2009年5月31日日曜日

所詮は動物

つらつらと何とはなしに思っていたことと類似していることが書かれていたので、ちょっと。
柴田の居住地域よりはるか北方、行動範囲のの北限近辺に仮住まいを構えているらしき「らかす」の安堂さんのブログの事です。

どうも世の中おりこうさんに過ぎるというか、綺麗好きすぎるというか。嫌煙運動にしてもそうだし、男女同権運動にしてもそう、弱者保護や嫌韓・反韓なんかもその類いだと思っていますが、あまりにも人間の有り様について杓子定規に考えすぎてやしませんか?と思わせられる事が少なくありません。

某フロイトの様に何でもかんでもセックスや幼児体験にその根源を求めようという傾向には辟易する所がありますが、あまりにも潔癖・おりこうさん・論理的・理知的・思慮・配慮のある人間像なんてものはあまりにも現実離れした姿である様な気がしています。
やはり人間という一個の動物である以上、らかす中にある桝谷さんのあまりにも論理的な行動と反面、あまりにも人間味溢れる過剰な親切心とか木屑だらけの家の中の様子だとか等、行き当たりばったりの気まぐれさや敬虔なキリスト教徒にあるまじき(?)下ネタは、いたし方のないことのように思っています。逆にこれこそが人間である、と思ってもいるのですが。

中古車選びにしてもそうですが、あれやこれや条件選びや選択を進めていたとしても「一目ぼれ」などと称した衝動買いは逆に一番楽しい買い物の方法であったりもするわけですし、日頃慎重な品物選択を信条とし、きっちり値引き交渉をして車を購入している方でも、何でまたこんなへんてこな所にこれだけの金額を投入するのか、などという光景を目にしたことは一度や二度という程度の回数のことではありません。

どうも、最近の方々は「理不尽な他者」との折衝・接触を余儀なくされるということが少なく(人の移動が多く、核家族化というよりも、より個別行動化している気がします)腹を割った付き合いを避ける傾向が強いのかなあ?と。酩酊することを嫌い(別に強制するつもりはないですが)自分をある程度さらけ出し、清濁併せ呑むということが少なく、同好の士同士での限られた接触に終始することが多いのかなあ、と。
車輌販売の現場だと、自分は「夜撃ち朝駆け」とまで言われた営業攻勢まではしませんでしたが、それでも「夜訪」と言われた夜間のお客さん宅への訪問はけっこう頻繁にしていました。まあ、そこでアルコールが入ることもあったり、宴会なんだか仕事なんだかわかんない展開になることもありましたが、そういう席での「いついつごろには車を考えたいなあ」という言葉であったり、その後家族との親交を深めたりであったり、という事前情報・周辺情報は大切にしていたものです。
ところが今は皆さんおりこうさんというか行儀が良くなったというのか、「夜訪」は今は禁止されているのだそうです。また、お客様情報の保護という観点から営業用のコンピューターを極力社外に持ち出すことを禁じているのだそうで。自分以前の世代なら手書きの見積りなど当たり前の時代だったんですが、今時の連中は車輌総額はコンピューターの画面に描いてあるもの、としか思っていませんからおそらく自分で見積りなど計算できません。
また、昨今の減税対象の摘要などは複雑怪奇なシステムになっていますので(おそらく類別区分番号の何番に該当する車種は何%の減税といった適用方式)、おそらく営業所外での計算は事実上出来ないでしょう。ということはお客様宅での商談・契約という光景は消滅してるんでしょうねえ。


ちょっと前に自宅マンションの隣人を「性奴隷」にする目的で拉致、ばれそうになったので切り刻んで殺してしまい、下水等に流しての処理を図った、という事件がありました。まあ既に「性奴隷にしようと思って」とか「誰でも良かった」というところで既にアウトなんですけど、それでも「証拠隠滅を図り....」というくだりなんかは、かろうじて論理的なというか合理的な理由をそこに見出そうという警察側の意思が感じられます。でもねえ。
チラホラと目にしたところによると犯人はどうも「欠損嗜好」の性癖者であったようで。つまりはなから「手足を切断する」ことは既定路線で、被害者をまあ所謂「だるま女」にする目的で拉致、で、止血に失敗して結果死亡させてしまったのでは?なんて話も目にするわけです。ほんとかよ?なんて思ったりもするのですが、ある意味そちらの方が辻褄も合うかなあなんて思ったりもするわけで。

「衣食足りて礼節を知る」なんてなんか虚しくなってしまいます。逆に獣性むき出しじゃん、て。一般人は基本的に無防備な羊であることが多いわけですから、羊としての習性を叩き込まれることのなかった群れを離れた個体に理性とか羊としての常識を期待する方が無理な気がします。
大学の一般教養の心理学の講義中、「狼少女」を取り扱った回がありました。結局は彼女は亡くなるまで人になりきることはなかった、と記憶しています。何にでも成れるというフレキシブルな脳細胞を持ったからこそ狼にもなれたわけですが、反面やはり人間として馴らすことがなければ人間にすらなれないし、やはり奥底に獣性(大脳旧皮質でしたっけ?)は潜み続けている訳です。


きちんと集団行動を営むことのできる理性と共にやはり動物としての本能は在り続ける、というバランス感覚はあってしかるべきじゃあないかなあ、と。草食系男子なんて言い方が最近はあるみたいですが、人(男)を舐めくさるのもいい加減にしろよ、と思ってもいます。性別が女というだけで天下取った気になってんなよ、と思ってみたり。
でも1匹のオスとして、可愛い女の子を見たりするとやはりニコニコしてしまうんですけどね。

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