2010年5月13日木曜日

NHK 「自動車革命」について少々

結局今も昔も電気自動車に於ける最大のネックは電池だって事ですね。電池さえ何とかなれば次の展望が開ける。

ところがその電気自動車のライバルは「夢のエネルギー源」を現実の物としたガソリンエンジンなんですから相当手強いわけです。ガソリンというエネルギーは「コンパクト」で「エネルギー密度が高く」、ありあい安定しているので「携行しやすい」ですからね。

それに比べ電気は「貯められない」ので、電気を作るための化学プラントを携行しなくてはなりません。その手段の一つがバッテリーというわけです。あれは電気を発生させ、また貯蔵しているかのような化学反応ができる装置です。決して電気を貯めている訳ではない。
燃料電池も化学反応によって電気を発生させる、いわば発電工場です。一時は「次世代自動車の希望の光」的な見方もありましたが、じゃあ、その化学工場に突っ込む燃料はどうする?という事とか、あまりにも自動車のエネルギー源として使うには前準備がありすぎる点だとか。結局は家庭用燃料電池のように、定置型でチビチビと動かし続けるパターンが一番燃料電池としては心安らげる場所となったような感があります。
もっともその燃料電池ですら、「燃料電池を動かす為のバッテリーが欲しい」ので、結局バッテリー頼みは相変らず、ともいえるのですが。


番組の内容としては「バッテリーは頑張っている。世界もそういう風潮にある。」といった感じの、なんだか電気自動車のプロバガンダ番組かよという感じでしたねえ。あれだけでいいのか?とも思える内容の貧弱さ。結局は性能のいいリチウムイオン電池さえ開発出来れば世界を制覇できる的な。

なんか常温超伝導物質を延々と探し続けているのとそっくりな感じもするのは私だけか?

バッテリーからの電気をどうするの?と聞かれれば勿論モーターを回すのですが、モーターのメリットっていうのは「ゼロ回転時に最大トルク」という所です。回転数が上がればあがるほどロスが多くなる。じゃあ、低回転で使い続ける為に変速機をつけるとか?そんなんじゃあまた伝達ロスの問題とミッション本体の重量のこともある。


その他に電気を使うトコロとしてはヘッドライトを始めとする灯火類と、室内の空調、音響といった快適装備関係でしょうか。灯火類に関してはLEDなどの低電圧器機の普及が目覚しいですからいいとしても、問題なのが空調です。特にヒーター。

ガソリンエンジンの場合は廃熱利用というだけでヒーターが存分に使えた訳ですが、電気の場合はそうは行きません。きちんと電熱線の抵抗によって熱を新たに発生させて、そこからの熱を引き込むということになるでしょう。
電気ストーブを思い浮かべてもらえば分かりが早いでしょうけど、電気によるヒーターの電力ロスは馬鹿になりません。ただでさえ貧弱なバッテリーでヒーターまで動かそうとするのは無茶です。また、モーターで発生した熱を多少なりとも回すことはあるにしても、それはあくまでも駆動ロスというだけですし。


中国で電気自動車がハンドメイドで生産されている事情としては、ガソリンの供給状況と、車両の生産性と整備性(バッテリーとモーターさえあれば、後は大八車のような車体であっても何とか車として成立はする)という部分なわけで。あとはやはりそういうものを手作業で生産しても人件費の安さが全てをカバーする、というところでしょう?




ということで、電気自動車で行くということならばやはり局地戦じゃあなかろうか?結局は電車のような公共インフラに近い形での電気自動車。地面に溝を彫って、そこから通電するような形とか。人が乗れるスロットレーシングというか。

そのうちオジサン(私も含めた)が持ち歩くアッシュケースがバッテリーに成り代わってきたりして。クルマは借り物で。バッテリーだけは個人持ちみたいな。なんか嫌だなあ。


それと思ったのは、上記の点は措くとして、やはり研究開発は大事だよなあ、と。改めて思いました。どこかの馬鹿たれが「2番じゃあダメなんですか?」とか「光より早い物質が出てきたらどうするんですか?」とか言ってたようですが、真面目な顔してコントやってんのかなあ、と真剣に思いましたからね。

NTTが携帯電話に進出してきて、あれだけのアドバンテージを維持し続けてこれた背景には、コストや研究経費回収を度外視出来た電電公社時代の「コレなんの役に立つんだろう?」的な基礎研究の膨大な蓄積があったからこそでしょう。トヨタにしたって2000年以前の頃から既に、技術職・研究職の採用は電気関係がかなりの率を占めていたようですし。

ただ、それはそれとして更に高所からの視線というか、経営者(勿論政治家連中も含む)の舵取りというか見据えている先っていう方が遥かに重要なんですけどね。

0 件のコメント: