2008年6月10日火曜日

同級生の事故

今日の10時50分ごろ、同級生から電話がありました。こんな時間にあいつから何の用だ、と思いつつ電話に出ると「今朝、事故をした」とのこと。つまりは、どの様に身を振ったらいいか、という相談です。ちなみに彼は僕の契約者ではありません。現在の自動車保険契約先は農協です。つまりはどうでもいい相談内容なのですが、まあ、お人好しも手伝って聞いてやることにしました。

事故状況です。
信号のある交差点。友人は交差点を右折しようとしていました。相手は結果的には直進したのですが、あろう事か右折のウインカーを出しつつ(これは他者による目撃証言あり)交差点に進入。右折の意思表示を見ていればこちらとしては交差点を曲がろうとしますわな。でも、そのまま直進。結果、相手者と衝突、というわけです。
基本過失としては8:2。直進車優先。こちらは右折車両ですから、当方の過失大、というわけです。いろいろな修正要素は考えられる訳ですが、でも、そうなの?っという感じは拭いきれません。「重大な過失」としては前方不注視とか、ハンドル・ブレーキの不適切な操作などを挙げている訳ですが、この場合は「曲がるよ」という意思表示をしつつ目前でウソをつかれた格好です。で、実は通称「落ち葉マーク」もついていた、との事です。


ここで、柴田個人の基本的なスタンスを書いておきます。
基本的に重量1t近い重量の車両を、ある程度の速度で操作している以上、その操作は簡単に人命を奪うに足る運動エネルギーを内包しています。で、ここで思うのがそれを操る以上、「高齢運転者」とか「初心運転者」とかいう生ぬるい理由だけで、その行為に対する結果責任を逃れるものではない、という感覚です。それが出来ない、わからない、のだったら運転しようと思うなよ、と思うのです。

これは道路を走る、という行為に対する最低限の礼儀作法だと思います。それこそ、ゴルフ場では紳士のスポーツとして最低限襟付きのシャツを着るのがマナーということだそうですが、そんな生ぬるいこと以上に絶対条件として、これは意識するべきです。
「見えなかった」「忘れていた」「気がつかなかった」は軽々しく口にするべきではありません。相手方にとっては慰めにもならないことを意識の底に留めておくべきです。

最近、ある程度以上の規模のお店の入り口付近には身体障害者用の駐車スペースが確保されていることが多くなってきました。これはお店側のやさしさというか(もちろん店側の姿勢のアピールがあることは十分承知の上で)心遣いだと思います。
ただ、この駐車スペースに停める、もしくは停められている車を見るにつけ、「コイツ本当に身体障害者なのか?自分の頭が足りないのは身体障害者とは言わんだろ?」というのが多すぎるように思います。
この種のやさしさに付け入るのは卑怯だという意識が、自分としては有るのですが、どうも「自らの行為を恥じる」という感覚が根本にないようです。空いてるなら停めればいい、みたいなね。もしくはチンピラまがいの格好と、そういう雰囲気の車ならば停めてもいい、という文言が彼らだけには見えているかのようです。


話を元に戻します。これからはこういった高齢者が急速に増えていく時代です。高齢者に対して優しさで以って事に当るのは人として美しい風景ではあると思います。
ですが、果たして、そうした礼遇を受ける立場である高齢者の方たちは、そうしたことを意識していらっしゃるのでしょうか?
感謝しろというつもりはありません。ですが、全てとはいいませんが、どうも先の身障者専用駐車スペースの例を引くまでもなく、却ってそれを当たり前とする「弱者の暴力」とも言うべき横暴さが垣間見えている例が多いように感じられてなりません。もしくは自身の無意識の行為が引き起こす結果についてあまりにも無頓着でありすぎる例が目に余ると思うのです。

自分自身の老いというか体の衰弱を意識することは、決して気持ちのいい事ではありません。ですが、生物である以上決して逃れられない現象でもあります。しかもその訪れには個人差があるため、一定の線引きもし難いのは十分承知していることではあります。
でも、他人の善意というか行為の上に胡坐をかく、もしくは結果として胡坐をかいてしまっている行為というのは決して美しくないことと信じます。
最近の世の中には潔くない行為というか、女々しい行為が蔓延しているようです。どうか、そうした雰囲気というか世の空気を感じることがあるのならば、運転をするな、とは思いませんが、もう少し自身を客観視する視線を持ってもらいたいと思います。

とまあ、今日の事故では、こんなことを考えさせられてしまったのです。


という訳で今日はおしまい。

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