2008年7月12日土曜日

ニュートンの地球温暖化の号を昨日の夜、読み返していた。
冒頭にスウェーデンハウスの広告記事があった。

彼の地から運んだ木材を最果ての地である日本まで運んで、最終加工を施し、高気密、高断熱の家を作るんだそうな。

日本では家を35年周期で建て替える。そのたびに20~30トンの建築廃材のゴミを出す。スウェーデンハウスは100年もつ家を作る。だからエコである、と書いていたが、ホントか?

多分今僕が住んでいる家は今は亡きおじいちゃんが建てた家で、確か小学校の高学年の頃に建てた筈だから、既に25年以上は経っている。30年位か。実際に住んでみて、とても後5年ほどで建て替えなくてはいけない状態であるようには思えないし、実際そのつもりも無い。使える物は使えるまで使うつもりだ。
だから、35年しか持たないと言うのは「スイートテンダイヤモンド」や「結婚指輪は給料の3か月分」などというあまりにも馬鹿馬鹿しい、広告代理店の誘導と同じよなもんと思う。35年経ったら建て替えるものなんですよ、と。結婚指輪の相場はお給料の3か月分なんですよ、と。結婚後10年経ったら、奥様に感謝とねぎらいの意味を籠めて10粒のダイヤの入った指環を贈るのが習慣・常識なんです、とか。

五月蝿いよ。君達、邪魔。
なぜそうまでして人の言うことに乗ろうとするの?馬鹿だねえ。ローンも終わって、そこからがおいしい時期でしょうに。

同じような論法に「法定償却」と言うものがある。これも馬鹿馬鹿しい。何で縁もゆかりもない人間から「あなたのクルマの価値は6年経ったらゼロになる」なんて教えられなくちゃならないの?余計なお世話だ、となんで言わないのか?しかもそれが法律で決められている、と初めて聞いた日には「なんて横暴な奴だ」と思ったものだ。使える使えないなんて、あくまでも所有者の気持ちの中の話であって、そんなことまでお世話されるつもりはない。

話は戻ってスウェーデンホーム。拾い読みした限りでは「高気密・高断熱」という事か?でもさあ。

日本は世界に稀に見る高湿度の国だよ?平安時代の寝殿造りを見ていないのかね?基本的には夏の高湿度を無難に過ごす事を基本にした家造りが基本だと言うこと。つまり如何に湿気を逃すか?という事が基本であって、高気密・高断熱の家というのは「空調設備が常に働いているという事を前提とした設計」だと言うこと。
常に締め切った空間であるならば高気密高断熱の空間も意味を成すだろうけど(例えば土蔵)、常に人の出入りする個人住宅であれば高気密・高断熱の家の空調の存在は前提条件になる。それが冬ばかりの空間ならばいいけど日本は四季がある。暑かったり寒かったり。つまり空調機器の存在は欠かせないということだ。

昔はそんな便利な機械はなったから、とにかく過ごしやすいように(特に京都盆地や奈良盆地では死活問題だったろう)高床式の壁は全て取り外せる(蔀戸のように)形態にし、更に池を造成して床の下を通すようにしてあった。冬はとにかく着込むことで何とかやり過ごすように。これが古代の日本住宅の知恵。

北欧木材でつくった住宅と言えば、聞えとイメージは良いかもしれないが、これら自然環境のことは無視した、エネルギー消費(空調)が当然の事としてある、を前提とした住宅であるように思う。
100年持つ?大きなお世話。35年経ったら建て替えるもんですよ、と言ってきた奴らの言いそうなことだ。
先ずスウェーデンホームに建て替えるにしても、先に20~30トンの建築廃材は先に出てくるんだよね。木材を全て北欧から持ってくる、という事は、その運搬工程で既にエネルギーの消費が余計にかかるわけだよね?高気密・高断熱と言ってるけど、実際の空調コストと、湿気対策はどうなってるの?100年持たせるのは、その家に住む住人の選択であって、そこまで言い切っていいのか?などなど。

基本的に住宅産業というのはクルマ産業と同じで、周囲のお金や資材や諸々を台風の目の如く強烈に吸い込んで、強烈な風速とともに関係業界にばら撒くものだと思っている。そこには関係業界はもとより税金や金融・保険や施主の人間関係や将来までをも巻き込んだものになる。

先にあげた35年説の様な歪んだ「男子たるもの一度は家を.....」なんて概念はもう捨てようよ。

それにかかるお金を考えるくらいなら、使える物は使って、その分、悠々自適な生活時間や生活環境に向けたほうがいいのではないかい?せっかく人口構成のこともあり人口が減少傾向にあるのなら、もうそこまであくせくして借金を背負い、現状維持や年収アップにあくせくするより、増えた空き家を修復して住むほうがよっぽどいいと思うんだけどな。

よく、年収200万以下の低所得者層とか何とか言うけど、余計なお世話だと思うんだよね。悪くいえば東京の(実生活体験の薄い)価値観一辺倒。
だって、所得の多い人ほど無駄遣いの金額も比例して騰がっていく傾向にあるし、じゃあ、その無駄遣いって何?と言うと「家」とか「クルマ」とか、「ブランド品」とか、お子様の教育費とか。なさけない。いかに中身の無いものが多いことか。

取引業者の社長に「柴田君のスローライフと言うか何というか。なんかそういう感覚が羨ましい。」という意味のことを言われた事がある。本当に沿うかどうかは知らないけど、でも社長。周囲がそう言うから、自分もその尻馬に乗る、じゃあ、あまりにも寂しいでしょう?
勇気のいることかもしれないけど、出るもの減らせば、出さなきゃいけない物も無い訳で。

スペインとかフランスの南部とかイタリアの話だったのかな?あちらは日本に比べ随分と平均所得が低いのだそうな。でも、彼らは非常に豊かな生活をしている、なんてよく聞く話。
結局は足る、という事を知っているという事じゃあないのかなあ?
もっともっとと言い続けてきた日本は、今どうなった?小汚い町並みに、税収アップ(固定資産税)をもくろんだ地方自治体による、あまりにも奇形な街づくりと、いびつな人口構成。止まらない汚職と止まない無駄遣い。

何か、嫌になっちゃうよ、実際。

終わらないので、今日はここまで。

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