2009年5月14日木曜日

政権交替

小沢さんが辞任してしまいました。

個人的にはこの際一回ぐらい民主党に政権交替してみてもいいじゃないか、と言う気持ちはありました。今現在は確かに首相は麻生君ですが、今に連なる時代を形作ってきた歴代の自民党総裁たち(一部社会党出身首相を含む)や自民党幹部連中を支持し続けた結果が「今」であるのですから、それこそどうしようもなければ一回くらい交替してみる価値はあるのでは?とも思っていました。
それが、一度は自民党の幹事長まで勤め上げた小沢さんが野にくだり民主党の代表になって、ということならばまだ、主張するということに対するその言葉の責任をほとんどその身に受けたことのない怪しい連中が代表である時期よりはよっぽどましかな、という淡い期待もありました。

でもねえ。

鳩山じゃあダメかな、と。(正直岡田君の事はよく知らないので誰か教えてください)

村山の二の舞ににゃりゃせんか、と。

羽田談話の類いをまた繰り返したりせやせんか、と。

鳩山の「日本はみんなのもの」なんて、その言葉がどういう意味を帯びてくるかなんて想像したこともないのか、だた単に言葉に酔っているだけなのか。


司馬遼太郎が「風塵抄」か何かで、「クーデターは軍隊で言う大佐クラス以上の人間を巻き込まないと成功しない」ということを書いていました。まあなるほどそういうもんか、と思います。
企業で言う部長クラス。幕末に思いを巡らせれば、薩長では割合藩の上層部の連中(小松帯刀とか)にも理解者がいたおかげで西郷であったり大久保であったりが動くことが出来ましたし、桂小五郎や高杉晋作などは自身が藩の上層部に食い込める家柄の出身者だったかと思います。
翻って土佐藩では山内容堂が中途半端に賢いというか権勢をふるいすぎたために藩内に残った武市半平太などは日の目を見ることはなくなってしまい、早い時期から活動拠点を藩外に求めていた坂本竜馬や中岡慎太郎は、後々までそのことに苦労することにもなりました。

さて。民主党の中の戦力分布はよく知りませんが、そうしたことをふまえての参謀というのか作戦を心に秘めた戦略家っているのかなあ。まあ、鳩山君なら鳩山君でもいいのですが、それをきちんと誘導できる懐刀というのか、島津久光にきちんと手綱を掛けうまく誘導しきった大久保利通みたいな存在。

戊辰戦争の頃、箱根の険を利用して海上から薩長軍を追討するべしという建議が徳川慶喜に対してあったらしいのですが、その際慶喜が家臣に「我が方に薩の西郷の如き者がいるか、大久保利通の如き者がいるのか」と反問したそうです。それを言われ家臣は黙ってしまった、ということですが、その真偽はともかく今の嘆かわしい所もまさにそれだと思うのですがねえ。

これならばより痛みの少なそうな方、ということで相対的に「まだ自民党でも.......」となってしまうのもいたしかたない風にもなってしまいそうで。
最も一番悪いのは「投票しても変わらない」などと悟った風な事をいい「投票しないことが自分の意思表示」などと言っていた連中ですよねえ。ただ、何処に意思表示をしていいのか。いっそアンチの意思表示として共産党にでも入れるかなあ。公明はありえない選択だし、社民もみずほ君の言うことがあまりにも馬鹿馬鹿しいしから入れる気にならないし。でも今の選挙制度だとそうした弱小政党への票は死に票になる確率が高いんでそれも考えモンなんですよねえ。

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