2008年10月7日火曜日

お金と金融工学という名の数学

タイトルは大げさですが、中味は大したことはありません。なぜって、僕は数学の落ちこぼれだから。
中学まではソコソコどの学科であろうとも、ソコソコついて行けたように思っていたのですが、高校からは興味の対象を見失ったのか、はたまた舐めてかかっていたからか、こと数学に関してはさっぱり馬鹿たれになってしまっていました。
ブルーバックスシリーズに、「今から始める高校数学」とかいうタイトルの本があったので、興味本位に買って見開いてみたことがありますが、中には耳に痛い指摘が書いてありました。

曰く、英語のできる生徒は、同様に数学のできる生徒とイコールであることが多い、と。

つまりは外国語の習得などという地道な努力を要する学問は同様に、地道に論理を積み上げる練習を重ねなければならない数学と、その習得に要する課程が重なることが多く、結果、数学が出来る生徒は英語が出来る、という事と多くは重なっている、とか何とか。
そういえば、幕末の洋学者でも、オランダ語・英語の熟達者が同様に科学、数学分野の熟達者であった例が多かったような。例えば大村益次郎とか。うーん。痛い。つまり怠け者であったわけですね、僕は。

さて、そんな怠け者が思う戯言ですから、これ以降のことは本気にとってもらっても困るのですが。

以前ここで採り上げた、「スターシップ・トルーパーズ」邦題「宇宙の戦士」ですが、ここにも主人公ジュアン・リコの前に大きく立ちはだかる壁として数学が登場します。
学生時代、数学を苦手としていた主人公は、高校卒業後の入隊志願後に、希望所属先をずらずらと出すのですが、そのことごとくに数学の点数が立ちはだかり希望を却下されます。ついにはそのリストの一番最後に書かれた起動歩兵に配属となります。
後に、主人公は職業軍人として、キャリア(任官)を目指すのですが、ここでも、またしても数学が立ちはだかるのです。文中では「数学は全ての基礎であり、全てに関わっており、.....」と言った文章で表現されています。まあ、これは前置き。

昨日、自動車評論家の両角さんのメールマガジン中で、金融工学について触れられていた箇所がありました。それでこんなことをツラツラと思い出したのです。

確かに数学は、途中課程をすっとばかすと丸をもらえない教科です。こうこう、こうなって、そのうえで、と、キチンとしか思考過程を経ないといけません。まあ、中には数学は暗記するものだと言う人もいますが、そういう人のことはここでは措いておきます。
「宇宙の戦士」中のジュアン・リコも、士官たる者きちんと筋道の通ることすら言えず、またその訓練すらまともに終了できないものは任官するべきでない、という作者の思想なのでしょう。

ただ、金融工学、もとい高等数学に話を戻すと、話・論旨の筋道は兎も角、その前提条件にちょっとした飛躍を含めたり、ありえない前提を含めることによって、いくらすばらしい論旨も、まったくあさっての方向を向いた結論にたどり着くことも珍しくないと思います。

大学時代、心理学の講義を取った事があります。講義中、教授が言うことには「世論アンケートなど、質問の仕方で如何様にもその結論を誘導することは出る。問題はいかに意図的な操作が反映することにならないようにするための設問の仕方だ」といっていましたが、これも似たようなことか?

両角さんの指摘は、今時の金融工学にも、そのような前提条件や「ある任意の....、」といった条件付けに瑕疵があったのではないか?という論旨でした。
金融商品そのものが投機的な側面を有する以上、そこに意図的なものを含まず、市場の公平性などと呼ばれる様々な思惑の結果にイカサマがあってはならないのは当然のこととは思います。ですが、果たして彼らの理屈が果たしてどこまで正当性があるものやら。残念ながら、僕にはその検証能力がまるきりありませんので悔しい所です。
ただ、いくらリスク分散しているからといって「サブプライムローン」などは商品にすること、そのものがイカンだろ、と思うのですが。
てことは理屈や策などというもの以前の一般常識として、というか理性というか。

静岡銀行がバブル時、一切土地投機筋への融資を行わなかったことで、その後の不良債権がらみのゴタゴタに振り回されることがなく、為に、後に銀行としての信用を一気に高めた、とは良く言われることではあります。
でもまあ、静銀といえば、地元では「シブ銀」と言われ、お金を貸さない、金利高い、手数料高い、の3拍子揃った所なので、それが巷間言われている「高い見識によるものであった」のかは疑問の残る所ではあります。
まあそれは兎も角、世間の動きに惑わされずに、本業の精神を貫くと言うのか。お金を預かる金融機関としての矜持というのか。そういうところからやり直さにゃあイカンのじゃないかな、と思うのですが。

そうそう、行き過ぎた原油価格もそうですが、市場の動きは神の声として、市場の往くに任せる、というのがあるじゃないですか。ですが、市場の中の動きだけに納まればいいのですが、そうばかりでもなく、あまりにも影響の大きすぎる分野でも、ある意味放任主義でありすぎるように思うのですよね。
これに対するレフリーストップというか、取引停止に至るガイドラインというか。ものすごい反発はあるでしょうけど、金融と実態の均衡を探る動きが出て.......、来ないだろうなあ。

今日はこの辺でおしまい。



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