2007年12月8日土曜日

マイ・フェイバレット

高校生くらいまではプラモデルばっかり作っていたので、年代的にみんなが通る道というか、まあ、ありていに言えば音楽関係、バンド関係というものには、わりと無縁にすごしてきました。ですから、当時持っていた音楽機器というと日立版のウォークマンくらいなモンで、カセットテープも10本もなかったと思います。
今になって悔しい、というか、もう少しいろんな目を持っていれば、というか。柴田の高校卒業は昭和63年です。今は懐かしい「イカ天(イカすバンド天国)」の前夜の頃で、いろいろなバンドが蠢き始めていた頃でした。代表的なところでいうと「BOOWY」とか。意識し始めた時には、もう解散していたんですよね。解散を知ったのは模型誌の製作記事上で、でしたから。その他、「GUS TUNK」(分かる人がいるのか?)なんかもそのクチで、時すでに遅し、でしたね。


学生時代(高校・大学時代)という時期は、今から思えばものすごく多感で、体力絶好調で、結構こわいもの知らずで、無鉄砲で、頭が軟らかい時期で、羨ましい時期ですね。今でも、あの頃のことが自分に息づいている事を感じる瞬間があります。なんでも糧になってるんだな、と。
例えば坂本竜馬は19のときに剣術詮議の為、江戸に出てきているわけですが、ちょうどその時、黒船来航を直に体験しているわけです。そりゃあ、ものすごい経験・衝撃だったことでしょう。彼にとっては決定的な出来事だったでしょうね。

話を元に戻すと、当時耳にしていた音楽や情報などが無意識に「マイ・フェイバレット」になっていくのかなあ、と思うのです。
高校のときまではまったく興味のなかった音響機器も、学生当時のアルバイト先が電気屋さんだった為に、ひょんなことから、それを売らなくては行けない羽目になり、関わりを持ってしまった訳です。また、当時電子手帳が発売され始めた頃で、これがワープロ販売につながり、今のコンピューター機器に興味を持つきっかけになっている様なものです。
また、今の仕事も、この販売、営業という職種に関わったことがきっかけだったようなものです。何がその人に関わってくるか分からないものです。

願わくば、今の若い子達も、情報だけは溢れる今の時代。上っ面だけに惑わされることなく、いろんなことを体験していって欲しいものです。多感な時期にしか分からない物があるでしょうからね。
ただ、何でもかんでも自由な今の世情ではありますが、逆に何でもかんでも吸収してしまうあの時期だからこそ、あまり触れないほうがいい世界もあるとは思うのですよね。いうなればアンダーグランドな世界、と申しますか、非合法スレスレの世界というか。別に知らなきゃ知らなくてもいい世界。代表的なもので言えばタバコとか。俗に言う18禁という奴ですかね。
簡単に「餓鬼にはまだ早い」と言われれば、逆に触れてみたくなるものです。でもあの時期に触れてしまうと簡単には抜けられなくなっちゃうんですよね。その防波堤になるのが家であり、親であるとは思うのですが。なかなか、周りを見ているとね。難しい時代だな、と。

当初予定していた内容とは、かけ離れてしまいました。ゴメンナサイね。

2 件のコメント:

コロパパ さんのコメント...

ゲーム機器の高性能化、インターネット関連の遊びの浸透で、今どきの若い子(おじさんの常套句)が、バーチャルと現実をちゃんと識別出来るのか心配しているのは私だけでしょうか。普段は大丈夫なんでしょうが、突発的事態で無意識に混同してしまわないか。
ゲームなんかに執着して引きこもらずに、学生時代には、いろんな事(音楽のバンドであったり、バイト、サークル・部活など)で友人、友人のまたその友人・知人たちとかかわりつつ、成長していくのが、他人の事を考えられる人間になるために必要なんじゃないでしょうか。
いろんな事を経験しつつ、自分の目指すところを見つけて欲しい。
一親として、コロパパはそのように考えています。

hiro さんのコメント...

おもちゃの世界の話で恐縮なんですが、ロボットの写真がここにあったとします。
そのロボットの写真には必ず目に当たる部分が映っていなければならない、というお約束があるそうです。理由は「子供がその絵を見たときに理解できなくなる恐れがあるから」らしいのですが、現実にはそんなことはなくて、子供にとっては目なんか映っていなくても理解しているが、それを提供する側である大人の側が理解できないから目の映っているアングルの絵を使うというお話。

おそらく子供達もゲームをしている、という感覚は、あるのだと思います。
だけど、やっていいこと、悪い事。常識的か否か。普通か変か。そういった平衡感覚を養う為の日常的な感覚や、感情を、パターンとして学習しきれていないんじゃないかな、と思うことはあります。
幸いにして柴田の周りには兄貴もいたし、両親の他にも隣のおじさんやおばさんもいたし、同級生もいたし、お爺さんやお婆さんもいたし、駄菓子屋のおばさんもいたりしました。犬ころもそうだし、崖や湧き水の出るところや田んぼに川にと、とにかくいろんなものを経験させてくれる環境があったからこそよかったのかな、と思うことはあります。
ありがちなところで言えば、父親は残業で顔もまともに見ないし、家はアパートで隣近所もよく知らない。情報の伝達者は母親と塾の先生鹿居ない、という環境じゃあ、それは知識や経験の質や量も偏りますよね。