2010年3月11日木曜日

人の車検制度

車を運転するということは極めて社会的な行為です。
公共の場を、質量1トンを超えることも珍しくないその機械に、人間の出せる筋力をはるかに超える出力を誇る動力源を搭載したうえで、その運行や管理を全くの個人の判断に委ねているのです。
だからこそクルマは面白く、人々を魅了し続け、今もなお発展途上国(とは既に言えないとは思いますが)の国々で爆発的に増殖中です。

その魅力の源泉はもちろん「運行・管理が全く個人の判断に委ねられている」(規制は在るものの)というところでしょう。

国としては、個人の管理の手に余る事態を考慮して「車検制度」なるものを創設してあります。基本的には「車両の運行に当たって、一定基準を満たす安全且つ 正常な状態であるのかどうか」というのが車検の本質なので、本来なら修理をする機会は別であるべきなんでしょうけどね。まあ、それはともかく何とかかんと か紆余曲折はあるものの今現在まで車検制度なるものは存続している訳です。

と、ここで本題に入りますが、流石に「ああでもない、こうでもない」と長年に亘って散々いじくり回してきた成果もあり、クルマのほうの機械的故障は随分少 なくなってきました。これを受けて車検制度の検査期間も初回2年だったのが初回3年の車検期間となったりとか、自家用車の法定6ヶ月点検が無くなったりと かいうことがあるわけです。

ところが、これらの事を「車検以外の法定点検はなくなった」と思いこんで車検しか受けない方々や、「車は壊れなくなった」と思いこんで、故障をしたことについて怒る人ですとか。
また、まだこの辺ならいい方で、ひどい事例では「新車を買ってから、一度も車検を受けずにそのまま10年乗る」(実例)という猛者も出現するなどと、もう こちらの想像をはるかに超える人まで出る始末です。「だって、新車なら10年乗れるでしょう?」とケロッと言ってのけますからね(実話)。
まあ、考えさせられなくもないのですが、確かに150万払って新車を買って(この時の人はデミオでした)、10年何もせずに(自動車税さえ払わず)そのまま乗るのと、一般的な管理をしていき10年経過するのとでは確かに維持費トータルでは雲泥の差が出るでしょう。
ただ、お金以前の問題で「自動車を所有し、一般道でそれを運行すること」という基本的な「人としての資質と自覚」の部分で明らかに欠けると思われる人は「御退場願うしかない」と思うんですけどね。


また目に余るほど運転マナーに欠ける「おさる」なドライバーも少なくありません。どう見ても「明らかに人としての基本性能が低すぎるだろう?」と首を傾げることが少なくないですからねえ。
お仕事上では、そういう方々とのお付き合いは「はっきりとお断りする」のでいいんですが、道路上で遭遇するのは避けたくても限度がありますし、逃げるしかないというのもどうかと。



ということで御提唱したいのが「ドライバーの車検制度」です。

講習には必ず自家用車に乗って来い、という事にして、普段どういうクルマで、どういう乗り方をしているのかを審査します。
で、「まともに運転できない」「運行者としての基本的な資質に欠ける」という判断がなされた場合には「騎乗停止」処置や「調教再審査」措置が採られます。
あまりにも酷い時は、馬なら「金タマを取っちゃう」こともするんですが、人間では流石にまずいでしょうから、その時はどうしよう?ロボトミー手術?いやいや。
で、馴致期間が終わった後の一定期間は執行猶予状態にして、何かあると、その時だけは「減点倍額」とか。
うーん、考え出すと、妄想が膨らんで楽しくて仕方ありません。こんな制度改定案を真面目に警察庁が出してきたりなんかすれば随分警察の好感度も上がるような気がするんだけどなあ。もっと本音で喋ろうよ。

あと、出来れば原付バイクもいい加減、5年に一度とか10年に一度とかいう間隔でもいいので車検制度を考えてもいいのでは?と思います。白煙を鬼のように ばら撒いて、煙幕か?とも思ってしまう爺さんや婆さんの原チャリの後姿を見るにつけ「いい加減、整備位しろよなあ」と思ってしまいます。セニアカーの代わ りとして原チャリを駆使する年寄りは、地方にはわんさと居るので移動手段を取り上げるつもりは無いのですが、動いて内はOKと思っている人も少なくないの で、これ位は必須かなあ?と。

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