2010年1月28日木曜日

損害保険にしてもそうですし、生命保険は特にそうなのですが、最後の一線の判断を全てお医者さんの判断に委ねる、ということが保険業界では珍しいことではありません。
保険加入の可否に大きく影響する健康状態の診断、病歴、カルテにそう書いてあったか否かなどなど。がん保険などでは、本人への告知という非常にセンシティブな問題も絡んで、なかなか微妙な立ち位置を担っています。この辺は引受に関して。

また、保険金支払いに関してもお医者さんの診断が大きなウエートを占めています。
回復したか否か、まだ治療を継続すべきか否か、等等。交通事故でよくある「ムチ打ち」なんてものは「他覚症状の無いもの」とされていまから、いつまででもどうぞ、となってもおかしくないようです。現に私の契約者の絡んだ事故相手で既に1年ほど通院し続けている人もいるようですし。
特に交通事故診療は健康保険の診療ではなく、基本的には自由診療ですので、料金的・実入り的には美味しい部類のようですしね。本当かどうかは知りませんけど。でも先日そんなお医者さんが居た、という事を報道していましたね。


反面、救急医療に関しては受け入れ拒否の問題や、たらい回し、誤診の疑いなど、色んな危険に晒されることも多いようです。実際に、お医者さんの賠償責任保険なんていう商品もありますしね。売ったことはないですけど。
もちろん人さまの生命を預かる立場にお医者さんはなってしまうわけですから、責任重大なのは致し方の無いことだとしても、そこはそれ、人間のやる事ですし、普段の自分のだらしなさを棚に上げて人には完璧を求めるのもどうかとも思ったり。
また、自分に対処できないことをお医者さんに全権委任して処置をお願いする以上、あんまり過大な期待をしすぎるのも行き過ぎかなあ、と思ったり。
それが行き過ぎるとモンスターペアレントならぬモンスターペイシェントでしたっけ?怪物患者。でもお医者さんの側からしたら、せっかく痛みをとってあげようとか、症状を回復させてあげようという、いわば善心からの行動をしているのにもかかわらずそういう仕打ちじゃあ、たまったもんじゃあないだろうなあ、と。


ハタまた、先日目にした記事では、20代の献血者が少ない、なんて事が載っていました。
そうした記事に対して「健康保険は老人に遣い込まれ、年金もごっそり持っていかれ、税金も老人の為に使われ。その上更に『わしらの手術の時の輸血が足りないんじゃあ』と生き血まで持っていかれるのかよ、馬鹿馬鹿しい。」なんてコメントを目にしたりすると妙に納得もしてしまったり。

本当かどうか知らないのですが、角膜の提供者に対するお礼の類いは無くっても、きちんとアイバンクとからは請求書が回ってくるなどといった、まことしやかな話なんかも目にしたり。何か変なところでは善意にすがる、というところはありますよね。献血なんかもそうですけど。
ま、借金のカタに腎臓を片方持っていかれる話も目にしたりしますしね。でも、流石に、そういうことを言っている本人に会ったことはないですが。


医療という分野はなぜか、その医療行為の対価というところが非常に曖昧な所が多いような感じはします。もちろんそれは健康保険のいいところでもあるのですが、どうも今の状況は無頓着になりすぎている、という感じがしなくもありません。
そのくせ、人の懐具合は気になるものらしく『年収がいくら』なんていう話題があちこちで出てきたりもします。別にいいじゃん、そんなこと。食っていける分だけあれば。


2 件のコメント:

コロパパ さんのコメント...

病院がアイバンクから角膜の斡旋を受けるときの費用は8万円。これは角膜代金なのか斡旋料なのか分かりませんが、アイバンクが独立してやっていかなければならない以上、アイバンクの経費は斡旋を浮ける病院に負担してもらわなければなりまん。8万円という数字は、設定当初の白内障手術の時に使う人工の水晶体(眼内レンズ)の定価に合わせた値段です。
角膜移植手術の診療報酬(病院が受け取る患者さん報酬:患者さん負担分+社会保険または国民保険組合の負担分)は6万円程度なので、手術すればするほど赤字になります。ただ、今度の診療報酬改定では角膜移植手術の診療報酬は値上げされるようです。

医師損害賠償保険には私も加入しています。昔は訴訟相手が病院だったり国や地方自治体でしたが、今では両者が相手ですしね。
ただ自動車保険の対人保証も同じだと思うんですが、金さえ払えば済むもんじゃないですよね。裁判になれば双方とも相当な労力が必要になりますし。また、医療事故も民事だけでなく、刑事事件として起訴されるようになってきましたから怖いです。
監獄に入らなきゃ行けないかもと思ったら、危ない外科や産婦人科を担おうとする若い人が減るのも理解できます。でもそうゆう職業だから仕方がないですけど。

hiro さんのコメント...

コメントありがとうございます。

対価をきちんと意識しなければならないものもある反面、行き過ぎた金銭価値への置き換えもまた如何なものか、という心のバランス感覚はあってしかるべきじゃあないかと思います。

ただ、お金という数値も、気持ちというフィルターを経る事によって随分換算レートが異なるので、これも困り者なんですけど。