど、あれは天井が異様に重くなります。そこが欠点です。その他に、サンルーフ付き車は大概、屋根の内装がガラスの厚み分とスライドレールの厚み分(最低2~3センチ程度)低くなっているため、私のように座高の高い人間はその厚みを避けるように頭を傾けて運転しなくてはならなくなるのです。もちろん車の室内高の設計にもよりますけど。
特に昔の車は屋根の低いクルマが大半でしたから、そういう風になる可能性は高かった。

しかもサンルーフはそれほど大きくはありません。開いたとしても運転席・助手席の頭上空間のみ、という感じですから、それほどの開放感でもない訳です。


メーカーとしても色々試行錯誤はしていて、例えば初代カルディナでは「スカイキャノピー」なる、変なガラスルーフ仕様車を出していました。評判はさっぱりでしたが。


次に打ち出したのは同じくカルディナで「エアリアル」というタイプです。通常のサンルーフに比べ、ガラス面積を2倍にしたという、まあ大型サンルーフと言っちゃえばそのまんま。確かに開放感は今までのものよりもあるのですが、それでも大きいサンルーフというだけなので、後退時にガラスの後が屋根からはみ出てもいけません。そのためなんだか中途半端な感じは否めませんでした。個人的には好きではありましたが。


お次はハリアーで採用した「マルチパネルムーンルーフ」なる物です。大雑把に言えばガラスを1枚ものではなく、何枚かの短冊状にして、それが蛇腹状に1枚づつ後を跳ね上げては後方に押し寄せるという形で、より大きく屋根が開くようにしたものです。これはちょっとそそられるのですが、これだけでメーカーオプション価格16万8千円也ですし、これだけのためにハリアーを選ぶというのもなんだかなあ、と。



そんな訳で、「軽くて開放感がある」、「なおかつボディ剛性の落ちもそれほどない(屋根の中に入れる横桟が入れられなくなる分)」、「ベース車に比べ、それほどトップヘビーにならない(却って軽くなる?)」を満たす物としてキャンバストップ車に心惹かれております。


1度は真面目に買おうとしました。それは、復活キャロルのキャンバストップ仕様。あの丸目のやつですね。

色は青が良かったなあ。それを5MTで乗る。中古車としては捨て値価格である20万円程度で売っていた所があったんですよね。もっとも10年落ちの、ろくに人気のない軽ならほとんどそのくらいの金額で売ってる訳ですが。
ところが、もう1人の私が囁いたのです。そんな趣味丸出しの車に20万も出してどうする?と。お前馬鹿じゃないか?とまで言われました。まあ、確かにその通り。代車にも使えそうになく、おそらくボロいだけのクルマだったでしょうし。

そうこうしている間にセルボ君がお嫁入りしてきましたので、キャロルキャンバストップの話はお蔵入りしてしまいました。



どうも、秋口にはルポ君はお嫁入りしそうな雰囲気です。それ以前にアイも嫁入りするかもしれません。するとお次の候補も考えておかなければいけないのですが、フラフラと見ているとプジョー206のワゴンならキャンバストップ仕様があるの?とか。デミオにもキャンバストップ仕様があったじゃん、とか。


とはいってもお嫁入りの話が本格的にならないとこちらも本気にはならないでしょうから、今はただ眺めているだけなんですけどね。




というか、そもそもで言えば、私がロードスターの幌交換(と足回りのノーマル化作業)をちゃんと仕上げてしまってあれば、何もキャンバストップなどに目移りする必要は全くといっていいほど無いんですけどね。


でもなぜか心惹かれるキャンバストップ。どこかで一度は乗ってみたいなあ。別にそこで夢が醒めてしまうことになっても全く構わないので。

2010年5月13日木曜日

NHK 「自動車革命」について少々

結局今も昔も電気自動車に於ける最大のネックは電池だって事ですね。電池さえ何とかなれば次の展望が開ける。

ところがその電気自動車のライバルは「夢のエネルギー源」を現実の物としたガソリンエンジンなんですから相当手強いわけです。ガソリンというエネルギーは「コンパクト」で「エネルギー密度が高く」、ありあい安定しているので「携行しやすい」ですからね。

それに比べ電気は「貯められない」ので、電気を作るための化学プラントを携行しなくてはなりません。その手段の一つがバッテリーというわけです。あれは電気を発生させ、また貯蔵しているかのような化学反応ができる装置です。決して電気を貯めている訳ではない。
燃料電池も化学反応によって電気を発生させる、いわば発電工場です。一時は「次世代自動車の希望の光」的な見方もありましたが、じゃあ、その化学工場に突っ込む燃料はどうする?という事とか、あまりにも自動車のエネルギー源として使うには前準備がありすぎる点だとか。結局は家庭用燃料電池のように、定置型でチビチビと動かし続けるパターンが一番燃料電池としては心安らげる場所となったような感があります。
もっともその燃料電池ですら、「燃料電池を動かす為のバッテリーが欲しい」ので、結局バッテリー頼みは相変らず、ともいえるのですが。


番組の内容としては「バッテリーは頑張っている。世界もそういう風潮にある。」といった感じの、なんだか電気自動車のプロバガンダ番組かよという感じでしたねえ。あれだけでいいのか?とも思える内容の貧弱さ。結局は性能のいいリチウムイオン電池さえ開発出来れば世界を制覇できる的な。

なんか常温超伝導物質を延々と探し続けているのとそっくりな感じもするのは私だけか?

バッテリーからの電気をどうするの?と聞かれれば勿論モーターを回すのですが、モーターのメリットっていうのは「ゼロ回転時に最大トルク」という所です。回転数が上がればあがるほどロスが多くなる。じゃあ、低回転で使い続ける為に変速機をつけるとか?そんなんじゃあまた伝達ロスの問題とミッション本体の重量のこともある。


その他に電気を使うトコロとしてはヘッドライトを始めとする灯火類と、室内の空調、音響といった快適装備関係でしょうか。灯火類に関してはLEDなどの低電圧器機の普及が目覚しいですからいいとしても、問題なのが空調です。特にヒーター。

ガソリンエンジンの場合は廃熱利用というだけでヒーターが存分に使えた訳ですが、電気の場合はそうは行きません。きちんと電熱線の抵抗によって熱を新たに発生させて、そこからの熱を引き込むということになるでしょう。
電気ストーブを思い浮かべてもらえば分かりが早いでしょうけど、電気によるヒーターの電力ロスは馬鹿になりません。ただでさえ貧弱なバッテリーでヒーターまで動かそうとするのは無茶です。また、モーターで発生した熱を多少なりとも回すことはあるにしても、それはあくまでも駆動ロスというだけですし。


中国で電気自動車がハンドメイドで生産されている事情としては、ガソリンの供給状況と、車両の生産性と整備性(バッテリーとモーターさえあれば、後は大八車のような車体であっても何とか車として成立はする)という部分なわけで。あとはやはりそういうものを手作業で生産しても人件費の安さが全てをカバーする、というところでしょう?




ということで、電気自動車で行くということならばやはり局地戦じゃあなかろうか?結局は電車のような公共インフラに近い形での電気自動車。地面に溝を彫って、そこから通電するような形とか。人が乗れるスロットレーシングというか。

そのうちオジサン(私も含めた)が持ち歩くアッシュケースがバッテリーに成り代わってきたりして。クルマは借り物で。バッテリーだけは個人持ちみたいな。なんか嫌だなあ。


それと思ったのは、上記の点は措くとして、やはり研究開発は大事だよなあ、と。改めて思いました。どこかの馬鹿たれが「2番じゃあダメなんですか?」とか「光より早い物質が出てきたらどうするんですか?」とか言ってたようですが、真面目な顔してコントやってんのかなあ、と真剣に思いましたからね。

NTTが携帯電話に進出してきて、あれだけのアドバンテージを維持し続けてこれた背景には、コストや研究経費回収を度外視出来た電電公社時代の「コレなんの役に立つんだろう?」的な基礎研究の膨大な蓄積があったからこそでしょう。トヨタにしたって2000年以前の頃から既に、技術職・研究職の採用は電気関係がかなりの率を占めていたようですし。

ただ、それはそれとして更に高所からの視線というか、経営者(勿論政治家連中も含む)の舵取りというか見据えている先っていう方が遥かに重要なんですけどね。

2010年5月7日金曜日

中古車の売り文句「女性ワンオーナー」を考える

「こういう車を探している」などというお話を持ちかけられたときに、とりあえず見るのがGooNetです。現実問題として中古車業者は、ああした中古車雑誌等の情報を見て「この程度の車がこのくらいで並んでいるのだから、ウチの車ならこのくらいでもいいだろう」的なアバウトな感覚で値札を付けているのです。「こうだから、こう」なんていうのは査定の段階でグズグズ文句をつけるための理由付けでしかありません。

その分キッチリ値引しているお店なんて見たことありませんし、オークションで「評価点何点」なんてやり始めるようになってからは「大体こんなもんか」という見方になってきていますしね。


さて、こうした中古車屋さんの売り文句もそうですし、ヤフオクなんかの売り文句も見ていて非常に勉強になることが多いものです。勿論、私的には「そそられる」側ばかりではなく「
どういう売り文句で相手の興味を引こうとしているのか」という意地悪な視点もあったりするんですが。

そうした中で近頃目に付く売り文句「
女性ワンオーナー」なる言葉が気になるようになりました。果たして何を期待させようとしているのか?という事なんですが。

私の想像するに女性オーナーのクルマの場合「丁寧に扱っている(だろう)」「キレイに使っている(だろう)」イコール「(だから)程度がよい」という想像が膨らむことを売り手としては期待しているのかな、と勘繰る訳です。


まあ、自分も含めて男などは単純なものですから女性が使っていたというだけでなんとなく良さそうに思い込んでしまうのも分からなくもありません。クルマの販売時に「おばさんが普通に乗っていただけ」とか言ったりすると、それだけでいい感じに思い込んでしまえることもあったりするものです。


ただね。


女性であるからこそ、全く無頓着な部分もあるわけですよ。特にメカに関して。クルマは動くのが当たり前と思われています。

メカに限らずとも、周りの雰囲気で「ここはこうするものなんだ」という思い込みがあったりするとこちらがビックリすることも平気でやってあったりとか。

特に軽自動車などは、運転に際して本当になんにも精神的な障壁が無い様に作られていますから、本当に無頓着な使われ方が多いように感じます。

ここのところ目に付くのは「オイルは車検のときに換えるだけ」の人。結構多いです。近頃の車のほうが却ってオイル管理は厳しくなってきています。設計に余裕が無いですからね。特に軽自動車は気をつけたほうがいいです。

女性が使っているからこそきれいに乗っている、なんて思い込みもあるようですが、これも「ホントかよ?」というクルマが少なくありません。

独り者の時には気が付かなかったのですが、なぜか女性オーナーのクルマはドアグリップやステアリングホイールが汚れていることが比較的多いものです。
その理由として、ハンドクリームを常用されている方の比率が高いからかな?とは思っています。そうしたクリームがドアグリップ付近の布地やハンドルのシボの中に入り込んで固まっている。

また女性は、身だしなみには気を使うのでしょうけれども、クルマの中は掃除をするもの、という感覚が抜け落ちている方も少なくなく、ガラスの内側は真っ白で、メーター回りは埃だらけ、という事も多いなあ。まあ洗えばいいんだけどさ。



強いて言えば、女性の方が筋力は弱いですから、そういう意味では乱暴な取り扱いをされていることは少ないとは言えるでしょう。ただそれはともかく、クルマにとって本質的に乱暴な扱いをされていた可能性は男性オーナーに比べてどうか?と聞かれると「どっちもどっち」という感じですかねえ。


まあ、そうした劣化が嫌なら新車を買えばいいだけの事ですし、安くなっている分のリスクはそういうところもある訳ですし。ただ、目障りのいい売り文句に迂闊に乗る愚は避けたいものです。