2009年7月6日月曜日

それぞれの目

クルマを取り巻く視線には大まかにいって、オーナーである所有者から見た目と、そのクルマをフォローする側である営業サイドの目と整備する側であるメカの目とがあるように思います。
簡単な整備は自分でもこなしますが、整備士の資格を持っているわけではないので重整備や要保安部位に関わる部分の点検は下請けの工場に任せます。このため、今現在はオーナーという視線と営業サイドの目を以ってクルマを見ていることになるでしょうか。

誤解されやすいかもしれませんが、営業サイドの目とは、自分だったらこうする、というクルマ関連・周辺のプロとしての目線で、クルマの保守を見守っていくという意味です。又は、仕事を請けるにあたってメカニックとオーナーとの間の意思疎通や要望の伝達を双方の共通言語に翻訳しつつつ、すり合わせをしたり、方針を決定したり、と言ったらいいでしょうか。
メカニックにはメカニックの経験に基づく方針ややり方があり、オーナーにはオーナーのそれぞれの異なるレベルでの要求事項があります。中には変な雑誌による変な情報に毒されている方もあれば、思い違いや思い込みによる誤解事項もあったりします。そうした点などは受け入れの時点で誤解を解いておいたり、概略の説明を最初にしておけばすんなり受け入れていただけることが多いものです。


ところが最近多いのは、いくら受け入れの時点でこちらが細心の注意を払っていても、実際のメカニックの勝手な判断で「このくらいでいいだろう」という整備で済まされてしまったり、時間の約束をしてクルマを持ち込んでいるにもかかわらず、先方の作業進行や先方のお客さんの都合でこちらの時間の約束がずれてしまったりすることが少なくないことです。
「メカニックを急かしてもいいことはない」とは先方の言い分ですが、こと時間の約束や仕上りの約束を「プロ」として交わし、お金を即金で支払う以上、一定以上の作業レベルを維持してもらわないことには営業サイドの人間としてお客さんに合わせる顔がなくなってしまいます。
また、こういうことはトヨペット時代にもよく遭遇したことで、これが元でよくサービス課の連中とは口論になったものです。またかと思うとともに、メカニックの性とはこういうものなのか?ともあきれている所です。
余談ではありますが、こうしたメカのズボラさから、お客さんと約束をしてしまった自身を守る為に身につけた技術がオーディオやナビゲーションをはじめとする室内機器の取り付け技術であり、車両の軽整備であり、クルマのボディ磨きといった技術です。まあ、人間何処で何がどのように役に立つか判ったものではありません。プラモ造りの技術もクルマの整備に随分役に立っていますしね。

オペラの清水さんの「院長ブログ」で、「出張診療は大変」という意味のことが書かれていました。曰く「設備の整った環境でこなす診療を思うと、出張診療は限られた持ち込めるだけの設備や備品の中で診療を進めなければならない」という意味のことが取り上げられています。
たしかにメカニックも出張修理というものはあります。ところが、そのほとんどは工場でクルマが持ち込まれるのを待ち、設備備品の整った環境の中で日夜作業をしている場合がほとんどだと思います。別にそれが悪いことだとは思いませんが、ただ、こちらのお客さんの分の作業や仕事が持ち込まれるまでのお膳立ての部分に関わっていない為、「入ってきた仕事」という事に関して少々無頓着になっていやしまいかと思うことはあります。自分がエンドユーザーではなく、その先にもう一人いる訳ですからね。

誰が偉いとか、こっちが上位などという思い上がりはありませんが、もう少し相手を思いやるというか、少々気を回す、という事が出来んもんかなあ、と思ってしまうことが多いなあ。
「クルマを整備する前にお客さんの心を整備しろ」とはよく言われる言葉ではありますが、そうしたお客さんの心の整備って、こうした取引先のことまで含めなければいけないんですかねえ。

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