2010年1月12日火曜日

日中・日韓関係

歴史は繰り返すとよく言いますが、仮に今民主党がやろうとしていることが古代でも行われていたのかもしれないと妄想してみました。小沢くんがよく口にしているらしい「日韓・日中友好」なるものです。


例えば一時の流行は廃れたようですが、いまだに残っている「韓流」なるもの。

確かに古代日本では韓国、朝鮮半島を通じて伝わってきた文物が非常に多く、またそれが及ぼした影響も大きいのは事実だと思います。

ただ今の状況を思うに、あれって当時の妙に親韓的な層によって意図的に広められた文物や流行であったのでは?という事もあるのではないか、と思えなくもありません。証拠は有りませんが。
でも確か仏教は百済の聖明王から伝えられたはずですよね。そう思うと、当時の蘇我氏って今の小沢君の立場や役割と非常に似通っているのかもしれません。あくまでも想像ですが。


ただ、そのままだと日本の感覚ではあまりにもクドかったりなんだりで、そうした文化・流行は時が立つとともにかなり風化し、日本の実情や感覚に合う様に変形・洗練していき奈良時代の白鳳文化や平安時代の国風文化、室町の東山文化などへと変貌を遂げ日本の独自文化・様式へと移り変わっていくという流れだったのかな、と思います。
たまに、焼き物に関して「韓国の文物を横取りした」くらいの論調もありますが、あれなどは江戸時代の浮世絵を再発見した欧州のようなもので、国内では特に特別視されない普通に流通していた物だったモノが他国の人間によってその価値を再発見された事例かと思います。
だって、当時の朝鮮人の工人を日本連れて来て釜を開かせ、しばらくした後に帰国の意志を確認した所「いやだ」と言ったそうですからね。あまりにも故国に待遇が悪いからということで。逆に日本に来てこんなに優遇されるのなら帰りたくない、という事だったそうです。なんかどっかで聞いたような話じゃない
ですか?

ちなみに日本の龍は3本爪です。本家中国の龍は5本爪です。
龍を日本に伝えたのは当時の朝鮮なんですが、中国から龍の画像が朝鮮に伝えられた際に「一段格が下がる」という事で、朝鮮の龍は4本爪なんだそうです。更 にそれを日本に伝える際に「我らより更にもう一段格下である」という意味を込めて日本に伝わった龍は3本爪になったそうです。
あの人たちの日本に対する姿勢って基本的にはこれだと思うので、少しくらいは警戒心を持っていたほうが良いと思うんですけどねえ。


遣隋使や遣唐使などはありましたが、それらを「これ以上意味がない」として打ち切ったのは菅原道真だったと記憶しています。それ以降、日本国としては付かず離れずの関係を中韓とは続けてきています。ある意味「深入りは危険」という認識もあったのでは?と思うくらいです。
足利義満などは「朝貢さえしとけば見返りは大きい」と割り切っていました。ただ、公家衆からの朝貢貿易に対する不平や陰口はあった様で、当時の日記にもそうした陰口が残っていたりします。
また、その「深入りの禁」を破ったのが秀吉な訳ですが、彼の国は、そんな何百年も前のことをいまだに「壬申倭乱」などといって騒ぎ立てるほどのお国柄です。日本の支配者層の、その「禁」を知ってか知らずか、ともかく中韓に関わろうとしてしまったと意味では、やはり彼は成り上がり者でしかなかった、と言えるのかもしれません。
また、その頃の事で言えば韓国人は「倭寇、倭寇」とも騒ぎ立てられているようですが、実は倭寇のほとんど(特に後期倭寇)は「日本人海賊を偽装した朝鮮人・中国人」がほとんどだったといいう事もあります。


やはり中韓に関しては、付かず離れず、程よく距離を保って、でも決して近寄らない、という程度で良いんじゃあないかなあ、と思うんですけどね。御近所だからとか、同じアジア人・モンゴロイドなんだから、といっても決して安心できる国ではないでしょう。昔っから。
アメリカはアメリカで「オレに仕切らせろ」というお国柄なんですから、程よく利用し、される分にはまだ害は少ないでしょう。利害関係の一致さえ見いだせれば比較的誠実な面もありますからね、欧州は。
また中韓に比べれば。自前で国防軍を維持管理育成することを考えれば、思いやり予算を作ったり、沖縄に基地があることくらいは致し方ない事のように思うんですがねえ。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

僕もその関係の話を一つ。
新羅に滅ぼされた百済人難民は日本に流れ着きました。
哀れに思った時の朝廷は、東国地方に彼等のための土地を与えました。普通なら感謝されるはずです。
ところが「先進国の人間が来てやったのに、この扱いはなにごとだ!待遇が悪い!」と言って反乱を起こしました。当然鎮圧されました。
これって、朝鮮戦争後の現在の状況に似てなくありませんか?

匿名 さんのコメント...

僕もその関係の話を一つ。
新羅に滅ぼされた百済人難民は日本に流れ着きました。
哀れに思った時の朝廷は、東国地方に彼等のための土地を与えました。普通なら感謝されるはずです。
ところが「先進国の人間が来てやったのに、この扱いはなにごとだ!待遇が悪い!」と言って反乱を起こしました。当然鎮圧されました。
これって、朝鮮戦争後の現在の状況に似てなくありませんか?