2008年11月15日土曜日

給付金

給付金について。

あんなんやってなんか意味があるのかね?かつての地域振興券と同じじゃんか。あの大失敗したさ。かわんねーよ、あんなの。

1つ疑問なのは、何で「払う」というか「支出すること」はすぐに考えるくせに、減らすことには妙に消極的なのか?という事。
今回の給付金についても、その分国家予算から2兆円分を何とかやりくりして(例えば公務員のボーナス支給を止めて、それで捻出するとか)払うってんなら判らんでもないけど、埋蔵金を当てにするとか、借金してその払いは後回し、とかそういうことなんでしょ。
ばら撒きによる経済効果っていうけど、でも基本的に日本人って溜め込むのが好きな性癖があるからやはり無駄なように思う。そうでなければ郵便貯金がああまで巨大にならないよ。

逆にブラジル人なんかと付き合ってると、何でああまで気前よく遣っちゃうかな?と思うけど。何でもかんでもローンにしたがる。ああいうの見てると、アメリカ人の消費形態もあんな感じなんだろうな、と思う。

麻生君の庶民感覚が、とか色んなこと言われてるみたいだけど、結局何かをやる為に総理になったのではなく名誉職として一度はあの職に就きたかった、ということでありすぎるんじゃないのかな、と。ウチの家系として、一度は総理大臣くらいはなっておかないと、とかね。グランドプランが無さ過ぎるよ。大久保利通の係累だとかいう事らしいけど、比較対象にもならない。
大政奉還の成った時に、坂本竜馬の作った人事案の中に当の本人の名前が無かった、というエピソードがある。西郷隆盛に「なぜあんたの名前がないのだ?」と聞かれた際、竜馬は「位人臣を極める為にやってきたわけではない」といった意味のことを言ったそうだけど、それこそ、鶏が先か、卵が先かという話で、大政奉還は自身の望む生活形態・政治形態に必要な措置だったというだけだったのだろうと思う。
大久保利通にしたって、島津久光に取り入ったのはその先にしたい事があった為だといわれているし、事実出先の西郷と薩摩内部の大久保という両輪は実にいい動きをしていたと思う。


話はちょっとずれるけど、「位打ち」という言葉がある。単純にいえば、官職や勲章などの名誉を贈って相手を篭絡するという手段の事なんだけど、以外にこれにハマる人って多いんだよね。レベルは異常に低いけど、僕にもこれをヤラレタ事がある。トヨペットを辞めようとしていたとき、それを地区部長に言いに行った。
地区部長と言っても、つい直前まで自分の居た「有玉店」の所長だった人だった。辞めてどこに行くんだという話から何から。早い話が慰留なんだけど、その話の中で「そろそろ柴田も主任にしなきゃならんと思っていたが・・・・、」なんて事まで言い出した。「ああ、これって位打ちだな」って思った。
最後には「お前の良いと思える環境にしていくことを約束する」とまで云われたので、もうしばらく留まることにしたんだけど、結果としてその約束は反故にされたも同然だったので、結局は辞めたんだけど。

なんか、上役になればなるほど権限も大きくなるけど、それに伴う責任も大きい、という事がすっぽり抜けているような気がします。「権利」と「義務」の関係のようにね。
2兆円もばら撒くのは良いけど、それに対する結果責任だって問われるべきなんじゃないですか?「皆さんに選ばれた私の行った政策なわけですから、その最終的な責任は国民にある」って?いいの?それで?

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