2008年2月23日土曜日

著作権というもの

ウチの奥様が「ノラ ジョーンズ」のCDが欲しいとのたまい、ジャスコのHMVでそれを探していたのですが、そのCDには左にあるマークがくっついたものでした。

それをチラッと見たワタクシトしましては「そんなもんCDじゃない」と言って買うのを止めさせました。べつにそれをコピーしたいから、と言うことではなく、リッピング出来ないから、と言うわけでもありません。単にレコード会社の我儘に付き合うつもりがないから、という理由です。


ただ単に音楽が手元にあればいいや、ということであればiTuneでのダウンロード音源であったり、それこそエアチェックでもいい訳です。でもわざわざCDという形で音源を手にしたいというのは、どういうことか。もちろん形あるものとして手元に残しておきたい、という事もそうですが、それ以上にいい音源を手にしたい、ということが根底にあると思うのですが如何でしょうか?
CCCDはその思いを無視した存在です。
デタラメなトラック情報と音楽情報の中に仕組まれたエラー信号で、その思いを踏みにじります。後に登場したビクターなどのオリジナルコピーガード規格では、音質に関しては改善されたようですが、初期のCCCDはひどかった記憶があります。
しかも。
CCCD(コピーコントロールCD)とは言いつつ、これはCD規格に準拠していないので、CDプレーヤーが壊れる可能性もあるという代物です。許せません。これでは何のためにわざわざCD というメディアを買ってきたのかわかりません。しかも先日のコラムで言ったように、今現在ではCD専用のプレーヤーは絶滅危惧種です。もう一つ予備にCDデッキを買っておこうかとも思うくらいです。

そんなことは今頃になっても露知らず、これ買おうか、なんていうウチの嫁さんのような人も居るのです。「だって売ってんだから、そんな事あるわけないでしょう?」というのが嫁さんの唯一の根拠なのですが、涼しい顔してそんなものを生産しつつけるレコード会社が許せません。

レコード会社も無論会社組織なのですから、利潤を追求していかなければ、おまんまの食い上げになります。ただ、良質な音楽を作ってくれるミュージシャン達と、それらの音源を買ってくれるリスナーとの橋渡し役である、という立場を往々にして超えて動いてしまっている節がしばしば感じられます。
勿論、その音楽の生みの親であったり、その生誕に関わってきた方々ご本人がその恩恵に与るのは当然のことなのでしょうけど、どうもここ最近の風潮としては長すぎるのでは?という気がしてなりません。例えば以前オノ・ヨーコが著作権の遺族への帰属期間?だったかの件で、あーだこーだ言っていたようですが、ごく個人的な感想でいえば、「アンタ今までさんざんジョンレノンのおかげで儲かってきておいて、まだその権利に固執するつもりかい?今まで何十年それで暮らしてきたんだ?」と思うのです。不労所得はいけません。人間を腐らせるだけです。
ウルトラマンの円谷プロも然り。いい加減、それだけ、というのはみっともないと思えます。
それだけで、ずっと安泰という事であればそんなにいい事はないんですが、それはちょっとムシのよすぎる話でしょう。

レコード会社もいい加減、元の立ち位置をもう一度思い出して、本来の姿に回帰する道を 探ってみては如何でしょうか?

4 件のコメント:

コロパパ さんのコメント...

CCCDなんて今も生き残ってたんですか。たぶん、前に制作販売したものなんでしょうね。

CD制作会社の利益うんぬんはともかくとして、著作権といのは大事なものであることは確かです。いい音楽を作った人にはそれなりの利益が保証されねばなりません。(オノヨーコの件についてはよく知りませんが)
ただ、出来上がったCCCDがひどい代物だったことは間違いないですね。早々に世の中から消えました。

昔は、カセットテープやMDで録音して友人にコピーしてやるくらいのことで済んでいましたが、近年、WindowsのP2Pなどで違法コピーが大量に氾濫したのがCCCD出現のきっかけになりました。その点については(一部の)ユーザーも反省しなければなりませんね。
1ユーザーとして、僕自身は、本当に欲しいものはちゃんとお金(対価)をはらって手に入れるようにしたいと考えています。

映画DVDにかぎらず、高〜いWindows Vistaですら違法コピーを堂々と売っている中国は大嫌いです。

さて、Norah Jones、僕の印象としたはBGMとして聴くにはちょうど良い、といった感じです。

hiro さんのコメント...

なんと申しますか、常識の範囲内というか、個人ユースの範囲内であれば、それは情報や、技術を、きちんとした対価を払って手にした人の自由であるべきですよね、とは思うのですよね。
確かに昨今のなんでもかんでも消費者保護、という風潮は行き過ぎ(というか、甘やかしすぎではないかと思う)の感があって嫌いなのですが、それでもCCCDは稚拙な技術と、浅薄な思慮のもたらした人災だと思っています。


今まで色んなコラムというか、話題を取り上げてきました。が、どうも世間の常識がおかしいのか、それとも自分の感覚がズレてきているのか、今までは常識というか、良識という無形のものに頼っていられた部分はあったような気がするのですが、どうも今は、それが共通言語になりえていないような気がします。
で、またそういう人達と話をするのって疲れるんですよね。まあ、色々な人たちの間に立って話をしていかなければいけない立場というか、そういう商売のくせに、そんなことではいけないとは思うんですけどね。

あ、そうそう。コロパパさんに一つお聞きしたいのですが、コロパパさんのブログにコメントを残そうとする時に、ウインドウ内に表示されている文字を入力する手続きがありますが、あれは必ず出てきてしまう設定なのでしょうか。というのも、今まで何回か「入力された文字が違います」というメッセージが出て(5~6回か、それ以上)結局コメント入力を何度かあきらめています。いくら書いても「またハジかれるんじゃなかろうか」と思うと、ついつい書く気も失せるというのか。それでも、ままよ、とばかりに書いた後、やっぱりはじかれた、という時の脱力感には結構くるものがありますので、あれって、なんともなりませんかねえ、と、ちょっと思いました。
説明文にある趣旨は分るんですが。

コロパパ さんのコメント...

小生のブログの件、調べてみます。
どうもすみません。

コロパパ さんのコメント...

小生のブログコメント
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