2010年4月9日金曜日

晩節を汚す 歴史のIF 坂本龍馬の場合

昨日、「もし坂本竜馬が生きていたら」とかいうテレビ番組を目にしました。歴史にIFは禁物だとか、死人の年齢を数えるような行為だとか色々な言われようはあります。例えばその類いのお話として、「もし織田信長が本能寺で暗殺されることなく、その後の天寿を全うするようなことがあれば」なんて仮定の話題の番組もあったようです。

ただね。


ここで坂本龍馬ファンの方には嫌われるようなことを言ってしまいますが、私的な思いからすると

坂本龍馬はあそこで暗殺されていたからこそ後世の評価が高まる余地が出来た
という面も大いにあると思います。

例を挙げれば後藤象二郎。

彼は吉田東洋の親族ながら、後年東洋暗殺の下手人と目されていた事もある坂本龍馬と二人三脚とも取れる位行動を共にしていた時期がありました。もっとも龍馬の側からしたら後藤象二郎は、山内容堂を後ろ盾として武市半平太一党を裁断した中心人物でもありますからどっちもどっちな訳ですが。
で、このふたりの蜜月の時期の後藤象二郎は「まるで中国の古英雄を見るが如き」とまで言われた活躍ぶりだったようですが、世が平らかになるとその言動はただ単に口ばかり達者な出まかせ大王というべき口説の徒、という世評で固まってしまった感があります。ある意味後藤象二郎のような、いい加減な戦後処理をする人物がいなかったら後の三菱財閥もなかっただろうと思いますし。

では坂本龍馬はどうだったか。


後年、海援隊の参謀役のような立場にあった陸奥宗光の「龍馬が生きていれば......」という言葉もあったりもしますし、「世界の海援隊でもやる」といった自身の言葉もあったり、戊辰戦争はなかったかも、とか先進的な会社を興しただろう、なんて期待を籠めたお話もあるんですが、現実的には果たして?


なんだかんだ言って、龍馬って「お金持ちのお坊ちゃん」という出自だったからこその部分も強いですから、果たしてどこまで行けたかと考えると、ものすごく疑問なんですよね。もちろん良い方向に転ぶ可能性も十分あっただろうとは思いますけども。


でも。

だからこそ、あそこで暗殺されてしまったからこそ後世によって美化され得る余地も残ったというかね。
信長にしても、本能寺で殺されたからこそ、いい引き際であったと思うし。信長の場合はあのまま存命したとすると、逆に突っ走りすぎて後世のゆり戻しも大変なことになっていただろうし。
いろは丸の海難事故の記録も残ってはいますが、アレを見る限りでは結構無茶な談判だった印象も強いです。逆に紀州藩がかわいそうな位。まあ、そういう時代であったということもあるでしょうけどねえ。

ちなみに未確認ではありますが、当時龍馬の商売相手であったグラバー商会が現在のコーンズの前身であったとか、ないとか。裏が取れている話ではないので何なんですが、その話を目にした当時、妙に感心した記憶があります。うーむ流石コーンズ、そういう流れを汲む会社なんだ、とか。

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