2009年3月3日火曜日

振り込め詐欺

今まで見てきたことの中で、「ぞっとした」ことは数あれど、心底ぞっとしたこととなれば幾つか上げられることができると思います。まあ、小学校の時の夏休みの時期にやっていた「あなたの知らない世界」......、というのは分かりやすいツカミですが。

1つ、非常に幼心(というものが在った時期があったのです)にとって強烈な出来事であったのは、中学校の修学旅行のときに見た浮浪者です。
それまでにも何人か浜松駅で見たことはあったのですが、あれほど間近に見たのは初めてでした。有名な観光地であるはずの京都駅で見た浮浪者の姿は、それまでに見た色んな観光地や建造物などよりもはるかに強烈でリアリティ溢れるものでした。なんというか、いきなり背中に冷水を浴びせれられかけたような、なんともいえない恐怖心というか、そんな感じでありました。「ああなっちゃイケナイ」と強烈に思ったものです。別に差別というわけでもなんでもなく。そういう意味においては強烈な「修学」旅行でしたね。

さて。そこで今日は何が言いたいのかというと、振り込め詐欺。騙す方も悪いが、騙される方も........、とも思わなくもないですが。ともかく仕掛けたほうが全面的に悪いのはご承知の通りです。

ですが、交通事故なんかでもよく感じる「加害者有利」的な匂いがここでもするんですね。というのは騙し取った金額の事なんですが、ここで被害にあった振り込まれた金額ってどうなるのか?ということなんです。
知人が何年か前に空き巣に入られて200万ほどいかれた、ということがあります。まあ、何で夜間金庫に入れないのか、という根本的なことはともかくとして。結局何年かしてその犯人が千葉の方で捕まったのだそうです。同じく空き巣かなんかで、ということですが、その時の余罪の追及中に出てきたのが知人の空き巣被害であった訳で。
で、その被害金額について警察に言われたのは「犯人に弁済能力が無いので」ということで結局は泣き寝入りだったそうなんですね。で、刑事責任の追求に関してはこっち(千葉県警)に任せてくれ、という事だったそうなんです。でもこちらとしては、せっかく忘れかけていた記憶を再び掘り起こされて、でも何も出来ないじゃあ、あげかけた手の振り下ろしどころがないじゃあないか、ということです。せめて200万円分殴る蹴るしてもいいよ、ということならまだしもと思うんですけどねえ。さては、そこをぐっとこらえるのが文明人たる人としての剣が峰ということなのでしょうか。

そんなこんなで思うのですが、振り込め詐欺。再犯率がどんなもんか、とは思うのです。
何千万円、何億円という被害額を出しても「払えません」「使っちゃいました」で、弁済義務は無いわ、仮に実刑判決が出ても無期懲役までなるわけでもないでしょう?で、何年かで出てきて社会生活に適合すればいいけど、いきなり現実社会に放り出されれば、やはりワリのいい稼ぎをしてしたほうが、と思いがちなのでは?と思うのですが。

ここでまた暴言暴論。
いっその事、事務職などの決裁権のない単純業務は全て犯罪者にやらせるというのはどないでっしゃろ?そうすれば公務員の給料削減も出来るし人数も減らせる。囚人1人1人にかかる経費も公務員の年間平均給与を考えればすごく削減できると思うんだけど。閉塞感のない刑務所なんていう刑務所も紹介されていたけど、そんな設備に金かける位なら.....。
刑務所の囚人に発注される仕事も激減していることだし。元々公務員には団体交渉権がないはずなんだからちょうどいいじゃん。費消しをしようにも個人口座はないんだし、どこかに溜め込もうにも中の人間はどんどん入れ替わるし、忘年会や慰安旅行や視察もしないだろうしね。教育刑なんていう考え方自体が甘いと思うんだけどなあ。

ここで冒頭に戻ります。何かやっちゃった人の公正を切に願うのであるならば、「コレはもう二度とやっちゃあイカン」と思い知るだけの何かがあってもいいのではないかな、と思うのです。
「所持金や財産が無いので弁済能力がない」で済んでしまうの?ということ。200万円なら200万円、1億なら1億を稼ぐのに、どれほどのことをしなければいけないのか。まあ、これは経済事犯に限ったことではないですけどね。「やっちゃあダメだよ」と言われて素直にやらなくなるくらいならこんなに楽なことはないのですが、所詮はパンツを穿いただけのサルでしかないのかな、と思うことが多いんですよね。
以前ならば「以心伝心」であったり「言外の言」といった言葉もあったのですが、どうも最近は「日本語がしゃべれる」ことと「意思が通じる」ということはやはり別だなあ、と思わずにはいられません。さみしい話なんですけどね。

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